第13話 時空管理局員と混浴露天風呂

 目の前に突如現れた歪んだ空間。



「ちっ、もう来ちまった……」


「え⁉ な、なに⁉」



 その歪んだ場所から大きな影が現れた。


 イーリスはやっちまったと言わんばかりに、その頭を抱えてしゃがんでいる。



「あら⁉ 貴女は⁉」



 そう聞こえた瞬間、その大きな影は見る見る人影になると、綺麗な女性へと変化した。


 だが、その姿は身長が三メートルはあろうかと思える程に大きいのだ。


 部屋の高い天井でも頭がつきそうだ。


 その美貌もさることながら、俺はその身体の大きさに圧倒されていた。



「ぬ、ぬあっ⁉」


「あら、こちらは殿方ですね? ごきげんよう~」


「あ、あの、どちら様でしょうか……」


「これは、突然失礼いたしました~ヴェルダンディと申します~」



 そう言うと、その人は深々と頭を下げた。



「あ、俺、悠斗です。ご丁寧にどうもです」


「まあ! ハルトさんですか~初めまして~」


「は、初めましてです」


「とても素敵なお部屋ですね~」



 そう言って、ヴェルダンディは辺りを見まわしている。



「あ、あの、と、とても背が高いのですね……」


「あら、これは失礼致しました! ついつい、こんな大きさで来てしまいました!」



 すると、音も無くその大きさが普通サイズへと収縮していく。



「うわっ!」



 収縮自在ですかっ! 



「この位ですね?」



 だが、そう言って俺に微笑みかけるヴェルダンディが、まるで女神の様に見えてしまった。



「あ、あなたは……」


「わたくしは、時空を管理する職に就かせて戴いております~」


「じ、時空を管理?」


「はい~」


「で、どうしてその……ヴェルダンディさんが俺の部屋へ?」



 俺がそう訊くと、頭を抱えていたイーリスがスッと立ち上がった。



「まあ、今回は仕方ない! すぐ戻すから……」


「いえいえ、やっぱりイーリスさんですよね⁉ とてもご無沙汰しております~」


「あ、ああ」


「この空間でしたら他のモノに影響も無い様ですので、ごゆっくりして頂いても構いません」


「なら、どーして来たの?」


「もしやイーリスさんでは無いかと、どうしても気になって覗きに来ちゃいました」


「ああ、そうだろうね。で、もう戻るのか?」


「今はスクルドと新人の方が当番ですから、私は非番なんです♡」


「ふーん」



 非番?


 当番?


 何なの?



