第27話 やまざくら(1)

 先輩といっしょに長いまっすぐの坂を登っていく。

 道はそれほど広くもなく、落ち葉が積もって見分けにくくなっているが、細い道がぐねぐねと曲がりくねっているという感じではない。坂のずっと上まで見通せる。両側は木が茂っているが、「うっそう」としていて昼でも暗いというほどではない。

 薄曇りの空から陽の光りが漏れて来る。その林のなかを吹いてきた風も涼しくて、火照りぎみの体には心地いい。

 ――なんて思えたのは、最初のうちだけだった。

 湯口ゆぐち温泉までの道から転法輪てんぽうりん寺の跡まではすぐだった。

 お寺の跡といっても、ほんの狭い平坦なところが残っているだけで、そこもいまは林に覆われている。先輩が、ここでお昼にしようか、それとも上の城跡まで行ってから休憩しようかと言うので、上まで行きます、と答えたのがまず大きなまちがいだった。

 花梨かりんはすぐに後れ始めた。その遅れが、二歩ぶん、三歩ぶんとどんどん貯まっていき、すぐに十歩以上になる。

 先輩は後れる花梨を待ってくれたりしない。後ろを振り向いてさえくれなかった。

 いま、花梨の顔はまっ赤で、服の下から湯気が上がってきそうなほどに体が熱い。それは先輩といっしょだからではない。

 先輩は荷物は花梨より大きいのだ。それに、いつもあの委員会の部屋にいてパソコンに向かっていて、体をきたえているようにも見えないのに。

 それなのに、どうして花梨はついていけないのだろう?

 汗が流れてきて目に入る。痛みが中途半端に目に沁みる。

 開いたままの口と鼻から、息が激しく出入りする。

 胸の底からはとんとんとんとんと暇もなく打ち続ける心臓の音が響く。

 それなのに足どりは遅い。もっと速く道を踏んで進まなければとあせっても、足は思うように速くは動いてくれない。一歩ごとがもどかしい。

 先輩は一度も振り向いてくれない。

 いや、振り向いてくれたらどうなんだろう? かえってみじめになるだけじゃない?

 先輩は怒っているだろう。

 そうだ。自分が先輩の役に立てるなんて思ったのがまちがいだったんだ。来ちゃいけなかったんだ。

 それなのに、さっき、仙道せんどうさんのおばあさんに返事をして、先輩の役に立ったなんて思ったのがこれもひどいまちがいだった。

 やっぱり、先輩は自分なんかといっしょにいるべきじゃない。

 たとえば仙道さんのような子と――。

 仙道さんのような子といっしょだったほうがいいんだ。

 そう言えば先輩は仙道さんを「公子」と名まえで呼んでいた。

 先輩と後輩――知らない仲ではなかった。いや、花梨と先輩より、先輩と仙道さんのほうがずっと親しかったんだ。

 その仙道さんのことばに乗せられて、まだ先輩といっしょに何かできるなんて思って。

 由真ゆまたちとの関係も悪くなりかけて。

 しかも、最初は先輩のトライしてみるって言ってたのが、いつの間にか先輩の役に立たなきゃ、になって、それが、自分は先輩の役に立てる、なんて気もちになって……。

 ああ、やっぱりばかだ。やっぱりばかだ。

 自分がばかなのか、先輩が厳しすぎるのか、仙道さんがずるいのか――その三つの思いがぐるぐると順繰りに回る。

 足どりの遅さが気にならなくなった。

 ふとまわりが明るくなった。

 でも、ここからまた同じくらいの道が、いや、いままでよりずっと険しい道が続いているんだろうと顔を上げる。

 そうではなかった。坂のいちばん高いところに着いたのだ。

 空は明るく開いていた。

 下は平らで、小さい広場のようになっている。

 その端のほうに大きい木を切り株のように輪切りにしたものがいくつか置いてある。木を伐った人が置いて行ったのか、それともベンチのかわりのつもりだろうか。

 そのひとつに先輩が座っていた。

 タオルで、その肩のところまである髪の下を拭っている。

 もう先輩を怖がったりしなくていいんだ。もともと自分は先輩には近づけないはずの子だ。それを近づけると思った花梨もばかだけれど、そんな子を近づけさせた先輩だって悪い。

 そう思うから、先輩と顔も合わせないで、先輩が腰を下ろしている切り株から二つ横の切り株の横にどさっと荷物を置いて、そこに、わざと、どかんっと横柄おうへいに腰を下ろした。

 先輩が首筋の後ろをタオルで押さえながら、自分のほうを見た。でも花梨はそちらはむかないで、はあっ、と大きく息をつく。

 時計の秒針よりもずっとずっと速い速さで心臓は打ち続けている。

 こんなに小さい心臓なのに。

 花梨は肘を膝の上について、手の上に頬を載せてふてぶてしいポーズを作るつもりだ。

 あれ?

 あれれ……?

 薄曇りだけど明るかったはずなのに、あたりが暗くなる。その暗いところで半透明な暗い灰色のものが波打って寄せてきている。

 頬が手のひらのところで止まらない。自分の膝の上にむにゅっと胸がくっつく。

 そのせいで胸のところから汗が押し出されて、気もちが悪い。

 「はやしさん!」

 そんな状態で、「はぁはぁ」どころか「はっはっはっはっ」とせわしく息をしているしかない自分が、ぶざまでどうしようもない。

 「林さんって!」

 どうしようもないものはどうにもできない。

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