第4話 一生の不覚(4)
「それじゃ、失礼します」
手には
瑞月堂は駅から国道に出て車で少し行ったところにある古い大きいお菓子屋さんだ。古い木の看板が出ていて、そこには「創業なんとか何年」と書いてあるのだけれど、その「なんとか」が明治・大正・昭和・平成のどれでもない。
ということはずっと昔なんだ。
でも、中に入っているのは、残念ながら瑞月堂のお菓子ではない。
いや、花梨は瑞月堂のお菓子ってそんなに好きじゃない。家では、お寺からお坊さんが仏様を拝みに来てくれる日には必ず瑞月堂のお菓子を買う。でも、甘くなくて、ぱさぱさしていて、それにデザインが何か何も考えてないデザインで、好きになれない。
だから残念でもない。そして、そこに何が入っているか考えると、おかしなことに、なんか頬がゆるんでくる。目が細くなるのがわかる。
いろいろと満たされた気もちで教室の扉をがらっと開ける。
「花梨っ!」
いきなり声をかけてきたのは
「え?」
花梨はとまどう。
わたし……、わたしまた、何か変なことやっちゃったの?
何か気がつかないといけないことを見落としちゃった?
「え、え?」
そんなことを思っているうちに、花梨は、教室の自分の机のところで、綾、
「どう……したの? みんな」
花梨は、三人の顔を見回した。自分のいないあいだに何かあったのだろうか?
「どうしたの、じゃないよぉ」
綾が絞り出すような声でじれったそうに言う。
「みんなで心配してたんだからぁ」
「だから何を?」
「花梨のことを!」
由真が言う。花梨は目をぱちぱちっとさせる。
「なんで?」
はぁっ、と、綾と由真が同時に大きくため息をついた。
美朝が言う。
「だって、花梨が守山先輩に泣かされて帰ってきたらどうしよう、わたしたちでなぐさめたぐらいじゃどうにもならないくらいダメージ受けて帰ってきたらどうしようって、みんなで心配して待ってたんじゃないの?」
「泣かされて帰って来るなんて、そんなぁ」
気がつくとさっき先輩にもらった瑞月堂の袋をまだ持っていたので、それをどんと机の上に置く。
「子どもじゃないんだからさぁ」
言って、首をすくめて、目を伏せる。
三人の目がその花梨に集中する。
何も言わない。でもその目が語っている。
「子どもじゃん」
――うぅ……。
それは、そうだけど。
「ま、だいじょうぶだったんでしょ。こうやって無事に帰ってきたんだから」
由真が、さばさばしたような、白けたような言いかたで言った。
そうだ。そういえば、さっきまで守山先輩をものすごく怖がって、この三人には準備室まで送ってきてもらったんだった。
だから、説明しなければ。
それで花梨は顔を上げて、ふふっと笑顔で息をつく。
「心配させてごめん。でも、先輩ってそういう人じゃなかったから。やっぱり誤解されてるんだよ」
先輩のためにも、言っておかなきゃ、と思う。
三人のまん中に立っている背の高い綾が、ゆっくりと首を動かして由真を見、また反対側にゆっくりと首を動かして美朝を見た。
それで、ふっとまた三人同時に息をつく。
あ、信じてもらえていない、と直感する。
だから、言わなきゃ。
「だってさ。行ったらまずお茶ご馳走してもらって、お菓子も出してもらって。お茶おいしいんだよ! 紅茶でさ。しかも紅茶にお砂糖もミルクも入れないで、おいしいんだよ。それで……それでさ、中学校でのこととか、どうしてこの高校に来たの、とかきかれて。いろいろ話してさ。みんなのことも話したよ。そしたら、先輩、おんなじ中学校から来た人が多いっていいねって。ほんと、いい人だよ、落ち着いた感じで。ほんと、頼りになる先輩、って感じで」
また綾がほかの二人を交互に見る。由真を見、美朝を見、美朝から目を離してから、もういちど美朝を横目で見た。
「あのぅ、花梨。委員会の仕事、しに行ったんだよね?」