「でも、どうしてイーリスさんはこちらへ留まっておられるのですか?」


「んー何だか、色々やる事増えちゃってさ~」


「あらあら~」



 そう言いながら、イーリスはピンク色の髪の毛を弄りだした。


 元はと言えば、俺がイーリスを呼び出したとか言ってたよな。



「あ、すみません、俺が何だか引き出して……? しまったらしくて……」


「え⁉ ハルトさん、貴方がですか⁉」



 ヴェルダンディは驚いた様子で俺を見た。



「あ、すみません!」



 何だか、いけない事をしてしまった気分になると、俺は思わず謝っていた。


 すると、イーリスは思い出した様に俺を指差した。



「あーそうだ! こいつに引っ張られて、こっちに来ちまったんだ!」


「そうなんですね~。で、それはいつの事ですか~?」


「う……ちょっと前……ここが明るかった……頃」



 さっきまでの元気は消えた感じで、気まずそうにイーリスが答える。


 だが俺は、ヴェルダンディの口調が少し沙織さんに似てると感じていた。



「へ~そうなんですね~。でもまだいらっしゃると?」


「だ、だって仕方ないじゃんか! こいつが困ってるって言うから!」


「いえいえ~私は何も責めてなどおりませんよ~?」


「用が済んだらすぐ行くし!」



 イーリスは開き直った様に、ヴェルダンディに言い放った。



「そんな~定住の地を見つけたのであれば、それは大変喜ばしい事です~」


「定住⁉ そ、そんな気は無い! 無い無い! あり得ないから!」


「お、おいおい……」



 何もそこまで拒絶しなくても……。


 沙織さんが、イーリスは留まる事をしない、伝説の漂泊者だと言っていた。


 ヴェルダンディにしても、イーリスがここに留まっている事に疑問があるのだろう。



「それで、イーリスさんのやる事とは、どんな事なのですか~?」


「あ、ハルトの元へ略奪者が来るとか言ってるから、ぴーんってやるだけ」


「略奪者ですか?」


「あ、いえ、あの、異星人が地球の海を強奪しに、今もこちらへ向かってるらしくて」


「あら! そうなのですか?」


「あーそんな感じ」



 イーリスは指を立ててそう言うと頷いた。


「イーリスがこちらの世界へ手助けですか~」


「だ、だから! 一風呂一飯の礼だってば!」


「それを言うなら、一宿一飯だって……」



 一体こいつは、何処でそういう言葉を覚えて来たんだか。



「イーリスさん……」


「な、なんだよ……わ、悪いのかよ!」



 ヴェルダンディは手を合わせて、ふて腐るイーリスを見ている。



「いいえ⁉ 悪いだなんてとんでもない! 私はとても感激しているのです!」


「ふ、ふん!」



 え?


 どうしたの、ヴェルダンディさん?



「やっぱり貴女は、私が思い描いていた通りの優しいお方……」


「うっさいな~もう、いいってば!」


「これからの貴女に幸福が訪れますように……」



 照れ臭っているイーリスに向かうと、ヴェルダンディは両膝をついて祈りだした。


 やっぱこの人、女神様か何か?



「それと~ハルトさん?」


「あ、はい?」


「イーリスさんを呼んだとおっしゃいましたが、どの様にでしょうか?」



 確かに俺が呼んだという事になってはいるが、その自覚が俺にはまるでないのだ。


 コンビニからの帰り道に、偶然拾ったとしか思えない。


 ヴェルダンディはゆっくり立ち上がると俺を見つめた。



「そ、それがですね、全く覚えが無いんですけど、そう言う事になったらしいです」


「なったらしい? とは?」


「沙織さんとか悠菜がそう言ってたし……」


「サオリさんとか、ユウナ? ユーナ……ユーナ⁉」


「え? 悠菜のお知り合い? まさかね」


「ユーナさんとは、どんな方です?!」


「え? 悠菜? えと、銀髪の――」


「銀の瞳では⁉」



 急にヴェルダンディが俺の手を掴んで、その目を輝かせている。


 その瞬間、俺の視界の片隅にヴェルダンディのログが流れ出した。


 この人は間違いない、エランドールの人だ!


 もしかしたら悠菜と知り合いかも知れない。



「え、ええ、まあ」


「やっぱり!」


「ああ、アトラスの姉ちゃんだよ」



 イーリスが面倒くさそうにそう言った。



「どうりで、随分姿が見えないと思ってました!」


「え? ヴェルダンディさん、お知り合い?」


「ええ! とても仲良くさせて戴いてます~」


「おおー⁉ そうだったんですね!」



 そう聞くと、俺は何だか嬉しくなった。


 あの無表情の悠菜が、ヴェルダンディさんと仲良くしているとは。



「でも、ユーナさんがこちらへ来ているとなると、もしや……」


「ああ、ルーナもいるけど?」



 イーリスが更に面倒な様子で言う。



「やっぱり! そうなんですね~」


「ああ、沙織さんってこっちでは呼んでるんです」


「あ~! ペンネームなのですね!」


「え? ペンネ……ええ、まあそんなもんです」


「イーリスさんだけでなく、ルーナさんとユーナさんまでいらっしゃったのですね!」



 まあ、そういうことだ。ここには異世界の人間が二人も生活している。



「ああ、ムーの剣も居るよ」


「えー⁉ もしかして、セレス⁉ セレスティア将軍が⁉」



 ヴェルダンディはそう言って、今度はイーリスに詰め寄った。



「あー将軍なの? 知らないけど」


「ど、どうしてこの地にっ⁉ 何故エランドールからそんなに……」



 そういって、ヴェルダンディが俺を見た。



「あの、ハルトさん……」


「あ、はい」


「貴方……もしかして、ゼウスですか?」


「へ?」


「ゼウスの化身なのっ⁉ 正直に言いなさいっ!」



 うわっ!


