第30話 最初の晩餐とウィザード


 この異世界での初めての夜。


 すっかり夜になってしまってから、俺達はエルという大きな街に着いた。


 周囲をお堀の様な大きな河に囲まれたその街は、面積が凡そ百平方キロメートル。


 このお堀の中、全てが街という訳では無く、広大な農地や湖もある様だ。


 あ、初めての街なのに詳しすぎる?


 実はアニマが俺の脳内で開いている周辺地図を見てる訳よ。


 でも百平方キロメートルって、どの位の広さだかピンと来てないけど……。


『東京ドーム二千百四十個分だね~』


 な、何ですとーっ!


 と、驚いてみせたけどやっぱ分からん。



 ♢



 馬車がゆっくり停まると、外からモーリスが声を掛けて来た。



「お嬢様、エルの街に着きました!」


「そう、モーリスお疲れ様! ハルト様、ここが宿をとってあるエルの街です!」


「そうですか! 送って戴いて、どうもありがとうございます!」



 キャロルにそう言われて馬車から降りて街を見ると、ここからは住居の様な建物は見えない。


 想像以上に大きな街の様だ。


 異世界の街ってもっとこう、小ぢんまりとしたイメージだったのだが……。


 街の周囲は、水の流れる幅の広いお堀にぐるっと囲まれている。


 街へ渡る幾つかの橋がある様だが、目の前の大橋以外、夜は閉鎖しているらしい。


 その橋の前には屈強な姿の門番が数人立っており、街への出入りを厳しくチェックしていた。



「門衛さんに話して来ますんで、少々お待ちください」



 モーリスがそう言って橋の詰め所に歩いて行くと、詰め所から衛兵が三人飛び出して来た。



「モーリスさん! あいつらを倒した奴って何処ですっ⁉」


「あっ! あの人じゃ無いかっ⁉」


「え? あれか? まさか違うだろ?」



 衛兵達はそう言って俺の方を見ている。



「そのまさかですよ! あの方、ハルト様が助けて下さったんです!」



 モーリスがそう言いながら、俺を手のひらで指示さししめすと、彼らは我先にと俺に駆け寄って来た。



「そ、そうなんですか⁉」


「こんなに華奢なのにっ⁉」


「あれ? 素足ですね……武術の達人なのですかっ⁉」


「え? あの、ちょっと……」



 三人の衛兵が俺に詰め寄って来ると、馬車からキャロルとメリルが声を上げて飛び降りて来た。



「ちょっと、あなた達! ハルト様はお疲れなのですよ⁉」


「そうです! 子供の様に燥いでないで、先ずは門をお通しなさい!」



 メリルが叫ぶとキャロルも負けじと声を上げた。



「こ、これはキャロル様!」


「ど、どうぞ! お通り下さい!」


「も、申し訳ありません!」



 三人の衛兵が慌てて頭を下げると、キャロルは納得した様子で頷いた。


『あ、縦読みしちゃった』


 アニマがそんな事を言ってたが、良く分からないからスルーした。



「もういいでしょう? すぐに門を開けて通して頂戴!」


「はっ! ただいま!」



 二人の衛兵が橋の先の門へ向かって走ると、辺りの衛兵に開門を伝えた。


 すると、それを見たモーリスは慌てて馬車に駆け上がって手綱を持ち、馬に軽く鞭を入れてゆっくりと馬車を進める。



「さ、ハルト様」


「宿はすぐそこです」


「あ、はい!」



 キャロルとメリルに勧められるまま馬車の後ろを歩き、そのまま大きな橋を渡る。


 橋の先にある門の向こう側、右の方に火の見やぐらの様な高い塔があるのだが、侵入者の監視だろうか。


 そこから今もこちらを見降ろしている人が居る。


『あそこから見てるのは女性だけど、何だかこの街随分と警戒してるわね』


 ああ、そうだな。


 女性が見張りか。


 まあ、侵入者の監視なら腕力の無い女性でも出来る仕事だよね。


 そして、大きな重そうな門が二人の衛兵によってゆっくりと開かれる。


 だが、門が開かれるその瞬間、門の向う側から物凄い歓声が沸き起こった。



「な、何だっ⁉」



 地響きの様な歓声が沸き起こっているのだ。


『凄い人数が集まってる……一万人近く居るよ!』


 思わず声を上げて驚いた俺にアニマが答えた。


 マジすかっ⁉


 今夜はここのお祭りか何かなの?


