追憶/初対面
初恋。
時期に差はあれど、経験したことが無い人など居ないだろう。誰しもが大なり小なり、淡い恋心を心の内に秘める年頃があるのでは無かろうか。
男女意識が希薄な年齢でも、親しい異性の友人や、幼稚園、小学校の先生に憧れを抱く人は少なくはないはずだ。
初恋を経験した時期の平均年齢がいったいどれくらいなのかは知らないが、俺の場合は十一歳の頃だった。
男女の性差を意識し始め、段々と大人びてくるお年頃。進んでる人であれば、好きな人に告白して付き合う子も出てくる時期である。
そんな中、俺はどちらかというと女子とは積極的には絡まないタイプだったと思う。
普通に喋るくらいはするが、特定の女子と仲良しと呼べるほど深い関係は築いていなかった。ざっくり言えば、八方美人なタイプだったのだ。
だからだろうか、俺の初恋は同級生の女子相手にだなんて甘酸っぱいモノでは無い。
あまりにも特殊で、苦く、苦しい初恋。
その恋は病となって俺の心を蝕み、病魔に侵された俺は全てを投げ捨て逃げ出した。
☆
小学五年生になって、ニヶ月が経った梅雨の日の出来事。
夕飯の席で父は言った。
「会ってほしい人がいる」
それを聞いた俺は、何故父がこうも緊張して言っているのか分からず首を傾げた。
父は言葉を続ける。
「父さんな、再婚しようと思ってるんだ」
「再婚?」
「そうだ」
「お母さんができるってこと?」
「ああ。一度会ってみてくれないか? 会ってみて、それで秋護が嫌なら正直に言ってほしいんだ」
急に母親ができるかもしれないと聞かされても、いまいちピンとこない。
その場は取り敢えず曖昧な笑顔で「わかった」と答えたが、その後の話は耳に入ってこず、無心で箸を進めた。
父のホッとした表情だけは、はっきりと記憶に残っている。
父の再婚相手と会う予定の日まで、一人で考え込む時間が増えた。
父との二人暮しが当たり前な俺にとっては、母親ができるかもしれないというのは、あまりにもインパクトのある話なのだ。
母親が居るとはどういう感じなのだろうか。
そもそも父の再婚相手を母と思えるのだろうか。
様々な疑問が浮かんで、混ざって、渦巻く。
こんな重い話題を打ち明ける事ができる友人など、小学生の俺には居るはずも無い。
結局心の内を誰にも明かすことはせず、ただ漠然とした不安が、俺を浮き足立たせていた。
会ってほしい人がいると言われて、約一ヶ月後。
待望の夏休みに突入し、暑さが本格化してきたある日のこと。
特に予定も無く、リビングでだらだらしていた俺に、父が声をかけてきた。
「秋護、突然で悪いが……今日、会ってくれないか?」
「え、会ってくれって再婚相手にだよね。いきなりだね」
「すまん。本当は来週の予定だったんだが、仕事が入ってなあ……向こうも今日で構わないって言ってるから、突然だけど良いか?」
「良いけど、ウチん家に来るの?」
「いや、レストランを予約してあるから、そこでメシでも食いながらだな」
「わかった」
俺の返事を聞いた父は、スマホを片手に寝室へ引っ込んだ。了承が取れたと相手に連絡でもするのだろう。
澄まし顔で受け答えをしたが、突然の予定に動揺した俺の心臓はうるさく跳ねまわっていた。
それから夜になるまでのことは、あまり覚えていない。
ただ一つ言えるのは、心の準備は全くできていないということだ。
良い子であるよう心掛けてる俺は、表情を取り繕うのには長けていたと思う。
多少イヤなことがあろうが顔には出さず、仮面を被ってやり過ごす。
仮面を被っておけばトラブルに巻き込まれる可能性も減るから、父に余計な負担がかかることも無い。
小学生でも、相手にイヤな顔をせず理性的に対応すれば、トラブルは回避できるものである。
事実として、友人と多少の言い合いはあっても、本格的な喧嘩に発展したことは無かった。
そんな俺だから、父の再婚相手に会うとなっても上手く取り繕えていたはずだ。
もちろん、本当は吐きそうなくらいド緊張しているが、鏡を見ていつも通りの表情ができているのを確認した。
「秋護ー! そろそろ行くぞー」
父の呼びかけに応えて自室を出る。
並んで家を出て、エレベーターに乗り一階へ降りる。駐車場へ足を進めながら、なんとなく振り返って自分の家を見上げた。
新しくもないが、古すぎもしない、ごく普通の賃貸マンション。二人で過ごした家。
「秋護ー? どうした?」
父に呼ばれてふと我に返る。知らず知らずの内に足が止まっていたらしい。
「どうもしない!」
「? そうか?」
駆け足で車にむかい、黒のワンボックスカーに乗り込む。シートベルトをしながら空を見上げた。
どんよりとした曇り空。すぐにでも雨が降り出しそうだ。
「昼間は晴れてたのになあ。まあ、レストランは室内だし大丈夫か」
「どんな料理が出る店?」
「旨い料理だ!」
曇り空とは裏腹に、父のテンションは妙に高かった。
車を走らせること数十分。家を出たときはまだ明るさが残っていたが、すっかり日は落ち完全な夜が訪れた。
運転中、ラジオから流れるヒップホップを、妙に格好つけながら歌う父。こんな時でも全力である。
ヒップホップ、ヘヴィメタル、演歌とバラエティに富んだラインナップを全て歌い切った頃、目的地となるレストランが見えてきた。
近くの駐車場に車を停めて、並んで歩き出す。先程のテンションは何処へいったのか、父は緊張を隠しきれず、表情が硬い。
「大丈夫だよ」
何故か自然と口が動いた。何に対しての『大丈夫』なのか、自分でも分からぬまま。
そんな俺に目を丸くした父が、少し間をおいて微笑む。
「ありがとな」
礼を言った父を見て、笑顔を作る。心が満たされていく気がした。
多分俺は『良い子』を演じている自分に酔っていたのだ。緩まった父の顔を見て、上手くやれたと自己満足に浸っていた。
本当は自分自身が不安で仕方ないのに。
相手はどんな人だろうか。
上手くやっていけるのだろうか。
これから、俺たち家族はどうなるのだろうか。
この期に及んで自身の心情を吐露することなく、息を吐くように仮面を被る自分が少し嫌いになった。
☆
「はじめまして、秋護くん」
この感情はなんなのだろうか。
「わあ!
「は、遥奈……いきなりそんな事言われても秋護が困るだろう」
縫い付けられたかのように、目の前の女性から目を離せない。
「あ! ご、ごめんなさい秋護くん」
肩口まで伸ばした黒髪は、美しい光沢を帯びている。
優しげな雰囲気はタレ目がちであるが故か。瞳は煌々と輝き、こちらを捉えて離さない。
透き通るように白く、ハリのある肌が彼女の若さを暗に示していた。
艶々と潤いのある声はとても心地よく響き、形の良い唇はにこやかに弧を描いている。
「
自己紹介して、一礼する。その美しい所作にも目を奪われた。
「秋護くん?」
「秋護? どうした?」
こちらも挨拶をしなければ。
そう思っても動けずにいた。
自信のあった『良い子』の仮面は上手く被れず、ただ呆然と立ちつくす。
「しゅ、秋護くん? ごめんなさい! いきなり変なこと言っちゃって!」
「秋護、どうしたんだよ」
「圭吾さん、私もしかして失敗しちゃいましたか……」
オロオロとする父に、困ったように苦笑いを浮かべる彼女。
その笑みすらも愛らしく、心臓がきゅっと締め付けられた。
「! あ、えっと」
心臓が締め付けられた感覚で、我に返る。
「
名前を言った俺に安心したのか、満面の笑みを浮かべる彼女。
直視できずに、目を背けた。
「よ、良かった……改めてよろしくね、秋護くん」
──ひと目惚れだった。
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