とある精霊術師の平穏な日常(仮)

いろじすた

第1話

 202✕年4月1日

 

 ――四月といえば?

 という問い掛けに人は何を連想するのだろうか?

 新年度、入学式、入社式、出会い、お花見、花粉症、タイタニック号、GWまであと少し……と様々な連想が飛び交うだろう。

 

 俺はというと、その答えはずばり、“新生活”だ。

 うん? ベター過ぎるって?

 それについては、俺が置かれている現状故なのかもしれない。


 何故なら、今日という日を境に俺は一般人パンピーとして新たな生活を始めるからだ。

 

 それすなわち昨日までの俺とはサヨナラという訳だが、本当に一般人という股を引きちぎって180度開脚しても超えることの出来ない高いハードル平穏という夢物語が俺に訪れるのか……?

 うーん、信じがたい……。

 巷では、今日はどんな嘘でも許される日だというが……まさか!? 

 

 いやいやいや、待て、待て、そんなはずはない。落ち着くんだ、俺。

 オヤジがこの世で一番嫌うモノ、それは嘘だ。

 嘘は裏切りの始まり――それがオヤジの口癖だった。

 だから、嘘のはずがねぇ。


 俺はそんなオヤジとのやり取りを思い返す。


「というわけで、貴様の役目は終わりだ【ゼロ】」


 机と言うにはあまりにも巨大な重厚な木製のそれにピッタリ収まるサイズの巨体が、俺に睨みを利かし吐き捨てるように言い放つが、ひとまず俺は出されたお茶を一気に飲み干し、深く息を吸い込む。

「はぁ? とうとうその何も詰まっていない、ただデカイだけの頭がイカれたのか?」

「小僧、口に気を付けろよ……?」

 俺の嫌味に機嫌を悪くしたバケ、いや、オヤジは今にも俺を殺す勢いで殺気を向けてくる。

「ちょ、冗談だって! ほら、オヤジがいつも言っている、あれだ、あれ、男はビークールだ! ビッ、クーぅル」

 流石の俺でも本気で怒ったオヤジには勝てないため、慌ててオヤジの機嫌を取る。

「はぁ……貴様というやつは……なぜ任務の時とこうも違うのだ……」

 オヤジはそんな俺の姿をみて、肩を落とし深いため息を洩らす。

「ほら、メリハリっていうか、オンとオフというか、ずっと任務モードだったら疲れるじゃんか」

「ふッ、口だけ達者になりおって。だが、それも一理ある。それこそ貴様がこの組織のエースたる所以なのかも知れんな」

【組織】というのは、俺が所属しているこの【べへモス】の事だ。俺の目の前にいる、オヤジがトップを努める裏世界で指折りの何でも屋だ。

 そして、俺は【ゼロ】。

 変な名前だって? そりゃあそうだ、これは謂わばコードネームみたいなものだ。任務達成率100%、つまり任務失敗率0%と言うことで【ゼロ】だ。因みにそれ以外の名前はない。【ゼロ】と呼ばれ始めてからはや十年、俺は未だに任務達成率100%を維持している。まさに、組織のエースだ。

 そんな、俺が、だ!

「どういうことか説明してくれよオヤジ。俺は物心ついてから、組織は家であり、みんな事を家族だと思っている。だから、家と家族を守る為に必死に死線を潜り抜けてきたんだッ!」

「あぁ、分かっている。俺はそんな貴様を誇りに思っている」

「なら、なんでッ!?」

 俺はオヤジのバカデカイ机に両手を叩きつけ、身体を乗り出しオヤジに迫る。

 両手を叩き付けたせいで、オヤジの机にヒビが走る。いくらこの机がオヤジのお気に入りだとしても、今はそれどころではない。

「俺にはルールがある」とした後、オヤジは葉巻に火をつけ、ふぅとひとふかし。オヤジのサイズからして葉巻の大きさなどポッキーに等しいが、今はそれどころではない!

「この組織にいる奴らはみんな俺の子供だ。子供には幸せになって欲しいのが親心ってやつだ。だが、こんな環境だ、幸せもクソもねぇ。それでも子供達は、家と家族の為に命をかけ任務にこなしてくれている。時には命を落とす子供達も少なくねぇ」

 葉巻をふかすオヤジの次の言葉を黙って待つ。オヤジの図体に比べて葉巻のサイズが小さいためひと吸いで一気に半分くらい灰になってギャグみたいだが、今はそれどころじゃないッ!

