第30話 やまざくら(4)
「ね、
先輩があらたまった言いかたで言ったので、こんどは何か言われると思った。
体力がないのにずんずん歩いてはいけないとか、その太りそうなお弁当は何、とか。
それは太りそうだけれど、これじゃないとおなかがすくんだから。あの
「林さんなら、ここのお城を攻めるとしたら、どうやって攻める?」
ぜんぜん違った。
「うーん」
でも花梨は慌てない。まわりを見回す。
それですぐに答えを見つけ出した。
「山火事を起こします。そうなったら、ここに立てこもった人たちは全員火あぶり……」
言ってから、自分の言ったことの残酷さに気づいて、ぞっ、とする。
村の人たちみんなが逃げてきて立てこもったとしたら、たぶん百人というくらいの人が、この狭いところに集まってたんだ。それをみんな焼き殺してしまうなんて。しかも、家族みんなで避難していたら、そのみんなを焼き殺すなんて、なんて残酷な!
「うーん」
先輩は首を傾げて、肉をお行儀よく箸で挟んで小さくかじっている。
「そうなんだよね。だから、お城のまわりの木は伐ってたんじゃないかな。そうするとさ、その木がお城の建築材料にもなるし、見通しもよくなるし、それに火をつけられても燃え広がらない」
「そうか」
自分も鶏の唐揚げを口に入れる。自分の食べ方は、がばっ、としていて、先輩みたいな上品さはないな、と思う。
きいてみる。
「先輩なら、どう攻めます?」
「林さんといっしょでさ」
先輩はすかさず答えた。
「やっぱり火を使うと思う。一つ考えたのはさ、草とか稲の
「ああ、はい」
でも、それは先輩の資料には書いていなかったはずだ。書いてあったのは花梨が図書館から借りてきた本だった。
ということは、先輩は花梨が勉強をしてきたと信じてくれているということだ。
胸が温かくなる。
「だったら、どうして城攻めでもっと火攻めを使わなかったか、って、疑問なんだよね。もちろん、
「あと、お城を逆に柵で囲っちゃう、とかどうですか?」
花梨が提案する。
「お城って、お城のほうには守りのためのいろんなしかけがあって、攻めるほうにそれがないから役に立つわけでしょ? だったら、やっぱりまわりの木を伐って、それで板とか柵とか作って、攻めるほうも守りを固めて、そこから攻めるようにしたら」
「ヨーロッパとかで
先輩が答える。
「日本でもそういうのやってたのかなぁ? でも、相手のお城を攻めるときに、自分のほうも柵とか堀とかでささっとお城みたいなのを造って、そこに立てこもってねばる、っていうのはあったよね。そうすると相手はあせるじゃない? 自分はお城があるからねばれるけど、相手はすぐ撤退する、とか思ってたら、相手もねばるわけだから」
そして、ふふふふふっと笑いを漏らした。
「昔の城攻めの指揮官とかも、敵がお城にこもっちゃったら、こんなふうに攻めかたの案を出し合って相談してたのかな」
先輩の笑いにつられて、花梨も笑う。
「それにしても、先輩」
思っていたことを言ってもいいと思った。
「こんなのって、高校生の女子がお弁当を食べながら二人で話すことじゃないですよ。城をぜんぶ火あぶりにしてやる、なんて、残酷なこと」
「それは林さんが言ったんでしょ!」
先輩は言って、もっと笑う。
「それに、いいじゃない、そういうのって」
先輩は羽目を外したような大きい声を出している。
あたりに人がいなくてよかった、と思う。
いや、べつにいいのか。山だから。
「だって、それって、わたしと林さんだからできることでしょ? その二人だからできることがある、っていうのは、いいことだと思うな」
思うな、と言ったところで、先輩の表情がふっと凍った。
花梨がどきっとする。
でも、そのすぐあと、先輩は笑った。ころころころと転がるように笑いつづけた。
子どものような無邪気な笑い、というのは、こういうのを言うんだろう。
しばらく笑いつづけて、ようやく収まる。収まったと思ったら、花梨と顔を見合わせて、また笑い出す。花梨もいっしょに笑う。そんなことをしばらく繰り返した。
笑うのが一段落して、深呼吸して空を見上げてみると、空が広い。
まわりの木はもう若い緑の葉をいっぱいつけている。緑の葉に囲まれた空がかえって広く感じる。
とつぜん、場違いなぴるぴるいう音が鳴って、花梨はびっくりした。
先輩のスマホのメール着信音だった。
やっぱり花梨より早くお弁当を食べ終わっていた先輩がリュックからスマホを出してメールを見る。
そのあいだに花梨は残りのお弁当を
花梨がそう思っているあいだずっと、先輩はメールを読んでいた。
長いメールなのかな、と思って、先輩のほうを上目づかいで見る。
花梨が最後のバターライスを喉の奥に送りこんだところで、先輩は花梨を見て、花梨のほうにスマホの画面を近づける。
花梨は先輩につられるようにすうっと顔を突き出し、途中で右の唇の下にご飯がついているのに気づいて口に押しこんだ。その動きをいかにも自然にやったように見せて、画面をのぞきこむ。
人のメールを読むというのはいいことじゃないけど、読ませてくれるというのだから、いいのだろう。
先輩が花梨の手にスマホを渡してくれたので、自分の手にとって読んでみる。
先輩がそっと後ろからのぞきこんだ。
「
アップしてくれた画像、見ました。あいかわらず熱心ですね!」
「画像?」
花梨が先輩のほうをちらっと見てきく。
「いいから、つづき」
わくわくを抑えきれないという声で先輩が言う。画面を押してメールの文章を動かしながら花梨は読む。
「ざっと見ただけだから、まちがっているかも知れませんが。
送ってくれたもののほとんどは江戸時代の、それも末ごろのものです。なかには明治か大正ごろにだれかが書いた手紙も混じってました。文章は確かに
まだわからない。先輩は何を送ったというのだろう?
