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「ツモ。1千オール」

 南二局、十巡目でヒナガミがすぐにアガった。高い点数ではないが早い。早いし、リーチもかけずにツモりやがった。

 ヒナガミは口角を上げつつ積み棒をひとつ卓上に置く。

「一本場じゃ。先に言うとくが、このまま連荘するけぇよろしゅうな」

 左から盛大なため息が聞こえた。タキミは椅子にもたれかかりつつ、こめかみを指で揉んでいる。

「雛噛さんがいると全然カン材揃わないんだよなあ」

 コンドーちゃんはぼやきながら新しい手牌を見つめているが、言い分がちょっと引っ掛かった。牌を手早く整えてから正面を見る。

 一つ目をツモったヒナガミは、手牌にも加えずツモ切った。西だ。俺の自風牌で、手元にはトイツである。一瞬悩むが

「ポン」

 ありがたく頂戴してから、浮いているローピンを河へ流した。ヒナガミはなにやら楽しそうにしたまま俺をじろじろと眺めている。

「なんやねん」

「集まるけぇ当然じゃが、われの鳴きは自風・役牌が主じゃのう」

「そらそうやろ、連荘なんかさせんからなボケコラ」

「われに出来るか? ま、やってみんさい」

 煽りよる煽りよる腹立つなこいつ! ビキビキしながら手牌を見つめて、ドラのイーピンを含めての123メンツが既にあると再度確認する。他はパーソー・キューソー、イーワンにサンワンと手元にあった、チャンタにドラ1までは見えている。

 ……と、言いたいのだが、頭候補の揃いが悪い。中、東、北と持ってはいても、北は先ほどタキミが捨てたし、ツモった牌はウーピンだ。普通に裏目っている、ローピン捨てなきゃ良かった。

 特に大きな展開がないまま十巡目に差し掛かる。俺の手牌もだが、タキミとコンドーちゃんも進みが良くないようだ。

 十一巡目、やっとチーソーを引いてきてイーシャンテンになった。二枚切れの北を捨てて、タキミがリャンワンを捨ててくれればと期待を込めるが、十二巡目、

「カン」

 ヒナガミが宣言した。暗カンは、俺が欲しいリャンワンだった。

「リンシャン、って言いたいとこじゃがそこまでは知らんけぇ、こっちじゃ」

 ヒナガミはたいへん可愛く笑いつつ、

「リーチ」

 まったく読めないリーチをかける。

「ほんっとにめんどくさい……」

「雛噛さんはこれだからなあ~……」

 タキミとコンドーちゃんはそれぞれ嘆いているが、俺はけっこう、それどころではなかった。ドラ表示牌を見る。イーワン、ということは、もちろんドラはリャンワンなわけで、だがそれは。

「日下部くんは、雛噛くんの打ち筋があんまりわかってないのかな」

「うお!?」

 急に背後から話し掛けられた。慌てて振り向いた先ではジョーさんがにっこりと笑っていて、紙コップにつがれた珈琲からはいい香りと湯気が立ち上っていた。

「まあ、二人打ちじゃあわからないか。他家もいないしね」

「……ヒナガミと会うたら十割麻雀ですけど」

 この人にはなんか敬語になるなと思いながら牌を捨てて、向き直る。

「めっちゃ強いっていうのは、わかってますよ。でもなんで強いかって聞かれたら……わからんかもしれん、ヒナガミはいつも、なんやろ、相手によって打ち方が全然ちゃうような気がして」

「うん、合ってるよ。雛噛くんは相手によって変える。それと同時に、全然変えてない」

「……、うん? それはどういう……?」

「ロン」

 ぱっと顔を正面に戻す。コンドーちゃんがむくれながら点棒を出し、ヒナガミはありがとのー、などと言っている。

 積み棒が増えた。次の手牌は比較的良形だ。字牌は南がひとつ、頭候補がふたつあって、ひとつはシュンツへの組み換えが可能の数字が多少くっついた形態だ。ピンフ、イーペーコー、タンヤオ辺りが狙えるだろう。

 もちろんおかしい。でもこれは、ヒナガミと打っていればたまにあるのだ。だってあいつは。

「……え?」

 間抜けな声が出た。不要牌を捨てつつ、背後に立ったままのジョーさんを仰ぎ見る。

「ポン」

 何かを話す前にヒナガミの声が飛んだ。鳴かれたのは白で、捨てられたのは真ん中の牌。一巡後にはコンドーちゃんのチーピンを奪った。789のシュンツだ。この時点でもう、役牌にチャンタに下手をすれば三色だと察しがつきはじめる。よく見る手だ。ほかでもない自分の手牌で。

