第13話 乙女の決意(2)

 「……だろうと思ったよ」

 学校の前の坂道を下りながら由真ゆまは興ざめしたように言った。

 頭の後ろに鞄をぶら下げ、後ろ向きに歩きながら。

 下り坂を後ろ向きになってそんな歩きかたで下りていくのは危ないんじゃないだろうか?

 でも、運動神経のいい由真がそういう歩きかたをして下りるより、花梨かりんが前を向いて普通に歩いて下りるほうが危なっかしい。そのことは花梨は自分でよくわかっている。

 「そんな……美朝みささじゃあるまいし、物理の授業なんかまじめに聴いてるわけないじゃん?」

 花梨は言って、ふふっと笑う。力の抜けきった笑いだな、と思う。

 その美朝は今日はいない。書道部の部活だから帰りは遅くなるのだそうだ。

 部活に書道部を選ぶところが美朝らしいと思う。きっと美朝は書道の時間に墨を制服に飛び散らかしたりはしないんだろうな。

 空は曇っている。花が咲いているときにはそんなに暗いとは思わなかった曇り空が、新芽と若葉の季節になると暗く感じる。

 どうしてだろう、と思う。

 「でも、なんでそんなことを考えてたわけ?」

 あやがあいまいに含み笑いをするようにして言った。花梨がきき返す。

 「そんなこと、って?」

 「だから、大砲の弾が、って話。どう考えても、一五歳の乙女が教室で一人ぼんやりして考えることじゃないよ、それって」

 一五歳の乙女――と言われると。

 そうであるようでもあり、ないようでもあり。

 一五歳はそのとおりだけど、「乙女」なのかな? そんな和風でもないし、清純でもないような……。

 あの委員長の仙道せんどうさんならば「乙女」と言っていいのだろうか? 見たところはそんなに和風でもないけど、お弁当は和風だった。それにほんとに清純そうだ。

 でも、仙道さんには何か「乙女」ということばとは違う強さがある。

 「乙女」っていうのもあんがい難しい。

 「ああ」

 そんなこと考えていて、花梨は答えるのが遅れた。

 「それはさ、楽山城らくざんじょうって攻め落としにくいお城だったのかな、って思って。ほら、楽山城の後ろって高い崖になってるじゃない? あそこから大砲を撃ったら、当たるな、って」

 「だぁれがあんな森をかき分けて大砲を持っていくわけよ?」

 由真があくびをするように背を反らして言って、くるんと前を向く。

 「だいたい、そんなところまで敵が大砲持っていく前に、山の登り口のところでじゃまされるでしょうが、味方に。もし味方がそれもじゃまできないぐらいに弱ってたら、大砲打ちこまれる前にもう負けてるって」

 「いや、それがさぁ」

 花梨は言い返す。

 「昔は、敵が攻めてきたら、街の人をぜんぶお城に避難させてたらしいんだ。街をすっからかんにしてさ、食べ物とかもぜんぶお城に運びこんで。そうして、敵が食べ物がなくなって出て行くまでお城に立てこもってがんばり抜くんだって。だったら大砲を山に運びこむのをじゃまする人もいないかなぁ、って」

 「街の人の全部って、そんな人数、あのお城に入る?」

 由真は疑わしそうに言う。

 「だって、こないだまで、お花見の人たちで、あのお城の公園のとこ、人でいっぱいになってたじゃない? 芝生がぜんぶ青いビニールシートでびっしり覆われちゃってさ。それでこの街の人の半分も行ってたわけじゃないんだよ? それでごみはあちこちで山みたいになってるしさ。そんなところに立てこもってがんばりきれる? 食べ物だってすぐなくなっちゃうし、ごみの始末するだけでたいへんだと思うけど」

 そう言われればそうか、とも思う。

 「うぅ……」

 そういえば、昔の人だって食べ物は食べるし、ごみだって出すよなぁ。

 「昔はそんなに人数いなかったでしょ?」

 綾がやわらかく言う。

 「日本の人口だってずっと少なかったんだし。それに、昔はみんな農民とかだったんだから、お米なんかはたくさんあったでしょ? そんなにぜいたくじゃなかったから、いろんなものは食べずにすますこともできただろうし。それに食器とか自分のを持って行っただろうから、あんな紙のお皿とか紙コップとかのごみは出なかったでしょ」

 綾が言う。

 ああ、そうか、と思う。

 花梨はため息をついた。

 「ああ、やっぱりだめだなぁ……」

 「なぁにが?」

 横に並んだ由真が、横目で見て言う。また手を上げて鞄を頭の後ろにぶら下げている。

 「こんなんじゃ、守山もりやま先輩の役に立てないよ、わたし」

 「あたりまえじゃん」

 由真が容赦なく言った。

 「だいたい花梨があんな先輩の役に立つはずないじゃん? その「城のある町」委員、だっけ? せっかく先輩にやめていいって言われたっていうのに、またけっきょくまた引き受けちゃって」

