第2話 メグリメグッテクルイザキ

 「ミウラ..エミコ...?」

 郵便受けに投函された見覚えの無い宛名の手紙を手に取り直ぐに戻し入れる。母の知り合いか何かだろうと放っておくに限る選択肢だと直ぐに判断したからだ。


「さて、と..ていうか今日休みだ。

なんでこんな早起きしたんだろ、なんで?」

 学生は休みがわかりやすくて有難い。日曜日は決まって授業がない。単純で明快、それを忘れて朝早く起きた訳だが仕方ない。


「ふー..。」


「あら、早いのね。どうしたの?」

家の中へ戻ると母が寝巻き姿で牛乳を飲んでいた。幾つになっても相談相手は牛乳らしい


「ちょっとね、間違えて早く起きちゃった。

..知り合いから手紙来てたよ、ミウラエミコ」


「誰よそれ?」

ぐいと牛乳を飲み干して険しい顔で聞き返す。


「知り合いじゃないの?」


「どんな字の人?」 「全部片仮名。」


「知る訳ないじゃない、聞いた事ない」

画数で誰だかわかるのか。漢字の字面は母の記憶を呼び戻す大きなヒントらしい。


「お父さんの知り合いかな?

ほら、最近同窓会参加してたし」


「お父さんの知り合い..?」

母の顔が前より険しく鋭くなった。

煽ったつもりはまるで無いのだが物議を醸す


「いや、冗談。

きっと間違えて届いたんだよ」


お父さんの知り合い..。」

ダメだ、最早聞く耳を持たない。


「はぁ..」


➖➖➖➖➖➖➖➖


200年前、江戸のとある街。団子屋で男が一人、団子の串を加えて考え事をしていた。


「ふむ..どうしたものか」

しかめた顔には深い傷があり、丁度左の片目を潰している。血が流れたのも昔の話、今では古傷となり風格を見事に表している。


「どうなさったんです?

考え事なんて珍しい、野暮用ですかねぇ。」

 お盆を抱え揶揄うように声を掛けるのは看板娘のお町、いつもひょいと顔を出しては悪戯にケタケタと笑い出す。


「野暮用か、確かにそうだな..今度こそ次は我の番だと思っているのだが。」


「そんな殺生な!

物騒な事言わないでください、もう街に残る侍は貴方だけなんですから。」

江戸といっても小さな街だ、点在していた侍達は皆ある〝災厄〟によって後を断たれた。


「依代の獣..また彼奴等の気配がするのだ」


「あの女の呪いですかぁ..?」

呪術は強力な代物だが、同時に猶予を存在させる。完全に解く術は無い、だが徐々に弱体化させる期間が与えられる。


「依代の獣の数や強さは呪いを掛けた範囲や量、距離の大きさで変わるって前に話してくれましたよね。今回の距離は..?」


「‥わからない、だがかなり遠く広い。

その分期間は長く余裕があるが、力に勝るかどうか...難儀なところであろうな。」


「……」

正直、元気のある言葉を掛ける事は出来ない。

同じ不安を抱え、死に絶えた連中を随分見たからだ。しかしここは団子屋、客をもてなす甘味の宮殿、落ち込む暇は無い。


「茶柱、立てておきました。冷めない内に飲んでくださいね、幸をお祈りします!」


笑顔が人を救うなど、最早そんな綺麗事は思っていない。だがそれを気に留める事なく満面の笑みを浮かべる。これも一種の呪いだろうか、沈む客の為看板を下げるつもりは無い。


「…ありがとう町、生きて帰る事を約束する」

啜るお茶の音が喉元に響き渡る。


➖➖➖➖➖


 「ミウラエミコ?」

 教室の隅で聞き覚えた名を呼ぶ甲高い声の青年は首を傾げると存じ上げない女の名前に疑問を浮かべた。


「誰だよそれ、元カノか?」


「違ぇよ、手紙の宛て名。」

見ず知らずの女から送られた手紙を恋文とは言い難い、不幸の手紙と同義と言える。


「気を付けろよ

ストーカーかも知れないぜ?」


「んな事あるかよ..」

揶揄う友人は他人事のようだが、悩む当事者の気持ちは分からないだろう。悩みの全ては他人事、関係無いからアドバイスなどと無責任なスキンシップを取る事が出来る。


「垣内 章吾!」


「ほら、呼ばれてるぞ」「わかってるよ。」

 呪いは伝染する、意図せず知らない所から害の無いと判断した場所が腐り溶けていく。


「佐竹 重太!」


「ほら、呼ばれてんぞ。」


「うるせぇよ、ストーカーされ男。」

日常の朝はくだらない、平和な日常だからだ。


➖➖➖➖➖➖


 侍が戦場の次に最も足を運ぶ場所、それは愛する者の住処でもなく腹を存分に満たせる飯屋でも無い。上質な獲物を取り揃える魂の売場、武具屋である。


「戦いですか、旦那。

今度も刀は持たずして?」


「‥ああ、良い物をくれ。」

ぼそりと口を開いても然程威厳は無い、この男は見た目以外の風格を持ち合わせていない


「珍しい人だよなぁ、侍のくせに筒持ちなんてよ。ついでに声も甲高ぇから髪を括ってねぇと女に見えるぜ、顔は恐ぇけどな」


「放っておけ、その為に力を付けた。」

はじめは刀を振るっていた、しかし理不尽な力を前に次々と倒れていく仲間の侍達を見て鞘に閉じ込め置いてしまう。


「武士の魂など、持ち合わせても振りまわすものではない。」


「そうか?