「だから、俺は一つのルールを設けた。この世界で二十年間生き延びる事が出来るなら、その者に新たな人生を歩ませてあげようって、な」

「なッ、なんだよそれ……」

「まぁ、黙って聞け。何故二十年か。それは、こんな世界に足を突っ込んでいるやつだ、いくら新しい人生を歩んだとしても何かしらの危機を伴う可能性がある。だからと言って俺は、盟約によって助けてやれねぇ。こんな世界で二十年も生き延びたやつなら、己の力で危機を切り抜けられると思ったからだ」

「じゃあ、今まで急に居なくなった……奴らは……?」

「あぁ、奴らは表の世界で新しい人生を送っている」

「あぁ……死んだとばかり……よかっ、た……」

「ぐっはははは! そうだな、よかったなぁ!」

 オヤジは、何がおかしいのか上機嫌だ。てか、笑い声がくそうるせぇ。

「そう言うわけだ。分かってくれるか?」

「だけど、俺がいなくなったら誰がこの組織を!」

 自惚れとかでなく、俺より優秀な者はこの組織にはいない。

「心配するな、貴様一人居なくなった所で滅びるほどこの組織、いや、貴様の家族は弱くない」

「ぐっ……」

 あぁ。何か目頭が熱くなってきた。

 頭もボーっとしてき、た?

 あ、れ? 何か、身体の力が……。

「やっと効いてきたか……ったく、中級悪魔でも一瞬で眠らせる眠り薬が……相変わらずバカげたやつだ」

「ど、どう、いう事だ、おや、じ……」

 気を抜いたら意識が飛びそうだ……。

「今まで本当に良くやってくれた、貴様の新たな人生に幸あらん事を……」

「お、おや、じ……く、そッ」

 ここで意識を離したら終わりと、俺は残った力を振り絞り、隠し持っていたナイフを取り出し自分の太もも目かけて振り下ろす――が、オヤジの分厚くてバカデカイ手によって止められる。そして、オヤジは、そのままそっと俺の頭を撫でる。

 ズッシリと重いそれがやけに温かく感じる。あぁ、いつ振りだろう、オヤジに頭を撫でられるのは……。化物じみた怪力の持ち主が故に子供達を傷つけない様に極限まで力をおさえ、最善の注意を払いながら頭を撫でるオヤジの手は小刻みに震えている。そんな不器用な手の懐かしさで胸の中が温かくなってくる。

「やめ、ろ……そんな事、したら……気が……」

「もう一度言う。俺は貴様を誇りに思っている……息子よ……」

「卑怯だ、ぜ、お、やじ……」

 そこで俺の意識は途切れた。


「ったく、クソオヤジ……ガキ扱いしやがって……」


 俺は無意識でオヤジに撫でられた頭をボリボリと掻く。


 俺の意識が戻ったのは、昨晩。

 気づいたら、全く知らない部屋に寝かされていた。

 重い頭を持ち上げ、気だるい身体を起こし、辺りを警戒しながら俺は部屋から出た。

 四方ガラス張りのリビング。この場所が結構な高層階だと分かるほど抜群の見晴らしだった。

 それから、喉が乾いた俺はキッチンに向かい、冷蔵庫を物色し、中から500ミリのペットボトルを取り出し、一気に飲み干す。今さら毒が入っていたら? とかは気にしない。俺を処分する気だったら、既に俺はあの世にいるだろう。

 水を勢い良く喉に流し込む俺の視野に、4人掛けのダイニングテーブルが目に入る。普段であれば、気にする事のないただのテーブルだが、そのテーブルの上にはもので溢れ返っていた。

 俺はそれを確かめる為に、水を飲みながらテーブルに近づく。まだボーッとしている目を凝らして見てみると、テーブルの上には、スマホ、マイナンバーカードとパスポート、銀行の通帳とクレジットカード機能付きのキャッシュカード、財布、一万円札の束などなどが綺麗に並べられていた。武器がないのがいつもの任務の時との違いだと苦笑いを浮かべてしまう。そして、一通の手紙。

