第5話 一生の不覚(5)

 そして。

 泣くことになった。

 この新郷の町でたった一つのカラオケボックスの部屋で、右側にあや、左側に美朝みささ、向かい側に由真ゆまに囲まれて、ソファに座っている。

 その位置だけ言えば、特等席、その日の主役の場所だ。

 主役にはちがいない。

 でも、こんな主役になんかなりたくなかった。

 ここに来るまではずっと顔を伏せたままで、ときどき綾に寄りかかって泣きながら歩いてきた。

 雨だった。土砂降りというほどではないけれど、暗い空からしとしとと降り続けていた。

 その雨の降るなか、美朝か綾か由真か、だれかの傘に入れてもらいながら。

 ときどきすれ違う人たちに、いや小学校帰りの子どもたちにまで変な目で見られながら。

 カラオケボックスに入って、やっぱり歌わなければ悪いだろうということで、綾が持ち歌を一曲歌い、由真と美朝がデュエットの曲を一曲歌った。

 最初は歌を聴いている余裕もなかった。

 けれど、ずっと聴いていて、ほっと笑えるようになる。

 そして、曲が終わっても顔を上げていつづけられるようになった。

 向かいで歌い終わった由真が笑顔を見せる。

 「やっと花梨かりんが笑顔見せてくれた」

 こういうときの由真の笑顔はとってもいい。ひとをほっとさせる力がある。

 それにこたえて笑おうとすると、一瞬、ひくっと泣き声が出そうになった。

 でも、笑えた。それを横目で見ていた綾が言う。

 「じゃ、そろそろ告白タイムに行っていい?」

 花梨は、うん、とうなずいた。

 左右の綾と美朝が、ぐっ、と花梨に寄ってくる。

 椅子に座っているから「正座」というのではないが、きっちりと脚を揃えてお行儀よく座っている。

 促される前に、花梨は話し始めた。

 「今日、準備室に行って、守山もりやま先輩にレポート出したんだ」

 「うん」

 美朝がうなずく。美朝は、花梨がレポートを持っていく前にぱらっと見てくれたし、教室を出るところまで見送ってくれた。

 「で、最初は、機嫌よさそうに読んでくれてて、机に肘ついてさ。いや、最後まで、ずっと落ち着いて、まじめに読んでくれたんだ。でもさ、そのあと、顔上げてさ、で、続きは、って言うわけ」

 「続き、って?」

 美朝が首を傾げる。

 「だって、花梨のレポート、戦国時代から江戸時代の終わり、戊辰ぼしん戦争のこととか、明治になって取り壊されて公園になるまで、ちゃんと書いてあったよ」

 レポートを見たことと、油断してほうっておいたら平気で赤点を取るようなほかの三人のおり役としての責任感からか、美朝が言う。

 「それもさ」

 そう言ったところで、ふいに泣き声があふれてきた。

 「こんなの、楽山城らくざんじょうの天守閣に行ったらパンフレットにぜんぶ書いてあるって。そんなののために四日とか五日とか時間をあげたんじゃないって」

 「ええーっ!」

 由真が大きい声を立てた。

 「だってさ、わたしたち高校生だよ? 宿題も授業もあるんだよ? パンフ写すだけでも大したもんじゃない? それ以上の詳しいことなんか、大学生とか大人とかに任せておけばいいじゃん!」

 「いや、それがさ……」

 花梨は完全に泣き声に逆戻りだ。

 「それじゃだめなんだって」

 目の横から涙がぼろぼろとこぼれ出す。

 「あぁ、はいはい」

と言って、綾が店のおしぼりでその涙のしずくを拭いてくれた。

 ひくっ、ひくっとしゃくり上げてから、花梨はつづける。

 「これって、いま、この県の大人のひとがそこまでやってる余裕がないから、わたしたち高校生がこれをやるんでしょう、って。それに、それにさ」

 また何度かつづけてしゃくり上げる。そのままうつむいてしまいそうになる。

 膝の上で手をグーに握って、花梨はうつむかずに、つづける。

 「これって、県のお城にさ、県の外からさ、たくさんのひとに来てもらうためにやってるんでしょう、って。それで、あのお城のパンフレットのこともさ、あんなので観光客のひとが全国から来ようと思う? ――って。それが不十分だからわたしたちがこの活動やってるんでしょう、って。お城に見に行きたい人だったら、普通は名古屋とか姫路とかに行ってしまうから、それをどうにかしてこの県に呼びたいから、この活動やってるんでしょ、って……わたし、そんなの知らなかったよ……」

 「ああ」

 美朝がため息をつく。花梨が美朝のほうを振り向き、

「美朝は知ってた?」

ときく。次の泣き声が出る前に言わないといけないので、早口になる。

 「それは、まあ」

 ためらい気味に美朝が言った。

 「仙道せんどうさんが、そういう説明はしてたけどね」

 「どうして教えてくれなかったわけよっ!」

 花梨は思わず美朝にまっすぐ顔を向けてどなった。

 「あっ!」

 しまった!

 すぐ気づく。

 謝る。

 「……ごめん」

 そうだ。美朝は何も悪くない。

 「美朝はちゃんと教えようとしてくれたんだよね」

 花梨は目を伏せた。

 「わたしが気がつかなかった。わたしがばかなんだ」

 頭を抱えて机にごっつんと伏してしまいそうになる。

 「花梨……」

 その腕を美朝はつかんだ。

 手をつかまれては突っ伏すことはできない。

 美朝……あんなひどいこと言ったのに。

 目にうるうると涙がたまる。

 美朝に手を添えてもらって、椅子に座り直し、綾のほうにちらっと目をやる。

 「綾もごめん。由真も。わたしをなぐさめるためにここに連れて来てくれたのに、どなったりして」

 うつむきそうになる姿勢を、膝のところで突っ張った腕で支える。

 「いいよ、花梨」

 綾らしくない、しっとりした声で綾が言う。

 「今日はいくらでも、どなって、泣いて、やけ食いして。そのために乙女四人でこういう密室に来たんだから」

 「……うん」

 「乙女四人で密室」って……なんか危ないと思う。表現が。

 そう思うと花梨は笑えた。

 「……でも、やけ食いは、したくないよ」

 「何言ってんの!」

 綾が反応した。

 「だいたい、先週もあんたこの委員に選ばれたからって、パフェ三杯おかわりしてたじゃない!」

 いつもの調子で言い返して、明るい笑い声を立てた。

 それで、いきなり体をすくめて、ソファの自分の場所で小さくなる。

 いや、おかわりは二杯で、合計で三杯なんだけど。

 この違いは、けっこう大きいと思うんだけど!

 そう思うと、泣きたい気もちはずっと下のほうに沈んで行った。

 しばらくは泣かずにすむ。

 「今日はなんでもありで行こう」

 美朝がおっとりした声で言った。

 「花梨はどんなわがままを言ってもいい。そのかわり、わたしたちも、こんなことを言ったら花梨が傷つく、なんてことは気にしないで何でも言おう。そのほうが、へんに気を使って、花梨にもやもやを残すよりずっといいと思うから」

 「ああ、そうだね」

 花梨は美朝の顔を見上げて言った。

 「美朝ちゃんって大人だね」

 笑いがぽんっと出る。無理に笑ったのではない。

 この三人娘とのつきあいはいつものペースに戻ってきたと思う。

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