第23話 機密組織と悠斗の決意


 俺達三人は三階に停まったエレベーターから飛び出すと、他の部屋にはわき目も振らずに俺の部屋へ走った。


 そして、噴水のある部屋へ飛び込むや否や俺達はイーリスの名を呼んだ。



「イーリス⁉ イーリスーっ!」


「イルちゃん⁉ イルちゃーん⁉」


「イルちゃーん!」



 しかし、噴水付近には彼女の姿は見当たらない。


 勿論、ベッドにもピンク色した髪は見えない。


 俺は洗面所まで駆け寄ると、タペストリーを捲り上げ、トイレとシャワールームを覗き込む。


 だが、やはりイーリスの姿は無い。



「イルちゃーんっ! どこー⁉」



 遠くで愛美の呼ぶ声が聞こえて居るが、その姿は見えない。


 愛美は自分の部屋へ探しに行った様だ。



「イーリス! イーリスーっ!」



 俺は弾かれた様にベランダへ飛び出ると、イーリスを呼びながらそのままベランダを見て回った。


 あいつ、何処行ったんだ⁉



「だめーっ! 居ないー! お兄ちゃん、そっちはー⁉」



 愛美が窓から顔を出したのだろう、後ろからそう叫ぶ声が聞こえた。



「駄目だ! 見当たらない!」

 


 俺はベランダを一周廻った所で、自分の部屋へ戻った。


 ベランダからぐるっと部屋を見て回ったが、他の部屋にもイーリスの姿は無かったのだ。


 俺の部屋と愛美の部屋以外に、イーリスが行きそうな部屋は他に考えられない。


 三階で探して無い部屋は数多くあるが、どの部屋にもイーリスは入った事が無い筈だ。


 あいつが知らない部屋に、用も無く入る事は無い。



「何処行っちゃったんだろうイルちゃん……お兄ちゃんの部屋に居ると思ったんだけどな……」



 愛美はそう言いながら俺の元へ寄って来た。



「友香さんか夜露さんのお部屋かな?」


「ん……それは無いと思うな」



 興味も無い所へ行くとは考え難いのだ。



「そうだよね……あの子、行きそうも無いもんね」


「ああ、俺もそう思う」



 すると蜜柑も戻って来た。



「私もそう考えます」


「そうだよな」



 家に居ないとなれば、やはり時空空間を使って何処かへ行ったとしか考えられない。


 朝比奈さんにバレない様に、わざわざ部屋に上がってから時空歪へ入ったのか?


 イーリスがそんな事をしたとは意外な感じもするが、今居ないという事はそう言う事なのだろう。


 と、なれば……。


 イーリスが時空の何処かへ行って居るのであれば、勿論俺達に探せる事など到底出来る訳が無い。


 それに、夕飯は何かと訊いて来たという事は、ここで食べる気があると予想出来る。


 今は大人しくあいつの帰りを待つ方が良いだろう。


 同時に俺は、ふっと沙織さん達がエランドールへ帰ってしまったあの日を思い出していた。


 あの日の、胸が張り裂けそうな位に、寂しくて辛くて悲しくてどうしようもな思いが、わさわさと全身に蘇って来ると自然に手足が震えて来る。


 その思いを何とか拭い去る様に、俺は愛美と蜜柑を見た。


 俺がこんな事では、愛美こいつが更に心配してしまうに違いない。



「ま、まあさ、愛美の言う通り、夕飯には帰って来ると思うよ……」


「そうだよね……大丈夫だよね?」


「ああ、大丈夫さ。今何時? 下へ行ってようぜ」


「うん……もう六時になるし、そうしよっか、みかん」


「らじゃ……」



 心配そうな表情をしてはいるが、愛美もこれ以上探しても意味が無いと思っている様だった。


 だが、急に何かを思い出した表情になると俺を見上げた。

 


「あ、お兄ちゃん今日、未来さんと会った?」


「会ったよ?」


「未来さんがね、今度また温泉に来たいって言うから、あたし、いつでも来て下さいって言っといたよ?」


「ああ、聞いたよー。今夜来るとか言ってたし」


「えっ⁉ 今夜なの⁉ それじゃ、朝比奈さんにも言っておかなきゃ!」


「あ、そっか! 夕飯食べるかも?」


「それもそうだけど、行き成りお友達来たら、朝比奈さんびっくりしちゃうでしょ?」


「あ、そっか……」



 俺はそんな所に気が回らなかった。


 家族だったら、他人が突然泊りに来たら驚くだろう。


 朝比奈さんであっても、今はうちで泊まり込みのお手伝いをしてくれている訳だから、事前に報告はするべきなんだ。


 そんな事に気付かない何て、俺は結構無神経な所があるんだな。


 軽く自己嫌悪に落ちる。



「愛美、ごめん……俺、気付かなかったよ」


「え?」


「朝比奈さんにすぐ言うべき事だったよな」


「ああ、そうだよー? 暫く泊りに来てくれてるし、その辺はちゃんと話して置かないとね~」


「うん……愛美、ありがとな。お前がちゃんとしてくれて助かるよ……」


「な、何よ。別に、そこまで気にしないでよー」


「いや、気を付けないとな……本気でそう思った」


「もういいよぉ……気付いたんならオッケーじゃん?」


「うん、気を付ける」


「はい、じゃあリビング行こ?」


「うん」



 何だかこいつ、母さんに似て来たよな。


 俺よりもちゃんとしてるし。



「あ、あたし着替えてから降りるから、先に行っててね?」


「私も着替えるー!」


「よし、俺は朝比奈さんにすぐに話してくる!」


「うん、すぐに伝えてね?」


「わかった!」



 しかし、本当に愛美が居てくれて良かったと思った。


 俺が気付かない所を、愛美はちゃんと気付いてくれる。


 ダメダメだな、俺は。


 ダイニングに居る朝比奈さんを見つけるや否や、俺は早速彼女に声を掛けた。



「朝比奈さん、言うのが遅れてごめんなさい! 実は今夜、友達が一人泊りに来るんです!」


「霧島様⁉」



 俺が頭を下げてそう言うのを、驚いた様子で朝比奈さんは返事をしてくれた。


 気が付いた事はちゃんと謝らなきゃな。



「あ、あの、すぐに言わなきゃいけなかったんだって、さっき気付いて……ごめんなさい!」


「そ、そんな⁉ お気遣いをありがとうございます! 畏まりました。念の為の確認ですが、五十嵐様の他にでしょうか?」



 え?


 五十嵐って?


 あら?


 知ってたの?



「あ、五十嵐様って五十嵐未来さん?」


「はい。左様でございます。追加でご用意をとおっしゃるのであれば、すぐにご用意させて頂きます」


「あ! いえいえ! 未来さんの事です! 知ってたんですね」


「はい。友香お嬢様から仰せ使っております」


「そうなんですね! 良かったー」



 友香さんがちゃんと伝えてくれていた様だ。


 ホッとした俺は思わず笑みが零れる。


 だが、気づかないのは俺だけだったって事か?


 それを思うと、少し残念な気持ちになる。



「いかがなされましたか?」


「あ、いえ。報告するのが遅れてしまって……」


「そんな、お気になさらないでください」


「いえ、今度から朝比奈さんにすぐに伝えますから。あ、夜露さんにも」


「霧島様?」


「その辺、俺、気付かなくて……さっき、愛美に注意されましたよ」


「左様でしたか……」


「ダメなんです、俺。そう言う所、気付かない奴なんです。ホントごめんなさい」



 結局、俺はまだまだこう言う所に気が利かないというか、世間知らずと言うか、ダメダメなのだ。



「霧島様……本当にお気になさらないで下さい」


「はい、ありがとうございます。でも、こういう所はこれからは気を付けるので……」


「いえ……」


「あ、何か伝言板みたいなの作りましょうか⁉」


「え?」


「そうすれば、皆に伝わるし!」


「霧島様……」



 んー……。


 黒板だと粉が出るよな……?


 そうなると、やはりホワイトボードみたいなのが良さそうじゃない?


 その旨を提案しようかと朝比奈さんを見ると、少し彼女の表情がいつもと違っていた。



「朝……比奈さん?」


「あ、はい。それは良いお考えかと……」



 朝比奈さんの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。



「あの、どうかしました? あ、すみません、本当にこれからは気を付けますので!」


「い、いえ! 齟齬そごが生じているようでございます! 本当にお気になさらないで下さい!」



 そご?


 俺、何か違ってる?


 朝比奈さんは、零れ落ちる寸前の涙を堪えながらもそう答えた。


 そこまで彼女が気にしていたのかと思うと、居ても立っても居られない気持ちになる。



「で、でも……」


「私は今、こうして霧島様にお逢い出来た事に、心から嬉しく感じたのです」



 俺には、どうして朝比奈さんが、こんなに嬉しく思ってくれたのかが分らなかった。


 友香さんが来てくれた時に、優しいとか話していた事だろうか。


 でも、今このタイミングでそれをぶり返すか?


 もしかしたら、他に何かあったのだろうかと思い始めた。



「え……? そ、それは僕も嬉しいけど、どうして今ですか……?」


「はい。こんな気持ちになった事に……あまり経験がありませんので……」



 そう話し始めた朝比奈さんの目から、溜まり兼ねた大粒の涙がボロっと零れた。



「え、ど、どうして⁉ そ、そんな、俺、何か変な事しましたっ⁉」



 なっ!


 泣いちゃったーっ⁉


 俺は急な出来事に動揺を隠しきれないでいた。


 どうしてこんな大人の女性が俺の前で泣き出したのっ⁉


 全く理解出来ない。

 


「恥ずかしながら、自分自身が嬉しいと感じる事等、あまり経験がありませんでしたので……」


「え……あ、愛美ですか⁉」



 やっぱり俺が気が付かない内に、愛美が朝比奈さん達に何かしてくれたのかも知れないと思った。


 贔屓目ひいきめとは言え、愛美は本当に優しい奴だ。


 俺の妹なのが不思議でもあるが、母さんも父さんも優しいしこれが遺伝なのか?



「はい。霧島様同様、愛美様にも嬉しく思います」


「そ、そうですか……何だか、ありがとうございます」



 やはり愛美が優しくしてくれたんだろうと思った、その時だった。



「おーっ! ハルトー! 帰って来たのかー?」



 イーリスがそう言いながらもこっちは見向きもせずに、そのままリビングへ入って行ったのが見えた。


 ピンク色の髪をした小さい体には大き過ぎたのか、真っ青のバスローブを羽織ったその裾を、両手で掴んではいるが少し引きずっている。


 突然現れた色彩豊かなその姿に、ダイニングに居た俺は朝比奈さんとハッと顔を見合わせる。


 そして慌ててイーリスを追いかけ、リビングへ飛び込んだ。



「い、イーリスっ!」


「なっ⁉ 何だよっ⁉ びっくりすんじゃんかっ!」



 ビクッとこっちを振り返ったイーリスは、涙を滲ませながらも俺を睨みつけた。


 大声で俺に呼ばれた事に、かなり動揺している様だ。


 俺は出来る限り感情を抑えながら彼女に尋ねた。



「お、お前……もしかして、風呂?」


「は、はぁ? そうだけど?」


「そうだったのかぁ……そうならそう言えよ……黙って何処かに行くのは、もうやめろよ……」



 この時ほどこいつの姿を見て、心底安心した事はこれまでなかった。


 今なら抱きしめてあげたいくらいだ。



「な、何だよ……マナミに行くって言ったよ?」


「え……そうだったのか?」


「マナミと帰って来てすぐに行くって言った!」


「風呂に行くって言った?」


「あーそれはどうかなー」


「じゃあ、部屋に行くって愛美に言わなかった?」


「言ったよ? だって部屋に行ったもん。魚にエサやってから温泉入って来たけど」


「な、なるほど……」


「何なんだよ、一体。馬鹿ハルトー」



 あれだけ部屋を探しても見つからなかった筈だ。


 俺達はどうして露天風呂に気付かなかったんだろう。


 露天風呂であれば、イーリスが独りで入りに行っても不思議では無い。


 前にサウナの特訓とかでそんな事もあった。


 イーリスが時空歪から自由に移動出来る事が、俺達の固定概念となってその判断が出来なかったのだ。


 最初は部屋から時空を移動したと思ったが、イーリスがわざわざ部屋から移動する筈が無いと気付いた時、そのまま何処へ行ってしまったのか、正常に考えられなくなったのだ。


 あの時もう少し冷静に考えれば、部屋に居なければ露天風呂だと気付いていたのかも知れない。


 しかも!


 あー……すっかり忘れてた。


 脳内レーダーをちゃんと意識して確認したら分かったじゃん!


 目の前の情報ばかり気にしてたからかも知れない。


 俺達の様子を伺っていた朝比奈さんが、リビングへそっと入って来た。

 


「一安心ですね、霧島様」


「え、ええ。ホントにお騒がせしてすみません」


「いいえ。とっても温かくて羨ましく思えます」


「そ、そう言って貰えると助かりますよ」



 何だか朝比奈さんの感覚が、俺には少し理解出来ないでいた。


 だが、変な人では無い事は分かる。


 きっと、諜報部員としての生活が永い為に、こんな普通の事が新鮮なのだろうと思った。


 さっきはあんなに涙流してたしな。



「あーっ! イルちゃんっ! お風呂に入ってたのーっ⁉」


「いたーっ!」


「うわっ!」



 突然、愛美と蜜柑がリビングへ入って来るなり、そう言いながらイーリスに駆け寄って行く。


 俺と似た様な愛美の対応に、イーリスはその戸惑いを隠せないまま、自分に駆け寄る愛美を凝視している。


 そして、そのまま愛美に抱きかかえられながらも必死に訴える。



「な、何だよお前らーっ!」


「もー! すっごく心配したんだからねっ⁉ 急にどっか行ったら駄目だよ⁉」


「わ、分かってるってばっ!」


「本当なんだからね⁉ 約束だよっ⁉」


「や、やくそくって……わかったよぉ……」



 愛美の目には涙が溢れている。


 いや、既に頬を流れ落ちている。


 だが、その表情は本当に嬉しそうな笑顔だった。



「て、マナミ泣いてんのか⁉ 何したんだよ! 馬鹿ハルトか⁉」


「違うよ……イルちゃんがどっか行っちゃったのかと思ったんだよ……」


「な、何でお風呂に入っただけで、そうなるんだよ……」


「うん……うん。イルちゃんは悪くないんだけど、心配しちゃったの」


「何でだよー……」



 あれ?


 もしかしたら……。


 その時、俺は急に閃いた。



「あのさ、これ触ってイーリス呼べば良かったんじゃ……」



 そう言って、リビングの壁やテーブルについている、色の付いたシールを指差した。


 これを使って呼べば、取り敢えずは俺達がイーリスを探している事を、露天風呂に居る彼女に伝える事は出来た筈だ。



「あ、そうじゃん! イルちゃん、これ知ってる?」


「なにそれ」


「これに触れて話すの!」


「どうして?」



 愛美と蜜柑がイーリスに、建物内のインターフォンシステムをレクチャーし始めた。



「これで話せるの? ふーん」



 意外にもイーリスの反応は薄い。


 まだ実際に話していないから、実感がわかないのだろうか。



「じゃあ、俺が向こうに行って来るから、これで話してみ?」


「何だよー面倒だなーそんなにあたしと話したいのかー?」


「まあまあ、ちょっと待ってろよ?」



 然程興味無さそうな表情のイーリスにそう言って、俺はリビングを出ると玄関へ向かった。


 玄関でも結構離れるけど、もう少し向うへ行く?


 玄関を超え、廊下の先へ進んで行く。


 廊下の付き辺りまで来ると、近くの部屋の中へ入った。



 この部屋は何だろう……図書室?