 俺は何よりも先に、それを手にし、封筒から手紙を出して読む。

『息子よ、今日から貴様は黒木零として日本と言う世界で有数の治安の良い先進国で第二の人生を歩む事となる。言葉は、幼少の頃から叩き込んでおるし、貴様の容姿も日本人のそれと変わりがないから生活に困る事はないだろう。貴様が今まで、組織に尽くしてくれた功績を称え、貴様が今いる部屋と幾ばくかの金を用意した。退職金とでも思ってくれ、好きに使え』

 俺は貯金通帳の中身を確認する。ゼロ、めっちゃ多くね? 一般的なサラリーマンの生涯賃金の倍はあるであろう金額が刻まれていた。若干の目眩を覚え、再び手紙に目を落とす。

『これから何をするにも貴様の自由だ。勉学に励んでもいだろう、恋愛に現を抜かしてもそれはそれで青春だ。仲間を作ってバカ騒ぎをするのもいいだろう……だが、これだけは約束しろ、決して、こっちの世界には戻ってくるんじゃねぇぞ? 裏にはぜってぇ関わるんじゃねぇ、貴様はこれから陽の光が照らす道を歩め! それが、貴様がこれまで頑張ってくれた一番の褒美だ』

「オヤジ……」

 胸にじーんとくるものがある。これ以上はあっかんと思い、手紙を封筒に戻そうとしたその時、俺は封筒に手紙とは別の紙が入っている事に気づいた。


「なんだこれ? 履歴書っぽいけど……えっ? 17歳? 高校生って? なんじゃあああこりゃあああああ!」


 と、これがここに至るまでの経緯だ。


 何と、俺は高校生になるらしい。7歳の時から組織に尽くし20年、つまり、27歳の俺が、だ。

 冗談は、よしこさんと思っていたが、鏡に映る俺の顔を見て、よしこさんはここに居ないと悟った。鏡に写っている俺は、ツルッツルの肌をしたクソガキ……いや、10年前の俺だったのだ。

 どんなカラクリかは分からない、が、俺は若返ったのだ。

 普通に学校に通った事はないが、任務で何度も学生生活を送った事があるので、問題はないと思うが……「はぁ~学生、か……」

 姿形は17歳でも、実際の中身は27歳。はぁ~気が重い……。

 部屋に閉じ籠っていると更に気が重くなりそうなので、俺は気分転換と周辺探索のために出掛ける事にした。

 マンションを出て道路を一つ渡った先に商店街が見えたので、自然とそっちに足が向かう。

 商店街には、休日の昼という事もあり、沢山の笑顔が行き交っていた。

「平和だなぁ~こんなのんびりした時間を過ごすのは何時ぶりだろう……。いや、そもそもそんな時間俺にあったのか!?」

 この20年、ほとんどの時間を任務に費やした俺だ、そんなもの無かったかもしれない。

「折角オヤジが用意してくれた新たな人生。楽しまなきゃ損だな~」

 ドン!

「うお!」

「きゃッ!」

 何かにぶつかったのか、背中に柔らかい衝撃が伝わる。

 何事かと首だけを回して後ろを振り返ると、黒い物体がそこにあった。これは人の頭だ。

「ちょっと……」

「うん?」

「何で急に止まるのよッ!」

 プルプルと身体を震わせ俺を見上げる少女。

 艶のある長く伸びた黒髪は触らなくても分かるくらいサラサラで、やや目じりの吊り上がったライトグレーの瞳は明らかに不機嫌を露わにしている。

「ちょっと、人の話聞いてる!?」

 高くもなく低くもないスーッと筋の通った鼻の下には自己主張が苦手そうな小さめの淡いピンク色の口が開かれており、全体的にバランスの良い顔、所謂美少女と呼ぶに相応しい。

