第27話 異次元世界へ


 時刻は午前五時を過ぎた。


 俺はイーリスと露天風呂に浸かっている。


 愛美や蜜柑に見られたら大騒ぎになるだろう。


 いや、友香さんや未来も居るし!


 それだけじゃない!


 朝比奈さんと夜露さんだって居る!


 仕方ないでしょ、こいつが入るって言いだしたんだから。


 俺を男として見てない様だし、こっちだってイーリスを女としては見ていない。


 俺の前で躊躇なく服を脱ぎ捨てて、裸のまま露天風呂へ走って行くイーリスに、流石に最初は戸惑ったが、やはり幼児体型の彼女には異性を感じなかった。


 まあ、子供の裸見て欲情する様な性癖では無いって事ですよ。



「ふわぁ~気持ちいいなぁ~」



 こうしていると、体中にエネルギーが補充される様だ。



「だな~この風呂はホントに良いぞ⁉」


「あ、お前もそう思う?」


「うんうん! 流石ルーナの湯だよ」


「そうなんだな~」



 俺は両手で湯をすくうと、ザバッと顔に掛けた。


 すると、脳裏にイーリスの姿がフッと浮かんだ。


 あの時に見た虹色に光る美しい女性の姿だ!


 一瞬ハッとしたが、目を開けて見ても幼い少女だろう。


 だったら断然こっちの方がいい!



「な、なあ、イーリス」


「ん? どしたー?」



 目を閉じたままイーリスに声を掛ける。


 すると、美しい女性がキョトンとした表情で俺を見た。


 綺麗な人ってこんな表情でも綺麗なままなんですね!


 このままずっと見ていたい。



「何だよハルトー! 寝ちゃったのか?」


「あ、いや、ホントに気持ち良いなーって」



 俺が目を瞑ったままそう言うと、綺麗な人は気持ち良さそうに目を瞑った。



「ああ、気持ち良いよな~」



 うっとりした表情がまた実にいい!


 うわぁ……な、何とも言えん!


 何だかドキドキしてきちゃったじゃんか!


 だけど、こいつはイーリスだよな⁉


 実際はあの幼児体型で、天邪鬼なお子様なんですけどっ⁉


 あれがどうしてこうなの⁉


 何だかヤバそうな気がして目を開けた。


 するとやっぱりいつものイーリスだ。


 急に醒めちまったよ……。


 すると、不意に脳内センサーが反応した。


 な、何っ⁉ 誰だ!


 どうやら友香さんと未来、そして夜露さんが脱衣場に入って来た様だ。


 ヤバいっ!


 どうするっ⁉



「ちょ、ちょっとイーリス! 離れろ!」


「な、何だよ!」



 俺は慌ててイーリスから離れた。


 彼女は面倒くさそうな表情をしたが、動く気は無い様だ。



「あれ? イルちゃん⁉」



 扉を開けて未来が声を掛けた。


 ヤバいっ!


 マジで裸じゃん!


 あ、俺は見てないよ⁉


 目を瞑ってるけど、脳裏に映っちゃうんだってば!



「お? その声はマナミの新しい姉ちゃんか?」



 イーリスは声の方を見もしないでそう答えた。



「新しい姉ちゃんて……」



 未来が苦笑いをしてシャワーを浴び始めると、後から友香さんと夜露さんも入って来た。


 うわっ!


 友香さんも裸だっ!


 夜露さんまでっ!


 いや、風呂なんだから当たり前だけど……。


 勿論、目は瞑ったままですって!


 そして、前に愛美が言ってた彼女の傷痕も幾つか見えてしまった。



「あら、イーリスちゃん? おはようございます~」


「と、ハルトの奉公娘とそのお供かー」



 やはり見もしないでそう言った。


 しかし、友香さんの胸……大きいのに形がいい!


 くどい様だけど、目は瞑ってる。



「奉公娘~?」


「そのお供……」



 友香さんがキョトンとして首を傾げ、夜露さんはその場でフリーズした。


 いずれあいつには教育的指導が必要だな。


 しかし、俺の姿には気付いて無いのか?


 三人が並んでシャワーを浴びている。


 声を掛けるタイミングを完全に失ってしまったーっ!


 三人がゆっくりと温泉に入って来る。


 ま、マズい……非常にマズい。


 声を掛けた方がいいよね?


 三人が湯に入って肩までしゃがんだらにする?


 間もなく、三人がゆっくりと湯に入った。


 今がチャンス?



「あの~」



 三人が驚くのを百も承知で声を掛けた。



「え?」


「きゃっ!」


「――っ⁉」



 三人が一斉にこっちを見たのが分かった。



「みなさん、おはようございます~」



 出来る限り平常を装い挨拶をする。


 無意識にとった行動だが、悪くは無い筈だ。


 くどい様だが目は瞑ったままだ。



「び、びっくりしたっ!」


「き、霧島君⁉」


「お嬢様っ!」



 夜露さんが友香さんを庇う様に、彼女を背にしたのが分かる。


 未来は両手で胸を隠して俺を見ているが、かなり驚いた表情だ。



「あ、最初から目を瞑ってますから!」



 目を瞑ってても見えちゃう事は内緒にしてね?



