腹が減って、飾られている観葉植物を食ってやろうかなと十回は考えた。思い留まり、しかし容赦なく胃袋が泣き喚き、誤魔化すために違うことを考えようと床に寝そべり新しい小説の構想を練り始めた。まったくなにも書けてはいない。気まぐれで書いた暴力小説が多少読んでもらえたが、作家やらなんやら、プロになるにはなにもかも足りていない。精魂込めて書いた長編は一次審査で落ちているし、供養にネットへ載せようかとも思ったが、めんどくさくなって全部消した。かなり気合を入れて書いただけに、落胆も大きかったのだ。

 また腹が鳴った。胃袋の辺りを拳で殴ると痛かった。俺はいつもこうだ、丹羽の事件について知りたい気持ちは確かにあったが、大部分は恐らく、いや絶対に、ただ遊びたいだけだった。今更だけど、今更過ぎるけども。

 脳内愚痴をやめ、今度こそ小説の構想を練る。現代ファンタジーなどどうだろうか? 見えないものが見える少年と、見えないはずの少女の物語。王道的でアオハル的で、文芸っぽい。スコシフシギ系、セカイ系、面白いよな書ける気がしてきた。主人公の能力をもう少し詰めて、話の筋を整えるか。

 また腹が、と思ったが違う音だった。がちゃん! と明らかに鍵の開いた音がして、俺はがばりと身を起こす、つもりだったが力が入らず首だけどうにか扉に向けた。

「クサカベー」

 耳に馴染むイケメンボイスが俺を呼び、扉から顔を出したヒナガミは、コンビニ袋を鳴らしながら滑り込んできた。

「本当はまだ勤務中じゃが、餓死されると困るけぇメシ持ってきた。なんでも食えるか?」

「食える、食う、くれ」

 最早立ち上がるのも面倒で右腕だけを伸ばしコンビニ袋を要求する。が、寄って来たヒナガミに何故か握られた。そのままにぎにぎするので、なんやねんと答えたがびっくりするぐらい張りのない声が出た。ヒナガミもびっくりしたのか、気付いたように手を離してから俺の顔の真横に袋を置いた。

「別に、なんでもない。ツナマヨと梅干とおかかどれが好きじゃ?」

「昆布」

「ほれ」

 あるんかい、と覇気のないツッコミを入れてから、取り出された昆布をもらった。袋を剥くのがめんどくさい。持ったままおにぎりを見つめていると、剥いてから頂点部分を口に押し込んでくれた。重力を利用し口だけで米と海苔をもりもり食べ進めたが、三角の真ん中当たり、昆布の詰まった箇所でさすがに無理になった。掌で押し込み、ろくに咀嚼せずに飲み込んだ。うまかった。人差し指を立てて見せる。ヒナガミはちょっと驚いた顔をしたが、今度はツナマヨを剥いてくれた。

「ペットにエサやりしとる気分じゃのぉ……」

 ツナマヨを食べ終わってから、やっと体を起こす気になった。飲み物はないかと袋を探れば十六茶が出てきたので、ありがたく頂戴する。あ、と非難気味の声がしたが無視した。自分用に買ったのだとしてももう俺のものだ。

 五百ミリを半分ほど一気に飲み、一息ついたところで、改めてヒナガミを見る。従業員服なのかワイシャツに黒のスラックスという格好だ。さっきまで何を着ていたかはもう忘れたが、髪もまとめているし清潔感があるにはあるし、ぱっと見は一般的な雀荘の従業員である。名札には雛噛とあった。物騒な苗字だ、見たことがない。下の名前はなんだろう。奇妙な名前だと面白いな、孫太郎とか。

「あと一時間、待ってられるか?」

「無理や」

 すぐさま断ればヒナガミは不意をつかれた顔をした。ので、畳み掛ける。

「俺やって暇ちゃうねん、作業をためとるんや、丹羽のことも知りたいけども俺のことやってせなあかん」

「ニワ?」

「そう、丹羽や。庭には二羽」

「鶏がいる」

「続けて言うてみろ」

「にわにわにわにわとりがいる」

 いい声だ。少し満足した。というかこいつ、けっこうバカだな? やけにフランクだし、あまり深く物事を考えない性質なのだろうか。俺と丹羽を間違えた前科も、まで考えて目の前にいるのだから聞けば早いと思いついた。

「お前」

「んあ? なんじゃ?」

「昨日俺をギッチギチに縛り上げてキトーカイに」

 ばしん! と大きな音がした。ヒナガミが俺の口を掌で勢いよく塞いだ音だった。鬼気迫った顔で見つめられて少し背筋が伸びる、名前を出すな、と低い声で囁いてくる。

「それはもう終わったけぇ、今更じゃろ」

 終わった。丹羽がもう死んだからか。強盗殺人の被害者になってしまったからか。お前はそれに関わっているのか、いるんだろうな、この様子だと、疑わざるを得ない。

 両手を挙げてもう言わないの意思表示をする。ヒナガミは眉を寄せたが掌を退けた。笑うとかわいいが凄むとだいぶ怖かった、探りは慎重に行わなければ。

「とにかく! おにぎりは全部食べよってええけぇここにいろ!ええな!」

「ハイ」

 怖かったため大人しく待った。ヒナガミは慌てて出て行き、また外から鍵を閉められた。ほぼ獄中だ。おにぎりももう要らない、というか俺は、厄介ごとに巻きこまれている、いや、自分から巻き込まれにいったが正しいわけだが丹羽、同級生の丹羽、お前を殺したのはその、キトーカイとかいう暴力団なのか? それとも、笑うとかわいい長髪男なのか? それともまったく関係のない、俺が勝手に関連付けているだけの偶然なのか?

 堂々巡りの問いを脳内で何度も行った。眠くなり再び転がってからは、丹羽やらプロットやら麻雀やらヒナガミやら溜め込んでいる仕事やら、眠気にくるまれ雑然とした事柄を断片的に浮かべて溶かし浮かべて溶かし、身包み剥がされなくて助かったと最後のほうに考えてから結局眠った。愚行だった。どのくらい寝たか定かではないがはっと目覚めればヒナガミがいて、雀荘にいなかった。汚い部屋にいた。俺に背を向けているヒナガミは低い机の前であぐらをかいて、じゃらじゃらと何かを、いや、麻雀牌を、掻き混ぜていた。開いたパソコンが机のすみに置かれていて、誰かの牌譜が表示されている。視線を転じれば本棚があった。夢野久作全集、麻雀雑誌、小説雑誌、学術書、その他諸々がランダムに並んでいる。俺のアパートと同じくらい狭い。ヒナガミの左右の畳にも、雑誌やら紙やら、とにかく片付けられていない、その上で効率よく作業ができるような配置になっている、気がする。ということは、ここは。

 じゃらじゃら音が不意に止まる。慌てて目を閉じる。閉じ切る寸前、ヒナガミが振り向いていた。起きていると気づかれたか?

「そんなに寝心地ええかのぉ、わしの部屋」

 独り言のようだった。狸寝入りは成功したが、同時に嬉しくないビンゴを当てた。予想通りヒナガミの部屋のようだった。

 現実逃避に、もう一度眠ることにした。

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