第37話 やまざくら(11)

 「あのさ」

 「はい」

 「瑞月堂ずいげつどうって知ってる?」

 「ああ、お菓子屋さんでしょ?」

 世間話ならば、こういうふうに自然に答えを言えるんだけどなぁ。

 「あそこのお菓子って食べたことある?」

 「ああ、ええ。月に一回ぐらい。あらたまったことがあるときには、買ってきますから」

 「おいしい?」

 「ええ。でも、わたしなんかにはちょっと上品すぎるみたいで」

 「つまり、味があんまり感じられなくて、ぱさぱさで、ってこと?」

 「ええ、そうですね」

 でも、そう言うと、自分の舌がお子様だって白状しているようで、恥ずかしい。

 それより、先輩はどうしてそんなことをきくのだろう?

 「あれがさ、わたしの家なんだ」

 先輩は目をらして、短く言う。

 「はい?」

 花梨かりんは目を丸くしていると思う。

 「つまり、瑞月堂っていうのをやってるの、うちの家」

 先輩が言う。

 ああ、しまった、というか。

 ああ、引っかかった、というか。

 これって誘導尋問とかいうやつじゃないか!

 「あ、いや、いまのって、わたしの味の感じかたのほうに問題がある、ってことでっ!」

 花梨がわたわた言いわけをする。

 「いや、そうじゃないんだよ」

 先輩はその花梨の慌てぶりには取り合わなかった。

 「みんなそう感じてるんだよ。だって売れてないもん」

 先輩はゆっくりと続ける。

 「いま、うちのものって買ってくれてるのって、昔からこの街に住んでた人ばっかりなんだよね。よく言えば安定して売れてるってことだけど、新しく引っ越してきた人とかは来てくれないわけだから。で、次の世代まであの店が残るとしたら、わたしが継がなきゃいけないみたいなんだ。昔どおりの作りかたを守ってるだけじゃ、お客さんは減っていく一方。でも、うちの親とか前からの職人さんとかに、味を変えて、なんて言うのもなんか違うんだよね」

 「ああ」

 やっと花梨には納得できた。

 いや、ほかの人でも、これはここまで言ってもらわないと納得できないのでは……?

 「それで、先輩はいろんなお菓子作りを試してるんですね」

 「ええ」

 「すごいって思います!」

 花梨は気もちをそのまま言うことにした。

 「だって、自分のお家のお店の将来のことを考えて、お菓子作りをいろいろやって、それで、県にいっぱいお客さんが来てくれるようにって考えて、このワークショップ委員やってるんでしょ? それって、すごいって思います!」

 最後のほうは、身を乗り出して言っていた。まるで犬が吠えてるみたいに。

 「でもさ、わたしって、がんばらなきゃ、って思って、がんばってるからさ。ほうっておくと怠けてしまうってわかってるから。でも、自分にそんなことを思ってるから、それで人にもきついことを求め過ぎちゃうんだよね」

 あの里桜という二年生の委員のことを言っているのだろうか。

 いや、それにしても。

 「いえ。先輩がほうっておくと怠けるなんて! そんなこと想像できません!」

 先輩の謙遜けんそんのしすぎだと思う。先輩は、うれしそうに、というより、おかしそうに笑った。

 「いや、昔のわたしを知ってる人はすぐ想像してくれると思うよ。それでさ、だから、自分でがんばってるって思わないでがんばってる花梨が、わたしはすごいと思う」

 「えええっ!」

 あ、だめだ。

 これは訂正しないと。

 褒められたにはちがいない。けれども、これはすごい誤解だし、その誤解をつづけられたらたいへんなことになる!

 「そっ、そんなことないです。わたし、家でも、ずっとだらあっとしてて、宿題も、よく忘れるし」

 「ふうん」

 なんか企みのありそうな生返事! もっと……もっと具体的に言わないと!

 「そ、そうだっ。そ、その、高校に入ったとき、机っ、あ、あのっ、大きい机、買ってもらったんですよ。高校に入ったんだからいっぱい勉強するにはこれぐらいいるよね、って。でも、その机の上がいまもがらぁんとしてて、そこって、ずべーって身を投げ出して寝る場所にしか役に立ってなくて」

 「そこに図書館から借りてきたお城の本とか積んであるんでしょ」

 「あ、いまはそうですけど」

 「だったら、がんばってるんじゃない?」

 「うぅ……」

 反論できなくなってしまった。

 いつものことだ。

 でも、先輩の誤解は解いておかないと。

 どう言えば、先輩はわかってくれるんだろう……?

 「さあ、しばらく休みましょ」

 先輩は取り合わないまま話を終わりにしてしまった。

 「あんまりゆっくりしてると、温泉口からの最後のバス、間に合わなくなってしまうから」

 そう言うと、バスタオルの端のほうに体を寄せ、背中をあの桜の幹にもたせかけた。

 目を閉じる。

 ゆっくりと規則正しく息をしている。

 「あ、あぁ……」

 花梨の反論をきかないまま、先輩は眠ってしまったらしい。

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