 前の方は馬車があって街の中までよく見えないが、俺は門を開いてくれた二人の衛兵に軽く会釈をする。


 そして馬車の後から門を通って街の中に入ると、どよめきと拍手が沸き起こる。


 見ると、視界の隅にまで凄い人だかりが出来ていた。


 その人達が俺達の姿を見つけるか否や、更に輪をかけて地響きの様な歓声が沸き起こった。



「キャロル様の馬車だーっ!」


「うおおおおおおーっ!」


「英雄様だぁああああーっ!」



 歓声の中にキャロル様とか英雄様とか聞こえたが、一体何を言ってるんだこの街の人達は……。


 キャロル様の馬車って……凄い人気だけど、この子が侯爵令嬢だから?


 でも英雄って……変じゃね?


 十四歳の女の子にここまでよいしょする?



「な、何なのこの人だかり……」



 俺はその場で立ち竦んでしまった。


 すると、メリルが俺の横にそっと近づくと耳打ちをした。



「ハルト様、エルの街はルビエンド家直属の領地なのです」


「あ、そうなんだ?」



 だからご令嬢のキャロルを崇拝してるっての?



「ええ。ですので、キャロル様をお助けになられたハルト様は、エルの領民にとっては英雄となるのです」


「な、なんだと……」



 英雄様って俺の事かよっ⁉


『あはははーっ! ウケるーっ!』


 こ、このやろ……。


 でも、地球の危機を救った時にでさえ、こんな騒ぎにならなかったけど?


 まあ、あの時は試してみたら出来ちゃった感があるけどさ。


 家族以外の人は知らなかったし?


 しかし、異世界へ来た早々、素っ裸にされるわ、英雄扱いされるわ……。


 扱いが両極端なんですけど?


『でも、これだけ人が集まってるなら好都合じゃない?』


 アニマがそう話しかけて来ると、ハッと本来の目的を思い出した。


 そうか、イーリスを知ってる人が居るかも⁉



「あ、あの! お集りの皆さんにお尋ねしまーす!」



 俺は物凄い歓声の中、ダメ元で声を上げた。



「おい、英雄様が何か話したぞ!」


「おい! みんなーっ! 静かにしろーっ!」



 すると、あれだけ大騒ぎしていた民衆が段々と静かになって、集まった人々は耳を傾けてくれた。



「えっと、この位の背をしたピンク色の髪した、小さな女の子なんですけどーっ!」



 俺はそう言いながら胸の辺りに手を翳した。



「誰か見た事ありませんかー? 名前はイーリスって言うんですー!」



 すると、集まっていた人々がざわざわと話し出した。



「英雄様、そんな小さな子は一人でこの辺りには来れないと……」


「そうだな、英雄様がお越しになる前だと……なあ?」


「ああ、街の外はとても一人じゃ……」



 そうか、イーリスが一人で歩くには危ない土地だという事か。


 さっきの奴らみたいな盗賊も居るしな。


 だが、あいつは特殊だからなぁ……。



「そうですか……。でも、もし、見かけたら教えて欲しいんです!」


「勿論です! お見かけしたらすぐにお知らせします! なっ⁉」


「ああ! 大切に保護しておきます!」



 領民達は口々にそう言ってくれた。


 今はそれを集まった後ろの人たちに伝達してくれている様だ。



「ちょ、ちょっと通してくれー!」



 すると、人混みをかき分けて二人の男が声を上げている。



「あ、そこの人、その人を通してあげて下さーい!」



 それに気づいた俺が指を指すと、民衆がサーッと避けてくれた。


 暫く見守っていると、二人の男に護られる様に一人のお婆さんが歩いて来る。



「英雄様! このお婆さんが何か心当たりがある様で!」 



 そう言ってお婆さんを俺の前に連れて来た。



「あの、ピンク髪の少女を知ってるんですか?」



 俺がそう聞くと、お婆さんはうんうんと頷いた。



「ええ、ええ。存じておりますとも! 虹の女神、イーリス様でっしゃろう?」


「は? 虹の女神?」



 駄目だ……俺の探してるイーリスじゃないな。



「そういや、虹の女神様もイーリスって名前だったな」



 すると、話を聞いていた男の一人が隣に立つ連れの男にそう言った。



「ああ、だけどイーリス様は少女じゃ無いぞ? ましてや、お前見た事あんのかよ」


「ある訳無いだろ! 女神様だぞ?」


「女神様はイーリスじゃなくて、イリス様じゃ無かったっけか?」


「イリス? イリヤ様の間違いじゃねーか?」



 俺の前の男達がそんな話をしていると、不意にメリルが俺の前に立った。



「はいはーい! 今夜はこの位にして頂けますかーっ⁉ ハルト様もキャロル様もお疲れなのですーっ!」



 メリルがそう言うと男達が慌てて頭を下げた。



「そ、そうでした! すみません!」


「お嬢様すみません! おーい! みんな道を開けろーっ!」


「そうだな! みんなーっ! 解散だーっ! キャロル様のご迷惑になる!」



 集まった人達が一斉にわらわらと動き出すと、人々に隠れていた街並みがようやく見えて来た。


 どうやらここは街の大通りで、あちこちにお店が並ぶ駅前って感じの様だ。


 気付くと、さっきのお婆さんがニコニコとした笑顔で俺を見上げている。



「あの、僕の探してるイーリスとは違うようです。でも、教えてくれてありがとうございました」



 俺がお婆さんにそう言って頭を下げると、お婆さんは目を細め、楽しそうな表情で言った。



「いえいえ、イーリス様は自由な方ですじゃ。幼き少女にもなられるでしょうて」


「そ、そうですか……?」


「英雄様、すみません! 分かった、分かった。さあ、オーリ婆さん家まで送るよ」


「そうかい? すまないね、ノオグさん」



 男達に連れられて行くお婆さんの背中を見ながら、俺はイーリスを思い出していた。


 そういや、あいつも自由な奴だったな。


『ねえハルト、あのお婆さん本当のイーリスを知ってるかもよ?』


 意外にもアニマがそう言って来た。


 ま、マジかよ!