「霧島君! イルちゃんと入ってたの⁉」



 未来がそう聞いてきたが、後の二人は驚いた表情で俺を見ているだけだ。


 脳内センサーで彼女達の精神状態を探ると、やっぱり驚いている感情に溢れている。


 そりゃそうですよね~。



「こいつが入るって利かなくてさ、仕方なく」



 目を瞑ったままイーリスを指差した。



「何だよー。いいじゃんか、別にー」



 三人は顔を見合わせるとイーリスを見た。


 だが、イーリスはしれっとした顔をして湯に浸かっている。



「まあ、イルちゃんがいいなら良いのかな?」


「それもそうですよね?」


「はい……」



 三人が納得し始めた。


 問題はこの状況の俺ですよね?



「今は男でも、こいつハルトだぜー? いいんじゃない?」



 だから、こいつの言ってる事は理解出来ない。


 今は男でもって何だよ!


 性転換する気なんて無いんですけど?



「そっか……霧島君だったら、私は……別にいいかも……」



 ちょ、ちょっと友香さん?


 寝ぼけてます?



「友香ちゃんはいいかもだけど、あたしはどうなの?」



 困った表情で未来がそう言った。



「そっかぁ……」



 友香さんは恥じらいながらも、何故か思い詰めた表情になった。



「ま、あたしは友香ちゃんが妬かなきゃいいけど?」



 そんな彼女に気付くと未来が悪戯っぽくそう言った。



「えっ⁉」


「でも、何だかこんな状況……前にもあった気がする……」



 未来が苦笑いしながらそう言うと、友香さんが何かを思い出した。



「あ、この前、霧島君に裸見せちゃったって、未来ちゃん話して無かった?」


「あ、そうだった!」


「思い出した?」


「うん、あたしここでセレスさんに脱がされて、霧島君に見せちゃってた!」


「でしょう?」


「でしたー!」



 そう言って二人は顔を見合わせると、クスクスと笑い出した。



「あ、でも……」



 友香さんが何かに気付いて夜露さんの顔を見た。



「あ、私は別にかまいませんが……」


「そっか……夜露さんは駄目よね」



 未来がそう言って俺を見た。



「霧島君、やっぱ今は見ちゃダメー」


「あ、うん」


「いえ! 私は出ますのでゆっくりお入りください!」



 夜露さんがそう言って立ち上がった。


 ちょ、丸見えじゃん!


 再三言ってるけど、目は瞑ってます。



「いやいや! 僕はもう出ますよ? 十分入ってたし、夜露さんはゆっくり入ってね?」



 目を瞑ったままそう言うと、態勢を低くしながら湯から出ない様にして、イーリスに近寄ると彼女の手を掴んだ。


 目を瞑ったままイーリスを見ると、すっげー綺麗だから動揺するんだよな。



「な、何だよハルト」


「ごめんイーリス、時間止めて」



 耳元でそう言うと、イーリスは呆れた表情で俺を見た。



「そんな事、出来る訳無いだろ⁉」


「何言ってんだよ、前にやったじゃん!」


「前に? あたし、時間なんて止めた事ないよ?」


「え?」


「次元空間の歪、創っただけ」


「それでいいから!」


「何だよー急にー」



 イーリスがそう言うと、バチッと辺りの様子が変化した。


 脳内の位置情報は、見た目はいつもの露天風呂だが、明らかに別次元空間である事を示している。


 そっと目を開いて見ると、露天風呂の大きな岩から滴り落ちるお湯が、やはりそのまま止まってる。


 あのセピア色の世界だ。


 友香さんや未来の姿は見えない。


 俺は手を繋いだまま、イーリスを連れて脱衣場まで出て来た。



「これでいーの?」


「ああ、サンキュー! 助かった! 俺は出るけど、イーリスはごゆっくり」


「はいよ。じゃ、戻すよー?」



 イーリスがそう言うと、バチッと何かを感じたと同時に、セピア色の景色が一瞬で消えた。


 やっぱ、イーリスって凄いじゃん!


 そしてイーリスが露天風呂へ戻って行くと、未来の叫ぶ声が広い浴室に響き渡った。


 突然消えた俺とイーリスに、勿論三人は驚いただろう。


 そして今度は一瞬で別の場所から現れたイーリスに、三人はまた驚いた訳だ。


 ま、これがイーリスの能力なんですよ。


 

 ♢



 脱衣場から部屋に戻った俺は、いつもの普段着に着替えると、愛美の様子を頭の中で探った。


 やはり愛美の横には蜜柑が寝ている。


 まあ、あいつらが二人で寝ても余る位のベッドだけどさ。


 これからもずっと一緒に寝るつもり?


