第22話 リムジンで大学と友香の厚意


 その後、ウルドがエランドールへ帰ると、俺は複雑な気持ちのまま下のリビングへ向かう。


 まあ、ウルドの姉妹関係何て俺が考えても仕方ないけどな。


 その時、ふと友香さんの事を思い出した。


 ヤバい!


 メイドさんも居たじゃん!


 恐らくメイドさんは朝食の支度をして、俺達が起きて来るのを待っているに違いない。


 案の定、リビングではメイド姿の朝比奈さんが迎えてくれた。



「霧島様、おはようございます」


「あ、朝比奈さん! おはようございます」


「こちらへご朝食をご用意してございますが、お口に合いますでしょうか」


「え? どうもありがとう! 愛美はもう食べて行ったの?」



 そう言われてキッチンを覗くと、大きなテーブルに幾つかの料理が並んでいた。



「愛美様はまだお部屋では?」


「いや、それじゃ、あいつらそのまま学校へ行ったのか!」


「左様でございますか? 申し訳ございません! 全く気づきませんでした」



 そりゃそうだろう。


 イーリスの空間転移でそのまま学校へ行ったに違いない。



「あ、いえいえ! 全く気にしなくて良いんです! それより友香さんは?」


「はい。お嬢様はあちらに」



 そう言って裏庭を指した。


 キッチンの大きなガラス窓から、裏庭に居る夜露さんと友香さんが見えた。


 沙織さんの庭にここまで似合う人だったとは……。


 まるで絵画の様だ。


 しかも、友香さんは部屋着では無く、綺麗にお洒落している。



「あ、もしかして俺を待っててくれてるのかな?」


「ええ、是非大学へご一緒して戴きたいと申しております」


「ホントに⁉ それは嬉しいな~じゃあ、早く朝飯食わないと!」



 そう言ってテーブルについたが、つい顔がにやけてしまう。


 あの友香さんと一緒に大学へ行けるなんて、俺は何て幸せ者なんだろう。



「霧島様、昨夜のお嬢様と夜露とのお話を伺いました」


「あ、すみません。何だか余計な事を言ってしまって……」



 俺は昨夜のベランダで話した事を思い出しながら、自然に頭を下げていた。


 初めて会ったと言うのに、かなり言いたい事を言ってしまった。


 しかも、夜露さんは耳にインカムをしていた。


 きっと、その内容を聞いていた上で、夜露さんに再確認したのだろう。


 そう思うと、尚更変な汗が背中をつたう。



「す、すみませんでした!」


「いえ! とんでもございません! 心から霧島様には感謝の意しかございません!」


「え、そんな、感謝だなんて……」



 朝比奈さんにそう言われても、俺には感謝される事など、勿論言った記憶が無い。


 まさか嫌味で言ってるとか……そんな風にはとても見えないけど?



「霧島様とお近づきになられたお嬢様にも、その全てが今では納得をせざるを得ません」


「え……?」



 そう言うと、朝比奈さんは深々と頭を下げた。



「そんな、頭を上げて下さいよ! 何だか、堅苦しいってば!」


「はい、申し訳ございません」



 顔を上げた朝比奈さんは申し訳なさそうな表情ではあったが、俺と目が合うと苦笑いを見せた。



「うん、俺にはもう少しだけフランクにして下さいよー。何と無く俺の方が年下でしょうけど、せめて友達っぽくね?」


「はい……かしこまりました」



 まあ、メイドのエキスパートな訳だし、しかもこの人はメイド長だしね。


 急には無理だろうけど、俺はこういうのには免疫が無いからな。



「あ、ごちそうさまでした! 友香さんが待ってるし、そろそろ大学行って来ますね」


「はい。お気を付けて行ってらっしゃいませ」


「あー! それも硬いけど、段々慣れてね?」



 席を立つと俺は朝比奈さんに笑って見せたが、照れくさくて上手に笑えていたかは不安だ。


 だが、早くこの場を脱したかった。



  ♢



 家を出た俺は、友香さんの用意してくれた車に乗り込んだ。


 そして、今朝の俺はこれまでに無く緊張している。


 今まで生きて来て、ここまで緊張した事があっただろうか。


 記憶にない。


 目の前には友香さんが座り、和やかな表情で俺を見ている。


 やっぱかなり綺麗な人だ。


 だが、そんな彼女を見ていても落ち着かない。


 彼女の両脇には黒スーツの人、恐らくSPと思われる人が座っているからだ。


 そして、俺の両脇にも黒スーツの人が座っている。


 が、その表情は良く分からない。


 大抵の後部座席であれば隣同士に座った場合、もう少しで肩が触れ合いそうだと思える、言わば密着感があるだろう。


 それがどうだ……。


 見事にゆったりしてるし……。



 朝比奈さんから大学へは車で行くと聞いた時、俺は友香さんとの身体の密着を期待して心が弾んだのだ。


 だがしかし、すぐにそれは払拭されてしまった。


 こ、これがリムジンか……。


 俺と友香さんとの間には大きなテーブルがあり、横にはボトルやらグラスが入った棚もある。


 そして、こっちの側面にはモニターが四つあり、別々の画面を映していた。


 まさに高級な応接室そのものだった。


 密着どころじゃねぇ……何だこの車。


 窓の外から中は見えない様だが、信号待ちで止まった際には、横の車の運転手が物珍しそうに見ている。


 そりゃ、こんな車はやたらとそこらで見る事は無い。



「あ、あの友香さん?」


「はい、なんですかー?」


「いつもこんな感じです?」


「え? こんな感じとは……?」


「あ、いや、普段の移動がこの車かなーって」


「ええ。普段はこの車に乗せて戴いてますけど?」


「そ、そうなんですね」



 やっぱりこの人、只者じゃない!



