泡沫/家族
高月遥奈。女性。今年で二十三歳。
父と知り合ったのは二年前になると語った。
遥奈さんが父にひと目惚れし、猛アピールを開始。
父がシングルファザーだと知っても気持ちは変わらず、寧ろ支えてあげたいと思うようになったらしい。
根負けした父と交際を始めたが、父は頑なに俺には会わそうとしなかったとのこと。
「『この女性は父さんの彼女なんだ』って、秋護に紹介しても困るだけだろ」
「それはそうだけど……遠くから一目見るだけでもしたかったなあ」
「君は何を言ってるんだ……」
二人の会話を、俺はどんな顔で聞けば良いのだろうか。
つい先程ひと目惚れした女性と父の馴れ初めなど、面白い話では無い。
「旨い料理だ!」と聞かされていたレストランの料理も、全く味がしない。
それでも俺は、二人の話を聞きながら無心でナイフとフォークを操る。
もうすぐ、父は遥奈さんとの再婚話を切り出すだろう。それまでに、まずは感情を整理しなければならない。
味のしない肉と共に、この状況と感情も咀嚼する。
まず、最初に話を聞いた時から再婚に反対する気は無かった。
男手ひとつで俺を育ててくれたのだ。仕事をしながらも、学校行事などは欠かさずに参加してくれた。
常に俺を気にかけ、全力で愛情を注いでくれた父。
そんな大好きな父の再婚話を、どうして否定できようか。
ただ──
「秋護くん、美味しい?」
「あ、はい。とても……」
「そっか、良かったー! 安心したよ」
無邪気に俺へと笑いかける遥奈さん。
何故彼女の周りだけキラキラと輝いているのだろうか。初めての感覚。初めての感情。
整理の仕方が分からず、取り敢えず水を一口、喉へと流し込む。
冷たい水が、ふわふわと宙に浮いた感情を地面に押し戻した気がした。
「(この人が、俺の母親になる……?)」
理解はできるが、上手く呑み込めない。
これから遥奈さんが一緒に住むことになり、父との仲睦まじい姿を見ることになるのだろうか。そう考えたら、なんだか気分が悪くなる。
「秋護、少しいいか?」
「う、うん」
横の席に座る父に呼ばれ、反射的に返事をする。いつの間にか目の前の遥奈さんの席は空になっていた。
荷物は置いてあるから、お手洗いにでも行ったのだろう。
「秋護、その……どうだった?」
「どうだったって、料理のこと?」
惚けたのは時間を稼ぎたかったからだろうか。何故こんな無駄な足掻きをしたのか、自分でもよく分からなかった。
「いや、そうじゃなくてだな」
「ごめん、分かってるよ。お父さんの好きにすれば良いと思うよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、秋護はどう思ってるんだ? 思ってることを言ってほしいんだ」
「思ってることを……」
言えるわけがない。父と遥奈さんが結婚した姿を想像したら気分が悪くなるなんて。
俺は父に、幸せになって欲しいのだ。
俺は父が好きだ。大好きだ。だから、言えるわけがない。
「(──遥奈さんにひと目惚れしました、なんて)」
言えるわけがないのだ。
だから俺は、仮面を被って感情に蓋をした。良い子の仮面を被れば、余計なトラブルは生まれず、父の負担になることもない。
ここ数年で学んだ、処世術だった。
「良い人だと思う」
本心とは違う言葉が自然と溢れ出す。
「お父さんのことが大好きって伝わってきたし、お父さんも楽しそうだったじゃん」
意識せずとも笑顔を作れているのは、仮面を被ることに慣れたが故か。
「俺も母親がいるっていうのがどんな感じなのか知りたいし」
グラスに映る俺の笑顔が歪んで見えるのは、グラスの形状のせいか、それとも本当に俺の笑顔が歪んでいるのか。
「俺のことも、お父さんのことも幸せにしてくれそうだし」
と、そこで遥奈さんが席に戻ってくる姿が見える。
だから俺は、少し大きめの声で言った。
「──お父さんと結婚してほしいと思ってるよ!」
自分のいない間にそういう話をしているとは思わなかったのか、目を丸くした遥奈さんの顔を見て、俺は悪戯に笑う。
目を丸くした遥奈さんも、可愛かった。
☆
「しゅ……お……ん!」
「しゅーお……ちゃ……!」
誰かに呼ばれてる感覚。真っ暗な空間にひとり佇む俺に、その声は呼びかけ続ける。
周囲を見渡しても何も見えず、声だけが俺のもとに届いていた。
「おーい! おきて!」
「おきてー!」
ふと、足元が崩れた。身体が大きく揺れて俺はあっけなく落ちていく。
「(誰か……!)」
助けを求めて手を伸ばすと、突如、目の前に光が溢れる。そして光の中から幼子の手が二本、俺に向かって伸びてきた。
俺は必死でその手を掴む。すると、手の小ささからは想像もできないような力で引っ張り上げられた。
光が強くなって思わず瞼を強く閉じる。それでも俺を助けてくれた存在が誰なのか知りたくて、薄く目を開けるとそこには──
「あ! やっとおきた!」
「やっとおきたー!」
同じ顔の幼児が二人、俺の顔を覗き込んでいた。
「て、天使だ……」
思わず呟くと、二人は顔を見合わせて同時に首を傾げる。
「ねぼすけさんかな?」
「ねぼすけさんかも!」
天使曰く、どうやら俺はねぼすけさんらしい。確かに寝起きの気怠さを感じるし、頭もうまく働いていない。
ベッドから身体を起こし窓の外を見ると、空は茜色に染まっていた。
そういえば今日は始業式があって、午前中に学校が終わったから、帰ってゴロゴロしていたなと思い出す。
いつの間にか眠ってしまったようだ。
思い出すと、意識がはっきりとしてきた。
「なんであんな夢を見たんだろうなあ」
呟いて、大きく背伸び。二人が真似して一緒に背伸びをした。
「しゅうおにいちゃん、どんなゆめをみたの?」
キラキラと目を輝かせて聞いてくる天使。
最近見た夢は、蛇口を捻ったら生クリームが出てきて美味しかった夢らしい。可愛い。
「秋菜達のお兄ちゃんになる前の夢かな」
「しゅーおにいちゃん、あきほのおにいちゃんじゃなかったの?」
純粋な瞳を向けて聞いてくる、もう一人の天使。
最近見た夢は、蛇口を捻ったらチョコレートが出てきて美味しかった夢らしい。可愛い。
「お兄ちゃんは秋穂のお兄ちゃんだけど、秋穂が生まれる前はお兄ちゃんじゃなかったよー」
「んー、いみわかんない!」
「わかんない!」
揃って首を傾げる秋菜と秋穂。秋菜の言ったことを、秋穂が追従するというのが姉妹のお決まりパターンだ。
二人の顔はそっくりなんてレベルでは無い。ほぼ同じ顔だ。それもそのはず、二人は双子なのだ。
くりくりのお目々に、ふっくらとしたほっぺた。幼児らしい特徴はそのままに、顔は親の良いところを引き継いでいるせいか、贔屓目抜きに可愛らしい。
髪型もお揃いのショートボブ。揃いの服を着て、揃いの笑顔を見せる。
ほぼ同一人物みたいな見た目の姉妹だが、誰にでも簡単に見分けられるようになる特徴がある。
姉の秋菜には無いが、妹の秋穂の左目付近には、小さな泣きぼくろがあるのだ。
俺レベルの妹マスターならば、そこを見ずとも簡単に見分けられるのだが。甘く見られても困る。
「しゅうおにいちゃん、あそぼ!」
「あそぼー!」
「わかった、わかったから引っ張らないで!」
双子に手を引かれ、自室を出た。
「ゆっくり降りろよー」
「はーい!」
「はーい!」
双子を支えながら、慎重に階段を降りる。
夕飯の準備が進んでいるのだろう、階段を降りるにつれ、カレーの匂いが鼻腔をくすぐる。
昔の夢を見たばかりだから、何だか懐かしい気分になった。
双子に連れられ歩く。どうやらキッチンに向かうようだ。
近づくにつれて、カレーの匂いが強くなる。双子と一緒にキッチンを覗くと、タブレットを操作しながら独り言を呟く人の姿があった。
「隠し味って結局なにを入れれば良いの!? 双子ちゃんがいるし、コーヒーは良くないよねえ……」
その姿が、先程夢に出た父に被って見えた。
「父さ──」
「ままー! しゅうおにいちゃんねてた!」
「しゅーおにいちゃんねてた! おきた!」
思わず出た言葉は双子にかき消されたが、かき消されて助かった。
父はもう居ないのだ。
双子の声に反応し、料理中の人がこちらを見る。
「あ! おはよう、お兄ちゃん」
その笑顔は、夢に出てきた昔のまま。
「帰ってきてたんだ」
「うん、ごめんね。お兄ちゃん寝てるかもだからって言ったんだけど……」
「大丈夫、起こしてくれて助かったから」
夢の続きを見ずに済んだから。
「そっか、良かった!」
彼女の名は
秋菜と秋穂の生みの親であり──
「おはよ、母さん」
俺の母さんだ。
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