 二人に地球の危機は無くなったって、早く教えてやろうと思ったんだけど、あいつらには起きてから教えてやるか。


 何も叩き起こしてまで言う事でも無いよな。



 そう思った俺は下のリビングへ向かった。


 向かう途中に気付いたが、既に朝比奈さんがキッチンに居る。


 そうか、朝ご飯の支度をしてくれているんだろうな。


 前はずっと沙織さんと悠菜がやってくれてたけど、今は朝比奈さんと夜露さんが家事をしてくれている。


 本当にあの二人には感謝しかない。


 ダイニングへ入ると、俺に気付いた朝比奈さんがこちらを見た。



「霧島様、おはようございます」


「朝比奈さん、おはようございます! いつも家事をありがとうございます」


「いえ、今朝はお早いのですね」


「ええ、朝風呂まで入って来ちゃいましたよ」



 俺がそう言いながらダイニングの椅子に座ると、朝比奈さんはキッチンからマグカップを持ってダイニングへ入って来た。



「さようでございますか」



 そう言うと、朝比奈さんはマグカップをテーブルにそっと置いた。



「これは?」


「はい。野菜ジュースでございます」


「あ、どうもありがとうございます!」

 


 手に持ってそっと口にすると、人肌に近い温度だ。



「これって……」


「はい、愛美様から教えて頂きました」


「そうなんだ?」


「はい、霧島様は毎朝これを召し上がっておられたと……」


「うん、沙織さんや母さんが毎朝飲ませてくれたんだよね、これ」



 思い出すよな、母さんや沙織さんを……。


 いつも俺の為を想ってくれていた。



「お口に合いますでしょうか?」


「ええ! 何だか母さんや沙織さんを思い出します」


「左様ですか……」



 俺はマグカップを懐かしむ様に見ていたが、その時少し寂しそうな表情で、スッと目を逸らした朝比奈さんに気付いた。


 もしかして気にしちゃった?



「あ、朝比奈さん。気にしないでね?」


「あ、はい……」


「寂しい事はまあ、寂しいけどね。でも、二人以上に今は家族が増えたしさ」


「霧島様……」


「だから、寂しさなんてどっか行っちゃったよ?」


「はい!」



 朝比奈さんは笑顔で頷いてくれた。



「あ、それからメアリーさん達に連絡って出来ます?」


「え? はい、出来ますが……?」


「そっか! それじゃ連絡して欲しい件があるんですけど、いいですか?」


「はい! 何なりとお申し付けください」



 昨日の夜ここに居たメアリーさんも、内心ではかなり心配している筈だ。


 彼女だけじゃない。


 地球存亡の危機を知らされている、全ての人を早く安心させてあげなきゃ。



「ありがとう! 例の異星人襲来ね、あれ、解決したって伝えてくれます?」


「え? どういう事でしょうか……」


「うん、送り返せたの、あいつら」


「えっ⁉ いつですかっ⁉」



 って、いつだっけ?


 何だか結局眠れなくて、あれから徹夜だったしなー。



「えっと、早朝って言うか、明け方? 四時半か、五時ごろ?」


「あの、ピーンとやってバーンですかっ⁉」


「あ、あははは、それかー!」


「ち、違いましたか?」



 そういや、そんな事を話してたっけね。


 当初はイーリスがピーンで、俺がバーンだったよね?


 イーリスのピーンは分かるとして、俺のバーンって攻撃でしょ?


 疑似冥界でやってみたあの剣の攻撃じゃ、その後がどうなってる事やら……。



「いえいえ、その計画でしたけどね」


「何か別の……でしょうか?」


「実はピーンもバーンも無しだったんだけど、上手い事やれたからもう大丈夫ですよ」


「そ、そうなんですかっ⁉」


「ええ、地球の危機って言われて、結構心配でしたよね」


「はい」



 そりゃそうだよね、朝比奈さんも自分に何が出来るのか聞いてくれてたし。


 直接何も出来ない自分を、実際は歯がゆかっただろう。



「僕もですよ。でも、何だか呆気なく解決出来ました! もう安心してください」


「霧島様っ!」


「は、はい⁉」


「私、霧島様に仕える事が出来て、本当に嬉しく思います!」


「そんな、僕だって朝比奈さんが家事をしてくれて助かってますって!」


「本当に何という……お方でしょう……」



 何だか、朝比奈さんって感激屋さん?


 妙に感謝してくれるけど、感謝してるのは俺の方だけど?



「取り敢えずはメアリーさんってか、JIA本部に報告してくれたら良いのかな?」


「はい! みんな驚きます!」


「んじゃ、JIA関係者へのサプライズは、朝比奈さんにお任せします。驚かせてあげちゃって下さい」


「はい! ありがとうございます!」



 みんな喜んでくれるよね?


 灰原さんだってきっと喜んでくれるはずだ。


 会った事無いけどイオさんだって……。


 そう言えばあの人、まだストーキングするつもりなのかな……。


 まあ、今は考えるのはやめておこう。


 愛美と蜜柑には出来たら俺が言いたいなぁ。


 愛美の喜ぶ顔が見たいし。



「愛美や蜜柑には僕が話そうと思ったけど……」


「ええ! 是非、霧島様がお伝えを……」


「でもなー、イーリスが言っちゃうと思うけどなー」


「あ、イーリス様ですか……それは困りましたね」



 結局のところ、イーリスは愛美にべったりな所があるしさ。


 風呂からあがって愛美の部屋に行ったら、絶対に言うだろうなー。


 でもまあ、あいつのお陰で解決したし?



「あー、いーのいーの。あいつが居なきゃ解決も出来なかったし」


「霧島様……」


「あいつにも美味しいとこあげなきゃね」


「霧島様が宜しければ、私はそれで……」


「うん、イーリスが愛美に話したら、それはそれでオッケーさ」


「はい……」



 そう言って朝比奈さんは寂しそうに頷いた。


 何だか彼女は本当に俺の味方かも知れない。



  ♢



 噴水のある部屋に一度戻っていた俺は、朝ご飯だと愛美に呼ばれてダイニングへ来た。


 大きくて広いダイニングテーブルには、既に朝食の用意がされていた。


 気付くと、イーリスが椅子に座って、目の前のパンをジーっと見つめている。



「よお、イーリス。お前、パンのお預けくらってんのかー?」



 恐らく、愛美辺りから皆がそろうまで待てと言われたのだろう。


 すると、イーリスはパンから目を離さずに手を上げた。



「ちゃんと見てないと見失うからだよ」


「お前なぁ……」



 ホントにこいつは何処までマジで言ってるんだか……。



「あー、お兄ちゃん来たー!」



 キッチンから出て来た愛美がそう言うと、デキャンタを二つ手にした蜜柑もキッチンから出て来た。



「お兄ちゃん、おはようございまーす」


「おー蜜柑、おはよー」


「霧島様、おはようございます」


「夜露さん、おはようございます!」


「あれ、あれー? あたしにはー?」


「愛美さん、おはよー」


「何よ、気持ち悪い」



 流れでさん付けしただけじゃんか。


 朝から愛美こいつは不機嫌なのか?



「霧島君、おはようございます」


「あ、友香さん、おはよう!」



 すると、未来が友香さんにそっと肘を当てた。


 未来はどうやら友香さんの耳の傍で何かを言うつもりだ。


 俺にはそういう変化を察知出来る、特殊な能力があるのだ。


 実はこの能力、目を瞑った方が察知しやすい。


 いや、今は目を瞑って無いってば。



「友香ちゃん、霧島君に朝の挨拶は済んでるでしょ」


「あ……そうでした」


「友香さんっ! おはよー! 五十嵐さんもおはよー! みんなに何度もおはよー!」



 めっちゃ焦るんですけどーっ!


 ちょ、未来さん、やめてーっ!


 大浴場で遭遇しちゃったの知ったら、間違いなく愛美が激怒するからっ!



「何なのお兄ちゃん……どっか具合悪いの?」


「あ、愛美ちゃんおはよー!」


「だから、キモいってばっ!」



 うっ……でも、これで誤魔化せた?



「じゃ、みんな席についてー!」



 愛美がそう言って椅子に座った。


 あ、こいつイーリスからやっぱ聞いたな?


 皆に一斉に発表か?


 愛美の奴、危機が無くなった嬉しさを、実は精一杯押し殺してるんだろうな!


 サプライズ発表も、嘘の付けない愛美には苦労するだろ。


 あいつはすぐに顔に出るしな。


 皆が席に座ると、愛美は傍に立っている朝比奈さんと夜露さんを見た。



「あ、朝比奈さんと夜露さんも座って下さいね?」


「え?」


「今日から特別な事情が無い限り、朝比奈さんと夜露さんも一緒に座って下さいね?」


「え……」



 朝比奈さんと夜露さんがその場で固まる。



「今日は皆さんにこの辺りをお伝えしたくてー」



 そう言うと、蜜柑と顔を見合わせてからぐるっと俺達を見た。


 この辺り?


 は?


 サプライズ報告は?



「そうなの?」


「うん、だってさー朝比奈さんも夜露さんも、友香さんのSSさんだけどさー」


「あ、うん」


「今は友香さんが、お兄ちゃんのお嫁さん候補として来てくれてる訳だから、結局は友香さんも家族じゃん?」


「あ、まあ……」


「そうなったら、友香さんのお連れの方も一緒に生活してくれてたら、やっぱり家族でしょ?」


「そ、そうなるな」


「あたしは家族はみんな、一緒にテーブル囲みたいの」


「そうか……」


「あたし、例えお手伝いさんだって、一緒に座って一緒に食事したいもん」


「私もまなみの保護任務で一緒に生活してるけど、お兄ちゃんは今のままで良いって言ってくれたよ?」



 そうだったな……。


 蜜柑は愛美のボディーガードとして、沙織さんの依頼でJIAから派遣されてるんだよな。


 でも、影浦家が消滅した今、蜜柑はこうして霧島家の家族として一緒に生活してる。


 そしてそれは今後もずっとだろう。


 勿論、蜜柑が望んでくれたらの話だけど……。



「まあ、それは俺もそう思う」


「じゃあ、お兄ちゃんも賛成してくれる⁉」


「ああ、賛成だ」


「やったね、みかん! 朝比奈さんと夜露さんも家族だよ⁉」


「うん! お兄ちゃんならきっとそう言うと思った!」


「うんうん! あ、友香さんと未来さんはどう思います?」



 急に話を振られた二人は顔を見合わせた。



「そこは、そのご家庭の、それぞれと言うか……」


「私は、こちらの皆さんが朝比奈や夜露を、家族として受け入れて戴けるのであれば……」

 


 二人とも歯切れの悪い言い方ではあるが、まるっきり反対では無さそうだ。



「じゃあ、これからは皆で一緒にテーブル囲んでくれる⁉」



 そう言って、愛美と蜜柑は朝比奈さんと夜露さんを見た。


 メイドの二人は顔を見合わせていたが、終いには友香さんに助けを求める表情をした。


 すると、友香さんが軽く頷いてから俺を見た。



「あの……霧島君」


「ん? なあに?」


「私、ご奉公って事でこちらへ居候させて頂いていて……そのお供という形で、朝比奈と夜露を連れている事になったのですけれど……」



 そうかー!