 イーリスもそんな事言ってたな。


 ゼウスって、あの全能の神、ゼウス様ですか?



「い、いえいえ! とんでもない!」


「そ、そうですか……?」



 そう言うヴェルダンディのその目は、まだ少し疑っている様に感じる。



「ほ、ホントですよ⁉ ゼウスとか神様でしょ? あり得ませんよ!」


「いえ、ゼウスとは、神の名を騙った、す……す……」


「え? どうしました?」


「あ、あの、す……すけ……あぁ! とても言えません!」


「な、なんですか⁉」



 ヴェルダンディは崩れ落ちる様に、その場にしゃがんでしまった。



「ど、どうしたって言うんです⁉」


「すけこまし、だろ?」


「へ?」



 それを見ていたイーリスが見兼ねた様にそう言うと、両手で顔を隠していたヴェルダンディはただ頷いた。


 ゼウスが、すけこましだって⁉


 あの、全能の神が?


 あ、いや、もしかして同じ名前の奴って事か?


 そうだろうな、全能の神と呼ばれるゼウスが、すけこましな訳無いだろ。


 つーか、どうしてヴェルダンディはすけこましって単語を、あえて言おうとしたんだよ。


 言い難いんだったら、他の言い方にすればいいのに。


 いや、ちょっと待て!


 俺がすけこましって言われたんじゃ⁉



「お、俺はそんなんじゃありませんよ⁉」


「そ、そうですか……?」



 だが、ヴェルダンディのその目は、俺に対する疑いの色が隠しきれていない。



「あーこいつはそうじゃないと思うよ、あたしも最初はそうかと思ったけどさ」



 イーリスがそう言うと、ヴェルダンディはゆっくりと立ち上がった。



「で、でしたら良いのですが……」


「ゼウスはこっちの女ばっかはらませたからな~」


「ああ、そう言えば……」



 え?


 は、はらませるって、マジかよ!



「それに、ルーナさんがこれ以上ゼウスの所業をお許しになる筈は無いですものね」


「まあな~そうだろうな~ゼウスにとってルーナは天敵だしな~」


「言われてみれば……」


「ハルトがゼウスだったら、ルーナが一緒に居る訳無いよなー」


「そ、そうですよね。エランドールが平和なのも、ルーナさんのお力があっての事ですし」



 え?


 沙織さんてエランドールの偉い人だったの⁉



「しかもこいつ、年頃の妹が二人も居るんだけどさ、まだどっちにも手を付けてないぜ?」


「あら、そうなのですね?」



 当たり前だろっ!



「こいつがゼウスだったら、もうとっくにやってるし」


「ま、まあ、そうでしょうね」



 や、やってるって……。


 ゼウスって奴、鬼畜なの?


