16‐彼と彼女のアンコール
そこにはありとあらゆる音が飽和している。
ボーカルの歌声。ギターの旋律。ドラムの打音。それらを繋げるベースの地鳴り。
そして聴衆の歓声。
煌びやかなレーザーが躍る中、沸き立つような熱狂の真ん中で、俺ひとりが冷め切っている。
もともと演奏中に客席を眺める余裕はあまりないけど、俺の神経はいつにもまして指先に集中していた。
彼女が長いと言ってくれた指。こんな骸骨みたいな手の何が魅力なのか俺にはさっぱりわからないけど、これを見つめるあの子の瞳はいつもきらきら輝いてた。
眩しいスポットライトとは違う。心地いい、春の日向みたいな温かい眼。
……なんて、些細なことからまた彼女を思い出して、それを振り切るためにギターと走る。
こんな情けない心臓なんて止まっちまえばいいのに、とか自棄っぱちな思考がよぎっては。
いや今行っても追い返されるし、きっと怒られるだろ、とねじくれた諦観が落ちる。
なら何年後ならいいんだよ。聞けばよかった。どれくらい経ったら会いにいっていいかって。
聞かなくてもなんとなく想像はつくけどさ。
たぶん最初は真剣に怒って、そのあとふてくされたように言うんじゃないかな。五十年とか六十年とか、妙に具体的な数字を。
五十年も待てるかよ。
そんなに経ったらきっともう生まれ変わっちゃってるだろ。
『次、お待ちかねの新曲でーす! ……あーはいはい、超盛り上がってくれてるとこ悪いけど一旦落ち着いてもらっていっすかー、雰囲気作らせてー!』
『おめーらスマホの充電足りてるかー!?』
騒がしい、もとい盛り上げ上手なボーカルとベーシストが観客に指示を出す。
次の曲では歓声控えめにして、スマホのライトを点けてほしい、と。
ユウロが照明に向けて手を振ると、明度が下げられる。薄暗さを増した会場内に、白い光だけがぽつぽつと灯っていく。
まるで、あれだ、川に提灯みたいなの流すやつ。ええと、あの、……そうだ、精霊流し。
実際に見に行ったことないから正しくないかもしれないけど、とにかく俺はこの光景にそういう印象を受けた。
なにせこれから演奏するのは死者のための曲、弔いの歌だから。
ユウロが俺に目配せをした。……この歌はギターソロから始まる。
イントロが増えたし、アレンジもした。なんなら歌う人間も違うし、ベースやドラムが入って雰囲気もかなり変わった。
それなのに歌詞だけがそのまま使われている。それがこの曲の骨だからとユウロが主張した。
そのユウロが俺のギターに合わせて静かに歌い始める。
さっきまでクサいロックをがなりたてていたのとはぜんぜん違う、恋人に語り掛けるような、優しくて少し掠れた声で。
そこに、雨が降り始めたような調子でドラムが混ざる。
沈むようなベースの重低音が道を作る。
ギターは、喩えるならなんだろう。……ああ、桜の花びらを運んだ風かもしれない。
目の前には観客の作った光の川が揺らめいている。
サイリウムよりも明るくて
『……バカみたいな……夢を……』
消え入りそうな涙声で歌い切ったユウロが俯く。
続いてドラムとベースが消えて、歌と同じく取り残された俺は、光揺らめく会場を見渡した。
ここに彼女はいない。だけどもしかしたら天国でも聞こえてるかもしれない。
最後も、イントロと同じコードで構成されたギターのソロ。
まだ男の中では夢想が終わっていないから、彼の――俺の中では最初の音が何度でも繰り返されている。
そして音が途切れないうちに、会場は羽ばたきのような拍手に埋め尽くされた。
・・・・・*
「お疲れさまです!」
「めっちゃ楽しかったですー」
「あ、また来てくれたんだ! ありがとなー」
出待ちしていた女の子たちの明るい声に労われながら、俺たちは会場のあるビルを出た。
直接言われてるのはユウロやカリくん中心だけど、そういう言葉が聞こえるだけでも多少なりと癒される。疲れきってるから余計にだ。
いつか会った泣きボクロのショートアッシュちゃんもいて、お疲れさま、と俺に笑いかけてくれた。
それに対して、ありがとね、と手を振るのが今の俺の精一杯。
感謝はしてる。ほんとそれだけは忘れちゃいけないと思う。
タイミングが悪くて上手く好意に応えられない日があったとしても、きみらに支えられてることはちゃんとわかってる。
わかってる、けど。
でも俺が今いちばん会いたいのは。
絶対に逢えないってわかっていても、バカな期待をやめられないのは――。
「――ほら
「で、でも……」
ふと耳に入ってきた会話にぴたりと足が止まる。
今、なんて言った?
連れをなんて呼んだ?
ごう、って言わなかったか?
返事をしたのは明らかに男の声じゃない。
そんな名前の女の子が他にいるか? しかもこんなところに。
思わず振り向いた俺の視界にふたりの女の子の姿が映る。
ひとりはよく知ってる顔、ユウロと個人的にそういう意味でも親しくしてる子だ。たまに裏方としてボランティアしてくれることもある。
その、隣は。
長い黒髪をふたつに結んで、顔もメイクで記憶にあるより少し大人びているけど。
服も清楚系白一色じゃなくてちょっとゴスロリ要素の入ったワンピースだけど。
そして何より、透けてないけど。
どうして、なんで、どういうことだよ、ありとあらゆる疑問符が脳内に溢れて簡単にキャパを超える。
頭が真っ白になる。世界から音が消える。
背景もぜんぶバグったみたいに見えなくなって、何もない空間に俺と彼女のふたりきり。
俺と眼が合ったのに気づいた彼女は、ちょっとバツが悪そうに苦笑して言った。
「……ごめんなさい、生きてた」
――気づけば俺は駆け寄って、彼女を抱き締めていた。
「えっ!? 何なになに!? どーいうこと!?」
「……おおっ!?」
周りの声なんて聞こえない。
「ちょ、ちょっとイオ、他の人が見てるよ……!」
きみの声すら心地いいBGMでしかない。
俺が理解できたのは腕の中にたしかに女の子の感触があるってこと。柔らかくて温かくていい匂いがして、そこに、現世に俺の彼女が存在してるってこと。
それしかわからない。でもいいだろ。
だって俺はこのとき、たとえ自分が殺されても気づかなかっただろうってくらい、嬉しかったんだからさ。
・・・・・*
その日はガンちゃんに無理矢理引き剥がされ、後日改めて事情を聞いた。
ごうちゃんの三つ目の嘘……というわけではなくて、単に勘違いしていただけらしい。
つまりは自分が死んでいると思い込んでいた。
そしてそれも無理はないと思える程度には、彼女はほんとに死にかかっていたのだ。
言われてその場で検索したところ、一ヶ月以上前の日付で見つかった。女子高生が川に転落したという事故の小さなニュース記事が。
奇跡的に通りがかった中にプロの救助隊員がいたとかでめちゃくちゃ適切な応急措置が行われたのと、とくに寒い日で水温が低かったのが上手く働いて、現在はほとんど後遺症もなく生活しているそうだ。
……水が冷たいほうが生存率上がるんだ、初めて知ったわ。
しかし病院に担ぎ込まれてから、ごうちゃんはずっと昏睡状態だった。
なぜならその間、魂が俺のとこに来てたわけだから。
「けっこうギリギリだったみたい。あとちょっと遅れてたら植物人間になってたかもって」
「こっわ……でもよく戻れたね、天国から呼ばれてたんでしょ? それともそれが生き返れる道だった?」
「ううん。私そっちには行ってなくて……」
ごうちゃん改め后ちゃんは、そこでちょっと恥ずかしそうな顔をしながら言葉を途切らせた。
細い指先がティーカップの縁を撫でている。
ちなみにここは一般的かつリーズナブルなファミレスである。
「あのね……私、川に飛び込んだのもヤケクソだったし、正直死んじゃっても別にいいや、くらいの気持ちだったのね。幽霊みたいになったのも、イオに会える口実ができたとしか思ってなかった」
「……ちょっと待って飛び込んだって何!? 事故だったんだよね!?」
「うん。でも、欄干に登ったのは自分だもん。ちょっとバランス崩したら落ちるってことも、そうなったら死ぬ可能性のほうが高いことも、わかってた」
何があったのかと聞けば、別に何もないんだけど、と。
「まあ親とか学校とかね、色々積もってたの。とくに今年は受験だしね。
でも真剣に死にたいって思うくらい辛いことがあったわけじゃないんだ。それこそ世の中には私よりずっと辛くて苦しんでる人なんてたくさんいると思うから、そういう人たちに比べたら、私なんて何にも苦労してないよ。
だけどなんていうのかな」
――私って、何のために生きてるんだろって、思ってたの。
后ちゃんは水滴を垂らすような声でそう呟いた。
わかる気がする、と俺は思った。
もちろん彼女とはぜんぜん環境も立場も歳も性別も違う、要素は何も被ってないけど。
俺は今まで、自分は何も持ってないと思って生きてきた。
くだらない動機で始めた音楽を、その最初の浅い野望すら果たせず、まして才能なんかないのはとっくに知ってるのに、辞める理由がないから続けてる。
他の真剣にやってるバンドマンから見たら噴飯ものだろう。たぶん俺は彼らほど音楽を愛してない。
人生も同じだ。
死ぬ理由がなかったから死ななかっただけで、生きるに値する存在意義もない。
俺はずっと、惰性で生きてた。
→
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます