第3話

 会議室のような場所にいたのはほんの1時間くらいだったと思う。俺は今ベッドに寝かされていた。そりゃあ短時間に2回も吐けば誰だって体調に問題があると思うだろう。檻にぶち込まれないあたり、一応は客扱いなんだろう。

「では、何かあったらこのベルを鳴らしてください。すぐ近くにいますので」

しかし、まさか海外の子役も真っ青になるくらいの美少年だか美少女付きの部屋だとは思わなかった。金髪、というかプラチナブロンドのショートヘアに、ザクロの実のような赤い目。カラコンではなさそうだ。肌の色もおそろしく白い。その綺麗な子供は、お辞儀して部屋を出て行った。

 1人になると、この部屋はあの御殿場の家よりもさらに静かだった。ベッド以外には木製の椅子が一脚と小型のテーブル、あとはクローゼットのような収納があるだけだ。ベッドサイドにはコンパクトなナイトテーブルがあり、その上にはガラス製のグラスとジャグが置かれている。中身は水の中に何やら葉っぱと果物らしき赤い実と、黄色のレモンのような輪切りが入っていた。身体を起こして、その液体の匂いを嗅ぐ。ちょっと小洒落た店で出てきそうな水とスポドリを薄めたものの間のような、爽やかな匂いだ。プールの水だって少し飲むくらいなら大丈夫だから、俺はこの未知の飲み物を試してみる事にした。ほんの少しだけグラスに垂らし、舌先で舐めてみる。ミントのようなスーッとする感覚と、果物特有の甘酸っぱさを遠くに感じる。これは多分大丈夫なやつだ。グラス三分の一ほど注ぎ足して、ゆっくりと飲み干した。胃のむかつきと喉のイガイガが少しだけマシになった気がした。


 とりあえず、今置かれている状況を整理しよう。さっき飲んだオシャンティーな水(仮)のお陰で、胃だけじゃなく頭もスッキリした俺は、ベッドから出て立ち上がる。少しふらつくもののの、二日酔いからは大分回復していた。

 さっきの会議室で、俺がリバースするまでの流れをもう一度思い出す。


 遡ることおよそ1時間前。

 耳長めのシモン・ケアー似ーエルフという種族で、名前はテフォランツォというらしい。彼が主だって話をしてくれた。セルヒオ・ラモス似は種族はケンタウロス、名前はグラオルガ。なんだかずっと睨まれている気がする。そして、その場にいたあと2人、逞しい小柄(若)がホビットのエッケン、逞しい小柄(老)がドワーフのコルバノ。グラオルガほどじゃないが、この2人も観察する様に俺の方を見ていた。縄で縛られないだけまだいいけど、何となく居心地は悪い。まあ、流石に不審者を監視するなっていうのも無理な話なので、俺は諦めて椅子に座った。

「約100年前、あなたと同じようにこの地に現れた者がいました。もっとも彼が降り立ったのは、エルフ、ケンタウロス、ホビット及びドワーフ連合の戦場でしたが。その者を我々は聖トールと呼んでいます。彼は戦場の真ん中に降り立つと、その場に転がっていた兜を蹴り上げ、僅か数十秒で我々の祖先の視線を釘づけにしました」

テフォランツォがステッキをかざすと、目の前に透明な壁画が浮かび上がる。そこに描かれていたのは、ジャージのような服の坊主頭の男が兜でリフティングをしていて、それを取り囲む様々な種族がその男を注視していた。俺は子供達と遊んだだけだが、そのトールとかいう奴はどれだけのクソ度胸だったんだろうか。そして殺気立った兵士達を魅了するとかどんなファンタジスタというかテクニシャンだったのか。そもそも試合じゃなくて、多分リフティングしただけとかだよな。思わず背筋がゾワっとする。エッケン、コルバノ、そしてグラオルガもその透明な壁画に魅入っていた。テフォランツォはその壁画を表示したまま話を続けた。

「聖トールの出現は、我々の間に長く続いていた争いの平和的解決を提示しました。それが我々にとってのサッカーなのです」

おそろしくざっくりとした説明だった。トールはどうやってその戦場を切り抜けたのか、どうやってサッカーを広めたのか。その辺のくらいは教えてくれてもいい気がした。

「相変わらず物事の一面しか語らないんだな」

語りきって満足しているテフォランツォに、対してグラオルガはイラついている様な顔をしていた。テフォランツォの左眉がぴくりと上がる。

「これだけ伝えれば充分ではないですか?」

「やはりエルフは小賢しい。そうやってこの男を丸め込んで、自らの種族に有利に事を運ぶのは見え透いているぞ」

グラオルガの言葉にテフォランツォの綺麗な顔が歪む。

「そんな事をせずとも我々は優れていますから。あなた方にこそ必要なのではないですか?もっとも、そんな事ができるほど器用ではなさそうですがね」

ケンタウロスとエルフは仲が悪いのか?他の2人の方を見ると、エッケンは呆れ顔、コルバノは目を閉じて静かに座っていた。俺は下手に口を挟めないから、この険悪な空気を何とかしてくれないものかと思っていたら、エッケンが口を開いた。

