煙草の灰にまみれた名刺は少し汚れていたが住所部分は読めた。どうするか、なにもしないか、当然しないほうが身のためなのだがパソコンを開き作業用に好きなゲームのBGMを鳴らし書きかけの小説、いや冒頭すら書いていないが頭の中では完結している物語を打ち込もうと気合を入れたが、無理だった。同級生は丹羽と言った。昨夜の事件と、丹羽のニュースはまったくの無関係だとは思えなかった。

 日下部と丹羽を間違えるのは中々だなと思ったが、長髪の様子から察するに名前と背格好は聞かされていたが詳細な見た目はわからなかった、が正しそうだ。丹羽は友達と呼べるほど親しくはなかったが、麻雀を打つ仲間ではあった。日下部は直ぐ逃げるよなと詰られた日を思い出し、うっさいボケカス当たり牌あっさり出すわけあれへんやろがと逆ギレしたことも思い出した、から、丹羽自体はそこまでいいやつではなかったとは思った。

 ところが俺は外に出た。ドのつく晴天で、雲ひとつない。夏休みであるからか、子供の姿が多い。アパート近くの空き地では小学生が数人遊んでいた。俺も昔かくれんぼなどを人の庭に忍び込んで行ったな、と感慨に耽ったが空き地の小学生はスイッチを持っていた。膝を突き合わせて一狩り行っているようだった。

 時代は流動する。雀荘も昔とはずいぶん違うのだろう。ほとんど自動卓となり、イカサマは機能しなくなっている。リーパイ時の仕込みなどすぐに割れる。

 完全な運。そして緻密な計算、状況把握能力がもとめられる。競馬には逃げ馬と呼ばれる馬がいる。はじめから終わりまで先頭を走り続ける、実現すれば大スターという馬だ。東風麻雀の場合はこれでも勝てる、一度の大きいアガリを守り続け、あとは喰いタンや役牌のみで速さを重視する。運を掴んだ後に、手牌を見ての理想的な配牌を考えるのだ。

 麻雀は、面白い。それと同時に何も面白くない。じゃあなぜ打つのかと言えば、パソコンに向かって話を書き出してなにかしらの賞を目指そうという、日課じみてしまった作業の憂さ晴らしに違いはない。大きなため息が出る。芽は出ない。

 雀荘に辿り着いたが、そこで完全に足は止まった。丹羽のことを知りたくてきたのだが、俺が勝手に昨夜の騒動と知人の不幸を結び付けているだけの可能性だってある。

「めんどくせ……実家帰ろかな……」

「クサカベくんの実家はどこなんじゃ?」

「滋賀け……ン!?」

 思わず仰け反って隣を見る。黒髪の、長髪の、案外と柔和な顔立ちの、

「げに来たんじゃのぉ、昨日ぶり」

 妙に心地いい響きの声の男がへらへらと笑ってそこにいた。

「入れ入れ、まだ開店しとらんけど」

「いやおい……お前、」

「雛噛じゃ」

 ヒナガミ。苗字か?

「……ヒナガミさん、俺はべつに打ちに来たわけちゃうぞ」

 中に入れようとする姿を制止する。ヒナガミはわかっているとでも言いたげに肩を竦め、店に続く扉に凭れ掛かった。口元には薄い笑みが張り付いている、けっこうかわいいが不敵な笑みだった。

「打ちに来たんじゃのうても、欲しいもんがあるなら自分で勝ち取るしかないじゃろ?」

 ヒナガミは目を細め、続ける。

「早う入れ。開店すりゃ話せるもんも話せんようなる」

 くるりと背を向け、扉を開いた後ろ姿に瞬時迷った。これだから博打野郎は最悪だと、自分に返ってくる詰りを無言で送ってから、薄暗い店内に踏み入った。……瞬間に、ぱっと電気が灯り、中の様子が露になる。電灯のスイッチに指先を置いたままのヒナガミは、何を考えているのか無言だ。

 こじんまりとした雀荘だ。自動卓が六つ。店員用のカウンターと、自動販売機がある。その隣には休憩スペースと本棚が設けられており、当然だが麻雀雑誌や麻雀漫画が突き刺さっている。あとで少し読みたいと思いつつ、大振りの窓へと視線を向けた。分厚い遮光カーテンはきっちり閉められていた。

 奥へ続く扉が目に入る。従業員専用の入り口だろうか。考えている間に、ふっとヒナガミが動いた。件の扉へ向かっていく。

「おい」

「こっちじゃ、クサカベ」

 くんかさんをつけろや、と思いはしたがどちらでもいい。奥に向かう扉は鍵がかかっているわけでもなく、ヒナガミがノブを回せばあっさりと開いた。

 中には自動卓がひとつあった。部屋の奥に妙な観葉植物があり、その更に奥は白い間仕切りで隠されている。仕切りは四隅にあった。各場の真後ろにあるような構図で、なるほどと思う。案の定仕切りの上には黒い物体が取り付けられていた。小型のカメラだ。

 理由はともかく、リアルタイム配信や対戦の録画に適した部屋なのだろう。通された意味は考えないでおく、一瞬だけ丹羽の顔がちらついたが、振り払った。

 正直ぶっちゃけ、雀荘に入った瞬間からよし打つぞ! という思いしかなかった。生の麻雀はずいぶんと久し振りだった、長らくネット麻雀しかしていなかった。さっさとサイコロ回して配牌見てゴミ手やんけクソッタレ! と毒づきたい、麻雀はクソゲーと文句を言いたい。そして勝ち逃げたい。

 悶々と考えていれば、視界に影が差した。麻雀に夢中で半分くらい存在を忘れていたが、ヒナガミが俺をじろじろと見つめていた。

「……なに?」

「クサカベソー、って、本名?」

「本名ちゃうかったらなんやねん」

「確認じゃ」

 クサカベは俺から離れ、壁に設置されている受話器をとった。従業員用と書かれたプレートが上に貼られている。

「おーわしじゃわしじゃ。……あ? 詐欺? アホなことを言いんさんなや、ヒナガミじゃ。揃うたけぇ始めるでぇ」

 電話が切れてから、ばたばたと足音が聞こえた。勢いよく扉を開けたのは小柄の女、いや女の子? だった。その後ろからひょっこり顔を出したのは、大人しそうな雰囲気の男だ。後ろで茶髪を束ねている。この雀荘は長髪が流行っているのだろうか。

「これが昨日言ってた人? ふーん……」

 女の子が品定めをするように俺の全身を眺め回す。

「金堂ちゃん、目つき悪いよ」

 それを茶髪が嗜めて、

「えー? 城さんほどじゃないです」

 女の子が更に返す。

「無駄口はやめい、サイコロ回すで」

 もう好きにしてくれと思いながら、俺はヒナガミが回したサイコロに目を落とした。数字がぐるぐると回る、回る、いつの間にか隣に来ていたヒナガミが、

「勝てばなんでも答えちゃる。負けたら、容赦のう身包みを剥ぐ。ええな?」

 回したあとに確認という詐欺を働き、

「ええけど、俺強いで」

 虚勢を張ってみると物凄く嬉しそうに笑われる。そのあとに会話を聞いていたらしいコンドーちゃんとジョウさんが、声を揃えて俺に言う。


 ヒナガミさん、負けたことないんだよ、知らないの。


 知るかボケ。

 サイコロは止まって、俺の身包み剥がしへのカウントダウンが始まった。

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