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 "大成功でした! 本当にありがとうございます! 先生のおかげです!"


 宮内さんから届いたメールを、私は実家のパソコンで読んでいた。


 一昨日、彼の最後のレッスンが終わった。問題の間奏の部分も、なんとか弾きこなせるようになった。そして、昨日が彼の本番、親友の結婚式。このメールを見ると、どうやらうまく行ったらしい。


 だが……彼のメールの、続きの文章が……私の心をざわつかせた。


 "先生にはとても感謝しております。一度、ご一緒にお食事でもいかがですか? もちろん、僕のおごりで"


 ……。


 まずい。


 OKしてしまいそうな、自分がいる。


 もちろん、そんなことはダメだ。自分自身に言い聞かせる。


 だけど……


 なんで、こんなに心がざわめくのだろう。


 いや、分かってる。ずっと前から。ただ、今まではそれに自分で気づかないふりをしていただけだ。


 私は、宮内さんが気になってる。もちろん、男性として、だ。


 彼も私に好意を持っているようだ、ということは、私もなんとなく気づいていた。だけど、私は人妻なのだ。それを受け入れるわけにはいかない。


 でも……もし、良祐さんが浮気していたら……宮内さんのアプローチを受け入れても……いいのでは?


 ……いや、ダメだ! たとえ良祐さんが浮気していたとしても、私も浮気していいということにはならない。同じレベルに堕ちるのは、絶対ダメだ!


 "お気持ちはとてもありがたいのですが、お月謝もいただいておりますし、それ以上に特別なお礼をなさる必要はございません"


 苦渋の決断の末、私はそう返信した。


 それからすぐのことだった。


 いきなり、実家の電話が鳴ったのだ。


「もしもし、川村です」


『宮内です』


「……!」


 なんと……電話をかけてくるとは…


『川村先生……僕、どうしてももう一度、先生にお会いして、直接お礼したいんです。ダメですか?』


「ええ。私、お月謝以外の生徒さんからのプレゼントは、極力受け取らないようにしておりますの。それはどの生徒さんに対しても同じですわ」


 私はあえて、にべもない口調でそう告げた。


『……』宮内さんは黙り込む。だが、やがて絞り出すような声で言った。『先生、僕の気持ち、気づいてますよね……』


「!」


 ああ。なんてことだ。


 とうとう彼は、パンドラの箱を開けてしまった。


『結婚式で、新婦の友だちにも何人かお会いしましたけど』宮内さんは続ける。『先生ほど魅力的な女性は、いませんでした。やはり、僕は、川村先生のことが……』


「私には夫がいます。そういうお気持ちにはお応えできません」


 電話で良かった、と思う。声だけなら、いくらでも毅然とした調子が作れる。だけど……今の私の顔には、たぶん狼狽の感情が如実に表れている。これを宮内さんに見られなくて、本当に良かった。


『……』


 沈黙。私は追い打ちをかけるように言う。


「宮内さんには、もっと若くてお似合いの女性がいらっしゃると思いますわ。こんなアラフォーの年増女より」


 こんな、心にもないことを、よくもまあスラスラと言えるものだ。私は自分に呆れる。


 本当は私だって、彼を独占したいという気持ちがないわけじゃない。だけど、それは言うわけにはいかないのだ。


『僕は先生のこと、年増女だなんて思ったことはないです。それに、僕だって四捨五入すれば40ですから、同世代です』


「……」


 今度は私が沈黙する番だった。


 嬉しかった。宮内さんみたいな魅力的な男性にそう言われるのは、とても光栄なことだ。だけど……


「ごめんなさい。夫を裏切るわけにはいかないの。だから今のお話は、全て聞かなかったことにさせてもらうわ」


 断腸の思いで、私は告げる。


『そうですか……ご主人のこと、愛してらっしゃるんですね』


 力なく、か細い声だった。


「ええ」


 あえて即答する。もちろん本心では、良祐さんを愛しているという自信は全然ない。そう突っぱねることが、私が自分自身に課した役割ロールなのだ。


 でも、本当に電話で良かった。


 だって、今の私の頬には、涙が伝っているのだから。


『……わかりました。だけど……最後に、もう一度だけ、先生のお顔が見たいです。それで……僕はすっぱり諦めます。やっぱり、一緒にお食事、いかがですか? もちろん、二人っきりの場所じゃなくて、衆人環視のレストランで……それ以上のことは、誓って何もしません。それでも……ダメですか?』


「……」


 さて、どうしたものか。


 そこまで言われてしまうと……断るのもどうか、という気になってくる。それに……


 最後に会ってケジメをつけたい、という彼の気持ちは、私もよくわかる。彼の顔を見れば、私自身の気持ちにもケジメがつけられるだろう。


「……わかりました。本当に、一度だけですよ」


 とうとう、私は言ってしまった。


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