「お二方とも、ピエチセロダービーなら競技場でやってくれ。今はこの聖トールの後継者に諸々の説明をするのが先だろう」

ダービーという単語が気になったが、その後の聖トールの後継者という言葉の方がインパクトが強く、思わず声が出た。

「俺、後継ぐんですか?!」

「そうでなければこの城、協会本部に連れてきたりはしない」

俺の声は思いの外大きかったらしく、エッケンは少し迷惑そうな表情をしていた。

「調停者は異端でなければならぬ」

コルバノは片目だけ瞼を上げ、また閉じた。

調停者って、俺は審判をやらなきゃいけないのか?

「あなたはこの世界では唯一の存在だ。だからこそ、我々のサッカー協会を統べ、全種族の調停者となる資格がある」

「いや、俺はそんな大それた役割は無理ですよ。ライセンスもないから監督すら出来ないし……っていうか、この中から代表を選んだらよくないか?」

流石にそんな大役を押し付けられてはたまらないので、俺は精一杯の抵抗を試みた。

「前任の会長は俺の叔父だったが、試合の判定に不満を持った種族に暗殺された」

グラオルガがテフォランツォの方を見ながら言う。

「その前は私の母の甥の妻の兄でしたが、とある種族の不当な抗議で辞任、その後奇妙な事故で亡くなっています」

テフォランツォもグラオルガに意味深な視線を向けている。これは嫌な予感がする。

「見ての通り、この世界の者では丸く収まらない。聖トールと同じ異世界の存在であれば、現時点では中立だ。これ以上の適任はいない」

エッケンはこの中では話が通じそうだけど、面倒事には巻き込まれたくないようだ。南米もびっくりな状況だが、確かに自分の種族、下手をすると親族が酷い目に遭うのは嫌だよな。

「……ちなみに、これって断ったらどうなります?」

「あなたをここに置いておく意味は無くなりますが、あのテクニックを手に入れるために様々な種族が狙ってくるでしょうね。拉致、誘拐、抗争に巻き込まれてうっかり殺害されてしまうかもしれませんね。他の種族を有利な立場にしないために」

テフォランツォは笑顔で言ってのけた。多分俺の答えは「はい」か「YES」しか用意されていない、とこの時実感した。正直、この世界でどんな殺され方をするのか想像は出来ないし、したくない。

「じゃあ、断らなかったら?」

「我々もサッカーによる紛争解決は気に入っています。あなたが会長である限り、全力で守ります」

つまり俺がこの世界で生きるためには、サッカー協会会長になるしかないらしい。急に胃が痛くなってきた。気付けば4人とも深刻な顔でこちらを見ていた。その空気に耐えられず、俺は素朴で根本的ないたってシンプルな質問を口にしていた。

「サッカー、好きなんですか?」

「ええ。戦争よりは死者が格段に少ないので。どんなに多くても50人程度にしかなりませんからね」

そもそも死者が出る事が確定な時点で俺が知ってるサッカーじゃない。

そして、ここでテフォランツォから例の「この世界におけるサッカーを整えて都市間の紛争解決の方法として機能する様にしていただきたい」という言葉が出てきて、俺はゲロった訳だ。以上回想終了。


会長か死か。

とりあえずこの世界のサッカー整えるって何をすればいいんだ?まずは今どんな感じなのかを確認して……後は死者ゼロにしたいし--ダメだ。こんがらがってきた。一回書き出した方が良さそうだ。あと、ちょっと気分転換がしたい。ベルを鳴らすとすぐにドアが開いた。

「お呼びでしょうか?」

「ごめん、紙とペンか何か書くものと、この水のおかわりもらえるかな」

俺がそう言うと、綺麗な子供はすぐに紙と羽ペンを用意して俺に手渡してくれた。そのまま部屋を出て戻ってくると、その手には例の水と、フルーツとパンがのったトレイがあった。異世界のパンは俺の知っているそれと変わらなくて、少しだけホッとした。

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