05 失敗なんてしてないもん

 

 氷南さん、大丈夫だったかな。

 思いきり挟まれてたけど……


 でも、連絡先も知らないので彼女の安否を確認することもできない。

 やっぱり、彼女とメールしてみたいな。

 

 部屋で一人、宿題を終わらせて寝る前にダラダラとテレビを見ながら彼女の事を考えていた。

 でも、いくら考えても明日にならないとどうすることもできない。

 それに、寝過ごしたりしたら大変だし今日はさっさと寝よう。


 そう思ってすぐにテレビを消して、布団に入る。


 常夜灯の光を見ながらぼーっとしていると、なぜかふと二年前のある出来事を思い出した。



 二年前のあの日、羽田も用事でいなくて俺は一人で下校していた。

 あと少しで家に着くところの川沿いで、ショートカットの眼鏡の子が泣いていたんだ。  

 

 隣の中学の制服を着た子で、小太りとまではいかないが少しふくよかな体型の女の子だった。


 どうしたのかと、思わず声をかけるとどうやらいじめにあった様子。


 大切にしていた髪留めとやらを同級生にとられて捨てられたとか言ってた。


 酷いことをするやつもいるんだなと、俺はその髪留めを探してあげることにした。


 危ないからいいと話すその子の話も聞かずに川の中に入って20分ほど探したところでその髪留めを見つけたのだが。


 ずぶぬれになった俺はそれを彼女に渡すとすぐに寒気がしてきた。

 これはやばいと思って慌てて自転車に乗り帰ったのだが、次の日から高熱を出して寝込んだ。その時のしんどさは鮮明に覚えている。


 ただ、学校も違って名前も知らない、泣いていて顔もろくに見えなかった彼女のことは結局誰だかわからずじまい。


 なぜあんなに彼女の為に必死になったのかはわからないが、とにかく困っていた彼女を見過ごせなかったのは俺の性分だったのだろう。


 あの辺を歩いていたらまた会えるかな、と思って時々川沿いを歩いてみたりもしたが、もちろんあれ以降その子とは会えないまま。


 でも、なんで今こんなことを思いだしたのだろう。



 私は、ふと中学の時の卒アルを見ていた。

 あの頃は眼鏡で少し太ってて、よくいじめられたなぁ。


 この時の自分は黒歴史だし、はっきり言って好きじゃない。

 でも、この頃の自分の写真を見ていると泉君と初めて会った日の事を思い出せる。

 私が河川敷で泣いていたところを助けてくれた、私の初恋の人との出会いを、昔の写真を見ながら鮮明に思い出す。



 カバンについてた名札と制服で、どこの誰かはすぐにわかった。

 でも、元々内気で友人のいない私はそれ以上どうすることもできず。

 あの河川敷に行けばまた会えるかもと考えていたけど、あそこは私をいじめていたグループの縄張りだったので近寄ることができなかった。


 それでも、この辺って近くの公立を受験する人が多いからって理由と私をいじめてた子たちが行かなさそうな偏差値の学校ということもあり、一か八かで今の学校を受験したけど、会場で彼を見かけた時は死ぬかと思ったなぁ。

 それにお互い合格したのも奇跡だし、電車が一緒だとわかった時はほんと死んでもいいと思ったくらい。


 ……はぁ。あれから頑張って痩せたのに。髪も伸ばしてちょっとは頑張ったと思うけど、このひん曲がった性格だけは治らない。

 いじめられてたこともあって人が怖い。すぐ睨んでしまうし冷たくしてしまう。

 言いたいことは声が出ないし、拒絶する言葉ばっかり声を大にしてしまう。


 うう、やっぱりこんな女のこと、泉君が好きになったりしないよね。


 はぁ……、そういえばおすすめの本を明日持っていくんだっけ?

 泉君の好きな本読めるのって、嬉しいなぁ。



「おはよう氷南さん」

「おはよう」

「今日は人、全然いないね」

「そう、だね」


 今日の彼女はイヤホンをしているわけでもなく、いつものように淡々とではあるが言葉を交わしてくれる。

 

 そういえば昨日の件、大丈夫だったのかな。


「昨日、大丈夫だった?」

「な、なんのこと?」

「いや、ドアで挟まれてて」

「覚えてない」

「へ?」


 彼女が焼いた餅のようにむぅーと白い頬を膨らませる。

 怒ってるんだろうけどすんごい可愛い。


「ええと」

「知らない。挟まれてない。痛くない」

「な、ならいいんだけど」

「(心配してくれてたんだ、嬉しい)」

「な、なんか言った?」

「……言ってない」


 プイんとそっぽを向いてしまった彼女は結局学校前につくまでそのまま。

 恥ずかしかったのだろう。あまり訊かれたくなかったことをしつこく質問してしまったことを俺は彼女のうなじを見ながら反省していた。


 駅を降りて学校に向かう途中、ようやく首の角度を真っすぐに戻してくれた彼女がぽそぽそと小さな声でしゃべりだす。


「本、持ってきた?」

「うん、氷南さんも持って来てくれたの?」

「いち、おう」

「じゃあ放課後が楽しみだね」

「うん……」


 俺は一緒に正門をくぐりながらニコニコと笑いかける。

 しかし彼女は平常運転で真顔。

 時々カバンをゴゾゴゾとするくらいで後はずっと無表情だ。

 むしろ顔が引きつっている。

 めちゃくちゃ不機嫌そうなんだけど……


 一体周りから見たらどういう仲だと思われているのだろうか。



 放課後、楽しみすぎるー!