「ですが、戦国時代ごろに発給されたらしい文書もあります。一つは、住民がどこかの領主にあてて出した嘆願書みたいなもので、「しおり川」ということばが入っているから、たしかにあゆ子さんのお住まいの地域のものです。もう一つは、逆に、領主が出した文書です。何かの書付らしく、しかも一部分だけなので、よくわからないのですが、規則かルール、もしかすると何かの提案かも知れません。その
近いうちに調査にうかがいたいと思います(それでまた休日がつぶれるんですけどね)。
あ、それに、いっしょに来てくれている後輩、すごく頼もしいんじゃないですか?」
いっしょに来てくれている後輩、って、自分のことだ。
――そう思うとやっぱりにんまりしてしまうのだけど。
そんなことより。
花梨が先輩にスマホを返すと、先輩はそれを切り株の上に置いて。
ぱんっ!
「大成功っ!」
先輩と花梨が同時に手を出して、右手と左手、左手と右手を叩く。
「先輩、すごいです!」
花梨は目をうるうるさせている。たぶんそうだろうと思う。
「さっき、仙道さんのところで撮った写真を、もうどこかにアップしてたんですね!」
「うん」
先輩も気もちが
「ずっとワークショップのお世話をしてくださっている先生でね、その先生が見てくださった。いいかげんなことを言う先生じゃない、いや、いつもものすごく慎重な先生だから、確実だと思う。さっき、わたしたちがこうやって手で触ったもののなかに」
と先輩は自分の手を肩の前に出してひらひらさせて見せた。
「そんな貴重な文書があったんだ。すごい!」
ほんと、すごい、と思う。
昔の文書なんて、日本史資料集の、いかにも古そうな生気のない写真でしか見ないものだと思っていたのに!
だから、その感動を先輩に伝えたい。でもどう言っていいかわからない。
がばっ!
何が起こったのかしばらくわからなかった。
「えっ? ……え?」
ぎゅうっ、と、背中と、胸とが締めつけられて。
ぎゅうぎゅうと締めつけられて。
自分のとは違う髪がちくちくと頬や首筋にあたる。
わたし、先輩に抱かれてるんだ!
ぽうっ、となって、あわあわっ、となって、口が開いたままになる。
でも、その口を閉じ、目を閉じると、胸からも背中からも、体じゅうから、自分は先輩に抱かれてるんだ、という実感が伝わってくる。
花梨の手が先輩の体の両側に伸びた。
そこで止めるつもりだった。でも、花梨の手はひとりでに先輩の背中の後ろまで伸びいてく。そこで手を組んだ。
先輩の体はやっぱりほっそりしている。そしてよけいなお肉がついていなくて、ほんとにしまった感じだ。
自分はそんなに太ってないという自信はあったけど、それは
先輩が抱いている自分の体のほうがふっくらしてるな、と花梨は思う。
先輩が、その豊かな花梨の体を、うしろでがぷ、がぶ、がぶと揺すった。
「やったよ、花梨」
その先輩の声が涙声でなかったので、花梨は安心する。
だから、先輩に抱きしめられた胸から長く息を吐いて、花梨も先輩に言った。
先輩の体を抱く力を少しだけきゅっと強めて。
「はい! あゆ子先輩」
――と。
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