美朝がおっとりした声で言った。
「あ、うん。もちろん」
元気よくうなずく。
「仕事しなかったわけ? あんた」
由真が無遠慮に言う。
痛いところを突いてくる。花梨はははっと笑った。
「今日はもう遅いからって、これを渡されただけ」
言って、机の上に置いた深緑色と白の瑞月堂の紙袋に手をやる。
三人娘がじっと見る。花梨は、袋を引き寄せ、中に入っていたものを引っぱり出した。
「うわっ!」
声を上げたのは由真だ。
テーブルの上に、判型は小さいけれど分厚い本を一冊と、ノートと同じくらいの大きさの本を二冊、取り出して見せる。
「これどうしたの?」
美朝が上目づかいで花梨を見ながらきく。
「だから守山先輩が貸してくれたの!」
花梨が答えてにこっとする。
「連休にお城に行くって。五月三日の朝八時に正門前集合、って、二人だけだけどね。それで、その下準備に、金曜日までに、この本とかネットとかでこの市のお城のことをできるだけ調べて、箇条書きでもいいからレポートまとめてきてって」
「こっ……これ?」
花梨のことばをきいているのかどうか、由真がかたまっている。
綾が、おそるおそる
「いい?」
と言っていちばん分厚い本を開いた。しばらく一ページずつページをめくっていたが、途中からばっと飛ばして最後のページを見る。綾は叫び声を上げた。
「うわ! これ、一四〇〇ページまであるっ!」
「う?」
由真も身を乗り出して別の本を開く。ノートと同じくらい大きさで、分厚さはちょうどノート五冊をまとめたぐらいだ。
「わっ! こっちも五〇〇ページ? それに、字、小っさ! それに、これ、難しすぎて、何書いてあるかよくわかんない」
その声で花梨の首の後ろがひやっとしたのは確かだ。
美朝が心配そうに花梨の顔をのぞきこむ。
「だいじょうぶなの? 金曜なんかすぐだよ」
「そんなことないよ。まだ月曜日なんだから」
月曜日から金曜日までがすぐならば、一年なんて土曜日と日曜日だけで、あっという間に過ぎてしまうと思う。
「いや、学校も宿題もあるんだしさ……。それに」
美朝が遠慮がちにつづける。
「連休までって、もうそんなに時間ないよ?」
「いや、だいじょうぶだって」
花梨は笑顔で答えた。
「これは、全国のお城について書いた本なんだ。三冊ともさ。ぶあっついのが図面とかが出てるやつでさ、いま由真が見てるのが資料? それで、もう一冊の黒いのが歴史で。で、この市のお城って言ったら
楽山城というのは高校とちょうど駅をはさんで反対側の高台にあったお城だ。
江戸時代は新郷藩の殿様のお城だった。
でも、そのあと、跡形もなく取り壊され、いまはいちめん芝生の気もちのいい公園になっている。ただ天守閣だけその公園のまん中に復原されている。
綾と由真と美朝は、また気まずそうに顔を見合わせている。
花梨は心配になった。それにちょっとむっとした。
「なに? 何かそれで心配ごとあるわけ? 何かあるんなら言ってよ!」
「いや……」
由真がすぐに答えた。
「何かはっきりしてれば言うんだけどさ……その、守山先輩についてこないだきいたことと、いま花梨が言ったことがあんまり違うんでさ」
綾、由真もうなずいている。そのうなずくタイミングが少しずつずれる。
なんだ、そんなことか、と思う。
「だって、みんなは
にこっ、としてみせる。ほんとうに、それは誇りに思っていいことだと思うのだ。
「仙道さんだって、入学したばっかりなんだから、先輩のことをそんなによく知ってるはずがないじゃない?」
だれも返事しない。また目を見合わせている。
綾が、一つ息をついてから言った。
「ま、そういうこと言ってて、あとで泣くことにならなければいいと思うけどね」
言って、軽く肩をすくめて見せる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます