第21話 城跡の少女(4)

 河原は橋の下に入った。

 この橋のところで川は大きく曲がり、志織川しおりがわへと流れていく。

 この川のカーブも、図師ずし氏は自分のやかたを守るために利用していたのだろうか。

 でも、その「コードなんとか時代」にこの川が整備されたのだとしたら、そのときに川の流れも変えられているかも知れない。

 さっきの問答の後で、先輩と花梨かりんの距離は開いていた。

 橋の下で、前を歩く先輩の踏む砂利と小石の音が、じゃりっ、じゃりっと響く。

 橋の向こうから射しこむ明かりで、先輩の体のまわりの線が浮かび上がる。

 後光が射す、ってこういう感じなんだろうか。

 その後光が射した体をきれいに動かす。むだがないというのだろうか。体を小さくしか動かしていないのに、先輩の体はすっすっと進んで行く。

 由真なんかとまったく逆だ。自分とはもっと。

 そして、その後光の射す感じは……。

 「こらあっ!」

 花梨の思いは、その濁った女の人の声で止まった。

 先輩の足が止まる。

 先輩は橋の向こう側を出たところだった。顔を上げている。それもいっぱいに上げている。あの肩にふわっとかかる髪が肩の下のあたりまで下りている。

 「そんなところで何をしとる!」

 声が響く。

 声を出しただれかの姿は見えない。

 たぶん橋の上だ。

 「橋の下で、いったい何をしておる!」

 先輩はまだ上を見ている。

 「なんだ、女の子かぃ?」

 声はいったん弱くなった。でも、すぐに

「女の子がこんな朝っぱらから川になんか下りて、いったい何をしとる!」

 先輩は答えない。花梨は走り出した。先輩の前に回りこむ。

 「林さ……」

 先輩が短く言う。花梨は先輩の向かい側に立って、声のほうに顔を上げた。

 先輩の顔は見ない。先輩はすぐ前にいるのに。

 短いあいだだけだったのに橋の下にいたせいか、空がまぶしく、橋の上にいるのがどういう人なのかはわからなかった。

 思ったより小さい、と思っただけだ。

 橋からこちらに突き出している頭が。

 声は大きいのに。

 それは、橋の上がここよりずっと高いからだ。

 「あの!」

 その人に向かって、花梨は強く言った。

 「わたしたち、城のある町ワークショップ委員会っていう高校生の団体の者で」

 そこまでが息の続く限界だ。花梨はごくっと唾を呑む。

 息を継いで、もういちど、あらためて上を見た。

 のぞきこんでいるのは、白髪をふさっとさせたおばあさんだった。

 眉を寄せ、目をつり上げて、先輩と花梨のほうを見下ろしている。

 怖い。

 でも、伝説の図師館に、伝説の扉の番人がいるとしたら?

 たぶん、こんなキャラだろう。そう思うと気もちが落ち着く。

 花梨は続けて大きい声で言った。

 「中世にこのあたりに図師氏の館っていうのがあったんです。それを調べてるんです!」

 「何があったって?」

 上のおばあさんも声を張り上げた。

 「図師氏の館です!」

 花梨もさらに声を大きくする。両側をコンクリートで固めた川からその声がエコーになってびんびんと返ってきている。

 でも恥ずかしいことを言ってはいない。

 繰り返す。

 「中世に、図師氏って言う豪族がいて、ちょうど、この川のこのあたりに、館を構えていたんです!」

 「なんだって?」

 やっぱり耳が遠いらしい。花梨は、ことばを切りながら、もういちど繰り返す。

 「ずっと昔、中世に、このあたりに、図師氏っていう、すごい一族がいて、このあたりに、すごい館を、構えて、いたんです!」

 「何がいたって?」

 「図師氏です!」

 かりんは「ず・し・し」とひらがな一つずつを分けて言った。続きも、できるだけゆっくり言う。

 「その館の跡を、調べてるんです!」

 「図師館だと?」

 おばあさんにはわかったのだろうか。もう一押しする。

 「そうです! その図師館です!」

 白髪ふさふさのおばあさんは、「ああ」とも「ふう」ともつかない声を立てた。

 「じゃあ、その向こうに上がり口がある。上がってきなさぃ」

 おばあさんは声にこめる力を弱めて、腕を上げて川岸を指した。

 そこに河原に向けてコンクリートでできた階段のようなものがついていた。

 そこを上がれと言うことだろう。

 もういちど返事を返そうと思って橋の上を見たときには、もうおばあさんの姿は見えなかった。

 顔を下ろしたときに、先輩と顔が合う。

 怒られるだろうか?

 でも、こんどは向かい合って照れ笑いしていいと思う。

 「ほら、早く。行くよ!」

 先輩は花梨の横に並ぶ。

 橋のほうを向いていた花梨の体を、両手で肩を持ってぐるっと回した。

 用意のできていなかった花梨の体が揺れる。

 あわわ……。

 その揺らいだ花梨の背中を先輩はぽんっと叩いた。

 「うげ……」

 へんな声が喉から出るほどの強い力だった。

 「よくやった!」

 先輩に褒められた、とわかるまで、花梨は何歩か歩かなければいけなかった。

 そして、それがわかったあとには、ここで褒められたからって有頂天にならずに気を引きしめなければ、と思っていた。

 でも、それが有頂天になっているということかな、とも思う。

 胸の下のほうが汗ばむほどあったかい、と花梨は感じた。

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