帰宅/動揺


 「おお……ここが先輩の家ですか」

 

 そう言って月乃瀬は我が家のリビングを見渡した。

 見渡すといっても大して広くもない部屋だ。お姫様が二人住んでいるが、我が家は豪邸でもお屋敷でもお城でもなくごく普通の一軒家である。

 妙にキョロキョロする月乃瀬を落ち着かせキッチンに荷物を置いていると、何故か着いてきた月乃瀬が俺の横に立って少し上目遣いでこちらを見た。

 

 「お昼は先輩が作るって事前に聞いてはいましたけど、実際のところどれくらいの腕前ですか?」

 「どれくらいって言われても答えるの難しくない?」

 「むむ……確かに腕前はどれくらいかと聞かれたら答え方に困りますね……じゃあ得意料理が聞きたいです」

 「卵かけご飯」

 「あ、急に不安になってきました!」

 

 不安そうな月乃瀬を横目に冷蔵庫から卵を何個か取り出すと、月乃瀬は俺の顔と卵を交互に見て信じられないといった表情を作る。

 

 「ま、まさか得意料理の卵かけご飯を……? 買ってきた材料は何だったんですか!?」

 「あれは晩飯用。昼飯用の買い物とは言ってないし」

 「確かに『買い物行かなきゃなー』とは言ってましたけどお昼の買い出しとは一言も言ってないような……」

 「まあ嘘だけど。オムライスと適当にスープでも作るから」

 「…………」

 

 月乃瀬から感じるジトッとした視線を無視して準備をする。確かに軽い嘘はついたが勝手に卵かけご飯を作ると勘違いしたのは月乃瀬だ。

 あの流れで卵を取り出したのはわざとだが俺は悪くない。多分。

 

 「こっちはちゃんとやっとくから、月乃瀬は妹たちのこと見といてよ」

 

 月乃瀬は返事はせずに俺に視線を固定したまま、リビングへ戻っていった。最後までジト目だった。

 

 

 昼飯を済ませた後は双子や深月ちゃんと遊ぶことになっている。

 幼稚園でおままごとをしていた時、月乃瀬がタイミング悪く来たため中止になっていた犬の散歩という名のお馬さんごっこをやることになり、深月ちゃんがご機嫌な様子で俺の背に乗った。

 顔をあげると月乃瀬が俺を見てニヤニヤ笑っているのが見える。

 

 「後輩の目の前で馬になる気持ちはどうですか?」

 

 おそらく俺の羞恥心を煽りたいのだろうが、俺はもう吹っ切っているのでダメージは無い。

 

 「月乃瀬よ、俺はただ深月ちゃんと遊んでいるだけ……お馬さんごっこなんて幼児相手なら普通にやることだから恥ずかしくなんてないのだ!」

 「ま、まあ確かにそうですけど……前は動揺してたじゃないですか」

 「不意打ちで同じ学校の人に見られたら恥ずかしいし動揺もするって」

 「そうですか……恥ずかしがる姿を見てやろうと思ってたんですけど……残念です」

 「しゅうおにいちゃんくん、すすめー!」

 「わんわん!」

 「やっぱりちょっとは恥ずかしがったほうが良いですよ!?」

 

 そんなことがありながらも和やかな空気で時間は過ぎ、日も少し暮れてきたので月乃瀬と深月ちゃんは帰ることになった。

 幼児組はさよならすることに不服を申し立てることもなく、素直に帰宅を受け入れた。偉い子達である。

 

 「深月、忘れ物はない?」

 「うん」

 「よし! じゃあ帰ろっか。先輩、今日はありがとうございました」

 「こちらこそ」

 

 本当なら月乃瀬たちを送っていきたいところだが、双子に留守番させるのもどうかと思うし、また双子を引き連れて外に出るのにも躊躇いがあり結局そのまま家で見送ることにした。

 月乃瀬が立ち上がって深月ちゃんと手を繋ぐ。そして玄関に足を進めようとしたその時、ちょうどドアが開く音がした。

 鍵はかけていたはずなので、おそらくは母さんである。

 

 「先輩、誰か来ま──」

 「ただいま!」

 

 月乃瀬の言葉を遮って、母さんの明るい声が家に響いた。それに反応して双子が「おかえりー!」と言いながら玄関へと駆けていく。

 

