第1話
--特に決めていませんが、これからも、何かサッカーに関わる活動をしていきたいと思います--
あまり人前で喋る事が得意じゃないが、感謝の言葉くらいはきちんと伝えたかった。その部分に全力を尽くしたせいで、今後の展望はふわっとした感じになってしまった。まあ実際ふわっとしてるから間違いではない。
「スズキさん、お疲れ様でした!」
「お、おお。こちらこそ今までありがとう」
まるでスローインの様に花束が渡された。さすが期待の若手、敦賀だ。ピッチ上と同じくらいの勢いがある。引退セレモニーの後、スタッフの計らいでささやかな打ち上げが開かれることになり、ロッカールームは勝利と昇格の余韻も加わって、パーティーの様な盛り上がりだった。
「ホント、あの時のスズキさんのスライディングが無かったら俺たちは……」
目を潤ませるのは、俺が移籍するまで最年長だったゴールキーパーの高橋だ。
「いや、俺がいなくても普通に勝ってたんじゃないか?ほら敦賀も2点入れたし、高橋だって直接FK止めてたし」
「スズキさんが体を張って時間を作ってくれたから、俺たちは勝てたんです!」
確かに伊豆の東が直接FKを選択してくれたおかげで高橋は苦手なゴール前の混戦を回避出来た。熱くなりやすい奴だが、落ち着いてさえいれば基本高橋のセーブ率は高い。だが今は主役であるはずの俺を弾き飛ばすほどの熱意と勢いで喋っている。主役とか自分で言うのもおこがましいけど。
俺の現役生活はJPリーグD3、サイヒル御殿場FCで幕を閉じた。日本代表には選ばれたものの、出場は10試合もない。「じゃない方」と呼ばれてたのも知ってる。D2、D1、ドイツにも行った15年が長いか短いかは人それぞれだから何とも言えない。
唯一の心残り、というかモヤモヤしているのは、最後の試合で累積警告で退場になったことだ。あの時はファウル以外に相手を止める方法が思い浮かばなかったし、1-0からそのままシュートを決められて追加点をとられたら、残り時間とメンタル的にかなりキツかったと思う。俺個人としては微妙かもしれないが、東部ダービーに勝てたし、この勝ち点3でD2昇格が決定したから、まあこれで多少は恩返し出来たと思いたい。
今季のJPリーグはこれで閉幕だ。皆んな明日からオフに入るということで、いつもは我慢していた御殿場のクラフトビールを常識の範囲内で満喫した。中にはオフシーズンでも現役中は禁酒禁煙というストイックな奴もいたが。一応日付が変わる前には解散となった。
明日からは試合もトレーニングもない。他の皆んなは来年にはD2での戦いが待っているが、俺は今のところ何もかもが未定だ。それが少し寂しくもあった。気付けばサッカーの事ばかりで、何度かあった結婚のチャンスも決定機を逃してしまっていた。37歳、独身。こんなことならあの時……と思い出して後悔するような出来事もそんなになかった。それでさらに虚しくなる。今日はもう徹底的に飲もう。そう決意して、俺は帰り道のコンビニで追加の酒を買い込んだ。
家に着くと、いつもの定位置のソファに体を沈める。都市部のチームにいた時と比べると、ここは耳鳴りがするほど静かだ。その静けさに耐えられなくなってテレビを点ける。少し前に流行ったファンタジー映画が映し出された。他を確認すると、通販とニュースくらいしかやっていない。とりあえず件のファンタジー映画にチャンネルを戻す。ちびちびと飲みながら見ていたけど、気が付けば視界が暗転していた。
懐かしい匂いがした。
人工芝じゃなくて、昔よく自主練していた河川敷の土手みたいな、生の草の匂い。風が気持ちいい。それと同時に瞼を貫通するような強い光を感じて、反射的に目を開いた。ものすごく澄んだ青空が見える。体を起こすと、ここはどこかの空き地の様だった。いつの間に外に出てたんだ。俺相当酔ってるな。