「あの、ジョーさん」

「もう一局見てれば良いよ」

「ツモ」

 役牌にチャンタ、とヒナガミはイケボで続けた。最後のアガリ牌はイーワンで、これもやっぱり、俺のところに集まりがちな牌だった。

 大人しく点棒を出し、ジョーさんに言われた通り、無言で次の局に意識を向ける。三本場、とヒナガミではなくタキミが呟いた。横顔が心底めんどくさそうだ、同情する。

 十三巡目、コンドーちゃんが暗カンした。ドラも当然乗る。でも全然嬉しそうではない。

 コンドーちゃんの捨て牌を見てから、ヒナガミはこめかみをぐりぐりと指で揉み、

「リーチ」

 リーチ棒を気だるそうに出した。タキミのため息が聞こえる。同時に俺は、ずいぶん背筋が寒くなって身震いまでした。多分、予想は当たっている。

「ツモ。リーチイッパツ、ドラドラじゃな」

 ヒナガミは涼しい顔だ。四本目の積み棒を置き、一度大きく伸びをしてから、新しい手牌を見つめ始めた。

「……俺の予想ですけど」

 話し掛けると、ジョーさんは静かに俺を見た。

「ヒナガミはこう、もしかして、……相手の特性を吸うんやなくて、覚えて使い分けてるんですか?」

 カンドラで点数を上げるのはコンドーちゃんの打ち方、リーチイッパツはツモ牌がわかるからこそのタキミの打ち方、一九字牌絡みは当然俺の打ち方というか、そうするしかない特徴だ。

 ジョーさんは呑気な様子で頷き、持ったままの紙コップを差し出してくる。反射で受け取ったが、自分の指が震えているさまが映り込んでちょっと恥ずかしかった。ばれたとは思うが隠しつつ、一口だけありがたく飲む。

 まだ引っ掛かっていることがある。紙コップを脇に置き、一九字牌に埋め尽くされた手牌を見つめ、ヒナガミは、と口に出す。

「ジョーさんやらコンドーちゃんのほうが、ふっつーに強いし打点も高いし、コンビに向いてるんちゃうかなと思たんですけど、違うんですね?」

「うん、まあね。打点とか平均ホーラ率なんかで見れば、日下部くんよりも金堂ちゃんや俺のほうが良いと思うよ」

 あ、一人称俺なんや……と言うと流れが切れるので頷くに留めて牌を切る。ジョーさんは自分の珈琲を静かに飲んでから、ため息に似た動作で息を吐いた。見上げると、ヒナガミのほうを見つめていた。

「雛噛くんに特性を使われたら、押し負けるんだ」

「押し負け……ああ、俺の手牌も、一九字牌がほぼなくなりますもんね。吸われてるんやなくて負けてるんか、あれ……あれ?」

 ついヒナガミを凝視する。涼しい顔でツモ切りしていて、目が合うとなぜかむっとした顔を寄越されたが、何かを言ってくることはなかった。

 俺のツモ番のあと、不意にジョーさんが肩に手を置いた。顔を近付けてくるので困惑したが、大きな声では言えないから、と耳元で囁かれて今度は緊張した。

「俺の場合まったくテンパイできなくなるし、金堂ちゃんはカンができなくなる。滝見さんも、ツモが見えなくなるんじゃないかな。……でも君は、手牌がむしろ良くなるだろう。だから君が一番、なんならこの世で唯一、あいつの相手をしてデメリットがない人間なんだよ、日下部くん」

 話し切ってから、ジョーさんは離れていった。緊張に動揺が混じって動機が酷い。

 ろくに考えもせずに牌を切れば、

「ロン。……目の前で城と仲良う喋りよって、許さん」

 正面から即座に切りつけられた上に怒られた。ヒナガミは不機嫌そうな顔のまま、五本目の積み棒をがちゃりと置いて、肩にかかる髪をうっとうしそうに後ろへ払った。

「五本場じゃ。われら、ぶちこまい点数になったのぅ。次でまとめて飛ばしちゃるけぇ、入れる墓でも探しとけ」

「埼玉さんでもいなきゃ、上がれる気がしないんだよなあ……」

「ヒナガミさんと打つの嫌い!!!!」

「おーおー、吼えよる吼えよる、すぐ楽にしちゃろう」

 ヒナガミは二人の相手をしてから、改めてこちらを見る。まだ怒っているのかと思ったが、どれかといえば、こう、拗ねていた。つまらん、とふて腐れたように呟いたので、けっこうな確立で拗ねていた。

「クサカベぇ、もっとストレスが欲しいんか?」

「え、欲しくないんやけど」

「ま、これも愛の鞭じゃ、遠慮のぅ飛びにしたるけぇな」

 にっこりとかわいく笑われて、何か言い返そうかと思ったが、やめた。手牌を見る。上がれなければ、誰かが飛んで終わりだろう。

 妙に心が凪いでいる。ヒナガミの相手をして、デメリットがない人間か。デメリットだらけだ、いつの間にか麻雀ばかりさせられているし、小説もすすまないし、なにより人生の主人公ごと持っていかれて迷惑千万、それでも俺は、自分の意思でヒナガミと打とうと思った。

 じゃあここで、情けないところをこれ以上、ヒナガミには見せられないわけだった。

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