 「ごめん、ウチの親が帰ってきたみたい」

 「そ、そそそ、そそそそそうですかー!」

 「え、なに壊れた?」

 

 すごく分かりやすく動揺している月乃瀬。考えてみれば最近知り合ったばかりの男の先輩の親なんて、出来るだけ避けたいと思うはずだ。

 俺が月乃瀬の立場だったら、正直少し面倒だなとすら思う。

 普段は休日出勤でももう少し帰りが遅いから完全に油断していた。もちろん母さんが悪いわけではない。

 

 「あら!」

 

 月乃瀬が動揺している内に母さんがリビングへとやって来て、驚きの声をあげる。

 

 「あ! えーっと……親……え?」

 

 動揺していた月乃瀬が今度は目を丸くして固まった。どうやら軽く混乱している様子。

 母さんを見た人はだいたい皆驚く。どう見ても高校生の息子がいる親には見えないからだ。

 実際、母さんは今年で二十九歳。普通は高校生の息子なんているはずがない歳である。

 しかも母さんは若く見られる方なのでより混乱するだろう。

 

 「お兄ちゃんただいま! そちらの可愛い子はお友達?」

 「おかえり。深月ちゃんの姉で後輩の月乃瀬……あー、名前なんだったっけ」

 「月乃瀬さん……?」

 

 母さんが首を傾げると、月乃瀬が混乱から立ち直り今度は目が泳ぎまくっている。なんとも忙しいやつだ。

 

 「あ、えっと、その……」

 「落ち着けって……流石に動揺しすぎでしょ」

 「そ、そうじゃなくて! いやそうだけどそうじゃなくて!」

 「何言ってんの?」

 

 首を傾げて何かを考えている母さん。動揺しすぎておかしくなってる月乃瀬。そんな二人を不思議そうに見る幼女。

 謎の空間である。

 

 「あーっと……わ、私そろそろ帰ります! お、お邪魔しました!」

 「えっ! ちょっ、月乃瀬! 深月ちゃん忘れてるぞ!」

 

 動揺のあまりいつの間にか離していた深月ちゃんの手を忘れたまま、月乃瀬は母さんの横を顔を伏せて足早に通り過ぎた。

 ぽかんとする深月ちゃん。妹を大事にしてそうだった月乃瀬がまさか深月ちゃんを忘れるほど動揺するとは。

 追いかけるために深月ちゃんを抱っこすると、抵抗なく受け入れてくれた。

 双子が羨ましそうに見てくるが今は心を鬼にして無視だ。

 

 「ちょっと出てくるから頼むね」

 「あ、うん! 行ってらっしゃい」

 

 母さんに双子を任せて家を出る。駅方面の道を見ると少し遠くに月乃瀬の背中があった。

 家を出てから走ったのだろう。

 

 「ちょっと揺れるけどごめんね」

 「だいじょうぶです!」

 

 深月ちゃんの許可が降りたので小走りで月乃瀬を追いかける。

 向こうはもう走っていなかったので、あっさりと距離を詰められた。

 

 「月乃瀬!」

 「せ、先輩……あ! ごめん深月!」

 

 俺の腕の中に収まる深月ちゃんを見て顔を青くする月乃瀬。自分がしでかしたことに気付いたようだ。

 

 「あのな……動揺したからって置き去りは無いでしょ」

 「本っ当にごめんなさい! 深月ごめんね……」

 「しゅうおにいちゃんくんのだっこたのしかったからだいじょうぶ」

 

 楽しそうに笑う深月ちゃん。どうやら置き去り事件はあまり気にしていない様子だ。

 

 「深月ちゃんを忘れていくとかどうしたの? ウチの親となんかあった?」

 「な、何も無いですよ!」

 「いやいや、あんなに動揺しといてそれは流石に無理があるから……まあ取り敢えず歩きながら話すか」

 

 深月ちゃん置き去り事件という許しがたい出来事は今後定期的にイジっていくとして、今は事件の原因を探るときだ。

 明らかに普通じゃない様子だった月乃瀬。母さんと過去に何かあったとしか思えなかった。

 俺の抱っこを気に入ったのか降りるどころか逆にしがみついてきた深月ちゃんをそのままに、肩を並べて歩く。

 

 少し生意気な後輩と思っていた月乃瀬が、今はなんだかか弱く見えた。

 

 

 

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