立ち上がると少しふらついた。草は踝くらいまでの長さだった。遠くに森と、その奥に山、逆方向には大きな壁のような物が見える。どことなく、あのファンタジー映画の景色に似ている。
急に子供の声が聞こえてきた。吸い寄せられるようにそっちに向かうと、5、6人の子供達が何やらはしゃいでいた。ドムっと聞き覚えのある音がする。ボールを蹴ってるようだ。そこでふと気付いた。微妙に何かがおかしい。
その子供達は妙にガッチリしていたり、耳が長く尖っていたり、腰から下が馬だったり、身体中が鱗で覆われていたりしていた。違和感を通り越して思考が止まる。……いやいやいや、現実的に考えてありえない。俺はそこで一つの結論に辿り着いた。現実的じゃないなら、これは夢だ。約10年ぶりに飲酒して、あんな非現実的な映画を見ていたから、こんなメルヘンチックな夢を見ているんだ。
夢と認識してしまえば一気に楽になった。それと同時に彼らが蹴っているボールに対する欲求がむくむくと湧いてきた。どうせ俺の夢の中なんだから、何をしようと自由じゃあないか。普通なら、大人気ないと思って絶対できない様なことをしていた。
その不思議な子供達の中に飛び込んで、ボール(と呼ぶにはちょっと不恰好な物体)を足元に収めようとしてみた。いざ輪に入ってみると、馬の下半身の子が思ったより大きくて驚いた。
180cmある俺より目線は低いが、確実に170cmはある。見た目通りに身体が強い。逆にガッチリした子は俺の腹くらいまでしかない。でも、意外なほどにすばしこいし、体の使い方も上手いからボールに足が届かない。耳の長い子は体の大きさは馬の子とガッチリした子の間くらいだったが、モデルみたいに華奢だ。フィジカルコンタクトに弱そうに見える。そう思って軽く体を当てようとすると、そもそも体を当てさせない。器用に身を翻すもんだから、逆に俺の方がバランスを崩して尻餅をついてしまった。ボールは全身鱗の子の足元へ転がっていく。二日酔いで重い体を無理矢理起こして、俺は鱗の子の方に足を向けた。するとその子は足の裏でボールを器用に転がして、俺の股を抜く。最高にカッコ悪いやつだ。これは大人の威厳にかけてボールをとらねば……と思って反転すると、すでに距離をとられて、ボールは再びガッチリした子の足元に戻っていた。あの子一歩でどこまで行ったんだ? 足元も器用だし、体幹も強い。
最初こそ、それぞれの子の特徴を分析していたが、気付けば俺は何も考えず、ただ夢中でボールを追っていた。代表でもなく、「じゃない方」でもなく、ただのスズキとして。背負うものもプレッシャーも何もない。久しぶりに味わう純粋な楽しさだった。
子供相手とは言え、1対5の状態はきつい。しかし、俺はついにボールを奪取した。そして、空間に勝手にゴールを見立ててシュートを放つ。もちろんゴールネットなんてないので、ボールはそのまま遠くに飛んでいってしまった。
「うわっ、ごめん!」
思わず大きな声が出てしまった。
不思議な子供達は一瞬キョトンとしていたが、何かに気付いたように大声で叫ぶ。ああ、何かこういう子供が出てくる映画あったよな。
「いや、え、これ夢……」
動揺する子供達はしきりに耳を押さえて何かを言っている。しかし言葉がわからない。俺の夢の中なのに。イタリア語のようなスペイン語のような……ドイツ語とはちょっと違う。
そうこうしているうちに、馬の子がどこからか角笛を出して思いっきり吹いた。その笛から出た音はブブゼラの10倍くらいうるさい。思わず耳を塞ぐ。もしかしてボールを遠くに蹴飛ばしたから怒ってるのか? そもそも何で俺こんな状況になってるんだ?そうか、夢だから早く起きないと! そう思って思いっきり頬をつねると、思いっきり痛かった。角笛が鳴り止んでも耳はキーンとなっていたが、遠くから馬の様な足音が聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます