第11話 一生の不覚(11)

 お弁当を食べながら、花梨かりんはこれまでのできごとを話した。もう泣いたりはしなかったけれど、食べながらなので、それだけでお弁当が半分減るほどの時間が経つ。

 仙道せんどうさんは、ときどき目を上げて花梨を見ながら、その話をじっときいてくれた。

 「うーん」

 仙道さんは、ふきの煮物を口に運ぶ手を止めて、言った。

 「やっぱりそういうふうになっちゃったか」

 白いLED電球の光が二人を煌々と照らしている。

 まわりが暗いので、その明かりの感じだけは洞窟探険にでも来たようだ。

 たった二人で。

 だからないしょ話のようなこともここでならできると思う。

 「仙道さんがわたしをこの委員に指名したのって」

 花梨はチキンライスをスプーンですくいながら言う。

 仙道さんのお弁当は、ごぼうとか、こんにゃくとか、いんげん豆とかが入っていて、ご飯もひじきご飯か何からしい。和風で渋い感じだ。

 こういうのを食べていると、こんな「地味だけどきらきら輝いている感」の美人が育つのか。

 それに較べて、自分の弁当はチキンライスと鶏の唐揚げとエビフライとは、いかにも安っぽく見えると花梨は思ってしまう。

 でも、自分はこっちのほうがいい。

 お弁当のおかずのことを考えていて、ことばが途切れた。

 仙道さんがそのふきを口に入れて噛みながら、じっと自分を見ている。

 その目が澄んでいて、やっぱり輝いて見える。

 「あのホームルームのときにわたしがおしゃべりしてたからですよね?」

 「あ、違う違う!」

 仙道さんは、そう言った拍子でだろうか、ごくっと口のなかのものを呑みこみ、慌ててお茶を飲んだ。

 胸を軽く押さえる。胸を落ち着かせるためだろうか、それとも落ち着かせていることを花梨に示すポーズだろうか。

 そのあいだに花梨はチキンライスを食べ、プチトマトにフォークを刺す。下手を打って転がしてしまうようなことは花梨はしない。

 「いや、たしかにさ、いっつもおしゃべりしてて、うるさい子だなぁって思ったよ」

 いきなり吹きそうなことを仙道さんは平気で言った。

 「委員長になって生徒会に挨拶に来たとき、先輩に言われたもん。「今年のC組は第三の子が多いんだって? あの子たち、基本、うるさいからたいへんだよ」って」

 こんどは喉が詰まりそうになる。

 ああ、やっぱりそうだったんだと思う。

 第三というのは新郷しんごう市立第三中学校のことで、花梨やあや由真ゆま美朝みささの出身校だ。

 べつにこの第三中の校風が悪いとは思わない。特別に良いとも思わない。普通の中学校だ。でも、出身の生徒の数が多いだけに、前から仲のよかった子が多く、それだけ話すことも多い。だから、ほかの学校から進学してきた子から見れば、第三中の子だけで集まってうるさくしていると見えるのだろう。