まぁ止めやしねぇけどよ、持ってきな。」

短筒に長筒、そして二つに分けられた大筒を背中から下げ渡された。


「幾らだ?」 「いらねぇよ」


「..なんだと?」


「生きて帰ってきたらタダでくれてやる。

その代わり死んだら全額払いに戻って来い」


「…恩に切る。」

目を見れば直ぐわかる、覚悟を決めた男の目。

勝つも八卦勝たぬも八卦。占いのような無責任な賭けではあるが、侍は皆同じ事。


「お前さんだけは死なせねぇよ、鄹山しゅうざんの旦那...。」


➖➖➖➖➖➖


 「迷惑な手紙?」


 「知らない宛て名で送られて来て、親に聞いても誰だかわからないし。」


「間違えて送っただけじゃないの?」

泡まみれの厨房で皿を擦りながらさらりと言うバイト先の先輩、香苗。さっぱりとした性格で仕事も早い、普段は女子大生として近くの大学に通っている。


「間違えただけって、勘弁してよ..こっちは凄いからかわれてるんですよ?

ストーカーに追いかけ回されてるって。」


「良かったじゃない、好かれてるんでしょ?」


「嫌ですよ!

俺は他に..その...」


「何、好きな子いるの?」


「いや、別に..。」

〝あなたの事です〟とは言い出せない。気付かれないまま、いつも隣で仕事をしている。


「いいねぇ、楽しそう。

私もしよっかなー、恋ってやつをさ」


「彼氏、いないんですか..?」


「うん、いないよ。

..何、ダサいって言いたい?」


「いや、そんな事は..」

章吾は心の中で小さくガッツポーズをした。


「おこった、許さないかんね?」


「えぇ⁉︎

だから言ってないってそんな事!」

一歩前進はたまた後退どちらにせよ気分は高揚している。あとは言い出すだけだがそれは出来ず、飲食店の激務に追われる。仕事の量と稼働の数が徐々に悩みを緩和させ、業務を終える頃には今朝の手紙の事など忘れていた。


「ただいま。」

バイトを終え、ヘトヘトになった身体を引きずりながら玄関の扉を開ける。靴を脱ぎ、少し歩くと母親が居間から顔を出し「おかえり」と章吾を出迎えた。


「ご飯はいる?」


「疲れちゃってさ、風呂入って寝るよ」

荷物を置こうと部屋へ続く階段に足をかける


「あ、そうだ私明日出掛けるわね」


「出掛ける?

スーパーに出もいくのか」


「違うわよ、お誘い。

今朝の手紙の人から、ミウラエミコさん」


「ミウラエミコ..」

忘れ掛けていた名前をまた思い出す。


「..なんだよ、結局知り合いだったのか?」


「何言ってるのよ、アナタも知ってるでしょ。

働き過ぎておかしくなってるのね」


「はぁ?」

おかしな事を言ってはいるが疲労が勝り指摘する気にもならない。納得はいかないがしかめ面だけをそこに残して階段を登り、2階にある自分の部屋へと上がっていった。


「取り敢えず風呂入って...明日だな。」

閉じ込めてきた思いの丈を打ち明ける為、疲労を落とし今は準備する。


「先輩に好きだと伝えよう。」


➖➖➖➖➖➖


 「いよいよ明日ですね..。」「ああ。」

 小さな櫓のいろりを囲み、髷を結った男二人が静かに語り合う。


「怖くはありませんか?」


「..不思議と、まったくな。

様々な形の死を見た後だ、最早感情というものは無くしているのかもしれん」


「そうですか..それでもまだ、失う物があるというのは...幸か不幸か。」


「猿淵よ、お前は何も失うな。

侍でもないお前は本来、悲しみを背負うべきでは無い存在なのだ。豊かに生きてくれ」


「……世知辛いものです。」

 猿淵と呼ばれる側近の男、元は町の薬屋、医者をしていた平和な男だった。しかし余りの腕の良さから、戦を好む侍達の怪我の治療を任されるようになり、多くの死に様を垣間見る事になってしまった。


「貴方が私を連れていかない事、治療を必要としない事。..解釈を怠らせて頂きます。」


「…好きにしろ、考えるな。」


映える月に酒を酌み交わし、ぐいと喉元に傾けては二人して酔いしれた。


➖➖➖➖➖➖


 明るく日、目を覚ますと母親が忙しく家中を駆け巡っていた。


「携帯持った、財布持った..あとティッシュ!