 俺は慌ててお婆さんの姿を探すが、既に人混みに紛れてしまい見失ってしまった。


 すぐに脳内サーチを展開しようとすると、メリルが俺の前まで近寄って来た。



「さあ、ハルト様。宿へご案内致します」


「あ、うん。ありがとう」



 メリル達に連れられ、後ろ髪を引かれる思いのまま俺は宿へ向かった。



  ♢



 案内された宿はレンガ造りで、想像以上の立派な建物だった。


 沙織さんの家と宿を比べるのは変な気もするが、明らかにあの家よりも大きいのだ。



「おおーっ! これは立派な……」


「そうでしょう? この街一番の宿ですよ」



 メリルがそう言うとキャロルも俺に笑顔を見せた。



「さあ、ハルト様お入りください。この宿は我が家の直営なのでお気になさらず」


「あ、はい」


「では、私は馬車を停めて来ます」



 モーリスがそう言って宿の裏手に馬車を進めると、キャロルが彼に声を掛けた。



「モーリス! 後で宿へ隊長さんを連れて来て頂戴!」


「はい! 畏まりましたお嬢様!」



 馬車の上からモーリスが頭を下げて答えると、メリルが俺に宿の案内を始めた。



「ハルト様、この宿はこの街が出来た頃に建てられた、由緒ある建造物なのです」


「へー、そうなんですね」



 メリルによると、敷地内の裏広場には馬車が何台も停められ、離れには大きな厩舎もあるそうだ。



「では、お邪魔します」


「そんな遠慮はしないで下さいな」



 キャロルがそう言ってドアを開けると、見渡す限りのテーブルは何処もお客さんでいっぱいだ。



「かなり賑わってる店だね、満席じゃん?」



 俺達が店に足を踏み入れると、入口付近に居た給仕の若い女性が慌てた様子で店の奥へ走って行った。


 領主のお嬢様が来店したし、満席だから席を何とかしようと、店長にでも相談しに行ったのか?


 見渡した何処のテーブルも、ガヤガヤと賑やかに楽しんでいる。


 何だかこういうのって良いよね~、ワクワクする。



 だが、ざわついていた広い店内は次第に静かになり、遂にピタッと一瞬時間が止まった様に静かになった。


 何事かと見渡していると、全ての人達が固唾をのんでこちらを見ているのだ。


 な、なにっ⁉


『さあ、なんでしょ?』


 その異様な瞬間に俺もアニマも息を呑んだ。


 すると、目の前のテーブルを囲んでいた男が、キャロル様! と声を上げてガタッと席を立った。


 それに対して、キャロルがごきげんようと貴族っぽく挨拶をしようとした時、立っている男が俺を見て声を上げた。



「と……え、え、英雄様だーっ!」



 すると、あちこちから一斉に歓声が沸き起こった。



「お、おおーっ⁉」


「うおーっ! 英雄様ーっ!」


「は、はいーっ⁉」


『あはははーっ!』



 アニマの笑い声が頭に響き渡るが俺は笑えない!


 俺が一歩二歩と後ろへ下がってたじろぐと、他の人達もガタガタと立ち上がって歓声を上げた。


 すると、あちこちのテーブルを囲んでいた人達も連鎖的に立ち上がり、拍手をしながら歓声を上げ始めた。


 今や店内の窓や壁が、おおーっと言う歓声と人々の拍手で、ビリビリと音を立てて振動している。


 向こうの酒場のスペースに居る人達は、誰もが椅子に乗って立ち上がり、拍手をしながらこちらを見ている。


 逆に座ったままの人が居る事に気付いてしまう。


 だが、その人も慌てて立ち上がると手を叩き始めた。


 別に皆に合わせなくてもいいのにね。



 しかし、あそこの人達はまるで冒険者みたいな恰好だな。


 数名の鎧を着込んでいる人もちらほら見えた。


 ゲームの世界で言えば、冒険者の酒場って感じ?