「でも、レジャーの時には、別のお車に乗せて戴いてますねぇ」


「レジャー?」



 レジャーとか、テレビや雑誌でしか聞いた事無いけど?



「えっとーピクニックとか?」


「あ、そうですよね!」



 レジャーがピクニックとかって言うのは、俺でも分かりますよ、友香さん。



「あ、またこのニュース……」



 友香さんがそう言って一つのモニターを見た。


 俺も釣られてそれを見ると、他国で日本への抗議デモが行われて居るとの事だった。


 原発処理水を日本が海洋へ放出していると言うものだ。



「ご自分のお国で放出している処理水の濃度数値をご存じなのかしら……ねえ、霧島君」


「え、ええ。てか、俺、その辺は疎くて……」



 急にそんな世界情勢ってか、俺が原発処理水の濃度とか知る由も無い。



「あちらの国の数値は日本の基準数値の、倍以上の処理水を海洋へ流しているの。どうしてその事を棚に上げて講義デモをするのかしら……」


「え⁉ そうなんですか?」


「ええ。あちらの国の原発関係のHPホームページで、放出濃度を公開しているのに……」


「そうなんだ……」


「はい。その事実を知った時、あの方々はどうお考えになるのでしょうか……」



 恐らく俺の知らない所で、この様な理不尽な争いが幾つも起きているのだろう。


 事実を知ればこんな争いなど起きる事は無いのに。



「お嬢様、到着いたしました」



 不意に黒スーツの一人が声を掛けると、車の外を見た友香さんが何か違和感を感じた様だ。



「あら? どうしてここまで入ってしまわれたのですか?」


「はい、今朝はお連れの方とご一緒でしたので、こちらへお付けしました」


「そうでしたか。次回からはいつもの場所でお願い出来ますでしょうか?」


「はい。承知いたしました。勝手な事をして申し訳ございません」


「いいえ、お送りをどうもありがとうございます。では霧島君、行きましょうか」


「あ、はい! 送って戴いてありがとうございます」



 俺は友香さんと黒スーツの人達に頭を下げてお礼を言うと、黒スーツの人達がバタバタと車を降りた。


 そして、周囲を警戒する様にドアを開ける。


 うわっ!


 やっぱりこういうの苦手だわー。



「では、帰りはご連絡しますので、お気を付けてお戻りください」



 彼女は黒スーツの人達に労いの言葉を掛けると、実に上品に頭を下げた。


 この人のこう言う所、好きだわー。


 そう思いながらその様子を見ていると、ふと周りの視線に気づいた。


 やはり黒いリムジンから降りて来たのが俺達って事が、辺りの人達の目を引き付けてしまうのだろう。


 何事かと足を止めて見ている人も居た。


 しかも、気付けばここは大学の建物の目の前じゃないか。


 見ている人達は皆この大学の学生だった。



「あー! 友香ちゃん! 霧島君もおっはよー!」



 不意に声を掛けられそちらを見ると、いつの間にか未来がすぐ傍まで来ていた。



「あ、未来! おはよう!」


「未来ちゃん、おはよー! 私ね、霧島君のお家で朝から温泉入って来ちゃった!」


「えー! いいなー!」



 え?


 朝も入ってたの?


 そう言って友香さんは笑顔で未来と手を握りあっている。


 ちょ、ちょっと待て!


 今の発言、かなり誤解されないかっ⁉


 俺んちでお風呂入って来たって事だろっ?


 そう言う関係って思われても良い訳っ⁉



「あたしもまた入りたいな~? いい? 霧島君」


「あ、ああ、勿論良いけど?」


「ホントっ⁉」


「うん、いつでもおいでよ」


「やったー!」



 そう言うと、二人は大学へ楽しそうに入って行く。


 その後をついて行きながらふと振り返ると、鈴木がもの凄い表情でこっちを見ていた。



「うわっ! な、何で黙ってついて来るんだよ、おまえは!」



 かなり鈴木の表情は険しい。


 まさか、二人との会話を聞かれてたとか……。



「お前っ! どうして友香さんと一緒の車で来たんだ⁉」


「あ、見てた?」



 やっぱ見てたのかよ。



「あんな車が大学に入って来れば、どんな奴だろうかと誰でも見るだろ!」


「ま、まあ、確かに」


「しかも、普通あそこまで車は入って来ないだろ?」


「あ、そう言えば……」



 確かに鈴木の言う通り、大学の構内へは車両進入は禁止されている。


 正門の警備員が阻止する筈だ。


 それなのに、どうして俺は建物の入り口前で降ろされたんだろうか。



「あら? 鈴木君?」



 先を歩いていた二人が、俺と話す鈴木に気付いて声を掛けた。



「あー! 未来さんと友香さん! おはよう!」



 さっきまでの険しい表情から一変、素晴らしい笑顔で鈴木が答える。



「鈴木さん、おはようございます」



 そう言って友香さんが頭を下げると、鈴木は慌てて挨拶をし直した。



「あ、い、いえ! 友香さん、おはようございます!」



 だが、すぐに寂しそうな表情で友香さんを見た。



「何だか他人行儀で寂しいよー、霧島と俺とで、かなり違う距離感……」


「そ、そう? ……ごめんなさい」


「うっ……否定しない所が益々寂しい……」


「まあまあ、鈴木君。友香ちゃんは霧島君のお家にお泊りして、今朝は仲良く二人で来てる訳だし?」


「え……ええええええええーっ!」


「その辺りは察してあげてね?」



 そう言うと未来は悪戯っぽく笑ったが、鈴木は驚愕の表情で俺を見た。


 そして、ふらふらと俺の目の前まで来ると、その場で崩れ落ちる。



「ちょ、未来! そんな言い方じゃ誤解がっ!」



 すると彼女は俺に耳打ちをしようと腕を引っ張った。

 