 

 と心の中で叫んでみたけど、絶対にそんなことは言えない私なので下を向いて彼の話に淡々と頷くだけ。


 でも、ラブコメとか持ってきたけど笑われないかな。

 え、氷南さんこんなの読むの?子供だなー、とか思われないかな。


 ……だってこの本、電車で助けられたヒロインが主役だもん。

 めっちゃくちゃ共感ポイントしかないもん!


 あー、私も本の中のヒロインになりたいよう。


 でも、お昼休みは一緒だしチャンスあるよね。

 それにそれに、今日もお弁当作ってきちゃったもんね……ってあれ?お弁当、忘れちゃった!?



「おーい泉。見たぞ見たぞ、仲良く登校してたなおい」


 ニタニタと。実に嬉しそうな顔で俺に迫ってくるのはもちろん羽田しかいない。


「別に。電車がいつも一緒なんだよ」

「へー、ということは毎日一緒に登校してるのか?」

「まぁ。たまたまだけど」

「たまたまねぇ。で、どんな話するんだ?」


 羽田の興味は俺と氷南さんの進展具合。

 しかし全くと言っていいほど何も進んでいない俺たちの仲はどう説明したらいいかわからず、俺もしどろもどろ。


「いや、挨拶して部活の話してそんくらいで……」

「おいおい、遊ぶ約束とかしないのか?それに夜ライムしたりとかさ」

「あるわけないだろ。それにライムのアカウント知らないし」

「まじか。童貞って怖いなまじで」


 キモイ、と言われるより畏怖された方がもっと傷ついた。

 え、連絡先聞かなかったら怖がられるレベルなの?


「お前みたいに手当たり次第声かけたりできないんだよ普通は」

「ライムくらい訊いたって誰も怒んねぇよ。むしろ訊かない方が失礼まである時代だぜ」


 時代ねぇ。まぁ今は仕事でもなんでも連絡先くらい知ってて普通なんだと思うけど、そう簡単にいかないんだよ。特に相手は氷南さんだし。


 羽田に言われたことがずっとどこかにひっかかったまま授業を受けることになり、俺は彼女にどうやって連絡先を聞くかで随分と悩んだ。


 あまりに悩みすぎて先生の話を全く聞いていなかったので、ボーっとするなと怒られてしまった。

 恥ずかしい限りである。


 彼女は相変わらず窓の外をずっと見ている。

 そんな彼女を見ていると、絞り出そうとする勇気の火が簡単に消えそうになる。



 連絡先くらい、いいよな?と思えるようになったのは昼休みになる頃。

 今日も事前告知はなかったが、氷南さんはお弁当を作ってきてくれているのだろうか。


 しかし今日はなかなか彼女が席を立たない。

 だから俺も動くことができず、どうしたものかと悩んでいたところに羽田が「パン買いにいこうぜ」と声をかけてくる。


「あ、ああ。でも」

「なんだ、弁当持ってきたのか?」

「い、いやそうじゃないけど」

「さっさと行かないと売り切れるぞ。ほら、来いって」


 躊躇する俺を待たずに、羽田は俺を連れ出す。

 いつも強引だし自分本位だし、こういうところはほんと俺と正反対だ。


 しかしこいつにリードしてもらわないとろくに決断できない俺も俺。

 案外いいバランスなのが俺と羽田なんだよな結局。


「お前、今日は氷南さんと飯食わないのか?」

「う、うん。ずっと座ってたし今日はなし、かな」

「よくわかんねーなぁあのツンデレラ様は。ま、そんなのでも一生懸命追いかけるもの好きがいるんだから美人って得だけどよ」

「もの好きって言うなよ。彼女に失礼だろ」

「やだやだ、妬けますねー」


 パンを買った後、教室に戻る途中で散々からかわれていると教室の前の廊下で氷南さんが一人で立っていた。


「おい、こっち見てるぞ」

「う、うん」


 じーっと。凍り付くような冷たい目で。俺を見ている?


 なにかした?もしかして今日も部室集合だったっけ?


「おいおい、怖いよ。俺、いち抜けー」


 羽田は俺を置き去りにして教室に逃げていった。

 まじであいつ、命の危機に瀕したら友人をまず裏切りそうだな。


「じーっ」


 っと彼女がずっと俺を睨んで離さない。

 すんごい怒ってる?いや、もはや軽蔑されてる?


 ……あ、近づいてきた。


「あの、泉君」

「は、はい」

「……」


 俺の名前を呟いて、また彼女が無言になる。

 一体どうしたんだ?


「み、氷南さん?」

「……もん」

「へ?」

「お弁当作るの忘れてないもん!持ってくるの忘れただけだもん!別にそんなこと一切気にしてないし落ち込んでなんかないもん!!」

「!?」

 

 氷南さん史上、おそらく最高ボリュームの声が廊下中に響き渡った。


 何事かと教室から次々に野次馬が飛び出してくる中、戸惑う俺に彼女は


「だから明日はお弁当絶対持ってくるから!」


 と続けた。


 そして走ってどこかへ消えていった。


 今はまだ昼休みが始まったばかり。


 茫然とする俺は購買で買ったパンを食べる暇もないほどにクラスの連中に取り囲まれて尋問を受けまくったのは想像に難くない話であった。

 

 

 

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