 すると、キャロルとメリルがつかつかと大広間の中程へ進んだ。



「皆さん! ハルト様は遠い異国から、ある方を探し求めてこの地へお越しになったのです! そしてその旅の途中、盗賊に襲われていた私達を救って下さいました!」



 メリルがそう言うとキャロルが続けて声を上げた。



「そうです皆さん! 今夜はハルト様に、ゆっくり食事をして頂きたいと思いませんか⁉」



 キャロルがそう言って大広間を見回すと、男達はもっともだと言わんばかりに頷いて手を叩いた。



「あ、ああ、そうですね!」


「そうだよな! ハルト様、ゆっくりエルの料理をご堪能下さい!」


「ああ、この宿の料理は侯爵様のお墨付きですから!」



 そう言いながら人々はガタガタと席へ座り始めた。


 屈強に見える男達でも、キャロルとメリルの発言を素直に聞き入れた様だ。


 やはり侯爵という爵位は半端ではないのだろう。


 椅子の上に立って手を叩いていた人達も、今は大人しく席に座ってこちらを見ている。


 すると店の奥で何やら声がした後、こちらへ向かって来る三人の女性が見えた。


 一人はさっき入口に居た若い給仕の女性だ。


 中でも先輩らしき女性は、かなり慌てた様子でキャロルの元へ駆け寄って来た。



「キャロル様! よくぞご無事で!」


「うん、アイカただいま。ハルト様、これはこの食堂の責任者でアイカと言います」



 キャロルが俺に彼女を紹介してくれた。


 見た目は四十歳位の女性だ。



「あ、どうも霧島悠斗です!」



 辺りの視線を感じながらも挨拶をすると、責任者のアイカと給仕の女性二人は丁寧に頭を下げた。



「キリシマ……様ですね? 侯爵様よりこの店を任せられているアイカです。そして、こっちは給仕のカリナとノエルでございます」



 そう言ってアイカが頭を下げると、給仕の二人も合わせて頭を下げた。


 すると、キャロルが頭を下げる三人を見ながら、スッと俺の前に手を差し出した。



「アイカ、そしてあなた達。こちらはハルト様、私達の命の恩人よ!」



 すると、顔色を変えたアイカと給仕の二人が更に深々と頭を下げた。



「まあ! やはりこちらがハルト様⁉ この度は本当にありがとうございました!」


「やっぱり! どうもありがとうございました!」



 三人は口々にそう言って何度も頭を下げ始めた。



「あ、いえいえ、たまたま居合わせただけですので」


「この度の事は、感謝の言葉もございません!」



 そう言ったアイカは頭を下げたまま、給仕の二人も顔を上げる気配が無い。



「そんな、もう頭を上げて下さいよ」



 俺が困っていると察してくれたキャロルが、頭を下げているアイカの背中にそっと触れた。



「アイカ、先ずはハルト様をお席へご案内して?」



 困り顔のキャロルにそう言われ、頭を下げていたアイカはハッと顔を上げた。



「は、はい! すみません! どうぞ、ハルト様! こちらへ!」



 そう言われて彼女達の後をついて行くと、俺達は店の奥の方へと案内された。


 大食堂と酒場の真ん中辺り、一番奥の壁際に大きなテーブル席がある。


 ここからは大食堂と酒場やカウンター席、そして入り口の扉までもがよく見渡せる席だ。


 ここがいわゆるVIP席なのだろうか。



「すぐにお飲み物をお持ちしますが、ご希望はございますでしょうか?」



 俺にそう尋ねて来るが、そう聞かれても何があるのやらサッパリ分からない。



「そ、そうですね……お、お任せします」



 俺がアイカを見上げてそう言うと、彼女は困惑した表情になってしまった。



「左様でございますか……」



 残念そうな表情のアイカに、キャロルがスッと軽く手を上げた。



「アイカ、食前に軽めの果実酒を四つ下さいな」



 アイカにそう言った後、キャロルがメリルを見ると彼女は小さく頷いた。



「そうですね、メインのお料理はお任せで構いませんよ?」



 メリルがそう言ってアイカに微笑むと、彼女は少しホッとした様な表情を浮かべて頭を下げた。



「はい、承知しました!」



 再度アイカが頭を下げて料理場へ向かったが、俺にご希望とか言われてもな……。


 何があるのかサッパリ分からないよ?


 メニューとか無いの?


『言えてる~』


 アニマもこっそりと同意してくれた。



 しかし、この席からは大広間のあちらこちらがよく見渡せる。


 入口が見えるのは何と無く安心感があるな。


 すると、今も入口からお客が入って来るのが見えた。


 入って来たその客が他の客と挨拶を交わすと、俺達の方をチラッと見ていた。


 俺達がここに居る事を聞いたんだろうな……。


『すっかり注目の的だね~』


 アニマがそう言うが、こんなに目立つとは思わなかった。


 ぐるっと見た所、この宿の一階は街の住人も集まる大きな食堂と酒場があるっぽい。


 店内を見回している俺と目が合った人は、慌てて目を逸らして食事を始めたが……。


 別にそこまで気を遣ってくれなくても良いんだけどね。


 すると、客の一人が店から出て行くのが見えた。


『あの人、酒場の奥に居た一番最後に立った人だね』


 ああ、そうだった?