 それがいちばんよく表れているのが花梨と綾と由真と美朝というわけだ。なかでも美朝を除いた三人だ。

 「林さんたちを見てて、ああ、ほんとにそうなんだ、って思ったよ」

 きれいで清純そうな顔をして、仙道さんは言い、すましてこんどはごぼう巻きをとってきゅっきゅっきゅっと噛んだ。

 噛み終わって、いたずらそうに笑う。

 もしかすると、委員長は、いつも花梨たちのおしゃべりに悩まされていて、それでどこかでカタキをとりたかったのだろう。

 事実なので、悪く思う気にはなれない。

 仙道さんはつづけた。

 「だから、あのときおしゃべりしてた林さんが目に留まった、っていうのは事実」

 うっ。やっぱりマークされてた……。

 「でもさ、そういうことじゃないんだよ」

 「……?」

 花梨はプチトマトを口に入れかけてまたその手を止める。

 「そういうことじゃないんだよ」の一言で仙道さんのトーンが変わったのは、鈍くておっちょこちょいな自分でもわかる。

 ――そう花梨は思ったからだ。

 「あのひとね、うちの中学校の先輩なんだ」

 「あ」

 プチトマトを刺したフォークをまだ左手に持ったまま、花梨は思い出す。

 守山もりやま先輩は言っていた。

 ――自分の中学校からの進学者は少なかった、クラスメイトには一人もいなかった、と。

 でも、そのことは黙っている。

 仙道さんはつづけた。

 「それでさ、わたしが中学校で一年生のときにあのひと三年だったはずなんだけど、ぜんぜん覚えてはなくてさ。でも、うちの中学で伝わってるあのひとの話っていうのは、陽気で、活発で、いつも笑いを取ってて、そう、いまの林さんとそっくりのキャラなんだよね」

 言って、仙道さんはまたごぼう巻きを口に入れて噛み砕いた。

 「あ、いや」

 花梨はことばが継げない。

 継げないので、とりあえずプチトマトを口のなかに入れた。

 こういうときに食事しながら話すと便利だ。

 「いつも笑いを取ってる」つもりなんてないんだけどなぁ……。

 それは、結果的にそうなるのであって――。

 つまり、おっちょこちょいだからだ。

 いや、いま考えなければいけないところは、べつのところであって……。

 仙道さんはそのあいだにひじきご飯をひと口食べてしまっている。仙道さんがつづける。

 「それだけじゃなくて、これも生徒会の先輩の話だけど、この高校でも一年生まではやっぱりその笑いを取るキャラ系のキャラだったらしいんだ」

 「じゃ、二年生から?」

 「うん」

 仙道さんはぱちっと瞬きする。

 「つまり、いまみたいなまじめ一辺倒の性格のキャラになったのは、いまの、あの「城のある町」委員を始めたころから、いや、前か後か正確にはわからないけど。それでさ」

 花梨はお弁当がお留守になっている。仙道さんがつづける。

 「うわさではさ、そうなったきっかけっていうのがあって、それはさ、守山先輩には、仲のよかった先輩がいてさ、その人と離ればなれになったことらしいって。でも、これはうわさだよ、っていうか、うわさだ、って言って、生徒会の先輩が教えてくれたこと」

 「ああ」

 花梨は唐揚げにフォークを伸ばす。無造作に口に入れる。

 「あつっ!」

 なかから熱い汁が飛び出した。その一瞬の痛みでぼんやりが覚めた。

 電子レンジで加熱するとこういうことが起こる。知ってはいたけれど、いまは気をつけていなかった。

 その不注意のおかげで、花梨は話を進める気になる。

 「でも、それと、わたしを委員にしたのと、どういう関係が?」

 「だからさ」

 口のなかで噛んでいた何かをのみ下してから、仙道さんは言った。

 「昔の自分みたいな子と出会えば、あの先輩もまた変わるのかな、って」

 そう言って笑みを浮かべる。

 なんだかさびしそうだな、と花梨は思う。

 「だって、先輩自身は気にしてないんだと思うんだけど、あれって損だよ。いまはまじめってキャラになってて、それでみんな認めてるけどさ。それにまじめなのはいいことだけど、でも、知らない人ばっかりのところに出たとき、さ。やっぱり圧倒的に愛されるのは、笑いを取る系のキャラじゃない?」

 「ああ、まぁ……」

 あいまいな返事になる。

 自分がその「笑いを取る系」と思われていて、しかも、それはそれで愛されるかも知れないけれど、損なことだってきっちりある。

 いや。損なことがきっちり多い。

 仙道さんはつづける。

 「先輩に最初からその傾向がないのに押しつけるとしたらだめだけどさ、でも、もともとそういう人だったんだったら、まじめすぎて人が寄りつかない、なんてことになったら、もったいなすぎる。わたし、そう思う。林さんは?」