 「また引き受けたんじゃないよ!」

 花梨は言い返す。

 「やめるのをやめただけ」

 「おんなじことじゃん?」

 どうしてだろう。由真の言いかたがいちいち気になる。

 学校から続くだらだらした坂道が終わる。

 狭い南堀川みなみほりかわを渡ると、その先は駅のほうからつづく街並みだ。このあたりはまだ畑や田んぼと家が入り混じっている。

 由真は鞄を背中のほうに回すのをやめて、普通に持った。

 自分たちと同じように下校していく新郷高の生徒以外に人の姿は一つも見えない。

 こういうはっきりしない天気の日には、このあたりのひっそりした街の人気のなさのせいで、よけいに心が沈んでいく。

 こんなに人が少ないんだったら、いまでもみんなお城に避難してもだいじょうぶじゃないかな。

 「花梨さぁ」

 綾が言った。花梨が顔を上げる。

 「うん?」

 「その、やめるのやめたっていうの、お菓子につられたからって言ったけど、それだけ?」

 「それと、仙道さんに頼まれたから」

 「それだってさ」

 由真が横から口をはさむ。

 「あんなに仙道さんに勝手に決められたって怒ってたくせに」

 「だって」

 花梨はまた言い返した。

 「わたしがここでがんばらないと、ほかのだれかがやらないといけなくなるんだよ? わたしなら、がんばれる、っていうんじゃないけど、泣いても一日で立ち直るじゃない?でも、まじめな子がおんなじ役になったら、また不登校になるまで悩んじゃうかも知れない。それに、何度か会ってみて、仙道さんにも話聞いて、先輩とのつきあいかたっていうのかな、わたし、わかってきた気がするんだ」

 自分の言いかたが熱を帯びてきた。それは花梨もわかっている。

 「わたしがいいかげんをやったら先輩は怒るよ。しかもわたしがフルに力出しても、たぶん先輩にはいいかげんに見えるんだ。でもさ、そうやって力を抜いたわたしにも先輩は全力でぶつかってくる。だから、それを受け止められるとこまで受け止めてみようか、って、わたし、思うんだ」

 「そんなこと言ってさぁ」

 由真がにらむように花梨を見てから、顔を前に戻して下を向く。

 「こんど泣いたって、なぐさめてあげないから」

 聞いて、胸の横のほうからいやな感じが湧いてきた。

 どうして泣くって決めつけるんだろう?

 いや、それは花梨だからだ。花梨はきついことや厳しいことを言われたら泣くに決まっている。高校生になったいまでさえ、お母さんに怒られたらすぐに泣き出すくらいだ。

 でも、どうして花梨が泣かされるって決めつけるんだろう?

 それは相手が先輩だからだ。先輩に泣かされたところを、由真は見ている。

 そしてそれをせいいっぱいなぐさめてくれた。

 でも。

 何だろう、この気もちは?

 綾が、由真と花梨に目をやって、おもしろくなさそうに下を向いてしまった。

 梨の畑と黒いトタン壁の大きい家のあいだの道を、何も言わないで歩く。

 着信音が鳴った。

 綾があわてて鞄を開く。着信はメールだったらしい。画面を見てから、綾はスマホをしまう。

 ためらうようにしてから、由真と花梨のほうに向いて言った。

 「美朝が、早く帰れそうだからカラオケ行かない? ――って。行くんだったら、先に行っといて、って」

 「そうだなぁ」

 由真が言う。

 「わたしは行くけど」

 言って、花梨のほうに中途半端に首を向けて言った。

 「花梨は?」

 「えっ?」

 「えっ?」でもないだろう。

 でも、そう驚くくらい、由真の言いかたにはどきっとした。

 まるで、「花梨には来てほしくない」ってずばっと言われたみたいに。

 いや、はっきりそう言われたほうがまだましだったかも知れない。

 「うん……」

 花梨はあいまいに答えた。そう言って時間を稼ぐ。

 でも、そのあいだに花梨の心は決まった。

 「今日はやっぱり帰るよ。守山先輩とっ」

 そこでことばが詰まった。でも、守山先輩の名まえを出してよかったとすぐに思う。

 「お城めぐりに行くまで、ちゃんと調べとかないと。ごめんね」

 由真がふうっと大きく息をついて目を逸らす。

 綾も短くため息をついた。それだけでは悪いと思ったのか

「そう、っか……」

と言う。

 花梨は、うつむいたまま、「うん」と言おうとした。でも声が出なかった。

 この憂鬱な気もちが天気のせいではないことは花梨にもわかっていた。

 だから天気のせいにはしないことにした。

 目を伏せたまま、こんどは大きいビニールハウスと暗い茶色の木の塀のあいだを、だまって歩く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る