第26話 城跡の少女(9)

 太陽は高いところから照っている。もしぼんやり霞がかかったような空でなかったなら、もっと暑く感じただろう。

 まわりの田んぼと、ところどころの家と、遠くの山までが、のんびりした明るさに包まれている。

 遠くの山はいまは色とりどりだ。

 花の咲いている木もあるのだろう。でも、たぶん、ほとんどが新しく芽吹いた若い葉っぱの色だ。その色が木ごとに少しずつ違う。

 そんな違いは気づかなさそうなものなのに、遠くから見るととても華やいで見える。

 反対側の歩道を、小学生くらいの子どもたちが四人か五人、ふざけながら走って通り過ぎた。もう半袖の服を着ている子もいた。

 その子どもたちが遠くまで行ってから、仙道せんどうさんは言った。

 「今日は、おばあちゃんの相手をしてくれて、ありがとうございました。はやしさんも」

 「あ、あはは」

 つけ足しのように言われただけだったが、花梨かりんは照れ笑いを返した。

 花梨がそんなに役に立ったとは思わなかったから。

 「たぶん、ああいう話をしたくてしようがなかったんだと思います」

 仙道さんがつづける。

 「お父さんもお母さんもあんまり関心ないですし、わたしには話し飽きたみたいで。それに、最近、前は覚えていたことを忘れていくって気にしてますからね」

 そういえば、あの図師ずし氏と九慈くじ軍の争いのことも、仙道さんは覚えていて、おばあさんは忘れていた。あの話を仙道さんに伝えたのはあのおばあさんのはずなのに。

 「本とかネットとかに出てない話ってあるんだ、って思った」

 先輩が言う。

 「民話集とかもチェックしたんだけど、九慈くじの大掾たいじょうの話や才人坊さいじんぼうの話とか、そういう話って知らなかった」

 そう言い切れるところがすごいと思う。花梨なら、チェックはしたけど、まだ見ていないものが残っているにちがいない、と思うところだ。

 「ところで、資料を捜すんだったら、勧奨院かんじょういんは行きました?」

 仙道さんが言う。たぶん、先輩に。

 でも、先輩は返事をしなかった。

 「えっと……勧奨院って?」

 とまどいながら花梨がきく。仙道さんが説明する。

 「うちからずっと奥に入って行ったところにあるお寺で、昔の正法しょうほう蓮華寺れんげじからつづいてるって。川沿いに大きい土蔵を持ってるお寺で」

 そういえば、図師氏の館の隅には正法蓮華寺というお寺があったということが先輩の資料に書いてあった。

 さっき、川から見上げた高い建物がそのお寺の土蔵だったのかも知れない。

 それは何かあるかも、と思って、花梨は口を開きかけた。でも、その前に先輩が

「あそこは何もないよ」

とそっけなく言った。

 そっけないというより、冷たい、と言ったほうがいいくらいの言いかただった。

 「前に行ったんだ。それできいてみた。でも、何もないし、昔のことも知らないって」

 言ってから、その細い目でさぐるように仙道さんを見る。

 「お寺がつづいてても、そういうのが伝えられてるとは限らないからね」

 「やっぱりそうでしたか」

 仙道さんは小さくため息をついた。

 「あそこのおうちも……」

 仙道さんが言いかけたのを

「いや、家の問題とかじゃないから」

と先輩が止める。

 道の横の田んぼには小さい茎の細い草が生え始めていた。それが弱い風に揺れている。

 その田んぼの横に学校がある。

 学校のまわりは高いプラタナスで囲われていて、その向こうに校舎が見える。

 広い学校だと思う。

 その学校の前に家が集まって、町になっていた。

 その学校のほうに目をやった先輩が、仙道さんのほうを振り向いて言う。

 「公子きみこって生徒会長だったんだって?」

 それで、たぶん、ここの中学校が先輩と仙道さんの出身の中学校なんだと思い当たる。

 「あ、ああ。そうです」

 「公子がやってたあいだ、どうだった?」

 「何も起こりませんでしたよ」

 「下級生の感じは?」

 「わたしたちよりまじめな感じの子が多いと思います。まじめ、というか、積極的な」

 それで、少し笑って。

 「わたしのときぐらいがいちばん低迷してた感じ、とでも言うんでしょうか。なんだか何についても消極的で、何をやってもうまく行くはずがないって最初から決めつけてるような、そんな雰囲気で。でも、去年の一年生はすごく積極的で、明るくて、それで二年生まで雰囲気変わったかな、って感じました」

 「そうなんだ」

 出身の中学校の後輩のことをきいても、先輩は嬉しいのかどうかわからないような返事しか返さなかった。

 何にしても、ここの学校が先輩と仙道さんの母校だとしたら、ここから進学してきた生徒が新郷しんごう高校に少ないのもわかる。

 このあたりの高校生は公立ならばだいたい新郷東高校に行く。

 どちらが名門とか、進学率が高いとかいうことも特にない。新郷高のほうが古いとか、新郷高が文化系の部活が活発で新郷東は体育系が強いとかいう違いはあるけれど、それもそんなに大きな違いではない。

 だったら、先輩や仙道さんはどうして新郷高校に来たのだろう?

 そんな話もきいてみたいと思う。

 もしかして、仙道さんは守山先輩にあこがれてこの学校に来たのかな?

 そして、もしかすると、仙道さんは先輩といっしょの委員になりたかったのかも知れない。

 仙道さんは、この市にある城跡の一つに住んでいるわけだし、おばあさんからあれだけ話をきいていた。性格もまじめだし、先輩に「公子」って呼んでもらえるほど親しくしている。

 仙道さんは花梨よりずっとこの委員に適任のはずだ。

 でも、仙道さんは花梨にこの委員を任せた。

 強引に、ではないのかも知れないけど、花梨に決めたのは仙道さんだ。

 どうして?

 前に話してもらった。先輩はこの中学校にいたころは花梨によく似たキャラだったという。それを先輩に思い出してもらうために、わざと花梨をいっしょの委員にぶつけてみた、と。

 けれども。

 それだけだろうか?

 もうちょっとその話をきいてみたい。

 先輩と一対一ではききにくい。でも、仙道さんがいっしょなら、先輩も話してくれるかも知れない。

 でも、それをきく前に、これまで歩いてきた道に直角に突き当たる道を、緑の細い線のあるバスが走ってくるのが見えた。

 先輩と自分が乗るバスだ。信号も渋滞もない道路をバスは停まらずに走ってくる。

 決まった時間よりは少し早い。

 だから、なにもきかないまま、先輩と花梨はバスに乗らなければならなかった。

 先輩が、先ず、バスに乗る。

 つづいて花梨が乗ろうとバスのカードを出していると、後ろから、ぽん、と肘のところをたたかれた。

 仙道さんが、バスのステップに足をかけた花梨を見上げて笑っている。

 あの輪郭がきらきらするような、はにかんだような、優等生っぽいような笑顔で。

 ――先輩のこと、任せたよ。

 そんなことばが伝わってくる。

 その仙道さんがちょっとさびしそうと思ったのは、花梨の思い過ごしだっただろうか。

 花梨は満面の笑顔をつくってうなずき返した。

 半分は仙道さんに安心してもらうために。

 そして、半分は自分に「しっかりしなきゃ」というメッセージを送るために。

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