念の為もっておかなくちゃ。」


「わざわざ確認するかそれ?

そんなに楽しみなのかよ、その人に会うの」


「ミウラエミコよ!

当たり前でしょ、楽しみに決まってるわよ」

それ程に親密な仲だったのか

だとすれば忘れる筈が無いのだが、章吾には何度聞いてもまるで聞き覚えが無い。


「まぁたまにはいいんじゃない?

ゆっくり楽しんで来なよ、ミウラさんと」


「…何言ってんの?

アナタも来るのよ、わかってるわよね」


「はぁ?

いやいや、俺は学校が..」


「来るの。」「……は?」

母親の顔は決して冗談を言うような朗らかさは無い。冷徹に、ただこちらを睨みつける。


「母さ〜んっ!!

準備できたよ、早く行こうよ!」


「はっ、何やってんだよ親父!?」


「章吾〜、お前も早く準備しなさい!」

普段真面目で寡黙な父が、アロハシャツに浮き輪を被ってはしゃぎ立てている。違和感ではない、確実に何かがおかしくなっている。


「どうしちゃったんだよ!?」

 居間を出て、階段を駆け上がる。部屋へと戻り、スマホで外に電話をかけて助けを求めようと試みた。電子音を鳴らし、繋げた先は同級生の重太のスマホ。


『‥もしもし。』


「もしもし重太か!?

聞いてくれおかしいんだよ! 

母親と父親が変なんだ、聞いた事も無い名前を呼んで狂い始めてるんだよ!!」

必死に助けを求めた、これでもかと声を荒げ冷静さを欠きながらスマホに叫ぶ。


『落ち着け、どうした。

知らない名前って何だ、今どこにいる?』


「自分の部屋..!

扉の向こうに母親と父親が、助けてくれよ!」


『…待ってろ、今そっち行くから動くな。』

 声の様子から多くを察し、忠告する。章吾は扉に鍵を掛け、更に椅子を置いて厳重に入口を封鎖して守りを固める。


「早く来てくれ...!」


『..あ、そうだ章吾あれお前も行くだろ?』


「突然なんだよ!

どこに行くってんだよこの状態で俺が!」

腕を合わせて助けを願う事態の途中で唐突な質問、危機感が無いにも程がある。


『どこって決まってんだろ、ミウラエミコのところだよ。手紙来てるんだろ?』


「……ミウラ...エミコ....!?」


『ああ、行くんだろ?』


「…なんだよ、お前もかよ..!」

味方などでは決して無かった。

助けになど来ない、両親同様章吾を狙っている。重太は既に狂っていたのだ。


「章吾、開けなさい!」


「出て来なさい、僕たちと来るんだ!」


「……2階だけど仕方ねぇ。」

椅子の足を握り窓へ振り上げる。ガラスを打ち破り外に出て、屋根を伝い家の外へ


「もう誰も信じられない..!」

不信な街を、一心不乱に駆け巡る。名前の届かない、ミウラエミコのいない場所まで。


➖➖➖➖➖➖


 「..桜か、風流だとでも云いたげだ。」

 森に燦々と咲く桃色の桜、幻想的な魅力を放ち思わず足を止めてしまうが一度綺麗と眺めてしまえばそれで終わり。


「呪術の諍いに総てを奪われる...。」


駆け寄り、雄叫びを上げ、葉を毟っては貪り喰らう獣が一つ。風流だとは決して云えない鬼の所業、葉の養分は呪いの源、獣の餌食。


「風流喰らう化け熊か..品の無いけだものめ」


短筒を両手にて構え隙を晒す熊の土手っ腹目掛けて乱発する。これでもかと放たれた銃弾は容赦なく化け熊の腹に穴を開け貫いていく



「他愛無い、こんなものか。」

怒りを露わに殴り返すかと身構えていたが謙虚なものだ、叫びを上げる事もなくあっさりと倒れ息を止めた。桜の花弁に煽られ散るより先に寝に入る事を悲観される。


「この程度なら大した事は無さそうだな、呪いといえど所詮は獣退治と変わらない。」


銃をしまい、化け熊の死体を眺めていると桜の花びらの影響か、おかしな事が起き始める


「‥なんだ、身体が光って...いやあれは、化け熊が..燃えている...?」

紫に近い色彩の焔が熊の身体を包み炎上させ、魂までも燃え上がらせていく。


『グ..グル...キュルルルル....!』


「これは..。」

焔が晴れると熊の身体は節を持った蜘蛛の姿となっており、侍を見るやいなや奇声を上げ足を振り乱して駆け寄って来た。


「舐め腐るべきでもなさそうだ、不覚..!」

追われしは愚か、捕まれば終わり。

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