 しかしまあ、あれだけの人に囲まれてびっくりしたけど、特に疲れた訳じゃ無いし、お腹が空いている訳でも無い。


 早くイーリスを見つけ出して、家へ連れて帰りたいだけなんだよ……。


 すると間もなく、アイカが四角い木のトレイに乗せたグラスとデキャンタを持って現れた。



「お待たせしました、食前酒です。すぐに給仕がお食事もお持ちします」



 そう言って、デキャンタから手際よくワインをグラスに注ぐと、頭を下げてテーブルを離れて行った。



「さあ、ハルト様、ご遠慮なさらずに召し上がって下さいな」


「あ、はい。戴きます」



 キャロルがそう勧めてくれるが、この子も飲むのか?


 まだ十四歳でしょ?


 って、これお酒だよね?


 俺も未成年だけど良いの?


『少し口に含んでくれたら、すぐに分析するから大丈夫』


 アニマにそう言われて、グラスワインを少し口へ運んだ。


 口に含むと爽やかなブドウの香りが口いっぱいに広がる。


 甘味の抑えた透明なブドウジュースの様だが、鼻からアルコール成分が抜ける感じがする。


 白ワインって奴か?


 だが、気にする程アルコール度数は高くは無さそうだ。


『うん、アルコール度数は二から三度程度。不純物も少ない葡萄酒ね、そのまま飲んでも大丈夫』


 アニマにそう言われてゆっくりと飲み込むと、その喉越しも心地良い。


 そしてそのままスーッと胃袋に染み渡る様だ。


『この程度のアルコールだったら即時分解出来るけど、少しは酔ってもいいよね~』


 マジ?


 酔っても平気?


『ヤバそうならすぐ分解するけど?』


 ああ、頼む。


 酒飲むの初めてだもん。


 しかし、おじさん達が最初の一杯は程よく冷えたビールだと言ってるのを聞いた事があるが、俺にはこれが一番だと思う!


 まあ、ビールも飲んだ事無いけどね。



「これ、凄く美味しい!」


「わぁ! お口に合いましたか⁉」



 キャロルが目を輝かせて嬉しそうに俺を見ると、その様子を見ていたメリルも嬉しそうに微笑んだ。



「これはキャロルお嬢様のお気に入りで、エルの白ワインなんです」


「そうなんですね! でも、キャロルは十四歳でお酒飲んでるの?」


「あら、この国で認められている飲酒年齢は十三歳からですよ?」


「えーっ⁉ そ、そうなんですか⁉」



 マジか!


 ここじゃ十三歳からワインとか飲むのかよ!


 小学校卒業したばかりじゃね⁉



「ハルト様のお国では何歳からなのでしょう?」


「あ、うちでは二十歳ですね」


「えーっ! 二十歳ですって? 随分と手厳しいお国なのですね」


「え、ええまあ、そうですか?」



 いやいや、十三歳で飲酒は普通じゃ無いでしょ?


『ハルト、その辺り気になって探ってみたんだけど……』


 ん? どうした?


『この世界の年齢について計算してみたら、元の世界よりも一年が凡そ半分は永いようね。例えば一年が十八か月とか?』


 と、言うと?


『キャロルは十四歳だけど、元の世界で言うと二十一歳位ね。メリルはこっちで十八歳だから、向こうでは二十七歳位なの』


 え……。


 二人共俺よりも年上じゃん!


 じ、じゃあ、あのモーリスは?


『ざくっと五十代半ば?』


 マジか!


 どうりで老けてると思ったわ!