 入ってすぐに本棚が幾つも並んでいる。


 そして、部屋の壁一面にも本棚が設置してあり、びっしりと色々な書物が並んでいる。


 やはり数多くの本が保管されている様だ。

 

 まあ、今はインターフォンを……あ、これだな?


 本棚の端に幾つかのシールの様なモノが貼ってある。


 その一つを触りながら呼びかけた。



「イーリス、聞こえるかー?」


『おおーっ! ハルトの声が聞こえる! やっほーっ!』



 やっぱり愛美の説明だけじゃ理解出来なかった様だ。


 子供が初めてトランシーバーで遊んだ気分なのだろう。


 俺もそうだったしな、お前の感動はわかるぞ。



「今度から、近くに居ない時はこれで話そうな~」


『ハルト! あたしの声聞こえる⁉ すげぇえええー!』


「ああ、聞こえるよー。だから、今度はこれ使おうぜー」


『うんうん! 便利になったもんだなー!』


「お前幾つだよ……」



 そう言ってからふと思い出した。


 イーリスは俺や悠菜よりも、先に生まれてんだっけな。



『あ、またレディーに歳訊いた! おまえデリカシーが無いなー』


『あーイルちゃんごめんねー? お兄ちゃんデリカシー無いのー』


『私からもごめんねー』


『全く困った奴だなー』



 だから、何処にレディーが居るんだつーの!


 イーリスの触ったスイッチが愛美と蜜柑の声も拾ったのだろう。


 二人の声も丸聞こえだ。



『でしょー? デリカシーの欠片も無いの~』


「愛美、おい。聞こえてるぞ」


『うん、あたしもスイッチ触ってるもん』



 なっ⁉


 あのやろ……。



「あ、そうだ、朝比奈さんも聞こえますかー? これ、便利なので使って下さいねー?」


『これで宜しいのでしょうかー?』


「ええ、それです! 良く聞こえますよー」


『とても便利ですねー!』


「ですよねー。これ、夜露さんにも使って貰って下さいねー?」


『はいー! 教えておきますー!』



 若干、大きな声で朝比奈さんは応答してくれたが、最初の内は声が大きくなってしまう。


 俺もそうだったからよく分かるのだ。



「よし、通信終りー!」


『ほーい!』


『はーい!』


『らじゃー!』


『了解いたしましたー!』



 何だか、通信兵になった気分だな。


 そう思いながら部屋を見渡す。

 

 しかし、凄い量の本だ。


 それに、その背表紙はどれを見ても、見た事が無い物ばかりだった。


 殆どが外国語の様だが、何処の国だとかは分からな……い?


 いや、それらの外国語や何処の国の文字かも分からないが、その全てが理解出来る!


 この象形文字でも内容が理解出来たのだ!


 なっ⁉


 それは脳内に意識せずとも自然に内容が入って来た。


 だが、発音が難しい。


 しかし、これだけ集めるのも大変だったろうな……沙織さん。


 そう思うと、また胸が苦しくなる。


 もう逢えないと思えば思う程、何とも言えない悲しみが込み上げて来て、一気に涙が溢れて来る。


 俺の意に反して涙がボロボロと流れ落ちるが、それを拭う事も忘れ、目の前の本棚にもたれ掛かった。


 今頃何しているんだろう……。


 沙織さんや悠菜、セレスを思い出しながら、暫く声を殺して泣いていた。


 こんな所は愛美に見せられない。


 あいつだって俺と同じ位、寂しくて辛い筈なのだ。


 それなのに、あの時からは弱音を言わないで我慢しているのだ。


 愛美の事を思うと、俺は流れる涙を両手でゴシゴシと拭いた。


 そして、パンパンと顔を叩く。


 よし!


 もう泣くのはヤメだ!


 そうなのだ。


 俺にはこれから決戦が待っている。


 だから、イーリスを探してたんだ。


 すぐにイーリスと綿密な作戦を立てなければいけない。


 そうだ、ウルドにも訊いてみないとな?


 そう考えながら部屋を出ると、俺は長い廊下をリビングへ向かった。




 俺がリビングに入った途端、そこに居た皆の視線が俺に集中した。


 どうやら、俺が来るのを四人は待ち切れずにいた様だ。



「あっ! 来たっ! お兄ちゃん遅ーい!」


「ん? ああ、待ってたんだ?」


「これで呼び出そうかと思ってたよー! あ……れ?」



 愛美はテーブルのインターフォンシールを指差したが、何かに気付いた様に俺の顔をまじまじと見た。



「あ……お兄ちゃん」


「な、何だよ」


「お兄ちゃん、泣いたの?」


「え? お兄ちゃんが?」


「霧島様?」


「は? ハルトが?」

 


 その言葉に、イーリスまでもが興味を持った様だ。



「泣いてねーよ⁉ 何言ってんだよ」


「あー、ハルト、お前ホームシックとか?」


「いや、俺の家はここだけど?」


「お兄ちゃん、目が少し赤いよ? ちょっと見せて」


「え? 痛くも無いし、いいよーホント大丈夫だから」



 俺は近寄って来た愛美から逃げようと、咄嗟に身を翻すが、事もあろうにイーリスがその行く手を阻む。


 と、その隙に愛美が俺のTシャツを掴んだ。


 それを振り切ろうとしても、愛美はがっしりと俺のTシャツを掴んで離さない。



「ほらー! ちゃんとこっち見なきゃ分かんないでしょー? みかん、押さえて!」


「らじゃ!」


「あ、こら! だから、何でもないってばっ!」


「マナミいけーっ!」


「何なんだよ、お前らはーっ!」



 愛美に背後からシャツを引っ張られ、足を蜜柑に捕まえられた。


 そして、目の前からはイーリスが両手を前にしてにじり寄って来る。


 遂に観念した俺はゆっくり振り向くと、仕方なく愛美としっかりその目を合わせた。


 すると愛美は両手で俺の顔を掴むと、じーっと俺の目を見つめる。



「どれどれー? 目、痛い?」


「ぜ、全然!」


「んー痛く無いなら良いのかな? 分かんないや」


「分かんないのに見たのかよ!」


「だって、気になるじゃん! ねえ、朝比奈さん、お兄ちゃんの目どう思いますか?」


「はい。畏まりました」 



 俺の頭を掴んで俺の目を見つめたまま、朝比奈さんにそう訊く。


 すると、すぐに傍までやって来た朝比奈さんは、俺の前で深々とお辞儀をする。



「拝見します」



 そう言うと、愛美に掴まれた俺の前に立つと目をジッと診始めた。


 妙な気分なんですけど?


 その間も俺の頭は後ろから愛美の両手で固定され、成すすべも無くじっとしていた。



「どうですか? 大丈夫そうですか?」


「はい。傷などは見当たりませんし、炎症を起こしている様でもありませんが、大事をとって専門医を呼びましょう」



 そう言われると、もう観念するしかない。



「いえいえっ! 本当に何でも無いんです! ちょっとだけ、あの……沙織さん達を思い出して……泣いた……かも。し、自然に涙が出ただけで!」



 俺が朝比奈さんにそう弁解すると、愛美は俺のTシャツを握っていた手を放した。



「えっ? そっち? あたし、てっきりイルちゃんが無事だったから泣いたのかと……」


「まあ、それもそうだけどさ……何だか、急に思い出しちゃってさ」



 俺がそう言って愛美を見ると、イーリスが呆れた顔でこっちを見た。 



「何だよ、お前ら……二人共いつまでもめそめそしてっ!」


「何だよイーリス、二人共って」


「だって、昨日もマナミが寝る時泣いてたから……」



 俺が驚いて愛美を見ると、彼女は慌ててイーリスに向かって声を上げた。



「え……? そうなのか?」


「ちょ、イルちゃん! 何で今そんな事言うの⁉」


「だってさーやっぱ、泣いてたら気になるじゃんかー」


「愛美、お前……」


「お兄ちゃん、嘘だからね? イルちゃんがそんな嘘言うからー! もうチョコあげないんだから!」


「えええーっ! どうしてっ⁉ マナミーっ!」



 愛美は慌てた様子で俺に弁解をするが、その事実を知ってしまったからには、聞き流す事は出来ない。


 やっぱり愛美もまだ辛かったんだ。



「あげないもんっ!」


「そんなぁ……」



 イーリスは力なく膝からその場に崩れ落ちた。



「だって、イルちゃんがいけないんだもんっ!」


「も、もう言わないから許して……」



 そして、イーリスは目に涙を溜めながら、許しを請う様に愛美の足元へ這って行く。


 その様子が何だか不憫に思えた。



「まあまあ、愛美。俺だってまだ辛いんだから、お前が辛いのは当り前さ。沙織さん達が帰って間もないし、今はまだいいじゃん。お前が思い出して泣いたって、俺が誰にも文句は言わせないよ」