 イーリスはそう言って俺を指差すと、ヴェルダンディも俺を見た。



「て、おいおい! 妹に手を出してたら、それこそヤバいだろ!」


「だって、ハルトは妹って言ってるけど、どっちも血縁じゃ無いだろー? ヤバいってのがわかんないけどさー」


「あ、ま、まあそうだけど」


「冷静に考えたら、ルーナさんもユーナさんもこちらに居るとなれば、ハルトさんがゼウスな筈ありませんよね」


「まあ、そうなるわな~わはははー!」



 イーリスがそう言って笑い出すと、ヴェルダンディもやっと笑顔に戻っていた。


 こうして、何とか俺のゼウス疑惑は晴れた様だけどね。


 これだけ言われるゼウスって一体……。



「んじゃま、そーゆーことで!」


「どう言う事だよ!」


「あら、まだ、ルーナさんにご挨拶もしてませんが?」


「今はこっちの人は寝なきゃなの!」



 何だろう、イーリスはエランドールの人達が苦手なのだろうか。



「でも、ここで何をなさっていたのです?」


「ああ~さっきの話だよ、礼をするって話! 何度も言わせんなよな~」


「それでこの様な時空の歪を作ってまで……」


「だって、そっちにルーナとか居るしさ~聞かれたら恥ずかしいじゃんか」


「そう言う事でしたか~」



 そう言うと、納得した表情でヴェルダンディは、ふて腐って上を見ているイーリスを見つめた。



「さてと、ハルト、話は分かったか? 何か質問でもあるかー?」



 そう言われてもなあ……。



「ここで異星人を迎え撃つって事だよな?」


「そうだなーまあ、そうなる」


「そうか。分かった、宜しく頼むよイーリス」



 そう言って俺は頭を下げた。



「何だよ! 任せとけってば!」



 照れながらも微笑んでそう言った。



「及ばずながら、私もお手伝い出来る事が、何かあれば良いのですが……」


「あーあんたらだと何かと面倒じゃん? 無理しなくていいよ」


「そうですか~」



 こう見えて、イーリスってヴェルダンディさんよりも立場ってのが上なのか?


 何か、上からモノ言ってるけど……。


 あ、こいつは誰にでもそうだったか。


 こんなのでも、愛美が叱ると結構素直に聞いたりするもんな。



「じゃあ、戻るからハルトこっち来い。ヴェルもまたな!」


「あ、もう行かれるのですね? 分かりました、いずれまた~」


「あ、ああ! ヴェルダンディさん、どうも失礼します!」


「ええ、ハルトさんごきげんよう~」



 そう言うと、イーリスは俺の腕を掴む。


 すると、目の前でバチッと音がした次の瞬間、急に水の音がした。


 それは傍にある噴水の水の音だった。

 


「じゃあな、朝まで寝るんだろ? おやすみー」


「ああ、おやすみ」



 そう言いながらイーリスは、スタスタと愛美の部屋へ戻って行った。


 な、何だったんだ。


 何だか、色々……めっちゃ疲れた……。

 

 俺はフラフラとベッドに倒れ込むと、そのまま寝入ってしまった。





 ふと目覚めて何気なく窓の方を眺めると、もう大分日差しが強くなっている。


 慌てて枕元の時計を見ると、八時半を過ぎていた。


 そっか、今日は日曜か。


 辺りを見回すが特に変わった感じは無い。


 頭を掻きながらベッドに腰掛ける。 


 あれからぐっすり寝た様だな。



 そう、あれから……。


 昨日の深夜は、この部屋にイーリスが時空の歪を作って、二人で遅くまで話してたんだっけな。


 いや、途中からヴェルダンディも参入して来たっけ。


 女神の様な綺麗な人だったが、どことなく沙織さんの口調に似ていた。



 そんな事を思いながら、俺は何気なく壁に開いた穴の方を眺めた。


 穴の先は愛美の部屋だが、シンと静まり返っている。


 愛美とイーリスは、もう起きたのかな?


 そう思いながら朝風呂に入ろうかと、部屋を出て大浴場へ向かった。



 大浴場前の脱衣場まで来ると、ふと思い出してガラス冷蔵庫の中を覗き込む。


 あれ?


 この前断念したコーヒー牛乳が無いな。


 先日、コーヒー牛乳の蓋が中々開けることが出来ずに、格闘虚しく断念してそのままここへ戻した奴の事だ。


 誰か片づけたのか?


 あの蓋は中々しぶとかったからな。


 そう思いながら大浴場へ向かった。


 待てよ?


 この展開は嫌な予感がする!


 そうだった。


 前はセレスが入っていたな。


 今朝のこの展開だと、イーリスだろ⁉


 ふふ。


 もう慌てないぞ!


 そう思い、俺は大浴場の扉を少し開け声を上げた。



「誰か入ってるかー? 特にイーリスとか! ピンクの髪の奴とか! おーい! 入るよー?」



 そして、空いた入口の隙間に耳をつける。


 暫しの沈黙……。


 ……何も聞こえないな?


 しゃばしゃばと、お湯の流れる音しか聞こえない。


 若干拍子抜けしたが、隙間を広げながら覗いてみる。



「いないねー? はいるよー?」



 居ないな?


 よし!


 もしそこに人影があったならば、間違いなく若い女性だろう。


 何せここに居る人は、俺以外が全て女だからな。


 しかも、若い女性だ。


 ああ、イーリス以外。


 あいつはまだ小学生並みだからね。


 恐る恐る大浴場の湯船へ向かう。



「朝風呂入るのにも、女ばかりの家族だとやっぱり神経遣うなぁ」



 そんな独り言を言いながら、俺はゆっくり湯に入った。



「くっ!」



 気持ちいい~!


 しかし、幸せだな。


 こうやって朝風呂に浸かるのも、最高の贅沢なんだろうな。


 まあ、神経つかうのも仕方ないか。


 女ばっかだからなぁ。


 去年は父さんが居たけどな。


 そう言えば、俺と血が繋がって無い事、父さんは知ってたんだよな。


 それでもそんな事感じさせない程、可愛がってくれたっけな。


 母さんの染色体を使って出来た子供だとは言え、自分とは血の繋がりの無い子供だぞ?


 その後、妹が生まれて本当の自分の子供が出来たって言うのに、かわらず俺を大事にしてくれて来た。



 俺がその立場だったらどうだろうか。


 父さんと同じ様に育てられただろうか。


 そう思うと少し複雑な気分になっていた。


 俺は潤んだ涙腺を、湯船のお湯で拭っていた。


 その時だった。


 カチャ!


 突然、観葉植物の方からドアの開いた音がした。


 ビクッとしてそっちを向くと、何と沙織さんがサウナから出て来たのだ。



「なっ⁉ 沙織さん!」


「あら~? あーっ! 約束破ったー!」



 シャワーの方へ行きかけた所で、ハッと何かを思い出したかの様に立ち止まり、力強く俺を指差した。



「へ? 約束って、な、何の⁉ すみません、すみません!」



 俺は裸の沙織さんを直視できず、両手を前に出して下を向きながら、取り敢えず謝る。


 沙織さんの生肌つーか、裸体を見ちゃったから⁉


 セレスの前で倒れた時に、俺、何か約束したっけ⁉


 色々思い出そうとしても、動揺して思考が上手く働かない。



「えー? もう忘れたのー? ひどーい!」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」



 沙織さんはそう言いながら、その場で腕組みをしている様だ。


 上目づかいでチラッと見るが、下が丸見えなんですけど!


 俺は慌てて後ろを向きながらも、何を言っているのか動揺しながらも考える。


 何なんだよー!


 約束何て思い当たらないんですけどっ⁉



「沙織さんじゃないでしょー? お姉さんでしょー?」



 すると沙織さんはシャワーを浴びながらそう言った。


 へ?


 あ、それか⁉



「あ、そうでした! ごめんなさい、ごめんなさい!」


「まあ、今回は許す~」



 そう言いながら、俺の横に入って来る。



「うわっ! 入るの?」



 思わず股間を隠して、沙織さんに背中を向ける。



「そんな事言わないで、お姉ちゃんも入れてよ~」



 沙織さんは近付いて、俺の背中から抱きついて来る。


 うわっ!


 ちょ、当たってるってばっ!



「いや、け、結構ハズイんですけど! 当ってるし!」


「いい加減慣れなきゃね~」



 背中越しに抱きつく沙織さんは愉しそうに笑ってる様だ。 


 絶対に弄ばれてるっ!



「俺、入り口で声張り上げて、ちゃんと確認したんだよ⁉」



 そう言いながら、自分の顔が熱くなって来るのが分かる。



「え~? そうなの~? そう言う時は~」



 そう言って、沙織さんはキョロキョロしていた。



「あ~これこれ~!」



 指をさした方を見ると、幾つか色の違う場所がある。


 あ!


 これか!