『だよね~』


 モーリスが十歳から馬を引いてるとか言ってたけど、実は十五歳って事か……納得出来たよ。


 俺が頭の中のアニマと話し込んでいると、不思議そうにキャロルとメリルが俺の顔を覗き込んでいた。


 それに気付いた俺は、手にしていたワインを慌てて口へ流し込む。



「あ、美味しすぎて飲み過ぎちゃうね、これ!」


「大丈夫ですか? ハルト様、少々お疲れでは?」


「そうですね、何だか考え込まれていた様でしたけど……」


「あ、ちょっとね、もう大丈夫!」



 二人が心配そうに俺を見ているが、俺の視界の先に丁度モーリスが誰かと入り口から入って来るのが見えた。



「あ、モーリスさんが誰かと一緒に入って来たけど?」



 俺がそう言うと、二人が入り口を見て立ち上がった。



「あ、モーリス!」


「やっと来たわね!」



 モーリスは女性の衛兵らしき人を連れて、宿へ入って来たのだ。



「遅くなりまして申し訳ございません! ミランダ隊長をお連れしました」


「これは、お嬢様! お話は伺っております、良くぞ御無事で!」



 そう言ってミランダは頭を下げた。



「それはこちら、ハルト様のお陰です! この件をすぐにお母様へお伝えして欲しいのです」


「はい、既に奥様へは伝令を向かわせております!」



 ミランダはそう言うと深々と頭を下げた。 



「流石ね、ミランダは!」


「ええ、本当に!」



 キャロルもメリルも一瞬驚いた表情をしたが、直ぐに笑顔になると誇らしげに彼女を見上げた。


 すると、ミランダは俺に向き直り、片膝をついて額が床に着くほどに頭を下げた。



「ハルト様、この度は感謝の言葉もございません!」


「なっ! やめて下さいよっ!」



 俺は思わず腰を上げ、中腰になったまま彼女にそう言う。



「いえ、ルビエンド家として、そしてエルの衛兵隊長としても、感謝の念に堪えません!」



 だが、ミランダはそう言ってその姿勢を崩そうとはしない。



「ハルト様、このミランダはルビエンド家から依頼されてこちらへ派遣されているのです」



 メリルが誇らしげにそう言って俺を見た。



「そ、そうなんですね。それでも、もう頭を上げて貰いたいんですけど……」


「ミランダさん、ハルト様がこう仰ってる事ですし……」


「そうですよ、お顔を上げてハルト様へきちんとご挨拶を……」



 キャロルとメリルにそう言われ、片膝をついたままゆっくりと顔を上げた。



「はい……」



 見た目は若そうだがこんな女性が衛兵隊長なのか?


『ハルト、この人だよ、上から見ていた人』


 え? そうなの? 火の見やぐらの上から?


『うん、多分。ハルト、握手してみて!』


 握手? 分かった。



「ミランダ隊長ですね? 俺は霧島悠斗です、宜しく」



 そう言って手を差し出すと、彼女はまた深々と頭を下げてしまった。



「ご挨拶が遅れて申し訳ございません! この街で衛兵隊長を務めさせて戴いております、ミランダ・イースランド・ルビエンドと申します!」



 ミランダが頭を下げたままそう言うが、これじゃあ握手なんて出来そうもないんですけどー?


『相手は貴族よ? 男らしく彼女の手を取って立ち上がらせるの!』


 あ、はい!


 アニマに嗾けられて俺は立ち上がると、そっと彼女の手を取って立ち上がらせた。



「さあ、もう頭を上げて下さいよ」



 俺が彼女の手に触れた瞬間、アニマがミランダのステータスログを詳しく書き換えた様だ。


 ミランダ・イースランド・ルビエンド、年齢は十八歳……。


 って事はメリルと同じか?


『オッケー! 記憶したから手を離していいよー』


 え?


 アニマにそう言われて、自分がまだ彼女の手を握っている事に気付いた。


 ハッと気づいて彼女を見ると、俺に手を握られたまま困惑した表情で下を向いている。



「あーっ! ご、ごめんっ! なさいーっ!」



 慌てて手を離すと彼女は慌てて二歩、三歩と後ずさり、又もや片膝をついて頭を下げてしまった。



「い、いえっ! 申し訳ございません!」



『何やってんの?』


 な、何って! 


 アニマが呆れた様にそう言うが、初対面で握手なんてあまり経験が無いからさ!


