第19話 城跡の少女(2)
赤くなった
「あわわわじゃないでしょう?
「あっはいおはようございます」
「おはよう」
最後の「う」の音まではっきりと不機嫌に言うと
先輩、力、強い……。
「わたしがここで待ってるっていうのに、どうしてわたしの前を行き過ぎて学校に入って行こうとするかなぁ? しかもわたしが声かけてるっていうのに」
「あっ、はい、それは、ちょっと考えごとをっ!」
ここまで言って固まる。
もし「考えごとって何?」ってきかれたらどうしよう?
まさか先輩と温泉に入って先輩の体を……なんてっ!
さらに赤くなる。
足首も腕もまっ赤になっているのがわかる。見えないけれど、でも、服の下から湯気が出てきそうだ。
目を伏せたらもっと怒られそうなので、強いて目を上げる。
先輩の姿が湯気で揺らいでいるように見える。
先輩は紺色のポロシャツとズボンを穿いていた。
ああ、なんだか自分と同じような服装だ、と思うと、花梨は気もちが少し楽になった。
いままで、先輩が制服以外の服を着ているところなんか想像できなかった。そうだ。だから、いま、先輩に声をかけられたのに通り過ぎてしまったんじゃない?
「あっ、いやっ……、で、でも、まだ集合時間までだいぶあるから……」
「わたしはいつもできるかぎり十分前に集合場所に着くことにしてるの」
花梨の言いわけにも先輩は平気で言い返した。
「あっ、でも、十分前にもまだ五分以上ある……」
「林さんってずいぶん時間気にするのね」
先輩が肩を軽くそびやかしていった。
「そうか。林さんって、いつも時間より早く部屋に来てたよね。時間きっちりしてるよね。わたし、なんか林さんの性格を誤解してたかも」
「いっ、いえ」
そっちのほうが誤解です!
誤解は解いておかないと。
「わたしって、ほんとはいつも、ぎりぎりとか、ちょっと遅れとかで着くひとだから……準備は間に合ってても、出る直前で何か忘れてるのに気づいたりとか……」
「それって準備が間に合ってるって言わない」
あいかわらず、言うことが厳しい。
でもほっとした。話が花梨がわたわたしている理由から離れたから。
「で、お弁当は持ってきた?」
う。そんな基本的なことをきかれるなんて。
「あ、はい」
「水とかお茶とかそういうのは?」
「持ってきました」
「地図」
「持ってきました。ネットからプリントしたやつに手書きで書きこんだやつ……ですけど」
「ちょっと見せて」
「え?」
「だから、地図」
「あ、はい」
花梨はリュックを背中からはずし、そのポケットをさぐって地図を出そうとする。慌てていてなかなかうまく行かない。リュックのポケットの留め具が何度も手から滑った。
「地図ってすぐ見られるようにしといたほうがいいよ」
花梨が地図を出すまでのあいだに先輩は言って、首から吊り下げていた大きめのビニールのケースを花梨に見せた。
透明なビニールケースのなかに入っていたのは、花梨が持っているのよりもずっと本格的な、等高線がびっしり描いてある地図だった。コピーらしい。手書きの書き込みがあちこちにあり、写真をシールにしたのも貼ってある。
これじゃ、わたしのなんか怒られるな、と思って、リュックのポケットから出てきた地図を先輩に渡す。
手が震えている。
先輩はわりと骨っぽいあの手でその地図を受け取る。
折ってあったのを開いて、眺める。
花梨のは、お城のあった場所に印がしてあり、マーカーで今日歩くつもりのルートがなぞってあるだけだ。
線は
つっ、と先輩が、その地図を花梨に押し返す。
花梨の顔を見る。
花梨は首をすくめる。考えたことを見抜かれた?
いやいや、そんなはずはない。そんなはずはないと信じたい。
きっと、ネットからプリントした地図なんて、と、怒られるんだろうと思う。
先輩はおもむろに言った。
「そのルートさぁ」
「はい?」
「そのルート、全部歩くと一日じゃ歩ききれないよ」
「はいっ?」
「だからさ、林さんが考えてるルートをずっと歩いて回ったら、
「あ、はぁ……」
たしかに、どこに何時に着く、なんてことは考えずにルートを決めていた。
基本的なことのはずなのに。
やっぱり「先輩に連れて行ってもらう」という意識が抜けなかったのかな、と思う。
でも先輩はそうは言わなかった。
「だから、まず、
先輩は花梨をじっと見る。
「林さんが書いてるその温泉の上のところの城跡っぽいところまで行こう。ま、ただの山か、城跡か、わかってないけどね。そこはわたしもまだ行ったことないから……きいてる? 林さん?」
「あ、はい」
「どうしたの?」
先輩の声で「温泉」って言われて、頭がぼうっとなって顔がかあっとなる度合いが百パーセントから二百パーセントに跳ね上がりました……。
――なんて言えるわけがない。
「いっ……いや、あのっ……、先輩が転法輪寺の奥の城跡まで、行ったことがない、って言うのが、意外だったからっ……」
なんとか言い抜ける。
先輩は肩の力を抜き、
「わたしがそんなに何でもかんでもやってるわけないんだからさ。転法輪寺の跡だってまだ一回しか行ったことないんだし。でも、ずっと行ってみたいとは思ってたんだ」
と、笑って首を傾ける。
もともと細い目をもっと細くしたのはまぶしいからだろうか。
太陽の光が。
「あと、方位磁石は?」
先輩は持ちものチェックに戻った。
「スマホのを使います」
「包帯とか?」
「いちおう……でも巻きかたとか知りませんけど……」
「いい。わたしが知ってる。ハンカチとかちり紙とか」
そこまできかれるとは……。
「持ってきました。汗かきなのでタオルも大きいバスタオルも持ってきました」
「うん。じゃ、お金」
「もちろん……」
「バスのカードとかは?」
「あ、そこらへんはいつも持って……ます」
「おやつは?」
「あっ! いっ……いいえっ……」
そうか、そんなものも必要だったのか!
いやいや。
最後の山はともかく、最初のほうは街中を動くんだから、何か食べたくなったらお店に入ればいいし、バイパス沿いのコンビニでも買える。
だいたい休みの日にわざわざお母さんにお弁当を作ってもらうのだけでだいぶ迷ったのだ。どこかで買うとしたらお金がかかる。それで、自分で作ろうとしていたら、お母さんが、あんたが作るとろくでもないものを作るから、って、冷蔵庫にあったものでちゃっちゃっと作ってくれた。
たしかに花梨一人で作ればろくでもないものを作るんだけど。
先輩はにこっと笑った。
なんだ、いたずらだったのか。それともおやつは持ってこないのが正解ということかな。
「じゃ、行こうか」
「あっ、はいっ!」
先輩は歩き出す。軽々と歩いているように見えるけれど、速い。
置いて行かれそうになる。しかも、守山先輩ならば、花梨が遅れても待ったりせず、ほんとうに置いて行ってしまいそうだ。
しかも先輩のほうが荷物は大きそうなのに。
花梨は小走りで追いついた。先輩の少し後ろを、遅れないように歩く。
学校の前の坂を下ったころには、もう胸のあたりに汗がにじんできたのを花梨は感じている。
ついさっきまで、先輩に会えたら奇跡だと思っていたことなんか、花梨はもちろんすっかり忘れていた。
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