「ねぇってば!」

「あっ、すまない! つい見とれてしまった」

「はぁ?」

「いや、あんたみたいな美少女を今まで見たことなくて」

「ちょ、なっ」

 俺の言葉に少女は、怒りとは別の表情を見せる。

 それにしても……。

 俺は少女の周りをぐるぐるしながら、少女のいたるところに視線を向ける。

 出るところは出て締まる所はしまっており、程よく筋肉がついているのを見ると何かしらスポーツをしているのだろうか。

 うん、可憐だ。

「な、な、なんなのよぉ! ジロジロ見ないでよッ、こんの変態!」

 少女は、胸もとを隠すように両腕を交差させて、俺から身体を遠ざける様に後ろに引く。

「変態とは心外だ。俺はただ、あんたの事を美しいと思って見ていただけだ」

「う、美しいって……」

「事実だ」

 胸を張って言えよう。うん、目の保養になるなぁ。

「わ、分かったから、もうそんなにマジマジと見ないでッ」

「あぁ、すまない。それで、俺に何か?」

 少女が困っているので、観賞モードから通常モードに切り替える。

「ふぅ……。あんたが急に立ち止まったせいで、ほら!」と少女は、自分の右手を差し出す。決してハイタッチを要求しているのではない事が分かる。何故なら彼女の右手は今現在グチャグチャになったクレープで大惨事になっているからだ。

「これは……」

「せっかく、1時間も並んでやっと買ったのに……一口も食べてないのに……」

 少女の顔から怒りが消え、悲しさが滲む……というより泣きそうだ。

「わ、悪かった! そうだ、弁償させてくれ! それどこに売ってるんだ?」

 少女は「あっち……」と指を向けるだが……そこにはクレープ屋と思わしきファンシーなワゴン車を中心に長蛇の列が出来ていた。

「マジかよ……」

『1時間並んだ』

 俺は少女の言葉を思い返す。その言葉は決して膨張でない事を思い知らされる。

「俺、並ぶから!」

「そんな時間ない……すぐ、食べたい……」

「くっ……分かった! それ何味だ?」

「……ベリーベリースペシャル。どうする気?」

「まぁ、あっちのベンチに座って待っててくれ」と言葉を残し、俺は足早にクレープ屋に向かった。


 ――数分後


「待たせたな! ほれ、ベリーベリースペシャル」

「――ッ!? どうやって!?」

「まぁ、誠心誠意頼めば何とかなるもんだ」

「へぇ、世の中も捨てた物じゃないんだ」

 お金をチラつかせて譲ってもらったなんて言えない……。

「ほら、そんな事より早く食べろよ。すぐ食べたかったんだろ?」

 俺はクレープを少女の手に握らせる。

「あの、ありがと……あと、怒鳴ってごめんなさい」

 キツイ性格だと思っていたのだが、これはいやはや……。

「気にしなくていいよ。俺が急に止まったのが悪いんだし」

「違うわ! 私もちゃんと前を見ていなかったから……数ヶ月前からずっとこれを楽しみにしていたから気が動転しちゃって……」

 クレープ一つで数ヶ月って……何だこの子、すげえ貧しいのか?

「そんな事より、ほら」

「うん! いただきます! はぐっ ん~~~~~~~」

 すげぇ旨そうに食うな。それに、やっぱり可愛い。

「何をそんなにジロジロ見てるの? もしかして食べたかった? 一口なら、いいよ?」

「いや、甘いの苦手だから大丈夫だよ。ただ、やっぱり可愛いなぁって思ってさ」

「……もぅ。恥ずかしいから、やめてよ……」と少女は顔を赤らめ、俺から顔を背ける。

「ごめんごめん、もう言わないから」と傍から見たら胸やけがしそうなバカップルの様なやり取りは、少女が最後の一口を名残惜しそうに頬張るまで続いた。


「さて、クレープも食べ終わったし、そろそろ行くとするか」

「あのぉ、ご馳走様でした。想像していたよりも、すごく、すっごーく美味しかった」

「お粗末さまでした、と。そうだ、俺、黒木零っていうんだけど、あんたの名前は?」

 折角の縁だ。名前くらい聞いてもバチは当たらないだろう。

「私は――へッ!?」

 彼女が自分の名前を口に出そうとしたタイミングで、数名の黒服の男達が近づき、俺達が座っているベンチを囲む様に立ち止まる。屈強そうな男達の肉壁により、息苦しくなるほど圧迫感を感じるが、俺はそれよりも男達の胸元で光っているエンブレムに目が行く。

 双頭の犬、か。こいつら……。

「この人とは、今日初めてあったの! 関係ないただの一般人よ!」

「あんた何を!?」

「我々はそこのお嬢さんに用があるだけだ。小僧、平穏な日常を送りたければ今すぐこの場から立ち去り、今日の事は忘れろ」

 リーダー格だろうか。男達の中でも一際大きい角刈りの男は威圧を込めて俺にそう言い放つ。

「クレープとても美味しかった。あと、貴方との会話も楽しかった。可愛いって言ってくれて嬉しかった。お願い……黒木君。行って!」

 平穏な日常、か……。

 俺には、この子を守れる力を持っている。

 平穏な日常を送る為に、この子を見捨てる? べへモスのエースだったこのゼロが?