『まあ、彼女のスキルが分かったから収穫はあったよ』


 スキル? って、沙織さんや悠菜みたいなの⁉


『んーあの人達とは大違い。簡単に言うと、ミランダは魔法使いね』



「え、えーっ⁉」



 突拍子も無いアニマの言葉に、俺は思わず声を上げて叫んでしまった。


『おっちょこちょいだね~』


 アニマがそう茶化すが、今の俺は動揺が隠せない。


 キャロルとメリルが驚いて俺を見上げているが、傍に居たモーリスも心配そうに俺を見ている。



「ど、どうされましたっ⁉」


「ハルト様っ⁉」



 気付くと、他のテーブルの人達も何かあったのかとこちらを見ている。



「あ、ちょっと……ね」



 しどろもどろになりながらも皆の顔を見回すと、頭を下げていたミランダも顔を上げて驚いている。


 いや、俺は貴女に驚いてるんですけど?



「ま、まあ取り敢えず座ろうか」



 俺がそう言って皆を見回すと、タイミング良くそこへアイカが料理を持って来た。



「あら、皆様いかがされました?」


「あ、ちょっとミランダさんとご挨拶を……」



 俺がそう言ってアイカを見上げると、キャロルとメリルが頷いた。



「ええ、アイカ。隊長とモーリスへ飲み物をお持ちして下さる?」


「はい! すぐにお持ちします!」



アイカは大皿に盛り付けられた料理をテーブルに置くと、足早に調理場へと去って行った。



「では、ハルト様召し上がって下さいませ」


「あ、はい! 戴きます!」



次々と若い女性が数名料理を持って来るが、俺はアニマが見せているミランダのステータスに釘付けになっていた。


 魔法使いってどういう感じなんだよ。


 スキルの一つにスーパーアイと言うのがあった。


 このスーパーアイって遠くが見えるとか?


『ミランダは光属性の魔法使いね』


 光魔法?


『人が物を見るには明るさが無いと駄目でしょ?』


 ああ、そうだな。


『簡単に説明すると、光ファイバーってかなり離れても、情報を一瞬で伝える事が出来るけど、それには光が必要なの』


 で、彼女はどんな光の魔法使いなんだ?


『ミランダはどんな遠くのモノでも、光の情報として一瞬で知る事が出来るの』


 な、なんだそれ! すっげーじゃん!


『でも、今の彼女は暗闇ではそれが発揮出来ない様ね』


 そうか……真っ暗だと見えないって事か。


『だけど、上位の光魔法者だと可視する能力が更に増えるみたい』


 と、言うと?


『例えば、赤外線とか紫外線とか』


 なるほど!


 人間の可視光線より更に拡げて見えるって事か!


 赤外線カメラみたいに⁉


『そう言う事~』


 俺がアニマと話し込んでいると、皆が心配そうに俺を見ていた。



「ハルト様、お料理を召し上がっておられませんが……」


「お口に合いませんか?」


「あ、いえいえ! あまりお腹が空いて無かっただけですよ」


「そうなのですか……」



 すると、皆はがっかりした様子で手を止めてしまった。


『ハルト、私が分析して置くから少しは食べてみたら?』


 そうだよな、一緒にテーブルを囲んだ以上、俺が食べなきゃ皆に悪いよな。


『食物分解も任せて頂戴』


 分かった、アニマに任せて少し食べるとするか。


 俺は皆を見回すと、軽く頭を下げた。



「すみません、実は少し遠慮してまして」



 俺がそう言うと、皆はななり困った表情になってしまった。



「え? そんな、ハルト様! どうかご遠慮なさらずに!」


「そうです! お料理はどんどんと運ばれて来ますので!」



 美味しそうに料理を頬張っていたモーリスも、今は食べる手を止めて俺を見ている。



「そうですか? では、遠慮なくこちらの郷土料理って言うのを戴きますよ」


「さあ、ハルト様! これはこの土地で採れた野菜サラダです!」



 そうして、笑顔になったキャロル達に勧められるがまま、俺はテーブルに置かれた数々の料理を食べ始めた。

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