「そうだった! それって中にもあるんだ⁉」



 沙織さんは、両手でお湯をすくいながら頷いている。



「ありますよ~? 大体どの部屋にもすぐ触れる所にあるの~」



 そうだったのか。


 大抵これでトラブルは避けられるのか。



「まだ慣れて無くてごめんなさい」


「あらあら~謝らなくてもいいのにぃ~」



 沙織さんの身体が凄すぎて、もう本当にのぼせるわ。



「俺、そろそろ限界なので出ますよぉ」


「あらそぉ~? ゆっくりすればいいのにぃ~」



 後ろを向いたまま、そう言ってお湯から出ようと立った時だ。


 ガチャ‼ ガチャガチャ‼


 なっ!


 何だ⁉



「もうだめだーぁ! くそぉ! 負けたーぁ!」



 そう言って、イーリスがサウナから飛び出して来た。


 ひぃーっ‼


 俺は慌てて湯の中にしゃがんだ。



「あーははは! 私にサウナで勝負とは愚か者ですよー!」



 その後を勝ち誇ったように高笑いしながら、肩からタオルを掛けたセレスが出て来る。


 イーリスは湯船に駆け寄りながらも俺に気付いた。



「お? ハルトじゃんか! ルーナと二人で何かしてたのか⁉」



 そう言うと、勢いよく湯船に飛び込んだ。



「ちっ! 何もしてないよっ! てか、俺が居るんだから少しは隠せよなっ!」


「お? ハルト、起きたのかー? あ、こらイーリス、シャワーを浴びないと!」



 セレスはシャワーヘッドを握り、湯船のイーリスに向けている。



「セレスも前、隠そうよ!」



 そう言ったが、セレスは全く聞こえてない。


 今は頭からシャワーを浴びている。



「もう、入っちゃったもーん」



 イーリスは涼しい顔をして湯船で泳ぎ始めた。



「あらあら~」

 


 沙織さんは気持ち良さそうに目を瞑っている。


 女は良いよな、興奮しても表面上分かりにくいから!


 はぁ~本気で出ないとヤバそう。


 色んな意味で。



「マジで出るから……」


「何だ、もう出るのかー?」



 シャワーで身体を流し終えたセレスが、俺の隣に足を入れるとそのままお湯に浸かって来る。


 当然下を向いていても、視界にはセレスの身体が入ってしまう。


 ホントにのぼせるってば。


 俺は意を決して、湯から出ようと立ち上がった。


 その時、俺の背後まで泳いで来ていたイーリスが俺の尻を触る。



「お? ハルト、いいケツしてるな~」



 ひゃっ!


 声にならない悲鳴を上げてしまった。



「ば、触るなよ!」



 俺の意識を無視して、瞬時に反応した股間……。


 その限界を察した俺は、慌てて大浴場を飛び出した。



「お? そんなに慌ててどしたー?」


「も、もう無理っ!」



 背後からイーリスが話しかけて来るが、当然振り返る事も出来ずに脱衣場に向かった。


 全く……えらい目にあった。


 身体を拭きながら、コーヒー牛乳が入った冷蔵庫をふと見ると、その横に何かがぶら下がっている。


 何だ?


 あれは……?


 手に取って見ると、栓抜きの様な形で先端が尖っている。


 ん?


 これは⁉


 もしやと思いながら、冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出してみた。



「おおおー! これは、蓋を取る道具か!」



 紙の蓋に尖がった部分をゆっくりと刺し、そっと中身が零れない様に蓋をひっくり返す。



「うおーっ! これだ!」



 そっとコーヒー牛乳を口に含むと、程よい冷たさが伝わってくる。


 おおー!


 美味い!


 あ、いかん!


 腰に手だよね?


 脳裏にあったお決まりのポーズを思い出し、腰に手をやると一気にコーヒー牛乳を飲み干す。



「うっめーぇ! この前は栓抜きに気付かなかったぞ? 一本飲み損なったじゃん。だからもう一本飲んじゃえ!」



 俺は二本目を取り出し、一気に飲み干した。


 さて、皆が出て来る前に着替えなきゃな!


 この場であの人達が出てきたら、完璧にアウトだ。



    ♢   



 速足で部屋に戻って着替えを済ませると、俺は一階のリビングへ来た。


 ダイニングの向こうのキッチンに、三人の姿が見える。


 悠菜と愛美、そして蜜柑だ。


 こうして見ると三人とも仲が良いな。


 愛美は仕草とか悠菜に似て来たし、沙織さんと話していると、その話し方が似て来るし。


 まあ、愛美あいつがあの二人の事が好きだから、やっぱり似て来るんだろうな。


 そう思って見ていると、何だか不思議と心が落ち着く。


 立ち止まって彼女達の後ろ姿を見ていると、悠菜がゆっくり振り返った。

 


「おはよう」



 そう言うと銀色の瞳でジッーと見ている。


 あ、別に何でもないんです。


 これが悠菜のいつもの対応です。



「悠菜、おはよう」



 愛美と蜜柑も気づいて振り返る。



「あ、お兄ちゃん! 起きたのー? もう朝ご飯出来てるよー」


「お兄ちゃん、おはよー!」



 そっか、今朝は皆も遅かったのか。



「おはよう、他の三人は大浴場に居たよ」


「えっ⁉ お兄ちゃん! もしかして覗いたの⁉」



 いや、覗いてない。


 入っただけ……。



「覗いてないってば! 本当だぞ!」



 もう一度心で言う、覗いてない。


 入っただけ。



「ふ~ん。どうだかな~」



 そう言って、愛美はキッチンへ向き直った。



「悠菜、プランターに水はやった?」



 悠菜は軽く頷いて、キッチンからリビングへ出て来ると、カウンターからダイニングテーブルへフルーツや取り皿など並べ始めた。



「そっか。いつもありがとなー」



 俺はリビングのソファーに座り、テレビのリモコンを探そうと見渡す。


 そう言えば、リモコンって無いのか?


 この部屋で見た事無いよ?


 あちこち探してみるが、やはり見当たらない。



「おーい! テレビのリモコンどこー?」



 ソファーから立ち上がって、あちこち探しながら聞く。



「えー? リモコン? こっちには無いよー?」



 愛美がキッチンからそう言って来た。



「はー? どうやってテレビつけんだよ」



 探し回っていた俺がバカみたいじゃん。



「テレビつけて! って、テレビに言ってご覧?」



 はぃ?


 何言ってるの、お前は。


 呆れてテレビを振り返ると、真っ暗な画面にフッと画像が浮かび上がる。



「うをっ! つきやがった!」



 これって、愛美の声で反応したのか⁉


 壁に掛かれた大きなテレビ画面が映像を映し出している。


 だが、その音はしない。


 無音なのだ。



「あ、ついたー?」


「ついたけど、音がしないんだけどー?」



 何だか、色々面倒くさくなってきた。



「音おっきくしてー! って言って御覧?」



 何だよそれは。


 もうちょっとカッコよく操作できねーの?



「大きくしてー! うわっ!」



 映し出されている番組の画像が、そのまま拡大された。


 テレビに揶揄からかわれてる感、たっぷりだな。


 アホらしくなって来た。



「音大きくしてー!」



 段々と音量が上がる。


 その内うるさい程に音量が上がっていく。



「ストーップ! ミュートッ! ミュートーぉ!!」



 段々と上がっていった大音量が、一瞬でピタッと鳴りやんだ。


 もういいや!


 諦める!


 俺は音のしないテレビを、大人しくそのまま眺めていた。



「お兄ちゃん、何か飲むー? あれ? テレビの音消してどうしたの?」



 ダイニングからリビングへ顔を出した愛美が聞く。



「いや、さっきコーヒー牛乳飲んだから今はいいやー!」


「あー! 思い出した! お兄ちゃん、コーヒー牛乳開ける途中で、そのまま冷蔵庫に戻したでしょ!」



 ヤバい。


 あれ、愛美が片づけたのか。



「あぁ、悪い! 開けられなくて断念した奴。だけど、後でチャレンジしようと思ってたんだよ?」


「ほんとぉ~? 横に栓抜きあったじゃーん。あれ、ピックって言うんだよ~」



 ほぉ~ピック?


 しかし、お前良くそんな事知ってるな。



「じゃあ、皆が下りて来るまで、朝ご飯待ってるよね?」


「うんうん。コーヒー牛乳二本飲んだから、そこまで腹減って無いかも」


「はぁ~? どうしてそうやって暴飲するかな~」


「この前飲み損ねた分だよ」



 ぶつぶつ言いながら、愛美はダイニングへ戻って行った。


 あいつ、母さんにも似て来たな。


 そう思いながら音のしないテレビを眺めていると、玄関ロビーから賑やかな声が聞こえて来た。



「いやぁ~! 気持ち良かった! なっ? 剣の人!」


「そうですね、私は毎日朝風呂は欠かせません!」


「でしょ~? 大浴場は私のこだわりなの~」



 あのでかい風呂は、沙織さんのこだわりなのか……。


 イーリスが剣の人と呼ぶのはセレスだよね。



「だが、サウナ対決は明日にでも絶対にリベンジするからな!」



 イーリスがそう言って、セレスを指さして立ち止まると、やっとリビングに座っている俺に気付いた。



「お? 何だ、ハルトじゃん! テレビの音消して何してんだ?」


「考え事だよ」


「あー! さてはあたしの入浴シーンを回想してたな? この変態!」


「し、してねぇよ!」


「何だってーぇ⁉ お兄ちゃん、やっぱり覗いたんだ!」



 すかさず愛美が聞きつけて、勢いよくリビングに飛び込んで来た。



「いやいやいや! 違うんだって!」


「こいつ、覗いてないよ?」



 イーリスがそう言うと、愛美はキョトンとして立ち止まった。



「え? そうなの?」


「うん。ハルトはルーナと風呂に入ってた」



 ぎゃああああああー!


 言っちまいやがった!



「えぇええええー! ホントにぃ⁉」



 愛美はイーリスと沙織さん、セレスの顔を交互に見ながら、驚愕の表情になっている。


 ま、まあ、そうなるわな。


 愛美と顔を合わせる度に、セレスがこくんと頷き、沙織さんも涼しい顔で頷く。


 俺の前でイーリスは、仁王立ちに腕組みをして、ウンウンと頷いている。


 イーリスおまえ俺に何がしたいんだよ……。



「まあまあ~愛美ちゃん、今朝は悠斗くんも倒れなかったし~」


「おぉ! ハルトはもう裸に慣れたのか⁉」



 違うよ、セレス。


 そうじゃないんだよ。



「何だお前、風呂場で倒れたのか? 虚弱体質かぁ?」



 それも違うよ、イーリス。



「セリカちゃんの時は倒れちゃったけど、私の時は倒れなかったわね~」



 ひっ!!!


 そう言うと、笑顔で沙織さんがダイニングへ消えて行った。


 セレスは腕組みをしてニヤニヤ笑ってる。



「ちょ、ちょっと沙織さんっ!」


「あぁーっ!」



 ダイニングへ消えた沙織さんが突然声を上げたかと思うと、サッと顔を出して俺を指差して睨む。


 はっ!



「お、お姉さまっ⁉」



 沙織さんは、こくんと頷くとニッコリしてダイニングへ消えた。



「お兄ちゃん⁉ 朝から何やってんの!」



 愛美はジーっと俺を睨みつけている。



「いや! だから、俺は声かけたんだけどさ、入った時は誰も居なかったんだってばぁ」



 涙目で訴えたが、愛美は俺の前で仁王立ちになっている。



「まあまあ、そのくらいにしといてやるか?」



 イーリスが愛美の背中をポンポンと諭すように叩いた。


 お前が言うなよ……。



「朝ご飯、食べよ」



 いつの間にかリビングへ来ていた悠菜が愛美にそう言った。



「あ、うん。せっかく今朝はお姉ちゃんとパン焼いたのにね~」



 そう言うと、愛美は俺を睨みつけた。



「だーかーらぁー! 事故だってばぁ」



 愛美は親指でくいッとダイニングへ来いと、俺に向かって合図した。



「は……はい」



 こりゃ、この先たまらんな。


 沙織さんが大浴場で教えてくれた、色の違う場所を触りながら話す事。


 今度から風呂に入る前に必ずそうしようと、固く心に誓ってダイニングへ向かった。

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