「う……ん」



 愛美にしてみれば、生まれた時から十六年間、これまでずっと一緒に居た訳だしな。


 そんな沙織さん達が、異世界へ帰ってからまだ二、三日しか経って無いのだ。


 寂しくて辛いのは当たり前なんだ。



「ハルトも泣いてたしな」


「う、うっせーよ」


「お兄ちゃん……」



 するとイーリスが愛美を見上げた。



「マナミ……ごめんよ……ちょっとヤキモチ焼いたんだよ……あいつら行っちゃったのに、いつまでもマナミに想って貰えてて……ルーナ達が羨ましかったんだよ……」



 そう言って、イーリスは愛美の足元でうずくまる。



「イルちゃん……そうだったの……」



 愛美はしゃがみ込むと、イーリスの頭を優しく撫でた。



「馬鹿だな、イーリスは。お前が居なくなって愛美は凄く心配したんだぞ?」



 俺も愛美の横に並んでしゃがむと、イーリスのピンク色の髪の毛を軽く弾いた。



「そ、そうなのか?」



 顔を上げたイーリスは、俺と愛美の顔を恐る恐る見ている。



「ああ。さっきだって、愛美はお前を見た時泣いてただろ?」


「あ……うん……」


「お前が居なくなったら、愛美はいつまでも泣くんだよ」


「……本当?」


「本当さ。だから、離れないでくれよ。これ以上、愛美を悲しませないでくれよ」


「――っ⁉ わ、わかったっ! 悲しませるなんて、そんなつもりないしっ!」



 俺と愛美に慌ててそう言うと、勢いよく立ち上がり、バスローブの裾をたくし上げた。



「そっか……それが聞けて良かったよ」


「本当だよっ!」


「だからもう黙ってどこにも行くなよ?」


「でも、あたしはお風呂に入ってただけなんだけどな……」



 そう言やそうだ。


 今回は俺達が勝手に勘違いして大事になっただけだ。


 イーリスには何の責任も無い。


 むしろ被害者とも言えるかも知れない。


 結局、俺達の早とちりって訳だ。



「ま、まあなんだ、ほら、今度からはインターフォン使えばいいし、それに伝言板も用意するから! さ、さあ腹減ったな! なっ⁉」



 そう皆に同意を求めた時、俺のズボンポケットの携帯がブルブルと振動した。


 俺はすぐに五十嵐さんが夕方に来ると言っていた事を思い出した。


 そろそろ二人が来る時間だろう。



『あっ! 霧島君⁉』


「もしもし? 未来?」


『うん、あたし! 未来! あのさー何だか、家が分かんないんだけど……』


「あー、ごめん! すぐ家の前に出るから!」


『あ、うん、ごめーん!』



 この家には俺の想像を超える程のセキュリティーが起動してるのだ。


 昨日、友香さんが来た時同様、家の前に出たら解決する筈だろう。



「俺、ちょっと表に出迎えて来るから!」


「あ、友香さんと未来さん?」


「うん、ちょっと行って来る」



 俺は家の前まで出ると、すぐに彼女の車を見つけた。


 真っ赤なポルシェは他ではあまり見かけない。


 すると、未来も俺に気付いたらしい。


 短めにクラクションを鳴らした。


 やはり聞き覚えのあるクラクションでは無い。


 これがポルシェの音なのか。



「霧島くーん! ごめんねー!」



 車の窓から手を振りながらそう言うと、ゆっくり車を家の前まで走らせた。



「うん、そのまま入れちゃってー。前に停めた所でいいよー」


「はーい」



 そこは駐車スペースとしては、他にも車が数台停められる広さがある。


 いつかは俺もマイカーが欲しいと思っているが、今はまだ想像の域を出ない。


 バイトでもしようかな。


 中古車って安い奴は幾らくらいなの?



「ごめんねー! 友香ちゃんに聞いたよー。ここって、セキュリティーがしっかりしてるんだってねー!」


「あ、うん。そうなんだよ」



 友香さんが初めてリムジンでここへ来た時の話を、彼女から聞いたのだろう。


 あの時の友香さんも、この家が分からなくて電話して来たからな。


 真っ赤な車から降りた二人は、目の前の大きな洋館を見上げた。



「何だか、凄いよねー! 沙織さんの旦那さんて凄い人だったんだろうな~」


「あ、ああ。まあねー」



 まあ、普通の家のサイズじゃ無いからねえ。


 金持ちの彼女達にしたら、この大きさの家でも羨ましくはないだろうが、こんなセキュリティーともなると馴染は無いのかも知れない。



「あれ? 霧島くん、旦那さんの事知ってるの?」


「あ、いやいや! 会った事も無いし、全然知らない! 俺が生まれた時には居なかったみたいし!」



 旦那とか居ないんだけど……二人には言えないよな。



「そうなんだー? ふーん。どんな事してたんだろうねー」


「ま、まあ、そうだよね! どんな事してたんだろうねー」


「何だか、怪しーい!」


「な、何が⁉」



 未来は真剣な顔をして俺の顔を見た。



「相手の言葉を繰り返すのって、その相手に自分を信頼させようとする、一つの心理行動なんだよー?」


「えっ⁉ そ、そんな事無いよ!」


「ふーん。ね、友香ちゃん? 大学の講義で教わったばかりだもんね~」


「あ、はい。大袈裟な同意もそうでしたね、未来ちゃん」



 未来は俺の顔を訝しげに見てそう言うと、友香さんも彼女に同意した。


 だがその表情は少し笑顔に見える。


 もしかして友香さん楽しんでる?


 しかしこの二人、心理学専攻かよ⁉


 沙織さんの嘘がバレる……。



「そ、そうなんだ⁉」



 出来る限りの動揺を隠しながら、意外そうな表情で誤魔化す。


 これ以上突っ込まれてもマズい。



「あ、もしかして霧島くん……」


「な、なに?」



 未来はニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んだ。


 マズい!


 バレたか⁉



「あたしに気があるのー?」


「なっ⁉ 何でだよ!」



 こいつは何言ってんだ?


 だが、沙織さんの嘘がバレるよりもまだマシなのか?



「なーんてね、冗談よー」


「な、なんだよーそんな冗談言って無いで、早く入れよ」


「はーい。あ、行こっか? 友香ちゃん」


「ええ、ではお邪魔します」



 俺はこの二人に揶揄われただけか?


