08‐幽霊とミーティング

 朝飯のあと、俺とゴーちゃんは市内の貸しスタジオに向かった。

 そう。今日はユピテルのメンバーと練習兼打ち合わせがあるため、シフトを入れていないのだ。


 朝それを伝えたときから今にいたるまで、なんでかゴーちゃんはそわそわしている。

 ……俺のファンなんだよね? 名前も覚えてないくらい他の面子には興味ないんだよね? そういう設定だったよね?

 と、ちょっとモヤっとしている心の狭い俺は、だからついつい乱暴にスタジオのドアを開けた。


「っはよーう」


 もう朝というより昼だけど、なんでか俺はこいつらと会うときはいつもおはようって言ってる。


「よ。生きてたな」

「毎回それ言ってんな。生きてたよ」

「おめーにしか言わねーけどな」

「どういう意味だよ。……あれ今日ガンちゃん休み?」

「いや遅れるって連絡あったろ、SNS見ろ」

「んあ、ほんとだ」


 だいたいこれが俺との毎度お決まりのやりとりになっているのが、ベーシストのカリ。

 ガンちゃんってのはドラマー。うちのリーダー。

 残るボーカルが、俺をこのバンドに引き入れたユウロとかいう頭おかしい人。


「よっすー、イオ。生きてたな」

「おまえもか。なんでおまえらの中で俺ってすぐ死にそう設定なの? そんな要素なくない?」

「逆に今生きてることのが不思議なくらいやべー生活してる奴が何言ってんだか」

「それな。おまえマジでシフト減らせよ。人間寝ないと死ぬぞマジで」

「マジマジうっせー」


 はいこの、マジマジうっせー顔だけ整ってる人がボーカルです。俺たちは基本こういうバカな会話しかしない。真面目なガンちゃん抜きだと余計に。

 唯一のツッコミ要員が不在なまま、俺たちはぐだぐだと今後の予定やらなんやらの確認をした。


 ありがたいことに次のライブの予定が立っている。つまりガンちゃんが会場ハコを押さえることに成功したので、そうなったら今度は中身を決めなきゃいけない。曲のセットリストとか。

 そんでもってそんなに準備にかける時間がないのに、ボーカルあたおかのユウロくんが新曲をご所望してきた。

 マジでそういうとこだぞ。おまえ自分が作らないくせに無茶ぶりの申し子かよ。


 ちなみにユウロが俺をメンバーに呼んだ理由ってのがね、「無茶言ってもだいたいいっつもどうにかしてくれるとこが好きよ♥」だそうで。ぶっ飛ばすぞ。

 事実だいたいいつもどうにかしてやる俺も俺だけどな。甘やかしすぎてるわ。


 ちなみにゴーちゃんは俺らの周りをふわふわ漂いながら、アホな会話に笑ったり予定表を覗き込んだりしている。そしてユウロもカリくんも気づいていない。


「……え、何、イオなんで俺を見つめてんの」

「バカなの?」


 おまえじゃねーわ、おまえの背後のかわいこちゃんだよ。


 ちなみにここで、なんでおまえらオフなのに芸名で呼び合ってるの、という疑問を持たれた方もいるかと思う。

 これは俺たちの独自ルールで、バンドの用事で集まるときは本名で呼ばないことになっている。プライベートで会ったときはそうじゃない。

 なんかそうしたほうが頭の切り替えができるというか、せめて何かそういうスイッチがないとおまえらマジでダメダメだから……、という我らがガンちゃん氏の苦肉の策だったりする。


 芸名といえば、ゴーちゃんもある意味そうだよね。幽霊としての名前。


 まあそんなアホな俺たちも、楽器を持てば話は別だ。途端にそれぞれの役割を思い出したように、揃って全員が真面目な顔になる。

 ドラムがいないので不完全ながら、やはり顔を合わせたら音も合わせずにはいられない。


 俺たちの空気が変わると、ゴーちゃんの姿勢も変わった。

 三人揃ってるのに、たしかに彼女が見つめているのは他でもないこの俺で、ひとまずそれが疑いようのない目の前の事実で、それが照れくさいやら嬉しいやら。

 ……これ良くないな。ゴーちゃんかわいさに集中できないおそれがある、俺が。それはきっと彼女も喜ばない。


 俺は心を鬼にして、敢えてゴーちゃんを視界から外した。

 ギターのことだけ考える。こいつはよくギタリストの恋人って呼ばれるけど、俺はちょっと違くて、どちらかというとギターこそが真の存在だ。ギターに触れると、俺は付属品の演奏用パーツになる。



 ……一曲合わせてから、さっきまで放ってた美声と同じ声帯から出したとは思えない声でユウロが言った。いつも思うけどおまえの喉どうなってんだ。


「やっぱコーラスだわ。絶対あったほうがいいってマジで」

「だってよイオ」

「えー俺?」

「おまえしかいないでしょ。カリくんはラッパーっすよ」


 そうっすけど。でもそれ固定なわけではなくね?

 どうしようかなぁと思った俺の視界に、ユウロとカリくんの間らへんでうんうん頷いているゴーちゃんが飛び込んできた。


「……わかったわ。じゃBメロからやろ」

「へっ? ……いつになく素直だな」

「あのヤダヤダだってのイオくんが……!」

「うっせー、やらんぞ。あと俺そんなヤダヤダ言った覚えねぇから事実捏造して変なあだ名作んな」


 とくに今はそこに部外者いるから。おまえらには見えてないけど。

 ゴーちゃんに変な誤解されたらどうしてくれんだ。


 もうほんとガンちゃんがいないと俺がいじられキャラと化してしまうの、どうにかしてほしい。

 たぶん自力ではどうにもならない。頼むからガンちゃん早く来て。


 そんな俺の祈りが天に通じたのか、もう一度合わせようとしたところでドアが開いた。


「遅れてすまん」

「ガンちゃーん! はよすー」

「おはよー」

「よー」


 途端に沸き立つ俺たち。ガンちゃんがいないとダメなグループであると全員理解しているので、みんな彼にはフルスロットルで懐いている。


 このヒゲ面ガチムチ男はこんななりして妻子持ちで、奥さんマジで見る目あるなって思うね。

 ちなみに今回遅れたのも娘ちゃんの用事らしい。たしか幼稚園の説明会だったか、そういうのも嫁任せにしないとこがガンちゃんらしい。


 ユウロとカリは彼を見習うべき。ちょっと顔がいいからって彼女ころころ変えるとかうらや……じゃねえ人として正しくないと思いますです。

 俺? それ以前の問題ですけど何か?


 まあでもほら今は期間限定のシースルーな彼女がいますけどね!

 お触り不可のね! 白状するわ触りてぇよ!


 ひとり脳内でもにゃもにゃ唸ってる俺はともかく、ユウロと比べたらまともなカリくんがここまでの流れをガンちゃんに説明してくれた。

 ガンちゃんは呆れ顔だ。なんでかって、俺たちは彼が不在だとセトリとかの楽しいことしか決められないから、公演にかかるもろもろの費用や人間の手配とか、そのへんの面倒ごとは放置してあったから。


「そんなことだろうと思ってたよ。まあいい、合わせんの途中だろ、続けな」


 おっとこまえ。

 お言葉に甘えて俺たちはふたたびポジションをとる。


 ところでガンちゃんが来た途端、ゴーちゃんがそそくさと部屋の隅っこに行ってしまったのが少し気になる。というかその光景、幽霊っぽさが増す。

 ゴーちゃんだって知ってるから怖くないけど。


 もしかしてガンちゃんが怖いんだろうか。

 たしかに強面でムキムキのゴリラだけど、中身はこの場の誰よりイケメンだよ。人間としてまともだよ。


 ……おっと。集中。



 その後もこれといって変わったことはなく、いつもどおりのノリと密度でミーティングが終わった。

 なんだろうね。イタズラっ子の幽霊がいるはずなのに何もトラブルなしって、助かってるはずなのに謎の肩透かし感がある。

 怪談でよくある、幽霊が近くにいると電気系統がおかしくなる的なやつもなかった。


 あ、そろそろバレてそうだけど俺わりと怖い話好きなの。

 夏になると心霊特番とか絶対見ちゃうタイプ。


 とにかくずっとゴーちゃんが大人しくて、なんかちょっと物足りない俺だった。あと今日ぜんぜん彼女と話せてないし。

 そんなにガンちゃんの威圧感が強いのか。ガンちゃんはうちの守護神か何かか。


 とりあえずトイレ寄ってから帰ろうと思ってスタジオの廊下に出たら、なぜかガンちゃんが追いかけてきた。

 ちなみにゴーちゃんはいない。中で待ってる。


「イオ、ちょっといいか」

「うん? ……え、な、何?」


 ただでさえ厳ついガンちゃんが険しい表情だったので、さすがに俺もちょっとビビった。

 俺なんかしちゃいましたか? してませんよね?


 ガンちゃんは俺の肩に手を置いて、静かに言う。


「……いいか、俺はおまえを信用してる。してるけど一応念のために訊く」

「え、え、ほんとに何」

「最近……ここ一、二ヶ月くらいの間に、おまえ、女泣かせたりしなかったか?」


 まっさかー、ないない。――いつもの俺ならそう即答するところだったが、一瞬固まってしまった。

 この前モールで会ったオフショルちゃんのことを思い出したからだ。


 ゴーちゃんの見立てが正しければ、あのオフショル着てた泣きボクロのアッシュ髪の子(ごめん名前知ってるはずなんだけどド忘れ)は、俺に好意を持ってるらしい。

 その彼女が勇気を出して誘ってくれたのに、俺は「女の子に会うから」と断った。ふつうに考えて傷ついただろう。

 泣いたかどうかはわかんないけど。


 とはいえ今の俺にはゴーちゃんがいるし、あの判断は今でも自信を持って正しいと言える。

 あと同時に複数の女の子を相手にするとか無理。誠実ぶってるわけじゃなくて、俺にそんな技術ないって意味で。


「……してないと思うけど、なんで?」


 変に間が空いてしまったが、とりあえずそう答えた。

 そもそもガンちゃんの意図がわからん。俺にそんなん聞いてどーすんの。


 するとガンちゃんは真面目な顔をして、


「笑わないで聞けよ。……スタジオに半透明の女がいるんだよ。そいつがおまえを見てた」


 と言った。


 ……ゴーちゃん。ついに見える人いたよ。



 →

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る