 女の人がこんなに近くに来るって、こんなドキドキするものだっけっ⁉



「じゃあ、今夜はあたしもお泊りしていい?」



 彼女が耳元でそう言った。



「は、はいーっ⁉ どういう事だよ!」


「んー何かヤキモチ?」


「どうしてヤキモチやくんだよ……」



 未来はニヤニヤしながら俺を眺めた。


 あ、さては愛美かイーリス目当てか?


 それなら納得出来る。


 この人は年下が好きなのだ。



「愛美ちゃんとチャットしてたら、いつでも泊りに来てって言ってたよ?」


「え……」


「まあ、大学で悠斗君に会ったら、一応ひとこと言っておいてって言われたけどね」


「あ、そうなの?」


「うん! だから、夕方には行くから宜しくね?」


「って、今夜かよっ!」


「駄目なの?」


「いえ、駄目じゃないです」


「んじゃ、そう言う事でー!」



 てか、いつの間に愛美と連絡し合う様になってんだか……。



「良かったですね、未来ちゃん。それじゃ今夜は一緒にお泊り出来ますね?」


「うん! 友香ちゃんと一緒に行く!」



 何だかこの二人、仲が良いんだな。


 そう言えばこの前、子供の頃から遊んでたとか言ってたしな。


 幼馴染ってやっぱいいよなー。



「ところで、友香ちゃん」


「はい?」


「あそこにリムジンで横付け何て、今日はやけに大胆じゃ無かった?」


「あ、あれは、運転手さんが気を利かせて……二度とあんな事しません!」


「そうだったんだ~まあ、そんな事だろうとは思ったけどね」



 そう言うと未来は、困惑した表情の友香さんを見てケラケラと笑った。



「もう……未来ちゃん……やっぱり目立ってしまったかしら」


「そりゃあね~。ま、理事長の孫であれば、誰でも納得しちゃうだろうけどさ」


「うぅ……」



 は?


 理事長の孫?


 滅茶苦茶金持ちだとは思ったが、まさかこの大学の理事長だったのか!


 孫って事は、例のお爺さん?


 イルカの居る水族館を経営しているとか何とか。



「ちょっと待て! 友香さんのお爺さんってここの理事長なの⁉」



 俺が動揺を隠す事も出来ずに、彼女達を交互に見ながら訊くと、友香さんはキョトンとして俺を見た。



「え? 知らなかったの? お爺様じゃ無くて、友香ちゃんのお婆様なんだけどね」


「うわっ! マジすか⁉」



 驚いて友香さんを見ると、彼女はこくんと頷いた。



「霧島、お前今頃知ったの? 俺はとっくに知ってましたよ、友香さん!」



 復活した鈴木がそう言うが、本当にこいつが知っていたのかはこの際どうでも良い。


 この大学は付属高校もあったのだ。


 その高校からそのまま俺は進学した訳だが、その時に友香さんは居なかった筈だ。



「でも、友香さん。ここの高校は居ませんでしたよね?」


「ええ。海外へ留学させて頂きました」


「あ、そう言う事か!」


「あたしも一緒に行ってたんだよ⁉ 頑張って勉強したんだから……」



 未来はそう言うと、その留学時代を回想している様だ。

 


「え? 未来も? 何か、凄いな!」


「でしょ? かなり背伸びして友香ちゃんに付いて行っただけだけどね」


「いや、それでも凄いと思う!」



 外国の学校とか、俺にはとても無理だろうな。


 英語もままならないのに、外国の学校で授業とか在り得ない事だろう。



「あー! 霧島、時間ヤバいぞ?」



 鈴木がそう言って壁の時計を指差した。



「あ! ヤバいじゃん! 鈴木、行こうぜ⁉ じゃあ、二人共また後で!」


「うん、またね!」

 


 俺は先を走って行く鈴木の後を追った。



 ♢



 その日の午後、最後の講義は俺一人で受けた。


 鈴木は別の講義だと言って、その時別れてからは見ていない。


 そういや、未来が泊りに来るとか言ってたけど、先に帰っても良いのかな?


 そんな事を考えながら構内を歩いていた時だった。



「あ、君! ちょっといい?」



 急に知らない男に声を掛けられた。


 知らない男と言っても構内に居る訳だから、学生か大学関係者だろう。


 学生だけでなく、ここの大学関係者ならば、首からIDカードを掛けているから一目で分る。


 やはり、その男の人も首からIDカードを掛けていた。


 歳は四、五十代位だろうか。


 明らかに年上だ。


 もしかしたら、俺の父さん位の年齢かも知れない。



「はい? 僕ですか?」


「うんうん、君。前に、説明会に来ていたよね?」


「え? 説明会……ですか?」


「そうそう! 私はこういうものですが」



 そうIDカードを見せられても、説明会などに参加した記憶が無い。


 IDを見る限り、どうもここの大学教授らしい。


 海野と言う名の教授らしいが、やはりこの人に会った記憶がない。


 そもそも最近は、大学以外に出かけた記憶も無い。


 他に出掛けたと言えば、疑似冥界だろう。


 そこにこの人が居たとは考えられない。


 うん、絶対に在り得ない。



「あの、ちょっと……人違いでは無いですか?」


「えっ⁉ まさかっ! ここの講義説明会だよ⁉」



 あ、もしかしたら、大学初日の説明会か?


 あの時は悠菜と色々廻って参加したからな。


 しかも、数多くの説明会に行って、その後は普通に講義に出席しているから、その時の事は覚えていない。


 それに、あれは四月の事だ。


 もう二か月も前だし。



「あ……もしかして初日の?」


「そう! 初日に女の子と二人で来ていたよね⁉ 黒髪の!」


「え?」



 どうも悠菜の事を言ってるのは間違いないな。


 あの時のあいつは黒髪だったし、目立たない恰好をしてたっけ。


 あの次の日からは銀髪になった訳だから、黒髪の悠菜を見かける筈も無い。



「あー。はい、まあ」


「あの女の子をあれから見かけないけど……」


「え、ええまあ」


「何かあったのかい⁉」


「えっと、あの子は大学辞めましたよ?」


「え……えええええー⁉」


「うわっ!」



 その人はかなり驚いた様子で、そのまま俺の前で立ち竦んでしまった。


 どうしたものかと考えていると、急に鈴木の呼ぶ声が聞こえた。



「おーい! きりしまー!」


「あ、鈴木」



 鈴木が俺の前まで来ると、男の人と俺の顔を交互に見ながら訊く。



「霧島どうした? あ、教授じゃないですか! こいつが何かしたんです?」


「え? お前、この人知ってんの?」


「だって俺、今さっき教授の講義受けて来たとこだもん」


「あ、そうだったのか」



 そう言われてその教授を見ると、鈴木のIDカードを見ながら答えた。



「あ、ああ。君は……鈴木君か。こちらは、霧島君と言うんだ?」


「ええ、高校から一緒の霧島ですけど? どうしたんです?」


「ああ、実は彼のお連れの女の子に用があって……」


「連れの女の子ですか? あ、友香さんと未来さん?」


「いや、名前は知らないが、黒髪の……」


「黒髪……? あー! 悠菜さんか!」


「悠菜さん?」


「ちょっと待ってくださいよ? 確か、ここに……」



 そう言って鈴木は、携帯の画面を何度かスライドし始めた。



「あった! これこれ、この子ですか?」


「え? いや、それは私の! 娘だ……」


「やっぱり! 俺、大ファンなんです!」


「そ、そうか……」



 鈴木こいつ何を見せてんだ?


 てか、教授の娘さんまで隠し撮りしてるとかっ⁉


 絶対ヤバい奴じゃねっ⁉



「それよりも、あの子の写真は?」


「あ、そうでした! 悠菜ちゃんはこれこれ!」



 そう言って見せたその画面には、俺と鈴木と悠菜が写っていた。


 それは初日にフードコートで撮った写真だ。



「……そう! そうなんだ! この子だ!」


「あーやっぱり? もう大学辞めちゃったんですよー」



 鈴木がそう言いながら、残念そうな表情で携帯の画面を眺めた。



「じゃ、じゃあ、初日に説明会を受けた後に、すぐ辞めてしまったと⁉」


「あー実は、あの後も二か月位は来てたんですけどね。最近辞めました」


「だよな~俺もそれ聞いた事はびっくりしたわ」


「えっ⁉ 最近迄は来てたんだ⁉ あの日から毎日探したんだが、全く気付かなかった……」



 まあ、銀髪で目の色も違うしな。


 無理も無いよね?



「ええ、まあ……そうでしょうね」


「でも、どうして辞めてしまったんだい?」


「ああ、遠くに引っ越したと言うか……何と言うか」


「そうなんだ……」



 かなり落胆した様子で、その人は下を向いてしまった。



「あの、大丈夫ですか?」


「あ、ああ、すまないね。取り乱してしまった……」


「いえ……でも、何かあったんですか?」


「実は、あの子にもう一度お礼を言いたくて……」


「お礼? ですか?」


「ああ、あの子は君の彼女さんかい?」


「あ、いえいえ! 彼女とかじゃ無いです! 只の幼馴染ってだけで」


「そうか……。実は、あの子に命を救われたんだよ、妻と私の命の恩人なんだ」


「え、えええー!」



 そんな話だとは勿論驚いたが、今となれば、悠菜が人知を超えた力でこの人達を救ったと言うのも信じられる。


 だが、悠菜はいつも俺の傍に居た筈だ。


 俺から離れてそんな人助けをしていたとは少し疑問だ。



「それって、いつの話ですか?」


「忘れもしない、三月二十四日だよ。君達が説明会に来た日の、少し前だった」


「三月二十四日……」



 思い出そうとしてみても、俺にはその日の、これと言った記憶は無い。


 特別何かあった日では無い様だが。



「その日は娘の誕生日でね、娘との待ち合わせ場所に、妻と二人で出掛けていた時だった」


「ああ、そうなんですか」


「夜の七時頃だったと思う。車で信号待ちしていた時、正面から大型トレーラーがこっちへ来るのが見えたんだ」


「ええ……」



 何が問題なんだろう?



「そのトレーラーが対向車線を走って来たんだよ」


「えっ!」


「そのまま減速もしないまま、もの凄い速度で交差点へ入って来たんだ」


「マジですか!」



 そりゃ慌てるよね。


 乗用車とトレーラーとでは、重量さも半端ないでしょ?



「ああ。私達の車へそのままぶつかるのは間違いないと思った。すぐに逃げないとぶつかると、そう思ったんだが、後ろには車が居るし……」


「え、ええ……」


「何しろ、気付いた時はもう交差点に入って来て……」


「そ、それでっ⁉」


「とても間に合わないと思って、咄嗟に妻と抱き合って最悪を覚悟していたんだ」


「うわぁ……」



 酷い状況だとは思う。


 どんな気持ちだったんだろう。


 実際、想像もしたくないよね。



「妻と抱き合ったまま覚悟をしていたんだが、いつまでも衝撃が無いので、もしかしたら衝突は免れたかもと、顔を上げた時あの子が居たんだ!」


「えっ⁉」


「この黒髪の女の子だよ! 間違いない! 説明会の時はまさかと思って、何度も良く見たんだ。間違いなくあの子だった!」



 そう言って鈴木の携帯を指差したが、その時の鈴木は口を半開きにしたまま、信じられないと言う表情で聞き入っている。


 だが、あの悠菜なら出来そうな事だと、今の俺なら思えた。



「そ、そうですか……」


「あの子はトレーラーを、まるで全身で受け止めた様な感じでそこにいた。私達のすぐ目の前に、こう、後ろ姿を見せて居たんだ。その光景がとても現実離れしていて、状況を理解するのが私には困難だった」


「で、でしょうね……」


「だが、その子がトレーラーの運転席を覗き込んだ後、ゆっくりこちらに振り返ったんだ。そして、こっちに向かって歩いて来たかと思ったら、次の瞬間スッと運転席の窓まで来たんだよ!」


「あ……」


「ここだよっ⁉ 私の車のここなんだよっ⁉」


「え、ええ」



 そう興奮しながら身振りで伝えてきた。


 でもそれ、何と無く分かる気がする。


 あいつ、異常に動きが素早い時があるよな。


 今の俺だって素早く動けますけどね。



「その時の子が、間違いなくこの子だったんだよ! 間違いないんだ!」



 そう言うと男の人は、俺の両肩をガシッと掴んで来た。


 うわっ!


 途端にこの人のステータス情報が上書きされた。


 上書きという事は、いつの間にかさっき会った時に、この人を認識してインプットしていたらしい。


 男の人の表情は、この事を訴えかけるかの様な、もの凄まじい表情だ。


 恐らく誰かに話しても、信用して貰えなかったのだろう。


 そんな気がした。



「そ、そうでしたか」


「うんうん、そしてその子は私に向かって、トレーラーの運転手は気を失っているだけだから救急車を呼んでと、そう言ってそのまま行ってしまったんだよ! 本当なんだ!」


「話は分かりました」


「え……?」


「え?」


「分かってくれた?」


「あ、ええ、分かりましたよ?」


「信じてくれたのか⁉」


「え、ええ、信じますよ?」



 どれだけこの話を誰かにして、どれだけ信じて貰えなかったのか……。


 何だか察する事が出来た。


 まあこんな事、あの悠菜なら在り得る。


 今の俺でも出来そうだもん。



「そ、そうかっ! ありがとう、ありがとう!」


「いえ、僕にそんなお礼言われても……」


「あ、ああ、でもありがとう!」


「い、いいえ……」


「で、あの子には連絡つくのかい⁉」



 目を輝かせてそう言った。


 だが、今まで一緒に居た俺でも、今となっては悠菜と連絡など取れる筈が無い。



「あ、それは、ちょっと……無理かな?」


「え……そうなのか? そうか……」



 急に落胆した表情を隠す事も無く、その教授は項垂れてしまった。


 その様子がかなり哀れに思えて仕方ない。


 俺だって悠菜に逢えない寂しさは、他の誰よりもあるつもりだ。



「で、でも、もしも連絡が来たら言っておきますよ!」


「そ、そうか⁉ そ、その時は是非、連絡してくれないか⁉ 妻も私も本当に感謝してるんです!」



 そう言って、俺の両手を強く握りしめてきた。



「わ、分かりましたっ! 絶対に伝えますからっ!」


「そ、そうかい⁉ あ、これが私の連絡先、裏に自宅も書いて置くから!」


「あ、はい。でも、向こうからしか連絡は無いと思うので……僕には何も伝える手段が無くて」


「そうか……はやり、人知を超えた方なのか」



 あ、ヤバい……やっぱりそうなるよな?



「だが、この御恩は一生忘れない。その旨を伝えてくれたら、それだけでも……」


「ええ、ええ。大丈夫です! 絶対にお伝えしますからっ!」


「じゃあ、くれぐれも宜しく頼むよ⁉ では!」



 そう言うと、教授は何度も頭を下げて行ってしまった。


 その姿が見えなくなると、鈴木が怪訝そうな表情で俺を見た。



「おい、霧島。大丈夫か? あの人」



 え?


 お前の教授だろ?



「大丈夫かって……知らないよ、そんなの」


「あの教授の講義、人気あるんだけどな……失敗したかな?」


「あ、いや、そこは大丈夫じゃないか?」


「そうかー? でもあの教授さ、綾瀬里穂のお父さんだぜ⁉」


「綾瀬……? 俺、知らないけど?」



 誰それ、同級生?


 つーか、あの教授の名前は間違いなく海野だった。



「知らない? マジかー」


「ああ、だって海野教授だろ?」


「あー娘は芸名だよ。綾瀬里穂って言うんだ」


「芸名? 芸能人?」


「ああ、女優っていうか声優もやってる」


「そうなんだー名前知らないなー」


「お前、前から芸能人に興味ないからなー」


「ああ」



 俺は物心ついた頃から沙織さん一筋だったんだよ。



「あの里穂ちゃんのお父さんがあれかー、何だかヤバそうだなー」


「お前なー。俺にはお前の方がヤバいと思うけど?」


「だって、悠菜さんがそんな事出来る訳無いだろ?」


「あ……」


「トレーラー止めたとか言ってたぞ? ありえねー」


「ま、まあねぇ。あ、んじゃ、俺、急ぐから! またな!」



 そう言って俺は構内を走って逃げた。


 ここは捲くしかない。


 追及されても良い訳が思いつかないのだ。



「あ、こら待て! 霧島ー!」



 鈴木は慌てて追いかけて来る。 



「悪い! また連絡するからー!」



 そう言って走るが、鈴木の追いかける足音が聞こえる。


 今は捕まる訳にはいかない。


 俺は鈴木から逃げる事に全集中していた。


 あ、ウルドが何度も言うから……全集中って伝染った。



 その後、大学の構内を飛び出した俺は、大学の敷地をぐるっと回り込んで、再度大学の敷地内のフードコートに向かっていた。


 勿論携帯の電源は切ってある。


 ここは大学の広大な敷地内ではあるが、その一部は他の商業施設に隣接しており、フードコート内には一般の利用客も多い。

 

 走って大学を出て行った俺が、まさかここに戻って来るとは鈴木も思うまい。


 首に掛かったIDカードを外すと、一般利用客の入口から何食わぬ顔で入場した。


 そして、脳内レーダーで鈴木を検索しながら、目視でも見回して現状確認。


 どちらにも鈴木の姿も気配も無い。


 クリアだ。


 ふぅ……悠菜の事を突っ込まれても、上手く交わせないしな。


 そう思いながら、取り敢えず喉を潤そうと店を見回すと、俺は一番近い店の前に立った。


 だがすぐに脳内センサーが知り合いを察知した!



「あら? 霧島君じゃん!」


「え?」



 名前を呼ばれて一瞬ビクッとしたが、少し聞き覚えのある声だ。


 脳内レーダーには覚えのある二人を表記している。


 声のした方へ目をやると、やはり友香さんと未来が隣の店前に立っていた。


 ホッとしたのもつかの間、すぐに寒気がして来る。


 鈴木は何故か、こういう場面に現れる事が多いからだ。


 慌てて脳内レーダーを確認……。


 居ない様だ。


 マジで鈴木ってタイミング悪く現れる事多くない?


 特にこの二人と会うと、大抵あいつが現れないか?


 そう思うと、妙に落ち着かない。



「あ、や、やあ!」


「やあって、何をそんなに動揺してるのよ」



 未来に突っ込まれるが、脳内レーダーに気を配りながら手を上げる。


 鈴木が来ませんように……。



「霧島君、どうしたの? 何だか変だよ?」


「大丈夫ですか?」



 友香さんも俺に近寄ると、心配そうに顔を覗いて来る。



「ああ、実は……」



 俺はその後、事の理由を二人に話した。



 ♢



 鈴木を捲くのに成功した俺は、ホッと一息ついている所だ。


 今は落ち着いてセレブな二人とテーブルを囲んでいる。



「なーんだ、そんな事かぁー」


「そんな事って、未来には分かんないんだよ、あいつの粘っこさが」


「あははは! ヤバい人に追われてるのかと思ったよー。ね、友香ちゃん?」


「ええ、何だかかなり切羽詰まった表情でしたよ?」


「あ、そ、そう? まあ、ヤバい人には違いないけど」



 すると、手をポンと合わせた未来が、思い出したかの様に俺を見た。



「あ、今夜霧島君の家に行った時に、話そうと思ったんだけどさ」


「え? 何を?」


「前に言ったじゃない? 友香ちゃんちのプライベートビーチ」


「あ、うんうん!」


「今夜さ、愛美ちゃんと蜜柑ちゃんとイルちゃんも交えて、色々計画しようよ!」


「もう?」


「って、再来週だよ? 行くの」


「へ? 再来週っ⁉ てことは二週間後⁉」


「ま、まあ、そうなるわね」



 マジか!


 二週間後なのか!


 てことは、戦いは来週じゃないか⁉


 もっと先かと感じていたが、来週には異星人の襲来かよ。


 イーリスとピーンとやってバーンの作戦があるのか。


 だ、大丈夫なのか……?



「後で友香ちゃんと行くから、愛美ちゃん達にもそう言っておいてね?」


「あ、ああ。分かった」



 このままの俺で戦えるのか⁉



「ねえ、大丈夫?」


「え? ああ、大丈夫、大丈夫!」


「霧島君、送って行きましょうか?」


「あ、平気平気! ちゃんと夕方前には帰るから!」


「じゃ、後でね?」


「うん、後で!」



 そう言って二人と別れて家へ向かう。


 二人とプライベートビーチへ行く前に、俺にはやる事があるのだ。


 しかも、それを通過しないと、絶対にこのご褒美イベントは発生しない。


 何としても地球を護らなきゃいけない。


 ヤバいな……最終の打ち合わせしないとだな?


 そうなのだ。


 今のままではかなり不安だ。


 イーリスとウルドにも聞いておきたい。


 俺がちゃんと護れるのかの再確認をして置きたいのだ。


 そう考えながら家へ急いだ。



 ♢  



 急いで自宅へ戻った俺は、玄関を開けると同時に大声でイーリスを呼んだ。



「おーい! イーリス‼ ちょっとー!」



 するとすぐに朝比奈さんが玄関へ駆け寄って来たが、その表情はかなり心配そうだ。


 この人居る事忘れてたー!



「あ……朝比奈さん」


「霧島様、お帰りなさいませっ! 一体、どうされましたか⁉」


「た、ただいまです! すみません、うっかりしてました」



 朝比奈さんだけじゃない。


 今の我が家には二人のメイドさんが滞在中だった。


 帰って来た早々、イーリスって叫ぶのはちょっと異常だよな。


 もしかしたら、俺がイーリスあいつを好きなんだと思われたんじゃないだろうか。



「あの……イーリス様はまだお部屋からお戻りになってませんが?」


「あ、そうなの?」


「はい」



 怪訝そうな表情をして朝比奈さんがそう言うが、余計な誤解をさせてしまったかどうかは、今の優先順位では下位である。


 早くイーリスと綿密な計画を立てなければならない。


 部屋から戻って無いという事は、愛美と一緒だろうな。



「そっか、愛美と部屋に居るのか……」



 リビングへ向かいながらそう呟くと、後ろを付いて来ている朝比奈さんが遠慮がちに否定した。

 


「いえ、愛美様はキッチンにいらっしゃいますが?」



 な、何で⁉


 どういう事⁉


 リビングへ向かって廊下を歩いていたが、思わず朝比奈さんへ振り返ると、自分の耳を疑った。



「え⁉ 愛美居るの⁉ じゃあ、イーリスだけ部屋へ⁉」


「はい。少し行って来ると、そうおっしゃいました」


「行って来るって? あいつが一人で⁉」


「はい」



 あれ?


 イーリスあいつが一人で部屋で何かする事あったっけ?


 そんなの記憶にないよ?


 それこそ眠たいと言い出した時だって、愛美が部屋まで送り届けていた。


 うちでは園児扱いなのだ。


 そもそも、イーリスあいつが単独行動でそこらを徘徊するのは危険だろう。


 何を仕出かすのか、恐ろしくて想像もしたくない。


 露天風呂ではコーラを飲んで大暴れしたし……。


 そう思うと居てもたっても居られず、愛美が居るというキッチンへ急いだ。



「愛美ー! イーリス独りで部屋へ行った⁉」



 そう言いながらリビング迄来ると、丁度ダイニングから愛美が出て来た所だった。



「あ、お兄ちゃんおかえりー! イルちゃん? あ、アイス食べる?」



 棒アイスを持って笑顔でそう言うが、俺は一刻も早くイーリスあいつに訊きたい事があるのだ。


 来週には侵略者が来ると言うのに、もっと綿密な計画を立てないと駄目な気がする。



「あ、いや、今はイーリスを……」



 愛美はリビングのソファーに腰かけると、不可解な面持ちで俺を見た。



「どーしたの、そんなに慌ててー」



 こっちの気持ちも知らないで、愛美はまったりとアイスを食べている。



「お兄ちゃん、おかえりなさーい」


「あ、みかん、ただいま」



 蜜柑もアイスをくわえながらソファーへ座った。


 そして、俺の後をついて来ていた朝比奈が、その様子を見ていたのだろう。


 ふっと笑顔を見せた。


 この人達と俺との温度差はかなりな様だ。



「霧島様はイーリス様をとても愛してらっしゃるのですね」



 振り返ると彼女は満面の笑みだ。


 やっぱりこの人誤解してるー!



「あーいやいや、そうじゃ無くて! すぐにイーリスあいつに訊きたい事があるんだよ」



 弁解にもとれる俺の訴えに、ようやく愛美が反応してくれた。



「あ、そうなの? イルちゃん、ちょっと行って来るって言ってたけど?」


「え? 何処へ⁉」


「知らないわよーすぐに部屋へ上がっちゃったからー」


「あ、じゃあ、イーリスが何処へ行ったか分からないのか⁉」


「何でよ、イルちゃんの事でしょ?」


「え? お前が部屋へ上がったんじゃ無くて、やっぱりイーリスが独りで部屋に上がったの⁉」


「そう言ってるじゃーん。何をそんなに焦ってるの?」



 行って来るって言って、部屋に行ったってどういう事だ……?



「部屋で何してんだ?」


「知らなーい」


「あ! イーリスあいつ、行って来るって言って部屋に上がったんだな⁉」


「そ、そうだよ? ちょっと、どうしたの?」



 愛美は不安げな表情になっているが、今はイーリスの行動が気になる。


 あいつが出かけると言って、この家の二階か三階の部屋に上がったという事だ。


 だが、この家でのあいつの行動場所はかなり限定されている。


 医務室から迷子になったとか言って、露天風呂に居る俺達の目の前に、突然変な空間から来た事もあったしな。


 変な空間?


 あ、そうか!


 あいつの出掛けるってあれか⁉


 時空の歪とか、異次元空間か?


 それなら納得出来る。


 外へ出かけたとなれば一大事だが、異次元へ行ったとなれば話は別だ。


 何も問題は無いだろう。


 いや、これはこれで変な話だが……。


 普通であれば、外へ出かけるのは特に問題など無い事だが、異次元へ行く事など現実味が無い。


 それこそ一大事である。


 だが、イーリスなら異次元こそがホームグラウンドなのですよ。



「そ、そっか……ならまあ、ここで待ってても良いか」


「てか、そんなに急ぐなら見て来たらいいじゃん?」



 俺が異次元へ行けるわきゃ無いだろ!



「行けるかよ!」


「何でよ。まあ、お腹空いたら来るわよー」


「そんな犬や猫みたいに……」


「んーでも、あの子、部屋に上がる前に今夜のごはん何とか訊いて来てたし」


「そうなんだ?」


「あ、またソーセージ食べたいって言ってたっけ! ヤバい用意しなきゃ!」


「愛美様、私がご用意しますので……」


「あ、そっかーごめんなさい、朝比奈さん。宜しくお願いしまーす!」


「かしこまりました」



 一度は立ち上がろうとした愛美だったが、食べ終えたアイスの棒を銜えたまま、またソファーに深く座ると俺を見た。



「あ、お兄ちゃん、アイス食べないの?」


「あ、食べるかな」



 かなり急いで帰って来たしな……気が抜けたら急に喉が渇いた。



「じゃあ、あたしのも持って来て! バニラで良いから」


「は? 持って来てくれるんじゃないのかよ……」


「何よー、ついででしょー?」


「分かった、分かった」


「よろしこー」



 てか、さっきまで食べてたよな?


 アイスのおかわりかよ……。


 ぶつぶつ言いながらもダイニングへ向かうと、朝比奈さんがキッチンから出て来るのが見えた。


 手にはアイスを三つ持っている。


 あ……。



「はい、どうぞ」


「どうもありがとうございます!」


「いいえ、お話が聞こえましたので蜜柑さんの分も」


「何だかすみません」



 朝比奈さんはニコッと笑いキッチンへ戻って行った。


 メイドさんって……やっぱいい!


 まるで召使いじゃん!


 まあメイドさんだから一般的に召使い?


 あ、いや、召使いを英訳したらサーバントだよな?


 メイドさんて使用人って意味だっけ?



「ほら、朝比奈さんが持って来てくれたよ。みかんのも」


「あ、そうなの?」


「ちゃんとお礼言うんだぞ?」


「らじゃ!」



 蜜柑がキッチンへ走った。



「朝比奈さーん! どうもありがとー!」



 愛美こいつここから礼言いやがった!


 実家と違って、この家デカいのに!



「て、お前な~ちゃんと目を見てお礼言えよな」


「あ、そういうとこ、お母さんと似てる~親子だねぇ~」


「お前も娘だぞ⁉」


「分かったわよ~」



 そう言うと愛美もキッチンへ行った。


 全く、こいつは……。


 しかしまあ、朝比奈さんは友香さんの護衛も兼任しているメイドさんな訳だ。


 そして、友香さんがうちに暫く泊るって事で、お手伝いさんという名目で今は一緒に泊まり込みしている。


 あれ?


 そもそもどうして友香さんが暫く泊るんだっけ?


 昨日の夕方、友香さん達と愛美と蜜柑が露天風呂へ行った後だな。


 あの時、俺は独りで下の風呂に入ってた訳だけど、その時、愛美が言ってたんだよな。


 暫くうちにお泊りするからって……。


 でも、その訳を聞いてなかった。


 嬉しさのあまり理由を聞くのをすっかり忘れてた。


 そもそも、友香さんみたいな人が泊るだなんて、それこそ理由なんか必要じゃ無いのだ。


 あ、もしかして!


 俺に気があるとか⁉


 そう思うと、何だか緊張して来るぞ……。


 いや待て、冷静になれ。


 友香さんは、沙織さんや悠菜と別れた俺達兄妹の傷心を察して、それを癒すつもりで来てくれたのだ。


 あの時の愛美は大泣きだったからな……。


 あんな泣いている所を見たから、優しい友香さんは何とかしてあげたいと思ってくれたんだろう。


 危ない……。


 友香さんの純粋な優しさに、先走って思い違いをするところだった。


 しかも、超セレブなお嬢様だしな。


 勘違いしたままこっちが好きになっても恥をかくだけだ。


 それに、許婚いいなずけが居るとかそんな事言ってたし……。


 あ、あれだけは何とかならないものだろうか。


 親が結婚相手を探すなんて、到底俺には理解出来ない。


 そう思うと胸がキュンと切なくなった。



「ねえ、そう言えばさー」



 愛美がそう言いながらリビングへ入って来ると、その後を蜜柑もついて来た。



「ん? どした?」


「イルちゃん、何してるんだろうねーみかん、聞いてない?」


「うん、何もー」


「まあ、あいつの事だから……」



 そう言いかけてふと気になってしまった。


 あいつの事だからとか言いかけておいて、俺はあいつの事を何も知らない。


 イーリスが何処へ行ったのかは勿論、今までどうしてたとかさえ知らないのだ。


 そう考えたら、急に不安になって来た。



「ホントに何処行ったんだろうな……」


「ねね、もしかしたら部屋からどっか行ったとか?」


「え? 俺、最初からずっとそう思ってたけど?」


「あ、そうだったの?」



 きっと部屋から異次元空間を展開して何処かへ行ったんだろう。


 そう思っていたが、何かが引っかかる。


 待てよ……?


 あいつがわざわざ部屋から異次元空間へ行くか?


 そうなのだ。


 あいつがメイドさんが居るからと言って、部屋へ行ってから異次元へ行くなどと、そんな気の利いたことする筈無い。


 露天風呂でも急に現れた奴だ。


 思い立ったら即座に行動に移している筈だろう。



「ちょっと、見て来る!」


「何処? 部屋?」


「ああ、俺の部屋に居るかも知れない!」


「あ、そうなの? じゃ、あたしも行くー!」


「私も!」



 先ずは俺の部屋だ!


 噴水の金魚にエサやってるとか?


 案外寝てたりして?


 俺達は急いで部屋へ向かった。

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