後輩女子の追想


 ──心の傷はまだ癒えてはいない。

 

 三年前のあの日、父の遺影を前に私は立ちつくしていた。

 父が交通事故で亡くなった。ほぼ即死だったらしい。

 幼すぎる妹を抱き、号泣する母。喪服の黒は遺族の内心を表すものなのだろうか、なんて変な事を考えている自分が嫌になる。

 

 不思議と涙は出なかった。骨となった父を見ても、涙で視界が滲むことすらない。

 

 「(周りから見たら、薄情な人間に映るのかな……)」

 

 父が嫌いだったわけではない。

 年の離れた妹ができた事と、私自身が反抗期に突入したことが重なって、なんとなく両親を避けていただけだ。

 

 「(そういえば、最後にお父さんと話したのはいつだっけ)」

 

 記憶を探ってみても思い出せない。

 一方的に話しかけられるのは何度もあったが、その内会話が成立していたのは極少数だったと思う。

 もっと話をしておけば良かったと、今さら後悔する。

 

 親の心、子知らず。

 親孝行、したい時には親はなし。

 

 私は、大馬鹿者だ。

 

 

 葬儀から一週間が経った頃、すっかり憔悴していた母が私と妹を抱きしめて言った。

 

 「あなたたちは、お母さんが守るからね」

 

 力強い言葉とは裏腹に、涙で腫れてしまっている母の目は弱々しく、私達を抱きしめる腕は力無く震えている。

 

 「(私がしっかりしなくちゃ)」

 

 父の死という最悪なきっかけをもって、私の反抗期は呆気なく終わりを告げたのだった。

 

 

 ☆

 

 

 私の通う中学校には、校内では誰もが知っている有名人がいた。有名人とはいっても、悪い意味でだ。

 私より一つ上の学年のその先輩は、毎日喧嘩に明け暮れ、喫煙飲酒は当たり前、ヤクザとも繋がりがあるなんて噂があった。

 あくまで、中学生が話す噂だ。信憑性の欠片もない。

 

 無断欠席も当たり前な先輩なので、学校に来ると嫌でも目立つ。

 だが目立つ要因は、滅多に出現しないレアキャラだからというだけではない。

 

 赤くメッシュが入った明るい茶髪に、左耳には重さで耳が千切れないのか心配になる量のピアス。そして、整った顔立ち。

 

 「あ、大友先輩が来てる」

 「やっぱカッコいいよね」

 「でもヤバい人なんでしょ?」

 

 私の友達も、先輩が学校に来ると遠巻きに眺めて先輩の話題で盛り上がっていた。

 ちょっと悪めの男に惹かれる年頃なので、噂が色々とある先輩でも色恋の対象になるらしい。

 私は二学期の初めから登校してきた先輩を見て、珍しいなと思う程度ですぐに興味を無くした。

 

 

 次の日、教室でクラスの友達と話していると、グループの一人が校門のほうを見て「お?」と声をあげた。

 その声につられて校門を見ると、またしても珍しい光景があり、思わず目を丸くする。

 

 「大友先輩、連日の登校だ」

 「珍しいねー」

 「遠目から見る分には目の保養になるからウェルカムだよ」

 

 友人たちの会話に、心の中で「確かに」と相槌をうつ。

 ただ珍しい事ではあるが、たまたま二日連続で登校する気分にでもなっただけだろうと思っていた。

 しかし、私の予想はどうやら外れていたらしい。

 

 次の日も、その次の日も、先輩は遅刻すらせず学校に現れる。

 一体何が起こっているのか。学校中の皆がそう思っていただろう。

 学年が違うので先輩が学校で何をしているかは知らなかったが、こうも毎日登校してくれば流石に噂になる。

 どうやら先輩は、教室で静かに授業を受けているようだ。

 

 授業を受けているとはいっても、ノートは取らず、頬杖をついて窓の外を眺めている時間が多いのだとか。

 その姿がとても絵になると、本人には聞こえないように女子が騒いでいるらしい。

 それに先輩にはこの学校にもちゃんと友達は居るようで、いつも男三人で何かを話しているという。

 

 意外だと思った。登校はしているが、授業はどこかでサボっているんだろうと思っていたのだ。

 先輩は何故、急に真面目に学校に来るようになったのだろうか。

 どういう心境の変化なのだろうか。

 

 「気になるなあ……」

 

 ぽつりと呟くと、友人たちがぎょっとした表情でこちらを見る。

 

 「え、なに?」

 

 私が聞くと、友人たちは顔を見合わせた。

 

 「だって……ねえ?」

 「星来が男子に興味を持つなんて珍しいねー」

 「やめときなって。大友先輩は観賞用でちょうど良いと思うよ、アタシは」

 

 友人たちの言葉に、私はため息を吐いて首を左右に振る。

 すぐに恋愛に結びつけようとするのは彼女ら三人の悪いクセだ。

 

 「いや、そういうのじゃないからね。ただ単に先輩が真面目になった理由が気になっただけ」

 

 私が否定すると、友人たちは「あ、そういうこと」と口を揃えて納得してくれた。

 いつも集まっているこの三人は、私が夏休みに父親を亡くしたのを知っている。

 恋愛なんてするような心の余裕は無いと分かってくれているのだろう。

 父の訃報を知っても、過度に気遣ったりせずいつも通り接してくれる友人たち。

 

 この友人たちと、家族がいればそれで良い。

 大友先輩のことは気になるが、真面目になった理由を知ったところで私には関係ないし、首を突っ込むつもりは無い。

 この時は、確かにそう思っていた。

 

 

 それを聞いたのは本当に偶然のことだった。

 ある日の帰り道。自宅近くを歩いていると、噂好きの奥様方が井戸端会議に花を咲かす場面に出くわしてしまう。

 父が亡くなった時に、それを話の種にされているのを耳にして以来、井戸端会議をしている人が少し苦手になった。

 仕方のないことかもしれないが、あまり良い気分でもない。奥様方の視線を受けながら足早に通り過ぎ、少し先の角を曲がり一息つく。

 

 「それにしても、月乃瀬さんの家も気の毒よねえ」

 

 すると奥様方は私が既に近くに居ないと思ったのか、なんと私の家族の話を始めたではないか。

 「またか……」と思いつつも、ついつい聞き耳を立ててしまった。

 

 「まだ下の子は小さいでしょう? これから大変でしょうに」

 「ほんとよねえ」

 

 何が「大変でしょうに」だ。よくこんな道端で中身のない薄っぺらい同情の言葉を吐けるなと思う。

 しかもまだ話は続くようだ。苛立ちはするが、何を言われているのかも気になる。

 私は息を殺して耳を傾けた。

 

 

 「そういえば月乃瀬さんと一緒に亡くなったあの──」

 「ああ、大友さんとこのお父さんね。あそこも小さい子供が居るでしょう? しかも上の子はとんでもない不良らしいわよ」

 「(え、大友……?)」

 

 不意に出た大友という名前に動揺する。

 当然、私の動揺など奥様方は知る由もなく話は続く。

 

 「不良だなんて怖いわねえ。奥さんは大丈夫なのかしら?」

 「どうかしら」

 「その不良だっていう上の子はいくつになるの?」

 「確か中学生だったはずよ? あら、そういえば月乃瀬さんのお子さんも確か中学生だったような……」

 「まあ! まさか同じ学校なの? それでトラブルにならないのかしら」

 「子どもは何も聞かされてないんじゃない? わざわざ言う必要も無いでしょうし──」

 

 私は駆け出した。話を最後まで聞くこともせず一目散に。

 流れる汗も拭わず、すれ違う人に好奇の目を向けられようとも構いもせず、全力で走った。

 

 家に着くとすぐに階段を駆け上がり、自室のドアを荒々しく閉めてその場にしゃがみ込む。

 自分の膝に顔を埋める。全身が熱を持っていた。

 

 「(大友先輩のお父さんが亡くなった? 私のお父さんと一緒に?)」

 

 身体中の熱さとは反対に、私の頭は冷静に情報を整理しようとしている。

 父を巻き込んだ交通事故はニュースにもなっていたらしいが、私はそれを見れなかった。

 ただ、父を含めて三人の死者が出たことは知っている。

 

 父の運転する車と大型車の正面衝突。大型車の逆走が原因。それが簡単な事故の内容だ。

 死者のうちの一人は父。

 そして父の車に同乗していた人と、相手側の車の運転手。

 

 「(どっちだ……?)」

 

 私の父と共に、大型車の暴走に巻き込まれた側の子供なのか。それとも──

 

 「お父さんを殺した相手の……!」

 

 冷静に考えたら後者の可能性は薄いだろう。

 だが、もしそうだったら私はどうする、どうしたい。

 夜になっても部屋から出てこない私を心配した母に呼ばれるまで、震える肩を抱いて暗い部屋で自問自答し続けた。

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