「ありえねぇだろッ!」

 俺は少女を背に立ち上がる。

「黒木君! だめッ!」

「いいから、いいから」

 悲痛な表情を浮かべる少女に向けて親指をアップさせる。

「ふん、黙ってこの場から去れば良かったものの」

「うるせぇぞ? 駄犬共が」

「小僧……死にたいらしいな?」

 駄犬呼ばわりされたのが頭にきたのか、男達は俺に敵意を剥き出しにしている。

「や、やめて! この人達、そこら辺の破落戸とは違うのよ?」

「今さら遅いッ! 貴様の平穏は今日で終わりだあああ!」


 角刈りが俺に殴り掛かってくる。

 パチン!

「キャッ!」


 俺な角刈りに殴り飛ばされる思ったのか、少女は堪らず目を背ける。

「ぐあああッ」

 潰された蛙のような声が響き渡る。

 その声の主が俺じゃないと分かったのか、少女は直ぐ様視線を戻し「黒木君!」と俺の名前を呼ぶ。

「うん? なーに?」

「どうなってるの?」

「どうなってるの?ってまぁ、こうなってるの」

 と、俺が握っている角刈りの右拳を少女に向ける。

「ぐああ……どうなってやがる、くそっ、離せ小僧!」

 痛みと困惑が混ざりあった複雑な表情を浮かべてもなお、角刈りは強気だ。なんかムカつくから握る手に力を込めると「ぎゃあああああ」と直ぐ様反応してくれる。

「貴様ッ!」

 まさかの展開に思考停止していた、角刈りの仲間共が一斉に俺に向かってくるが……おっせぇ!

 まるでスローモーションを見ているかの様な男達を左手一本で対処する。

 一発ずつ、確実に急所に突きささる様に打つべし、打つべし、打つべしいいいいいい!

「す、すごい……」

 屈強な男達が、ポップコーンの様に弾け飛んでいく風景に、少女は驚きのあまり開いた口が塞がらないでいる。

「なっ、何者なんだ……貴様は……」

 角刈りは、俺に対する警戒を最大限上げたようで、先程までの舐めくさった表情から一変プロの表情に変わる。

「何者って、ただの小僧だよ」

「ふざけるなッ!」

 男が俺に握られている手とは逆の手を天にかざすと、その手を中心に小規模なサイクロンが発生する。

「くらいやがれええ!」と角刈りは、サイクロンを纏った拳を俺に突き出すが喰らってやる義理もないので、サクッと躱し、そのまま角刈りを持ち上げ地面に叩きつける。

「くぶっは!」


 苦しそうに踞っている角刈りを一瞥し、少女のいる方へと視線を向ける。


「どうだ? 大丈夫だっただろ?」

「す、凄い! すっごーく、凄いよ黒木君!」

 少女は興奮覚めやまぬと言った感じだ。

「そうだ、俺は結構凄いんだぜ? それで? 何で狙われてるんだ?」

「……ごめんなさい、それは言えないの……」

「何で? 俺なら平気だぞ?」

「うん、黒木君が強いってのは分かったけど……こういう人達は、任務に失敗すれば、次はもっと強い人達を送り込んでくる……それでもダメだったらもっと強い人を……無限ループなの」

 少女はとても辛そうに語る。

 少女の言うことは尤もだ。任務を遂行するために優秀な人材を送り込むのは定石だから。

 

「あっれー? オッチャンやられてんじゃーん」

「ほんとだー、何が「お前らの出番はないっ!」だよ、だっせー」

 どうやら新手らしい。

 瓜二つの容姿に、痩せ細った体躯。違うとすれば髪の毛の色がそれぞれ赤と青という事だけ。声まで同じという事は、この二人は血の繋がった兄弟か何かだろう。

「ぐっ……気をつけろ、あいつは何かがおかしい、俺の風を難なく避けたんだ」

 そう注意を促す角刈りに対して、「ぶぁーか! 何が気を付けろだよ、たかだか中級の分際で!」と赤頭がバカにする様に罵り、その隣で青頭が「中級の分際で僕達に指図? ありえねーんだよッ!」と角刈りを蹴りとばす。

「ったく……大の大人が雁首揃えて女一人つれてこれねーなんて、だから、あんたらは二軍なんだよ」

 そんな、ニューフェース二人の両耳には三つの首を持つ狼のの様な彫刻が刻まれたエンブレムが揺れていた。

「やっぱりね……ねぇ、黒木君。お願い、逃げて? 今日会ったばかりの私に……ここまで付き合う事ないよ……」

 自分の言った事が現実になっている事に対して少女は苦笑いを浮かべる。

「嫌だね」

「なんでよッ!? 私とあなたは他人なのよ? 私、嫌なの、私のせいで傷つく人を見るの、もう嫌なの!」

 少女の両目いっぱいに涙が溢れる。

「だーかーらー、俺は大丈夫だって言ってんじゃん。それに、俺とあんたはもう他人じゃねーよ」

 俺は、少女に背を向け敵さんの元へと一歩踏み出す。

「もう、顔見知りくらいにはなってんだろうよ――待たせたな」

 俺は、赤頭と青頭の目を真っすぐ見据える。

「ねぇ、もしかして僕達に勝てると思ってんの?」

「こんなクソ雑魚共に勝ったくらいでちょーしにのってんじゃねーよ」

「別に調子にのってるわけじゃないさ。お前ら【ケルベロス】の傘下の【オルトロス】のしかも中級精霊術師くらい勝って当たり前だろ?」

「「――ッ!?」」

 俺がこいつらの組織名と精霊術師を口に出した事で、その場は一瞬で緊張に包まれる。

【ケルベロス】とは、俺の所属していた【べへモス】同様に裏家業を生業としている、元同業者で構成員の数だけが無駄に多い古参組織の一つだ。【ケルベロス】は、傘下に【オルトロス】という下部組織を持っており、さっきの角刈りがそれにあたる。

 そして、精霊術師とは?

 一般的には知られていないが、この世界には火、水、風、土、雷、闇、光の7つの特性を持つ精霊が存在しており、裏世界に足を突っ込んでいる者なら何かしらの精霊と契約している。

 因みに精霊にはランクがあり、下級は重い物を動かしたり、飲み水をだしたり、焚火の火を起こしたり、そんな簡単な魔法を発動でき、先ほどの角刈りの様に攻撃の手段としての魔法を発動できるのが中級、そして、今俺の目の前にいる二人、こいつらは上級だろう。何故なら赤頭の肩には、火を纏ったトカゲがちょこんと座っており、青頭の首には真っ青な蛇が巻き付いている。こうやって、精霊を具現化できる者達は、上級精霊術師として位置づけられる。

「何で、僕達の組織の事を……しかも、精霊術師の事まで……」

「まさか、てめぇ……こっち側の人間か?」

「いやいや、俺はもう一般人さ。明日から高校にも通うんだ」

「ふん、どうせ名も知らねぇ弱小組織のペーペーだろうよ。魔力も微塵もかんじねぇしな」

 もう一つ付け加えると、下級、中級、上級の区分は魔力内包量によって決まる。魔力内包量が多ければ多いほど強い精霊と契約できるからだ。だから、各級でもピンキリの強さなのだ。因みに、こいつらの精霊は、フレイムリザードに、スノウスネーク。上の下だ。

 殺伐とした雰囲気を紛らわすために、俺は後ろを振り向く。

 少女が涙を流しながら、心配そうに俺を見つめていた。そんな少女に俺はニコッと笑みを向け、赤頭達に視線を戻す。

「俺達を前にして、随分余裕だな?」

「兄貴、こいつ許せないよ!」

「だな、ぶっ殺す!」

 赤がアニキか……と思っていると、俺の目の前にサッカーボール大の火の球がせまり、躱そうとしたがいつの間にか俺の足元は膝の上まで氷漬けにされていた。弟君だろう、まぁ気づいてたけどね。

 俺は避ける事もせず、火の球を両手をクロスさせその身に受け止める。

「こんなもんか? 折角避けずに喰らってやってるのに、熱くもクソもねぇぞ?」

 自分の攻撃が効かない事に驚く赤頭だが、俺の挑発にまんまと乗り、顔を真っ赤にして憤る。

「なめんなああああああ!」

 赤頭の魔力が膨れ上がる。先程とは比べ物にならない程の巨大な火の球が赤頭の頭上に形成される。

「ちょっと、やりすぎだよアニキ! 後ろの女まで消し屑になるよッ!?」

「うっせえええ、このクソ野郎はぜってええ許さねえええ!」

 そう言って、赤頭は俺に向かって巨大な火の球を放つ。

「宗次! 奴を凍らせろおおお」

「分かったよ、アニキ!」

 弟君はそうじ君というのか、とどうでも良い事を思い浮かべながら俺は成すが儘にされる。

「いやああああ、黒木君!」

 少女の悲痛な叫び声が耳に突き刺さると同時に火の球は俺に着弾する。

 ズットオオオン!!

「ふん、くそがッ! 俺様の事を舐めるから痛い目にあうんだ」

「だね、アニキ」

「さっさと、女連れて戻るぞ宗次。急がねぇとサ〇エさんに間に合わねぇ」

「じゃんけん99連勝中だもんね、今日大台だね」

「あぁ、ついに100勝だっとこんな事してる場合じゃねぇ」

 と赤頭と弟君は、少女に近づく。

「い、いや……ごめんなさい、黒木君、私が貴方にぶつからなければ……貴方に突っかからなければ……貴方とすぐ別れていれば……ごめんなさい……」

「ぎゃひゃひゃひゃ、宗次、この女ないてんぜ? たまんねーな」

「そうだね、アニキ。たまんないね!」

 赤頭が少女に手を掛けようとするその瞬間!

 ブオオオオン

 轟音を立てて俺を包み込んでいた炎の塊がチリチリに消え去っていく。

「俺は、あんたとぶつかって、突っかかってもらって、話し相手になってもらって凄く楽しかったぜ?」

「く、くろき、くん」

「おう、黒木零様だ!」

「よ、よかったぁ……」

「だから言っただろ? 大丈夫だって」

「……うん」

「さってと、中々いい攻撃だったぜ? お陰で服がボロボロだよ」

 今の俺の姿は傍から見たら露出狂として後ろ指をさされそうな恰好だ。

「そんな……ありえねぇ……最高火力だったんだぞおおお!?」

「うん、程よいぬるさだったよ。俺寒がりだからさぁ、助かったよ」

「あ、あ、あにき!」

「うるせぇぞ、宗次!」

「あ、あ、あれ、あいつの上半身」

「あぁん? ……あれ、は? ま、ま、まさか!?」

 俺の上半身に施された封印のしるしを見て驚いているのだろう。

 これが俺が【べへモス】のエースとして生き残ってきた理由だ。

「てめぇ、まさか、特級精霊術師!?」

「ピーンポン! 出番だよ、紫響しおん

 俺の言葉に反応して、俺の身体に施された封印が解かれていき、俺の目の前に轟音と共に紫色の雷が落ち、その場に紫色のヒラヒラな小悪魔ドレスを纏った少女が現れる。

「あるじ~~~」

「よッ、紫響」

「ひどいよ……全然呼んでくれないし!」

 ほっぺをぷくーっと膨らませて、不機嫌アピールしているこの子は紫響。俺の精霊様だ。

 薄桃色のボブが似合うやや丸みを帯びた可愛らしい少女だが、紫響はこの世界に数体とない特級精霊なのだ。

 上級以下の精霊は、精霊王の配下であるが、特級精霊は各々が個別の存在であり、精霊王に匹敵する力を持っているという。特級精霊の特徴は二つを上げられる。人型である事と、一般の精霊の魔法と違う色を持つという事だ。紫響は雷の精霊。だが、その色は漆黒の闇の色に近い紫色の雷なのだ。

「漆黒の雷……てめぇ、まさか、【黒雷のゼロ】……死んだはずじゃ……」

 俺が死んだのは昨日の筈だが……すでにこんな末端まで話が広がっているのか? それともオヤジが手をまわしたかだな。恐らく後者だろう。

「あんたの言う通り、【黒雷のゼロ】は死んだ。そして、俺は黒木零だああああ! 紫響!!」

「あいさ! くらっちゃいなあああ! 【黒雷】!!」

 赤頭兄弟の頭上に漆黒の雷が落ちる!