 そうだったーっ!



「それも昨日の夜に急遽決まった事なので、両親には電話でしかお話して居なくて……」


「で、ですよねー」


「でも、既に両親は祖父から事情を知らされていて……」


「そうだったの?」


「ええ。ですから、正式に本日からご奉公をさせて頂きたく思っておりました」


「ご、ご奉公ですか……」


「はい。宜しくお願い致します」


「って、ご奉公って何するの?」


「父は花嫁修業だと思いなさいと……」


「は、花嫁修業ーっ⁉」



 そう言うのって、相手の家で泊まり込みでやるものなのっ⁉


 実際、ご奉公が何だか分かんないけどさ。



「母にも伺ったのですけど、その……霧島君にお嫁さんと認められるまで、しっかりとお世話をしてみなさいと……」


「お、お嫁さんーっ⁉」



 何だか、マジで偉い事になってんじゃん!


 そんなんで良いのっ⁉


 婚前何とか色々モラルに問題とか起きたりするでしょ⁉


 自分でも何言ってるか分かんなくなって来た!



「あー、本当に友香さんがお兄ちゃんのお嫁さんかー」


「うん、何だか私も実感出て来た」 


「友香お姉ちゃんだね」


「うん、友香お姉ちゃん」



 愛美と蜜柑がこそこそ話している。



「あのさー、お前らもっと大事な話があるんじゃ無いの?」



 不意にイーリスがそう言った。



「え?」



 俺達は一斉にイーリスを見たが、彼女はまだパンから目を離して無い。



「え? イルちゃん、どうしたの?」



 あいつ、まだパン見てるのっ⁉


 つーか、俺にとっちゃこれも大事だけど?


 でも、地球存亡の危機を脱した訳だしな。


 早く皆に伝えないとね。



「ああ、そうだったな」



 俺がイーリスにそう言うと、愛美が不満そうな表情で俺を見た。



「何よ」


「ん? 愛美聞いただろ?」



 俺が愛美を見てそう言うと、他の皆も不思議そうな顔で俺を見た。



「だから何をよ」


「あれ? イーリスから聞いてない?」



 俺がイーリスを見ると、彼女はパンから目を離さずに手を横に振った。


 マジで?


 お前、何にも話して無いの⁉



「お前ら、イーリスから地球の危機が無くなったって聞いてないの?」


「危機って……。ええーっ⁉ マジでーっ⁉」



 愛美が俺の方へ身を乗り出して声を上げた。



「ええええーっ!」


「嘘ーっ⁉」



 蜜柑も俺を見て声を上げた。



「いや、ホント」


「いつの間にっ⁉」


「明け方にね」


「明け方って……今朝の? だよね?」


「ああ、今朝だな」


「こいつ、独りで片付けちゃった」



 イーリスは俺を指差してそう言ったが、まだパンからは目を離していない。



「お兄ちゃんっ!」


「は、はいっ⁉」


「ホントにっ⁉」


「ホントだってば」



 すると、愛美と蜜柑が急に立ち上がった。



「やったーっ! ほらねっ⁉ お兄ちゃんなら出来るって思ってた!」


「私もーっ!」



 愛美がガッツポーズをして見せると、蜜柑が目を輝かせて頷いた。



「そっか? まあ、呆気なかったけどね」


「そうなのっ⁉ 大変じゃ無かったの⁉」


「んー、やってみたら出来ちゃった、みたいな?」


「何それーっ!」


「あ、いや、やってみる前までは大変だったさ」


「一体どうやったのっ⁉」


「あー何て言うのかな……理屈は簡単だけどさ、やれると思える迄が難しかったって言うか?」


「なにそれー!」



 自分で言っておいて何だけど、なんだか聞き覚えがある……。


 あ……悠菜が言ってた?


 生垣消した時に悠菜が言ってた!


 理屈は簡単でもやるのは困難だっけ?


 あの時は訳分かんなかったけど、こういう感じなんだな。



「でも、凄い凄いーっ!」


「うんうん! お兄ちゃん凄いーっ!」



 愛美と蜜柑が手を取り合って喜ぶと、朝比奈さんと夜露さんも嬉しそうに顔を見合わせた。



「私はあまり実感が無いけど、凄い事なんだよね⁉」



 未来は友香さんにそう聞いているが、友香さんにしても実感は薄い様だ。



「私も良く分からないけど、危機は無くなったって事ですよね?」



 友香さんはそう言って朝比奈さん達を見た。



「はい、お嬢様! 霧島様が地球をお救いになられたのです!」



 地球をお救いにって……それこそ実感が無いけどさ。


 でもまあ、皆にも喜んで貰えたし良かったわー本当に。



「んじゃ、もうこれ食べていいー?」



 イーリスがこっちを見ずにパンを指差してそう言った。



「あっ! イルちゃん!」



 愛美がイーリスに驚いて彼女に駆け寄る。



「うんうん! 食べていいよっ⁉」


「やたーっ!」



 愛美に言われるか否や、イーリスは目を輝かせてパンを口に頬張った。

 


「皆さんも一緒に食べましょおー!」


「はーい!」


「はい!」



 愛美がそう言うと、皆が一斉に返事をする。


 そして皆、思い思いに朝ご飯を食べ始めた。


 ここに居る皆が零れる様な笑顔だ。


 ああ、何て気持ちの良い日だ……。


 沙織さんと悠菜が帰ってしまってから色々あったけど、今はこうして新しい家族と食事をしている。


 そして、この先もずっと続くだろう。


 その内、両親も帰って来る。


 もっと賑やかな家族になる。


 こんなに家族が増えて、父さんも母さんも驚くだろうけど、絶対に喜ぶ筈だ。


 いっその事、ここをJIAの本部にしちゃうとか?


 そうすれば灰原さんもイオさんも、いつも俺らと一緒に居られるしさ。


 そうだよ、裏には実家もあるし父さんと母さんは反対しないかも?


 愛美と蜜柑だって、裏とこっちを行き来したらいいしさ!


 これからの生活が激変する予感がめっちゃする!


 大学だって毎日友香さんと一緒だぜ⁉


 その内、愛美と蜜柑もうちの大学だろ?


 しかも、大学の理事長さんが友香さんのお婆ちゃんだしさ。


 お爺ちゃんは水族館だし⁉


 あ、いや、爺さんが水族館じゃ無いか。


 兎に角、明日から楽しみじゃん!


 あ……しかも!


 再来週には友香さんのプライベートビーチでしょ⁉


 皆で行けるじゃん‼


 何だか沸々と喜びが湧き上がって、改めて実感出来る!


 俺、こんなに幸せでいーの⁉


 そう思うと、ふと何かが気になった。


 何だろう、このモヤモヤは……。


 目まぐるしく脳内でサーチすると、思いの外直ぐにその原因らしきものが頭に過った。


 イーリスか……。


 あいつはどうするんだろう。


 いや待て、あいつがどうするかを俺が考えるより、あいつの問題を俺が解決しなきゃ駄目じゃん!


 そう思うと浮かれてはいられない。


 あいつの問題は何も解決して無いんだから……。



 俺はそっと皆を見回した。


 愛美は蜜柑と楽しそうに話している。


 朝比奈さんと夜露さんもあんなに笑顔で……。



 今、ここに居る皆が楽しく食事をしている。


 地球存亡の危機を知った沙織さんは、直ぐにセレスや悠菜、JIAにもその情報を共有して対策を練ったんだよね。


 でも結局、俺の生命の危機だと予測して、沙織さん達は俺をエランドールへ連れて行く案を提案した。


 だけど俺は、この皆を置いて行きたくは無かった。


 皆のこの笑顔の為にここへ残ったんだ。


 悠菜もあの時は、まさか俺がこんな事が出来るとは思わなかった筈だ。


 セレスと沙織さんだって、こうなるとは想定しなかったかも知れない。


 でも、心から俺を信じて、祈ってくれたんだろうな。



 離れていても、今でもずっと俺達の事を想ってくれているだろう。


 俺達だってずっと沙織さんと悠菜とセレス、三人をずっと想ってる。


 絶対に忘れる事は無いだろう。



 そして今、俺にはやらなきゃいけない事が出来た。


 それも直ぐにやらなきゃいけない。


 ふと見ると、イーリスが夢中でパンを食べ散らかしている。


 このイーリスが放浪しなきゃいけない、その問題を解決したい。



「みんな、ちょっと聞いてくれ」



 皆が一斉に話すのを止め、口へ運んでいたその手を止めた。


 いや、イーリスだけはゆっくりと口へパンを運んでいる。



「俺、まだやらなきゃいけない事があるんだ」



 愛美がキョトンとして俺を見ている。


 愛美だけじゃない。


 皆も不思議そうな表情で見ている。



「このイーリスが放浪しなくても良い様に、その問題を解決したい!」



 そう言うと、イーリスがピタッと固まった。


 皆が俺とイーリスを交互に見ている。



「どういう事?」



 愛美が小さな声で俺に聞いた。


 愛美の精神状態を自然と俺は察知している。


 不安そうなのは愛美だけじゃない。


 ここに居る皆の精神状態は一瞬で察知出来るのだ。


 特に変化が大きいのはやはりイーリスだった。


 その精神状態は不安と言うより、ここから逃げ出したいと言う、敗北感に近い感情が彼女に溢れている。



「イーリスはね、妹さんとの確執とかがあって、それが原因で漂泊者と呼ばれる様になってるんだ」


「え……」



 皆がイーリスを見ると、彼女はそっと視線を落とした。



「これから皆とそれを話し合いたい」



 すると、急にイーリスがガタッと椅子から飛び降りた。



「何でそんな事っ!」



 イーリスは戸惑った表情をして俺を見た。


 ヤバいっ!


 こいつに逃げられたら二度と会えないっ!



「待て、イーリスっ!」



 俺は立ち上がってイーリスに駆け寄ったが、伸ばしたこの手に何も触れる事は無く、彼女はその場でフッと消えた。


 『でもハルト……何か……ありがと』


 そう聞こえたが、耳で聞こえたのかよく分からない。


 今の俺は通常よりもかなり素早く駆け寄れた筈だが、イーリスには触れる事が出来なかった。


 慌てて脳内レーダーでイーリスを検索するが、どこにもあいつの気配が無い。


 既に近くには居ない様だ。


 ちょっとでも触れてさえいれば、時空の歪へ一緒に行けたと思う。


 そんな事を思いながら、イーリスの消えた空間をただ茫然と眺めていた。



「あれ⁉ イルちゃん⁉」


「ねえ、お兄ちゃん! イルちゃんはっ⁉」


「イーリス様っ⁉」



 皆が目の前で起きた現象に戸惑いながらも口々に問い出すが、イーリスが脳内レーダーから消えたからには俺にはどうしようない。



「どうしてイルちゃん消えちゃったのっ⁉」


「あ、ああ……」



 不安そうにしている皆に俺は、悠菜や沙織さんから聞いていたイーリスの伝説等、順を追って話した。


 俺が無意識ではあったものの、時空を彷徨っていたイーリスを召喚したであろう事や、あいつに二人の妹が居てその妬みによって、次元を超えて逃げる生活を送っている事など、多少の憶測も踏まえてだ。



「お兄ちゃんの気持ちは間違って無いと思うけど、イルちゃんには唐突過ぎたんだね」


「そうだったな……」



 愛美にそう言われて、俺は軽率だったと後悔した。



「でも、イルちゃんがここに居てくれたのって、霧島君を手助けするのが目的だったとしたら……」



 そんな俺を見ていた友香さんがそう言う。


 友香さん……俺を庇ってくれるのか?



「……ここに居る目的は無くなったとも思えますね」



 朝比奈さんは友香さんに同意してくれた様だ。



「いずれにしても、早かれ遅かれイーリス様は行ってしまわれた事でしょう……」



 夜露さんもそう言って皆を見回した。



「そうだよね、お兄ちゃんはイルちゃんにここに居て貰いたいから、話し始めたんだもんね」



 蜜柑がそう言うと愛美と顔を合わせる。



「うん、それはあたしも良く分かる。だけど、イルちゃんの家庭事情なんだから、あんな唐突に皆の前で話したら可哀そうよ?」


「うん、愛美の言う通りだよ。俺が軽率だった、みんなごめんね」



 俺は立ち上がって皆に頭を下げた。



「いえ、霧島様……」



 朝比奈さんと夜露さんが慌てて立ち上がると、困った表情で頭を下げる。


 すると、愛美もスッと立ち上がって皆を見回した。



「みんな……お兄ちゃんを許して下さい。ちょっとデリカシーに欠けるの」



 そう言って愛美が頭を下げると、蜜柑も立ち上がって同じ様に頭を下げた。



「わ、私からもすみませんでした」



 友香さんもスッと立ち上がると、深々と頭を下げた。



「ちょ、ちょっとみんなーっ! 何か変だってばっ!」



 突然、未来がそう言って立ち上がる。



「あ……」



 立ち上がった皆は顔を見合わせると、クスクスと笑い出した。


 気付くと確かに妙な状況だ。


 俺も釣られて笑ってしまった。



「だけど、イーリスが居ないのは寂しいな……」


「うん……」


「お兄ちゃん、何か心当たりは無いの?」


「心当たりたって……あいつ、それこそ次元が違うんだよ?」


「そっかぁ……心当たりはあっても行けないか」


「そう言う事……」



 俺達は椅子に座り直すとそれぞれ考え始めた。


 だが、考えたって解決など出来そうもないよね……。



「あれ?」



 すると、愛美が俺の手を見て何かに気づいた様だ。



「ん?」


「お兄ちゃん、悠菜お姉ちゃんの指輪してないの?」


「え? あいつの指輪? これだけど?」


「嘘だぁ……」


「ホントだってば」



 そう言って愛美に左手を差し出して指輪を見せた。



「だって、あたしが見た時と形が違うしー!」


「え? あ、そっか。これにイーリスが付加したんだっけ」


「イルちゃんの?」


「ああ、何だか分かんない事言ってたけど、この指輪に付加したって言ってた」


「それで形も変わっちゃったの?」


「そうじゃない? だって、指輪ってこれしか持って無いもん」


「ふーん……」



 そう言われて俺は指輪を触っていた。


 確かにこれにイーリスが付加をしたから、形にも変化があったんだろう。


 あ……待てよ?


 盾にイーリスのスキル付加したんだよな?


 じゃあ、盾遣って検索したらどう?


 俺は思わず立ち上がって庭へ飛び出た。



「ちょっと試してみる!」


「なっ、何をっ⁉」


「霧島君っ⁉」


「霧島様っ⁉」



 背中越しに皆が驚いているが、先ずは試してみたい!


 俺は右手で指輪に触れながら盾を展開した。


 そして、イメージしてみる……。


 次元を超えてイーリスの所在を検索出来ないかっ⁉


 だが、盾を広げた所で次元を超えた事にはならないだろう。


 どうしたら……。


 ――加護かっ!


 俺は左手でネックレスに触れると、沙織さんに祈りながらイメージを始めた。


 急にブンッと全身に力が漲ると、辺りが眩く光り出した。


 明らかに俺の身体が発光している。


 そして、バチッと頭の中に乾いた音が響き渡ると、脳内レーダーにイーリスを捕捉した!


 見つけたーっ⁉


 いや、だがその場所が問題だ。


 この世界の次元とは違った世界なのだ。


 通常の脳内レーダー捕捉と違って、加護を発動した盾にイーリスの付加スキルが更に発動している訳だ。


 この位置情報に示されたとはいえ、かなり複雑で簡単にたどり着ける場所では無さそうだ。


 加護を発動して考えてみても、イーリスが居る同じ次元へ移動するのが限界らしい。


 でもさ、同じ次元に行けるんだったら、そこからイーリスの近くまで移動したらいいんじゃね?


 よし、先ずはイーリスと同じ次元へ入ろう。



「よし! みんな! 俺、イーリスを連れて来る!」



 そう言うと、傍で見ていた皆が驚いて聞き返してきた。



「え?」


「えーっ⁉」


「どちらへっ⁉


「どの異次元世界かってのは特定出来た!」


「マジっ⁉」



 愛美が期待に満ちた表情で俺を見た。


 いや、皆も同じ表情だ。



「だから、先ずはその世界へ入って、そこでイーリスを探してくるから!」


「そ、そんなどっから行くのよ!」


「あの部屋だよ! 二階にある沙織さんと悠菜の部屋だ!」


「あ! 三人が帰った時の⁉」


「ああ! すぐに行って来るから、大学には休むって言っといて!」



 そう言って俺が二階の部屋へ行こうとすると、友香さんが両手を広げ俺の前に立ちはだかった。



「待って! 霧島君!」


「え?」


「お兄ちゃん! 落ち着いてよっ!」



 愛美も慌てて俺に駆け寄って来ると、両手で俺の腕を捕まえた。



「あ、うん……」



 呆気にとられて二人を見ると、明らかに動揺している。


 どうした?


 急がないとイーリスはまたどっかへ行っちゃうよっ⁉


 何処かへ行く?


 あ……そうか……あいつは漂泊者か。


 俺の方こそ動揺していたのか。



「ああ、そうだったね……」


「うん、お兄ちゃんが追いかけても、イルちゃん直ぐに消えちゃうかも……」


「そうですよ? それに霧島君、その恰好で行くつもりなの?」


「え?」



 友香さんにそう言われて我に返った。


 ベランダのサンダルにTシャツとスウェットズボン⁉


 コンビニへ買い物行くんじゃ無いんだよな。


 先ずはJIAの皆に危機は無くなったと報告して、追加事項としてイーリスのロストを報告か……。



「朝比奈さん」


「はい!」


「予定通り、JIAには朝比奈さんが今すぐに報告して下さい」


「はい! 畏まりました!」


「追加事項として家族が、イーリスが消えたと伝えて下さい」


「はい! 承知いたしました!」



 そう言うと、朝比奈さんがリビングへ走って戻る。



「夜露さんは引き続き、友香さんの警護をお願いします」


「はい! 承知いたしました!」



 夜露さんはスッと友香さんの傍へと寄った。



「未来は出来る限りでいいから、友香さんと一緒に居て欲しい」


「う、うん、分かった」



 未来は友香さんと目を合わせると軽く頷いた。



「蜜柑も愛美をよろしくな」


「あ、らじゃー!」



 蜜柑は手を上げて愛美の傍へ移動した。



「ちょっと、お兄ちゃん? 何処へ行くつもり⁉」


「俺は着替えてからJIAの灰原さんへ相談する」


「え? 何を?」


「俺がイーリスを探しに行って留守の間の事とか?」


「え……本気?」


「ああ、あいつは黙って何処かへ行かないって言った。お前と約束したのにそれを破った」


「あ……」


「だからチョコもアイスもおやつだって暫くは抜きだ」


「お兄ちゃん……」


「俺はそれを言い渡しに行って来る」


「うん……」


「それでも帰って来ない気なら……その時……また考える」



 愛美がボロボロと泣き出すと、蜜柑がそっと寄り添った。



「みんな、後の事はJIAへ相談してくれ!」



 そう言うと、三階のベランダへ飛び上がった。


 そして俺は急いで着替えると、携帯から灰原さんへメールを入れる。


 今は電話で話すのは止めて置いた。


 きっと話がながくなるに違いない。


 危機が無くなったからと言って、俺達家族は手放しで喜べない状態なのだ。


 大切な家族が一人逃亡中だからな。


 俺はさっさとそいつをとっ捕まえて、罪状を言い渡さなきゃいけない。


 そうしないと、本当の家族の安息などあり得ないのだ。


 そして俺は部屋を見廻すと、部屋の壁の色の違うタイルを触った。


 これで話せば、この家の何処に居ても皆に聞こえるのだ。



「再来週のプライベートビーチには、必ずイーリスを連れて帰って来るから! んじゃ、行って来るよ!」

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