 そう思いながら俺達は玄関に入ると、愛美達の待つリビングへ向かった。



 ♢



 夕食を済ませた俺達はリビングでくつろいでいた。


 大きなソファーに友香さんと未来が並んで座っているのだが、その間にちゃっかりとイーリスが入り込んでいる。


 あいつ、またチョコアイス食べてるし。


 すると、夕食の片づけを終えた愛美と蜜柑、朝比奈さんがリビングへ入って来た。


 これで皆リビングへ来た訳だが、誰かが居ない様な気がする……。


 あ、夜露さんが居ない。


 今日は朝から見てない気がする。



「そう言えば、帰って来てから夜露さんを見てないけど?」


「ええ、今朝早くに別の仕事で出ております」


「あーそうなんだ?」



 友香さんの専属メイドである夜露さんが、彼女から離れて仕事って何だろう。


 ま、俺には想像出来ない何かがあるんだろうけど。


 結局、彼女達は俺の知らない世界の人なんだよな。



「ねえ、お兄ちゃん」



 俺の隣に座って来た愛美が、珍しく真剣な表情で話して来た。



「ん? どした?」


「友香さんと未来さんには、ちゃんと話した方が良いと思うんだけど……」


「え? 何を?」


「何をって……友香さんはお手伝いさんまで連れて来てくれているし、未来さんだって凄く心配してくれてるんだよ?」


「あ、ああ。そうだよね」


「二人ならきっと分かってくれると思うんだ~」


「そうか……」



 俺達の事か?


 でも、どこまで話したらいいんだろう。


 これから異星人の襲来があるって事か?


 それとも、俺が異世界で生まれたって事か?


 或いは、イーリスが時空の漂泊者って事か?


 いっその事、悠菜も沙織さんも異世界人でしたとか?



「ねえ、友香さんも未来さんも……あ、朝比奈さんも聞いてください」


「ん?」


「はい?」


「は、はい」



 うわ、こいつ行き成り話し出しちゃったけど……大丈夫か?


 皆が不思議そうな表情で愛美を見た。


 そりゃそうだろう。


 急に深刻な表情で話し出したからな。



「これから宇宙人が攻めて来るの。それは地球存亡の危機なの!」



 げっ!


 そこから⁉


 しかもストレート過ぎないかっ⁉


 案の定、三人は呆気にとられた表情に変わった。


 まあ、唐突過ぎるよね。



「あ、俺から話すね。異星人が地球の海水とか大気を奪いに来るらしいんだけど……」



 そこまで話したところで未来が声を上げた。



「えーっ? なにそれー!」


「マジでヤバいらしい」


「え……マジなの?」


「ああ。マジなの」


「うっそー!」



 そう言って、俺と愛美の顔を交互に見た。



「沙織さんとセレス達が教えてくれたから、この話に間違いはないと思う」


「そ、そうなんだ……」


「それは大変な事ですね……この情報が洩れたら大変な事態に」



 朝比奈さんが深刻な表情でそう言う。



「ああ、この事はやはり、まだ他言しないで欲しいんだ」


「そ、そりゃ、そんな事言える訳無いじゃん……ねえ、友香ちゃん」


「え、ええ」



 友香さんは朝比奈さんを見た後に頷いた。



「そうですね、この場だけの話という事に致しましょう」


「でも、どうしたらいいの⁉ 大変な事態でしょ⁉」



 朝比奈さんの言葉の後、未来が俺に向かって訊いた。



「ああ、俺とイーリスで何とかする」


「え? えーっ⁉」


「えっ?」



 三人は俺とイーリスを交互に見ながら、やはり驚きを隠せない表情をしている。


 ええ。


 そのリアクションは想定内です。



「大丈夫。絶対に何とかするから。な? イーリス」



 俺がそう言うとイーリスはコクンと頷いた。



「そ、そんな事言っても、宇宙人でしょ⁉」


「う、うん」


「あ、ごめん、異星人だっけ? どっち?」



 あ、未来さん、そこはどっちでもいいんですけど?


 少し呆れた表情になってしまったが、皆に分かりやすく話すすべを模索し始めた時、すぐに又、未来が訊いて来た。



「そんな人達にどうやって⁉ 何とか出来るの⁉」



 人達ってのに引っかかるけどさ。



「出来ると思う、いや、出来る!」


「だから、どうやって⁉」



 どう説明したらいいんだろうか……。


 そう思っていた時、急にイーリスが立ち上がった。



「ピーンとやってバーンだよ」


「え?」



 あ、こいつまで話をややこしくしやがった!


