11
良祐さんには「ごめんなさい、あなたのペン、なくしちゃったみたい。申し訳ないから新しいのを買ってきたわ」と言って、例のボイスレコーダー内蔵ボールペンを渡した。
「なんか、高級品みたいだな。高かったんじゃないの?」良祐さんが首をかしげる。
「そんなことないわよ。でも、書き味はいいと思うわ」
「……」
メモ用紙に良祐さんはすらすらとペンを走らせる。
「うん。確かに悪くないね。それじゃ、これ使わせてもらうよ。ありがとう」
良祐さんの笑顔に、私は少し罪悪感を覚える。もし、良祐さんが「シロ」だったら……私、とても酷いことをしているのでは……
でも、そんな気持ちはおくびにも顔に出さずに、私は微笑んでみせた。
「ええ。大事にしてね」
---
次に私は、彼のバッグや荷物、机の棚を開いて、携帯のようなものがないか探してみた。だが、それらしいものは見つからない。職場に置いてあるのかもしれないが……それでは家にいる時に全く連絡が取れないことになる。ノートパソコンならしょっちゅう家に持ち帰っているから、家でも連絡しようと思えばできる。やはり、ノートパソコンでやり取りしている可能性が高い。
というわけで、私は松田さんに、良祐さんのノートパソコンに侵入する方法をメールで聞いた。松田さんからすぐに返信が届いた。その返信メールに添付されているファイルを、良祐さんの職場のメールアドレスに宛ててメールで送って欲しい、と。その時にメール本文に書く文面も、彼は用意してくれていた。どうやら実家のパソコンがウィルスに感染して自動的にメールを送ってしまった、というシナリオにしたいらしい。
添付されていたファイルは、松田さんが独自に手を加えた、例の「トロイの木馬」タイプのマルウェア(不正ソフトウェア)だ。まだどのアンチウィルスも完全に対応はしていないはず。しかし松田さんのメールには、このようにも書かれていた。
”それでも今のアンチウィルスは未知のマルウェアも検出することができるから、すぐに削除されてしまうかもしれません。そうなったらまた相談してください。別な方法を考えましょう”
ともあれ、私は松田さんの指示したとおりに、良介さんの職場アドレスにメールを送った。そして、その日帰宅した良介さんは、憤慨した様子だった。
「百合子、あのメールは何だ? 思わず添付ファイルをクリックしちまったが……アンチウィルスが作動して、すぐに動作を停止させたから良かったようなものの……お前、あれ、家のPCから送ったのか?」
「いえ、実家のパソコンからよ。どうもウィルスに感染しちゃったみたいで……ごめんなさい。あれからすぐリカバリーして全部元に戻したから、もう大丈夫よ」
「全く……気をつけてくれよな」良介さんはため息をつく。
そうか。ダメだったか。やはり一筋縄ではいかないな。
---
次の日、レッスンのために実家に寄った私は、そこから松田さんに電話をかけて、失敗したことを報告した。
『そうですか。ま、そうなるだろうな、と思ってましたが……』そう言う松田さんの声からは、落胆のニュアンスはあまり感じられない。『こうなったら、やはり最強の「トロイの木馬」にお出まし願うしかありませんね』
「それって……私?」
確か、以前そんなことを松田さんが言ってたような……
『ええ。その通りです。おそらく旦那さんはPINコードもパソコンに設定していると思うんです』
「ピンコード?」
『早い話が暗証番号ですね、4ケタの。百合子さんなら、旦那さんの暗証番号について心当たりがあるのではないですか?』
「……確かに」
一応、彼のキャッシュカードとクレジットカードの暗証番号は知っている。0902。彼の誕生日、九月二日。
『指紋認証を回避すると、おそらくそれを聞かれると思いますので、入力してみてください。ただ、あまり何度も間違えるとロックされるかもしれません。入力できるのは5回まで、と考えた方がいいでしょうね』
なによ……そんな怖いこと言わないで欲しいんだけど……
でも、私がやるしかない、ってことか……
「……わかりました。なんとかやってみます」
---
その日の夜。
良介さんが眠りに就いた後、私は彼の持ち帰ったノートパソコンを起動し、指紋認証画面を回避した。すると、松田さんの言ったとおりPIN入力が要求される。さっそく私は入力する。0902。
……あれ? ダメだ。通らない。ひょっとして、生まれた年の西暦? だったら 1981 だけど……
……これもダメだ。あと、彼が暗証番号として使いそうなのは……
結婚記念日? それなら 0613 ……
ダメだ。結婚した年? それは 2008 ……
これもダメ!? どうしよう……後1回しか入力できない……
……。
まさか。
私の……誕生日……?
震える手で、私は 1028 と入力する。
画面が変わった。
『ようこそ、ryosuke さん』
……やった! デスクトップ画面が表示された!
だけど……
私の胸が罪悪感に満たされる。まさか私の誕生日が暗証番号だったなんて……彼の私に対する愛情を、嫌でも感じてしまうじゃないの……
やっぱり、良介さんは浮気なんかしてないわよね。だって私のこと、ちゃんと愛してくれてるんだもの。
でも、だからと言ってここでやめるわけにもいかない。松田さんも動いてしまっているし……いや、むしろ、彼にちゃんと調べてもらって、自分でも調べて、何も出てこないことが確認できれば、それに越したことは無い。
この調子なら、きっと何も出てくることはない。私はそう信じてる。だから……ごめんなさい、良介さん。私が安心できるように、ちょっとだけ確認させてね。
心の中で祐介さんに詫びながら、私は作業を開始した。松田さんからは、
"パソコンを開いたら、添付のファイルをインストールするだけでいいです。百合子さんは中身は調べないでください。ショックを受けてしまうかもしれませんから"
というメールも送られてきていた。添付されているのは、遠隔でパソコンを監視出来るアプリケーションだという。それで彼は良祐さんのノートパソコンを監視するらしい。
だが、私はパソコンの中のファイルを次々に開いていった。やはり、自分でも真実を知りたい、という欲求が抑えられなかったのだ。しかし、浮気を示唆するようなものは何も見つからなかった。
ただ、アダルト画像、動画が結構あったのには脱力してしまった。全くもう、職場のパソコンで一体何を見ているのやら。ま、家のパソコンは私も使っているから、こういうものは見られないのだろうけど。
しかも、それらに登場する女性は皆、豊かすぎる乳房の持ち主だった。やっぱりこの人、本当はこういうタイプの女性が好きだったのね。悪かったわね、私の胸が貧弱で。
不思議なことに、ファイルの
続いて、メーラーを調べてみる。やはり職場のアカウントしか登録されていない。Web メールだったらメーラーを使わなくてもメールがやり取り出来る。だけど……やはりそれらしい履歴はない。これもシークレットモードを使っているのかもしれない。
そうなると、さすがに私もお手上げだ。プロに任せるしかない。結局私は例のパソコン監視アプリケーションをノートパソコンにインストールしてしまった。
良祐さんの行動が分からなかったのは残念だが、松田さんの言うとおり、分からない方がショックを受けなくて済むかもしれない。実際、ここのところ私はかなり痩せてきた。ダイエットだったら嬉しいが……こんな不健康な痩せ方はしたくない。だから、きっとこれで良かったのだ。
---
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます