She has to go without me
これは、あくまでも友人の話である。
その友人には――幼いころから気になる女の子がいた。
その友人(以降、仮にSたけ君とする)は近所の幼馴染の子(こちらは
Sたけ君と近子ちゃんは同い年で家も近かったため一緒に遊ぶことも多く、周囲からは「お似合いだ」「将来の夫婦」などと囃し立てられていた。そしてSたけ君もまんざらではなかったそうだ。
そして二人が小学校に入学すると、運命かそれとも田舎特有のクラスの少なさゆえか――六年間を同じクラスで過ごした。ちなみに僕も同じクラスだったので、二人の関係は間近で見ていた。
傍から見ていても――小学校のあいだ、Sたけ君は近子ちゃんにいいところを見せようと本当によく頑張っていた。
自分の好きな本を、図書館から借りてきて勧めてみたり。
人前に出るのが苦手なのに、運動会で応援団長をしてみたり。
学芸会で主役に立候補してみたり。
ありとあらゆる方法で、近子ちゃんの視界に自分を収めようと一生懸命だった。
そんなSたけ君の想いはきちんと近子ちゃんに伝わっていたようで――二人はいつも仲良く登下校していた。朝が苦手なSたけ君を家まで迎えに来てくれるのは、いつも近子ちゃんだった。
ただ、そんな二人だからか、お互いがその想いを口にすることはなかったようだったし――その必要もないようだった。
「ねぇねぇ、近子ちゃんは――Sたけ君と両想いだよね?」
「いつになったら二人は付き合うの?」
マセた同級生が時たま口にする質問に、近子ちゃんは顔を赤らめながら答えることもあった。
「きっとずっと――一緒だよ」
そして僕たち男子は、きゃいきゃい黄色い嬌声をあげて騒ぐ女子を遠目に眺めて、
「また始まったぞ」
「いつもいつも、何がそんなおもしれーのかな」
「どーせ恋バナだよ、恋バナ」
「女子って恋バナ好きだよなぁ――俺はチョコバナナのほうが好きだけど」
「誰もお前の好みなんか聞いてねぇよ。なあ、Sたけ?」
「う、うん――」
などと、白い目で見るだけだった。Sたけ君を除いて。
*
時は流れて。
Sたけ君と近子ちゃんは中学生になった。
僕らの通う中学校では、すべての生徒が部活動に参加することが義務付けられていたので――Sたけ君は卓球部に、近子ちゃんはソフトボール部に入部した。
それが、分岐点だったのだろう。
部活が違うことで、お互いの生活時間がすれ違うようになっていった。
ソフトボール部は朝練があり、近子ちゃんはSたけ君よりも早く登校するようになった。
卓球部は部活動終了後もスポーツ少年団で練習するほどの強豪だったため、Sたけ君は近子ちゃんより遅く帰宅することになった。
初めのうちは、それでもなんとか一緒に登下校するように努力していた二人だったが――それも長くは続かなかった。
そして、お互いが完全に顔を合わせることがなくなった中学二年のころ――近子ちゃんが、男子ソフトボール部の先輩から告白された――らしい。
その話を聞いた僕は居ても立ってもいられなくなり――Sたけ君の休養日を狙って、彼を家に呼び出した。
しかし、いきなりその話題を切り出すのも難しい。だからいつも通り格闘ゲームをしながら他愛もない会話をしつつ、十分に和んだのを確認した時――意を決して僕は切り出した。
「Sたけ君、知ってる?」
僕のキャラクターが間合いを詰めながら牽制技をばらまく。お互いに手の内を知り尽くしているので、Sたけ君は下手に反応しない。
「『何を』知ってるか、言ってくれないと分からないよ。目的語って国語の授業で習ったでしょ」
僕が緊張で手に汗をかき、牽制技のコマンド入力をミスすると――その隙をついてSたけ君のキャラクターが、ジャンプで一気に間合いを詰めてきた。
そうはさせじと僕は一度間合いを離し、再び距離が生まれたところで――本題に入った。
「近子ちゃん――男子ソフト部の先輩に告白されたんだって」
そう言いつつ、僕の手は休むことなく牽制を再開する。
「へぇ――」
心なしか、相手の動きが鈍った。
「Sたけ君、どうするのさ」
そう言って、彼の横顔を確認しようと画面から目を離した――その瞬間。
「だから――」
画面が一瞬暗転し、Sたけ君のキャラクターが光を放って突進してきた。
「目的語が、足りないって!」
高速で敵に近づき複数の打撃を叩きこんだのち、最後に必殺技で締める――乱舞技と呼ばれる超必殺技が炸裂したのだ。
「まったく――いくら勝てないからって心理戦を仕掛けるとはね。その前に、ちゃんと画面に集中しなよ」
勝利演出の高笑いをするキャラクターを背後にして、僕に挑発を行うSたけ君の態度は、あからさまにこの話題を切り上げたがっている。
「へえ――僕はただの噂話をしただけだけど――心理戦になるんだね」
負けてなるものかと煽り返す。舌戦は格闘ゲームの基本でもあるのだ。
「幼馴染のスキャンダルなんて聞きたくもないよ。聞きたくないものを聞かされたら、そりゃあ心理戦になるだろ。場外戦術だよ」
「普段口汚い言葉で煽ってくる君の台詞とは思えないね。でもそうか――聞きたくないんだね、やっぱり」
一瞬「しまった」という表情をした彼は、それでもすぐに平静を取り戻して――言った。
「聞きたく――ないよ、それは」
「――そうだね。ごめんよSたけ君」
「気にしてないよ」
やせ我慢をして絞り出すように「帰るよ」と言った彼を、僕はそれ以上引き止めることができなかった――。
*
結局、近子ちゃんは先輩と付き合うこととなった。
女子は中学二年生ともなるとすごく大人びてきて、近子ちゃんはどんどん綺麗になっていった。表情も仕草もついでに身体つきも――すべてが小学生のあの頃とは、まったくの別人だった。
それに比べて僕ら男子はいつまでも子供のままで、あることないこと噂をしながら、女子を未知なる好奇心の対象ととらえるのが関の山だった。
ある時Sたけ君は、「だから大人に見える先輩に惹かれたのかな――近子は」なんてこぼしていた。
「本人に聞けば?」
わざとそっけなく返した僕に彼は、
「できるかよ、そんなこと」
と、それ以上にそっけなく返した。
「それもそうか」
僕が納得して引き下がると、彼は再び呟いた。
「――どうしたら、大人になれるのかな」
「少なくとも――自分の気持ちを相手に伝える強さは必要なんじゃない?」
想いを秘めたままのSたけ君。
想いを打ち明けた先輩。
僕から見た二人の差なんて――それくらいにしか見えなかったのだ。
「言わなくても、伝わってると思ったんだけど――」
「勇気が足りないんだって、君は」
いつかの言葉を意趣返しにして言ってやると、彼は苦笑いをして答えた。
「言ってくれるよ」
「言わなきゃわからないからね」
「まったくだ――」
それ以降、Sたけ君の口から近子ちゃんの名前が出ることはなかった。
*
翌年の、三月のある日。
Sたけ君はある人に呼び出されて誰もいない教室へ向かった。
その日は卒業式の翌日だった。
卒業式特有の黒板アートやお別れムードもなくなったその場所は、まるで自分が部外者になってしまったかのような疎外感を覚えたという。
それでも三月いっぱいは在校生であるので、Sたけ君は律義に制服の学ランを着ていったのだそうだ。
豪雪地帯である僕らの地方の三月はまだまだ寒さが厳しく、人気のない教室にはツンとした冷たい空気が張り詰めていた。
そこに、その人はいた。
その人とはもちろん――近子ちゃんだ。
「おっす」
座っている彼女に後ろから声をかけると、近子ちゃんは振り向いて立ち上がった。
「来てくれたんだね」
嬉しそうに笑いかける彼女。
「そりゃまあ――っていうか、いいのかよ?」
「何が?」
「先輩と付き合ってるのに、こんなところで、その――二人っきりで」
戸惑いを隠せずに尋ねるSたけ君を見て、近子ちゃんはおかしそうにクスクスと笑った。
「何を今さら遠慮してるの? それとも緊張してるとか?」
彼女のその余裕は、明らかに大人の女性となった精神の成熟を感じさせるものだったが――笑い方だけは昔のままだった。
「馬鹿言うなよ――なんでご近所さんに緊張しなきゃなんねーんだよ」
「ご近所さん、ね――」
その言葉に少しうつむいた彼女は、Sたけ君の予想を超える言葉を口にした。
「あのね、Sたけ君。私――引っ越すんだよ」
「え――?」
驚きを隠しきれずに、思わず目を丸くするSたけ君。
「ソフトで有名な新庄高校に推薦入学が決まっててさ。知らなかった?」
「――うん」
あれ以来――Sたけ君は意図的に近子ちゃんの情報を遮断していた。それを察した古い友人たちも、彼の前で近子ちゃんの話題を口にすることをやめたのだ。
「そっか――もうずっと、二人で話なんかしてなかったしね――それも、そうか」
「そう、だよ――」
二人がそろって気落ちした表情になる。
お互いが今さら取り戻せない時間の流れを実感して、やるせない想いに包まれたのだ。でも、だからこそ――この先の二人は、何も繕うことなく話し合うことができたのだろう。
「それでね、私――先輩とも別れたの」
「は? いきなり何を言ってんだよ」
近子ちゃんの突然の告白に、遠慮のない調子で返すSたけ君。
「だから、ね? 最後の想い出に――餞別でももらえないかな、と思ってさ。そんなことのためにわざわざ呼び出しちゃって、悪いとは思ってるんだけどさ――ごめんね」
小さく謝る彼女。
「それは全然、かまわねーけど――でも、餞別っていってもなぁ。前もって言ってくれればプレゼントくらい用意したけど、知らなかったからなぁ。あいにくと手ぶらだし――」
そう言って体じゅうを探るSたけ君を懐かしそうに――そして愛おしそうに――見つめる彼女は、心の裡を口にした。
「いいのが、あるよ」
「何?」
首をかしげるSたけ君の胸元を指さして、近子ちゃんは続けた。
「第二ボタン――くれないかな?」
「第二――?」
「そう。想い出にはちょうどいいでしょ。深い意味なんかないからさ、青春の記念に――ダメ?」
たしかに卒業式の
「――いいよ」
そう言って第二ボタンを外そうとしたSたけ君は、今までボタンを外したことがないので少し手間取ったが――無事に外すことに成功すると、近子ちゃんに手渡そうとした。
彼女の上向きに開いた手のひらは、思っていた以上に小さくて――そのまま握ってしまえば、覆い隠してしまえそうなほどだった。
このままその手を取って、どこかへ行ってしまいたい。そんな想いがSたけ君の胸を巡った――けれど。
それを実行に移すことはできずに、Sたけ君はその小さい手のひらの上に、自分の第二ボタンを置いた。
「ありがとう、大事にするね。じゃあお礼に――これ、あげる」
第二ボタンを大事そうに鞄へしまった彼女が渡してきたのは、十センチくらいの薄いプラスチックのケースだった。
「これって――」
「宇多田ヒカルのニューシングルだよ。どうせ昔みたいに、『お金ないない』って言って、買ってないんでしょ――好きなんだよね? 宇多田ヒカル」
自分は彼女の進路も知らなかったのに、
彼女は自分の好きなアーティストを知ってくれていた。
それでも彼女は、
すでに自分がこのCDを持っていることまでは、
知りえないのだ――。
「はは――うん、まあな」
乾いた笑いで受け取ると――頭の中に、曲が響いてきた。
「ありがとう」
フザけたアリバイ 知らないフリはもう出来ない
「――大切にするよ」
こんな思い出ばかりのふたりじゃないのに
「喜んでもらえたなら、良かった」
切なくなるはずじゃなかったのに どうして
「それじゃあね――」
いいオンナ演じるのは まだ早すぎるかな
そう言って、彼女が教室を出ようとした後姿に、Sたけ君は声をかけた。
「近子ちゃん」
それは、
この感傷に浸れば、
この勢いのままならば、
今までに伝えられなかった言葉も、
きっと――
「元気で、な」
「ありがとう」
肩を震わせながら、振り向かずに近子ちゃんは答えた。
視界が歪んだSたけ君も、しばらくその場を動くことはできなかった。
こうして――手を繋ぐこともできぬまま、心だけは繋がっていた二人の最後の繋がりは――途絶えた。
***
冒頭に語ったように、これはあくまでも友人から聞いた話である。
その証拠に――今、私の机の上には二枚のCDが並んでいる。
そのタイトルは――、
『
と、いう。
あなたなしでも行くからね ささたけ はじめ @sasatake-hajime
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