 いきなり話を振られた。

 やっぱり口のなかに入っていたレタスをのみ下してから、お茶を一口飲んで、言う。

 目を中途半端に上げて、仙道さんを見ているような、見ていないような角度で。

 「仙道さん、守山先輩が好きなんだね」

 「まあ、そうかな」

 仙道さんは穏やかに答えた。

 花梨は答えの行方を見守る。はぐらかされなかっただけでも嬉しかった。

 この、地味でおっとりしているくせに「きらきら感」のある委員長に。

 「でもさ、ちょっと違うんだよね。うちの中学校の出身者、少数派だから、やっぱり仲間意識みたいなのが強くてさ。そういうので心配しちゃうんだ」

 「ああ」

 安心した、と花梨は思う。

 「でも、性格合わないんじゃしょうがないよね」

 仙道さんは、最後のひじきご飯を食べ終わって、お弁当箱に蓋をしながら言った。

 「「城のある町」委員のことは生徒会で相談しとく。へたな人選したらまたトラブルなったりするしさ。ほんと、わたしの思いつきで迷惑かけたって思うよ、林さんには。ごめん」

 仙道さんはまだチキンライスが半分ぐらい残っている花梨に向かって頭を下げ、じっとその顔を見つめる。

 「あ、いや、いいのいいの、わたし……」

 わたしのほうが、先輩についていけなかったんだから。

 わたしなんか、おっちょこちょいで笑いを取っているだけなんだから。

 ――でも、高校でもずっとこのキャラのままで、ほんとうにいい?

 それだったら進歩ってものがないよ!――

 あの、仙道さんに「城のある町」委員に指名され、しかもそれをきかずに窓の外の桜を見ながら考えていたことを思い出す。

 「さて、と」

 仙道さんは、さばさばした感じで、お弁当箱をハンカチかバンダナに包んでいる。包みながら左右を見回した。

 「ここって、なんかお茶菓子なかったっけなぁ」

 「あ」

 声が出る。

 「何?」

 仙道さんは首を傾げて花梨を見た。

 お茶菓子なら、ある。

 教室まで取りに帰らなければいけないけれど。

 守山先輩にもらった、あの手製のお菓子が。

 ――でも、やめておこう。

 守山先輩は仙道さんの中学校からの先輩で、しかも守山先輩のことを本気で心配している。

 だから、あのお菓子を出せば、喜ぶにちがいない。

 でも、あれは、花梨にくれた物だ。守山先輩が。

 だから、先輩に相談なしに、仙道さんにあげるわけにはいかない。

 そうだ。さっき――。

 このお菓子を渡してくれるとき。

 先輩は「ついでに、わたしの調べものを遅らせた罪も償ってもらわないといけないかな」と言って、花梨を心の底から震え上がらせた。

 あれは……?

 「「あ」、って何?」

 仙道さんはまだじっと花梨を見ている。

 「あ、いやっ……」

 「わたしが食べるの遅くてごめんなさい」と言うつもりだった。

 でも、花梨は、すっと顔を上げ、仙道さんの顔を見た。

 自分はまじめな顔をしていると思う。

 ここ何年かない――。

 あ、いや、違った。入学試験とその発表と、あ、それから入学式以来……。

 ――ということはたいしたことないじゃないか!

 それなのに、いまこんなことを考えたのは、守山先輩の「わたしが思い出し笑いするなんて、ここのところなかったことなんだから」ということばに引きずられたのかな。

 そんなどうでもいいことを考えてできた「間」を「ため」のように見せかけて、花梨は仙道さんに言う。

 まじめな話をするときのように、声は低くしたつもりだ。

 いや、まじめな話をするのだ。

 「さっきの話なんだけど」

 「うん?」

 「だから、「城のある町」委員を別の子に、っていう話」

 「ああ。うん」

 花梨は、ここで、深呼吸した。

 最初に守山先輩に会う前に、何度も繰り返したように。

 肩の力を抜いてから、またちょっと息を吸い、力を入れて、言った。

 「あれ、待って。わたし、もういちど先輩にトライしてみるから」

 「先輩にトライ」ってへんな表現かな?

 仙道さんに伝わるかな?

 仙道さんは、ふっと息をついた。

 目が細くなり、ふうっ、と、安心したような笑顔になる。

 あれ?

 仙道さんは、こんな笑顔、一度も見せたことがない。

 いまだけじゃない。

 たぶん、教室でも。

 もっとも、出会ってから一か月も経ってないけどね。

 そして、仙道さんは、言った。

 花梨に。

 これも花梨がきいたことのない、とてもやわらかな、優しい声で。

 「うん。お願い」

と。

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