「あぱぱぱぱっぱぱぱっぱぱぱ」と中々面白い反応を見せてくれる。

 そして、漆黒の雷が消え去って残ったのは、昭和のコントの様に真っ黒こげになった兄弟が仲良く白目を剝いていた。最大限力は抑えてもらった。上級精霊術師なら、死んだりはしないだろう。

「あるじ~~~~紫響ちゃんと手加減したよぉ、えらい?」

「あぁ、よくやってくれた。えらいぞ」

「えへへ、じゃあ、紫響はあっちに戻るね。また呼んでね~」

「いつもありがとうな」

「うん!」

 紫響はハツラツな笑顔をのこして、精霊界へと戻っていった。

「黒木君!」と少女は、俺に向かって飛び込む様に抱きついてくる。

「お、おう」

「凄く、すっごーく心配したんだから!」

「大丈夫だっていったじゃんか」

「それでも、普通は心配するものなのよ?」

「そんなものなのか? 俺そういうところに疎くて……」

「だけど、ありがとう……本当は凄く怖かった、心のどこかで黒木君が残ってくれた事にホッとしたわ、ごめんなさい、ひどい女だよね、私」

「そんな事ないさ、こんなに可愛い女の子のどこがひどいって言うんだ?」

「また、そうやって……」

「そういえば、まだ名前聞いてなかったな」

「ふふふ、そうだったね。私の名前は――」

「お嬢様ッ!」

 少女が名前を口にしようとしたのと同時に、俺達の背後から声がしたので振り向くと、俺と同じくらいに年頃のメイド姿のメガネっ子が仁王立ちでこっちを睨んでいた。

「げッ、小夜子……」

「やっとみつけましたわ!」とメイドさんはズカズカと近づいてきて、少女の腕を掴む。

「さぁ、帰りますわよ!」

「痛いよ、小夜子」

「おい、やめろよ! 痛がってるだろうが!」

 メイドの暴虐、見るに絶えなかった俺は、ついつい口調を荒げてしまう。

「だまれよ、変態」

 予想の斜め上をいく返しがきたため、俺はしばらくフリーズする。

「ちょっと、小夜子失礼よ! 黒木君は私の命の恩人なんだから!」

 俺の事を悪く言った事について、メイドさんを叱咤する少女。

「ですが、お嬢様……。こんな公共の場で、この男のこの格好はいかがかと……」

 俺の恰好? 何を言ってるんだこのメイド。

 あッ……、赤頭の火の球のせいで俺の服という服は灰に変わっていた。

 ギリギリ尊厳を保つかの様に、俺はパン一の姿で立っていたのだ。だが、ここで恥ずかしがるのは悪手だ。堂々としていればいい。正義は俺の中にあるのだから。

 と物思いに更けていると、

「あれ?」

 俺の目の前から誰もいくなった。

 数メートル離れた先で黒塗りのベンツに無理矢理乗せられ、少女は俺の目の前から消えていった。

「はぁ~結局名前は聞けず終いかぁ……すげえタイプだったんだけどなぁ」

 トントン

 少しへこんでいると、俺の肩を叩く感触が……まさか、戻ってきてくれたのか! と勢いよく振り向くと……二人のお巡りさんがニコニコして立っていた。

「ちょっと署まで一緒に来てもらえるかな?」


 こうして、俺の一般人としての初日は幕を閉じた。



 翌日


 俺は、学校の正門の前に立っていた。

「今日から、俺の学校生活がはじまるんだなぁ」

 としみじみしていると、何か背後が騒がしい。

「姫様のご登校だぜ!」

「いいご身分だこと」 

 と、反応は様々だ。


 そして、人の波を割って現れたのは、触れなくても分かるくらいサラサラな長い黒髪に、やや目じりの吊り上がった強気なライトグレイの瞳。高くもなく低くもないすーっと筋の通った鼻の下には自己主張の苦手そうな淡いピンク色の小さい唇は若干ではあるが、口角が上がっている。


 まだ肌寒さが残る、桜舞う出逢いの季節。

 俺の新しい人生が今始まる。

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とある精霊術師の平穏な日常(仮) いろじすた @irojistar

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