 未来と友香さんがイーリスを見ている。


 だが、その表情は微妙だ。


 在り得ないものを見た様な、複雑な表情で見ている。


 そりゃそうだろうね。



「え、えっと、イルちゃん?」


「イーリスちゃん、何を言ってるの?」



 二人が尋ねると、イーリスはクルッと向き直り、そのままテーブルに腰掛けた。



「だーかーらー、ピーンとやってバーンだよ」


「え?」


「は、はい?」



 こうなったら埒が明かない。


 俺が話す方が良いだろう。



「あのね、イーリスの力を借りて俺が奴らを追い払うんだ」


「な、何言ってるの?」


「霧島くん?」



 当然、二人は信じられないと言う表情だ。


 だが、朝比奈さんだけは俺の話を聞き入っていた。


 俺が次に何を言うのかを待っている様だ。


 仕方ない。


 正直に話すか。



「えっと、実は……」


「あ、霧島様。少々お時間を戴けませんでしょうか」



 急に朝比奈さんが話を遮った。


 手には携帯を持っている。



「え? なんです?」


「たった今、夜露が戻ったのです。霧島様へ早急にご報告がある様ですので」


「あ、そ、そうなの?」



 こんなタイミングでっ⁉



「それと、ご訪問の方がお一人来ております」


「え? 俺に?」


「はい。夜露が連れてまいります」


「そうなんだ? 俺に訪問って……一体誰だろ」


「このままお通ししても構いませんか?」


「うん、リビングへ来て貰って下さい。あ、いいよね?」



 そう言って、愛美と皆の方を見た。



「あ、うん、あたしはいいけど、友香さん未来さん、ごめんなさい」


「あ、いーのいーの! ね、友香ちゃん?」


「ええ、勿論です。気にしないで」


「そっか、ありがとう。じゃ、朝比奈さんお通しして下さい」


「畏まりました」



 そう言って、朝比奈さんは玄関へ向かって行った。



「でも、俺に訪問者って誰だろ。愛美おまえ分かる?」


「んー……って、あたしに分かる訳無いじゃん」


「だよなー」



 友香さんと未来は顔を見合わせて苦笑いをしていた。


 その時、俺の脳内に知っている人の存在が表示された。


 勿論、夜露さんともう一人も俺は認識している。



「お連れしました」


「お邪魔致します」



 朝比奈さんの後ろからリビングへ入って来たのは女性だった。


 その人の後ろからそっと夜露さんも入って来た。



「あ、あれ?」


「こんにちは、悠斗くんですね?」


「え? あ、はい……あれ?」


「蜜柑さんも元気そうね」


「はい!」



 俺は確かにこの人に会った事がある。


 蜜柑は明らかに知っている感じだ。


 愛美にしても見覚えがある様だ。



「思い出せなくてすみません。やっぱりどこかでお会いしてますよね?」


「ええ。最初にお会いしたのは悠斗くんが高校生の頃で、愛美さんは中学生でしたね」


「あ、そうだったんですね?」


「蜜柑さんをイギリスから連れて来たのは私なんです」


「そうでしたか! でも、どこで会ったんだか……」


「それは仕方ありません。こうしてちゃんとお会いするのは初めてですから」


「え? どういう事?」


「と、その前に、沙織さんと悠菜さんはどちらでしょうか?」


「え? もしかして、沙織さん達の知り合い⁉」


「ええ。二人に最後に会ったのは、今年の三月頃でした」


「三月ですか?」


「ええ」



 沙織さんと悠菜がこの人と会っていただなんて、これっぽっちも知らなかった。


 まあ、そうは言っても、自分が異世界で生まれた事でさえ知らなかったんだしさ。


 沙織さんや悠菜をずっと地球人だと思っていたし、二人の事何て俺は何も知らなかったんだよね。



「あれは、悠斗くんが高校を卒業して……あ、月末だったかしら」


「そ、そうなんですか」


「ええ。で、お二人はどちらへ?」


「あ、えと、二人は一昨日帰りました……」



 俺がそう答えると、不意に愛美が足をトンっと鳴らした。


 と、その音に反応したのか未来が俺を見て訊いた。



「帰った?」


「あ、いや、引っ越したんです!」



 俺は慌ててその女の人に弁明をした。



「え? そう……ですか。もう戻られたのですか……」



 うっかり帰ったなどと言ってしまったが、その女の人は酷くがっかりとした表情になってしまった。


 それだけ会いたかったという事だろう。



「あの、貴女は一体……」


「あ、ごめんなさい。メアリーと言います」


「メアリーさん?」


「ええ。純血の日本人ですが、今はイギリス国籍なんです」


「え、そうなんですか?」


「はい。実は、夜露さんから来る途中でも、色々と貴方のお話は伺っております」


「あ、そうですか……」


「あ、ごめんなさい。一応これも仕事なので許して下さいね」


「え、仕事?」


「実は、沙織さんからエランドールの話は伺っています」


「え、えーっ⁉」


「ちょ、ちょっと、ホントですか⁉」



 これには愛美も声を上げた。



「ええ。悠斗くんが生まれてすぐに、沙織さんと悠菜さんにエランドールから連れて来られて、成人したら二人はちゃんとエランドールへ帰るとも聞いていました」


「え……そうなの?」


「ええ。あれは愛美さんがまだ中学三年生の頃でした」


「ああ、みかんを連れて来た時……」


「ええ」



 不意に気になった俺が友香さんと未来を見ると、二人はキョトンとした表情でこちらを見ていた。


 まあ、エランドールってのが何処か外国の地名だと思ってるんだろう。



「エランドールって何処? 南米?」


「分からない……」



 そんな二人の、声を殺したやり取りが聞こえる。



「そして、悠斗くんと愛美さんのお母様、啓子さんともお会いしてます」


「えっ? 母さんとも⁉」


「そうなんですか?」



 予想もしなかった言葉に愛美も驚いている。



「ええ、二年程前のこの場所で。沙織さんと悠菜さん、そして啓子さんとお会いしてます」


「ここで……?」


「はい。実は、日本諜報特務庁の任務でここへ来た事があるんです」


「日本諜報特務庁?」


「ええ、JIAとも呼ばれる機密機関です」



 要は、CIAとかMITとかそう言う諜報機関だろうか。


 日本にもそんな秘密組織があっただなんて……。



「そんな機関、聞いた事も無いですけど……」


「ええ、機密ですから」


「あ……そっか」



 そう言えば、夜露さんに聞いた事がある。


 友香さんと三人で三階のベランダで話した時だ。


 あの時は聞いちゃいけない事までも彼女が話してくれたと思う。



「あ、そう言えば……」



 そこまで言いかけた俺は、その先を話すのを躊躇った。


 夜露さんとしたあの話は他言してはいけない気がしたのだ。


 例え、相手がメアリーさんだとしてもだ。


 俺はそっと朝比奈さんを見た。



「あ、あの……実は私もJIAに所属しています」


「え……」


「私もです」


「えーっ⁉」



 朝比奈さんがそう言って頭を下げると、夜露さんも頭を下げながらそう言った。



「あ、実は私も……」


「え? えーっ!」



 蜜柑が申し訳なさそうに手を上げている。



「そ、そうなの⁉」


「ごめんなさい!」


「はい。霧島様、申し訳ございません」


「あ、いえいえ! 機密機関だから仕方ないですよ!」


「恐縮です」



 言わば、スパイだもんな。


 前に朝比奈さんと夜露さんから聞いていた事だし。


 ただ、JIAってのは知らなかったけど。


 だが、それは一般人の俺が知ったらいけないのかも知れない。


 本当に秘密裏に行動している人達っているもんだな。



「でも、メアリーさんはどうしてうちへ?」


「はい。実は沙織さんからエランドールへ帰ると連絡を戴いて……」


「え? 沙織さんから?」


「ええ。悠菜さんから一昨日のお昼過ぎに、そろそろ戻るからと……」


「一昨日ですか……」



 一昨日の昼過ぎと言えば、皆でバーベキューをした時だ。


 セレスとイーリスが大暴れして、それが一段落した後に俺が悠菜と話をした後か。



「その一時間後に改めて沙織さんから連絡があったんです」


「あ、ああ……そうですか」


「もっと以前から戻る話は聞いていたのですけど……」



 間違いない。


 沙織さんが俺にキスしてくれた後だ。



「まさか、こんなすぐに戻られてしまっていたとは……」



 恐らく、メアリーさんへ連絡してからここで皆に報告して帰ったんだ。


 何だか唐突だったもんな。



「多分、メアリーさんに連絡をしてすぐにエランドールへ戻ってしまいましたよ」


「え? そうなんですか?」


「ええ。俺達としても、唐突にそうなった感じがあって……。でも、帰る事は二か月前から準備はしていたと言ってました」



 悠菜はそう言っていた。


 BBQの時、俺が十八歳になった時には戻る準備は出来ていたと。



「そうでしたか……。連絡を戴いてからすぐに職員を派遣させて頂きましたが、私が直接こちらへ来るのは色々と準備があって……」


「そうでしたか……。え? すぐに職員を派遣? え?」


「はい。朝比奈と夜露です」


「えーっ⁉」


「えっ?」



 それには流石に友香さんも声を出した。


 それはそうだろう。


 朝比奈さんも夜露さんも友香さんの専属メイドの筈、それがどうしてメアリーさんに派遣された職員だなんて。


 友香さんも驚いた表情でメアリーさんを見ていたが、思い出した様に朝比奈さんを見た。



「朝比奈さん……?」


「お嬢様、隠していて申し訳ございません」


「それで一昨日の夜に……」


「はい。こちらへ伺う事を提案させて頂きました」



 友香さんは声を出せない程、驚愕の表情のまま朝比奈さんを見ていた。


 だが、それは当然だろう。


 俺と出会うずっと前から、西園寺さんは朝比奈さんと出会っている筈だ。


 だが、朝比奈さんはこの俺と会う前から、ここへ出向かう提案をした訳だ。


 そう思うと、居た堪れない気持ちになって友香さんを見てしまう。


 俺には友香さんの家庭環境などよく分からないが、彼女を護る立場の朝比奈さんと夜露さんが、自分の知らない思惑を持って、友香さん自身が知らずにコントロールされている様なそんな気分じゃ無い?


 そんなので、これから本当にメイドさん達を信頼できるのだろうか。


 複雑な気持ちのまま友香さんを見た。



「私が霧島君の事を相談した時に、ここへ行こうかと助言してくれたのは……」


「はい……」


「じゃ、じゃあ……任務の為にここへ……?」


「……はい」



 そう言って朝比奈さんは深く頭を下げた。


 同時に夜露さんも頭を下げると、友香さんはその場に力なく座り込んでしまった。



「お嬢様っ⁉」



 咄嗟に朝比奈さんと夜露さんが友香さんの元へ寄り添うと、庇う様に彼女を両脇から支える。


 そりゃそうだろ!



「駄目だよっ! 気持ちをちゃんと言わなきゃっ!」



 咄嗟に声をあげていた。



「朝比奈さんも夜露さんもっ! 友香さんの事が本当に心配で、これまでだってずっと護って来たんでしょっ⁉」



 そうなんだろうと思う。


 この二人は、他の誰よりも友香さんの一番近くでずっと見守って来た筈だ。



「友香さんのご両親よりも誰よりも近くで、これまでずっと見守って来たんでしょ! 二人ともそれをちゃんと伝えなきゃ駄目だよ!」



 つい声をあげてしまう。


 まるで、自分の気持ちを友香さんに置き換えている様だが、これは間違いなく本心だ。



「お、お兄ちゃん……。お兄ちゃんの言う事、間違ってない!」



 急に愛美も声を上げた。


 一瞬びっくりしたが、愛美だってその気持ちはわかる筈だ。


 俺と同じ様に、ずっと沙織さんと悠菜に見守られて来たんだ。



「霧島様……」



 友香さんに寄り添いながら、朝比奈さんと夜露さんが俺達を見上げた。



「朝比奈さん、夜露さん……。そして、友香さん。俺達にも生まれてから、ずっと近くで見守ってくれていた人達が居たんだ。俺達を生んだ両親じゃ無くても、すっごい愛情で俺達を見守ってくれていた人達が居たんだ」



 俺の話を聞こうと、友香さんはゆっくりと顔を上げて俺達を見上げる。



「その人達も、約束とかルールとかそんな理由で……突然帰っちゃったよ……帰るって聞かされたその日にね……」


「そうなのっ! 悠菜お姉ちゃんはあたしに、離れないって言ってくれてたのに……。本当は約束破ったの!」



 リビングの床へ座り込んだ三人を見ながら、愛美は涙ながらに訴えた。



「でもね、今でも大好きなのっ! あたしは沙織お姉ちゃんも悠菜お姉ちゃんも、ずっとずっと大好きなのっ!」



 そう言って愛美もその場へしゃがんでしまった。


 すると蜜柑が、愛美にそっと寄り添う様に座った。



「友香さん、朝比奈さんと夜露さんは本当に、誰にも負けない程、君を大切に想っていると思うよ。任務じゃ無く、家族の様に思っていると思う。仕事じゃ無く、命に代えても護りたいほど大好きだと思うよ?」



 そう言って朝比奈さんと夜露さんに目線をやると、二人は小さく頷いていた。



「家族ってさ、血縁とかそんなんじゃないよね? 俺にとっては、愛美は勿論だけど蜜柑やイーリスだって家族なんだよ。すっごく大切なんだよ!」



 その瞬間、何かがビクッと動いたのが視界に入った。


 見ると、丁度イーリスがチョコアイスを舐めながらリビングへ入って来たとこだった。


 彼女にしてみれば、突然イーリスと言う単語が聞こえたが、この状況が掴めずその場で立ち止まっているのだ。


 あ、あのやろ……またチョコアイスを。



「霧島くん……ごめんね……」


「え……?」



 両脇を二人に支えられていた友香さんが俺を見上げている。



「何だか、私、我儘だったみたい。ごめんなさい」



 そう言って、朝比奈さんと夜露さんに抱えられながらも二人に頭を下げた。



「お、お嬢様……」



 困惑した表情で二人が恐縮している。



「我儘じゃないさ」


「え……」


「例え我儘だとしてもいいじゃん?」


「え?」


「友香さんはビックリしただけだよね? 俺だって、びっくりしてるもん。まさか、沙織さん達とメアリーさんや、間接的ではあっても朝比奈さん達とも繋がって訳だからさ」


「うん……」


「家族なんだから、時には我儘言っても良いんだよ。友達だからたまには甘えたって良いんだよ」



 すると、座っていた愛美もスッと立ち上がった。



「うん! あたしだって我儘言うし、甘えてばっかだもん! でもさ、みかんがメアリーさんと知り合いとか、びっくりしちゃったよっ! ねっ⁉」



 愛美がそう言ってイーリスに声を掛けると、ビクッとしてコクコクと力いっぱい頷いた。


 いや、お前は聞いてなかっただろ!


 突っ込みたいところだが黙って流すか。



  ♢



 その後、俺達はメアリーさんから事の経緯を事細かく聞いた。


 メアリーさんが沙織さん達と初めてここで会ったのは俺が高校二年の時。


 その時は、メアリーさんの他に男性二名と女性一名も同席していたという。


 事の発端は、悠菜が愛美を護る為に行動を起こしたのがきっかけで、俺達が調査対象になってここへ来たのだった。



 その後、改めてJIAの依頼で幾つかの反社会勢力を悠菜が排除したらしい。


 更に、沙織さんからJIAへの資金援助もあったと言う。


 その時は一時的にではあったが、沙織さんとJIAの利害関係が一致していたのだ。


 だが、その資金額が桁外れだった為、その後、実質的に買収される事になった。


 しかも驚く事に、名義は俺の父さんや母さんとその子供。


 要は、俺と愛美も含んだ霧島家の連名だと言う。


 その資金援助額を聞いたのだが、メアリーさん曰く『一時支度金として八千兆ドル相当でした』と聞かされ、日本円に換算していた愛美が、『計算出来たけど、億から上って想像出来ない……』と諦めていた。


 現金では無くて、ドル相当って事は金とか宝石なのかと俺が訊くと、貴金属だけで無くレア物質等もあったらしい。


 中には毒蛇やサソリ等の毒、放射性物質でもある鉱石等、一グラム数十億円の物もあったらしい。


 改めて沙織さんが異世界の人だと実感できる。


 メアリーさんが沙織さんと最後にあったのは、三月頃だと言っていたが実は三月二十四日らしい。


 大学の教授が悠菜らしき人に命を助けられたと言っていたが、やはり助けたのは悠菜だった。


 実はその教授の乗る車の二台ほど後ろに、偶然俺と悠菜が居たらしい。


 俺と悠菜が乗っていたタクシーが信号待ちをしていた際、俺の気付かぬ内に悠菜が行動を起こした様だ。


 大型トレーラーが突っ込んで来たとなれば、当然俺も危なかったに違いない。


 覚醒前の俺だったし、大怪我だけでは済まなかっただろう。


 余談ではあるが、その教授が娘さんの誕生日だとか言っていたが、その娘さんってのがはやり芸能人らしい。


 愛美が目を輝かせてメアリーさんに聞いていたが、俺は聞き流してしまった。


 そして、その事故の後処理を行ったのがJIAだった。


 日本警察への情報操作までも行うらしい。


 霧島家の名義になってからは、沙織さんの提案によって、米国CIAや英国MITとの情報連携も密になっており、主要国との諜報機関とも情報交換も進んでいるという。


 以前からCIAやMITとは情報交換はあったのだが、お互いに自国の国民を秘密裏に、テロ等反組織の脅威から守ると言うのが前提にあった。


 だが、今はその趣旨や前提が大きく変わってしまっている。


 沙織さんの資金援助によって、先ずは俺の生存が最優先とされたのだ。


 それに伴い、俺の家族が保護対象となった。



 そして、友香さんの実家である西園寺財閥は、JIA発足当時から変わらず資金提供をしているらしい。


 JIA発足当時は、西園寺財閥やその他の財閥が、自分たちの利益の為の秘密組織な部分が大きかったのだ。


 だが、二年前の変革に伴い、その趣旨が大きく変化した。


 そうなって来ると、これまでと違って自分たちの思う様に組織を動かせなくなる。


 その為、資金援助を渋った財閥や財団も多くあった。


 そうして、事実上JIAは解体となった。


 勿論、表面上の事だ。


 そしてそのまま新たなJIAを、沙織さんのバックアップを得てメアリーさん他数名が引き継ぎ発足。


 そうして出来た新たなJIAは、財閥や財団へ資金の要請は一切しなかった。


 資金的には有り余る程であったからだ。


 要は金で都合よく動く組織では無くなった訳だ。


 まあ、沙織さんにとっては都合よく動く組織となった訳だけどね。


 だが、西園寺財閥はJIAの職員雇用費用と言う形にして、発足当時から変わらずそのまま資金を流している。


 それもあって、要人警護にはいまだにJIA職員があたっているのだ。


 当然、何年も前から友香さん専属のメイドさんや、黒服のSPらしき人達も例外ではない。


 そのまま警護はおこなってはいたが、母体の名称は同じであってもその中身が大きく変わってしまったのだ。



 こうして、友香さんと未来にも俺達の秘密が明らかとなった。


 まあ、俺からしたら早めに二人には話して置きたかったんだけどね。


 まさか、こんな形になるとは……。


 そして、メアリーさんから一通りの話を聞いた後に、俺からも異星人襲来の話をした。



「ええ。大体の話は沙織さんから聞いてます。ですが、悠斗君に任せてあるとしか……」


「あ、あらま……そうだったんですか」


「あの沙織さんが悠斗君の危機に、あっさり投げ出すとは思えないのですけど……」



 確かに、沙織さんは莫大な資金援助をしてまで俺達を護る為に、そんなJIAを私物化した訳だもんな。



「ただ、エランドールの決まりで、地球の運命を左右する程の事は出来ないらしくて……」


「ああ、そうですね。そうも言ってました、けど……」



 メアリーさんは心配そうと言うより、解せない表情で考えている。



「あ、でも大丈夫です! 何とかしてみますから」


「そう……。でも来週ですよね?」


「ええ。そうなんです」


「それで、どうやって?」


「え、えっとですね……」


「ピーンとやってバーンだよ」



 不意にイーリスがチョコアイスを持ったまま声を上げた。



「え?」



 メアリーさんが驚いてイーリスを見たが、すぐに苦笑いを浮かべた。


 子供のいう事だと聞き流すつもりだろう。



「あっ! イルちゃん、またアイス食べてる! ダメじゃんもう寝る時間なのに!」


「だ、だって、話ながいから……」


「愛美ちゃん、そんなに叱らないであげてー? そうだよね~お話がながくてごめんね~」



 愛美に叱られたイーリスがしょぼんと下を向くと、イーリスを庇う様に未来がまあまあと愛美をなだめた。



「うー未来さんはイルちゃんに甘いのですよーもう、そろそろお風呂入って寝なきゃなのにぃ」


「そうですかぁ……じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお風呂いこっかー?」



 未来がそう言うと、イーリスは恐る恐る愛美を見上げた。



「う……今はマナミと一緒なら行く……」



 まあ、イーリスは愛美をかなり慕ってやがるからな。



「んじゃ、皆で露天風呂行って来なよ。俺は下の風呂でも良いし」


「うん、お兄ちゃん、あたしイルちゃんお風呂入れて寝かせなきゃだからお願いしていい?」


「ああ、分かった」


「あ、メアリーさんもいかがですか?」


「いえ、私は遠慮しておきます。でも、ありがとうございます」


「そうですかぁ? 沙織さん自慢の温泉なんですよー?」


「沙織さんの? そうなんですか、ではまたの機会に是非」


「はい、いつでもいらして下さいね」



 そう言って、愛美とイーリスは未来と露天風呂へ向かった。



「あ、朝比奈さん達も一緒に行ってくださいよ?」


「え……ですが……」



 そう言って朝比奈さんと夜露さんがメアリーさんを見た。



「あ、どうぞ、お二人は皆さんとご一緒して下さい」


「ですが……」


「私はもう少し悠斗君とお話があるので」


「はい、畏まりました」


「あ、みかんも友香さん連れて入っておいでよ」


「あ、はい……」



 そうしてメアリーさんと俺だけがリビングに残された。


 まだメアリーさんは俺に話があると言っていたけど何だろう。


 二人きりになってまで話すと言う事は、それなりの内容なのかもしれない。


 そう考え始めたら気になってしまった。



「で、話って何です?」


「え?」



 俺から唐突にそう訊かれたメアリーさんは、一瞬驚いた様子だったが、直ぐに思い出したような表情になった。



「ああ、ごめんなさい! ああ言わないと、あの二人が行きづらいと思って……」



 そう言うと彼女は苦笑いをして見せた。



「あ、そうなんですか⁉ まあ思えば、あれだけ色々と話を聞いていて、それでいてまだ何かあるのかとは思ったんですよ」


「でもまあ、色々聞きたいのは私の方なんですけどね」


「え?」


「だって悠斗君、異世界で生まれたハイブリッド何でしょう? 私達とどこが違うのか見た目では分からないし」



 そう言うと悪戯っぽい笑顔を見せた。


 メアリーさんがこんな表情を見せるとは、その時の俺は意外に感じてしまったが、彼女の言う事は勿論理解出来る。



「ああ、そうですよねーまあ、色々と自分に驚く事も多いですよ」


「そうなの⁉」


「はい。母さんの染色体を使ったとか言ってましたけど、何だかかなりあっち寄りにに成長してるようで……」


「そうなの? そう言えば沙織さんに似ている様にも見えるけど?」


「え……えーっ⁉」


「そ、そんなに驚かないでよ!」



 以前カミングアウトされた時に、沙織さんから私達の子だと聞いていたのをふと思い出した。



「エランドールの染色体は悠菜とセレスティアと、沙織さんのを使ったとか……」


「え? そうだったの……?」


「ええ。まあ、こっちの母と父こそが、本当の両親だと思っているんですけどね」


「そうなんでしょうね。お子さんの出来なかったご両親の為に、悠斗君は沙織さんにあちらから連れて来られたんですものね」


「あ……」


「え?」



 そう言えばそうだった。


 俺は母さんと父さんの為に、沙織さんが連れて来てくれたんだ。


 子供は産んで貰う親を選べないし、親だって生まれて来る子供を選べない。


 まあ、特殊なケースもそりゃあるだろうが、本来はそう言うものだ。


 だとしたら、生まれた場所はどうであれ、俺の境遇は地球人と然程変わりは無いとも言える。



「あ、そうなんですよね! そう考えた事は無かったかも知れないです」


「ああ、そこ? だって、そう言う理由で悠斗君を連れて来て、貴方が成人するまで責任をもって保護するって話してましたよ」


「そうですよね。俺、生んでくれた母さんや父さんが居ないとか、そう言う風に考えた事もあったんです。でも、俺がここに居る理由って、他の人よりもずっと明確なものがあるって事なんです」


「なるほどね~」



 そう同意してくれたメアリーさんは、ふと思い出した表情で俺を見つめた。



「そう言えば、さっきね」


「え?」


「西園寺のお嬢さんがびっくりして取り乱しちゃったでしょ?」


「あ、ええ」


「あの時、悠斗君と愛美さんが朝比奈と夜露を庇ってくれたじゃない?」


「あ、いえ、庇うとかそんな気持ちじゃなかったんですけど……」


「うん。でもね、あの二人には凄く有難く思えたと思うの。私からもお礼を言うわ」


「そ、そんな」


「どうもありがとう」



 そう言うと、俺に向かって深く頭を下げた。



「い、いえ! そんな……」


「あの二人には存在している理由が、他の人達とは全く違っているのよ」


「あ……ええ」


「でも、悠斗君に初めて西園寺さんの家族と言われて、凄く救われた気持ちになれたと思うの」


「そうですか……」


「朝比奈と夜露から報告は聞いてますよ。悠斗君が自分達を友達だと言ってくれたと」


「あ……はい」



 確かにそう言った記憶はある。


 メイドさんやお手伝いさんとの接し方なんて俺は分からないし、ましてやご主人様扱いされては、逆に居心地が悪く感じてしまっていた。


 メイドさんが実は諜報部員とか、人権が無いとかそんな話を聞いてからは、かなりショックだったのも事実だ。


 だからこそそんな二人に、ここでの生活が何とか居心地のいい生活だと、少しでもそう感じて貰いたいのも本心ではある。


 折角、縁があってここに一緒に居る訳だし、一つ屋根の下、皆で楽しく生活したいのだ。


 今までは沙織さんと悠菜がいつも傍に居てくれた。


 だが、その二人が帰ったと聞いて、すぐにこうしてメアリーさんが外国から駆け付けてくれた。


 そして、友香さんとそのメイドさん達もここへよこしてくれた訳だ。


 お陰で寂しさも随分紛れたってもんだ。


 おまけに、いつの間にか家族に溶け込んでいるイーリスもいるし、友香さんのお陰で未来も遊びに来てくれている。


 何だか、俺と愛美って凄く家族や友達に恵まれてるよな。


 例えそれが全部沙織さんのお陰だとしても、有り余る位に恵まれていると思う。


 こうなると、俺達はずっと昔から今も変わらず護られているのだとしっかりと認識して、この人達を絶対に大切にしなければいけないと感じた。

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