第11話 拾った漂泊者と最初の晩餐

 幸い近所の人に見られる事も無く、何とか家の前まで帰って来た。


 その途中に俺の脳内では、いつの間にかあの子のインストール全てが完了していたのだが、その時の俺はその事に気付いていなかった。



「さあ、着いた。ここだよ」


「もう? 案外近かったな……」



 家の前でその子を下す。


 すると彼女は家を見上げた瞬間、急に険しい表情をして叫んだ。



「うわっ! 何だここはっ!」 



 まあ、大きいからな。


 流石に普通は驚くよな。


 その辺の常識は持ち合わせていたか。


 俺は玄関を開けて愛美を呼んだ。



「愛美ー! ちょっと来てくれー!」


「はーい! 今行くー!」



 すぐにキッチンの方から声はしたが、姿はまだ見えない。



「マナミって誰だ?」



 後ろに居たピンク髪の子が、俺の背中をちょんと突っつき聞いて来た。



「ああ、俺の妹だよ」


「い、いもうと?」



 俺は頷いてその子を見ると、何故か俺の後ろに隠れている。



「え? お兄ちゃん! どーして裸なの⁉」



 愛美は玄関に立つ俺を見るなり声を上げた。



「ああ、ちょっとな、雑巾とタオルくれない?」


「え? ああ、ちょっと待って! みかーん! ヘルプーっ!」


「らじゃー!」



 すぐに奥から蜜柑の返事がしたが、愛美が俺を見てハッとした表情になった。



「もしかして、雨に濡れたの?」


「ああ、まあな」


「あらま、タオル持って来る!」



 愛美が急いで奥へ行くと、入れ違いに蜜柑が来た。



「お兄ちゃん⁉ どうして裸っ⁉」


「あ、ああ、夕立にあってね」


「そうなんだ⁉ タオル?」


「いや、タオルは愛美に頼んだから雑巾がいいかな」


「らじゃ! 着替えも持って来る?」


「ああ、悪い」



 蜜柑はそう言って階段を上がって行く。


 俺は後ろの女の子を見るが、隠れていて顔が見えない。



「お前、何隠れてんだよ?」


「べ、別に隠れてなんかないぞ!」



 いや、隠れてるだろ。


 明るい所で能々よくよく見るがやはり小学生の様だ。



「お前、何歳?」



 そう聞くと、急に怪訝そうな顔で俺に言う。



「あのなぁ、レディーに歳を聞くか? あんた馬鹿なの?」



 どこにレディーが居るんだよ!



「はいはい。すみませんね」



 その子と話していると、奥から愛美が近づいて来る足音がした。



「はい、これでいい? そのままお風呂入っちゃえば?」



 そう言って、バスタオルと小さなタオルを持って来てくれた。



「サンキュ! そうだな。ほら、これで足を拭けよ」



 そう言って小さなタオルをその子に渡すが、それを受け取ったまま、まだ俺の後ろに隠れている。


 だが、それを見つけた愛美が声を上げた。



「ちょ、ちょっとっ! その子、どうしたの⁉」



 愛美が俺の後ろを覗き込んだ。



「ああ、コンビニの帰りに拾った」


「拾ったって、お兄ちゃん馬鹿なのっ⁉ 子犬や子猫じゃないんだよ⁉」 



 ええ、よくわかってます。



「やっぱり、馬鹿なのか」



 後ろでボソッと声がした。



「お前、うっせーな」



 後ろに隠れている奴に突っ込んでから、困り顔の愛美に言い訳をしようとした時、俺のシャツと雑巾を持って蜜柑が降りて来た。



「どうしたの?」


「ちょっとみかん聞いてよー! お兄ちゃんが女の子拾って来たって言うんだよ⁉」


「えーっ‼」


「だって、仕方ないじゃん。歩道に寝てたんだから」


「えーっ⁉ 寝てたって?」



 そう言って二人が後ろの子を覗き込んだ。


 本当に仕方なかった。


 あのまま放って置く訳にはいかない状況だったしな。



「ねえ、お嬢ちゃん、あなたのお名前は?」



 俺の後ろに隠れる素足の女の子に愛美が優しく訊いた。



「い……イーリス」



 後ろからこいつはそう言った。


 イーリスって……外国人か?



「可愛い名前だね~。イーリスちゃん? こっちおいでー?」



 そう愛美が呼ぶと、ゆっくり顔を出した。



「ほら、お兄ちゃんもシャワー浴びちゃって!」



 俺もそう言われて一階の風呂場へ向かう。



「ほら、イルちゃん、お姉ちゃんに掴まって?」



 イルちゃん?


 もう略して呼びやがった!


 そう言って愛美がイーリスを抱き上げた。



「イルちゃんも、お風呂入った方がいいねー」



 そう言いながら俺の後をついて来る。



「ちょ、一緒に入る訳にはいかねーだろ!」



 慌てて愛美にそう言った。



「あーそっか! じゃあ、お姉ちゃんとおっきいお風呂いこっか! すっごく大きいんだよ~?」



 そう言いながら、抱きかかえたまま奥へ向かった。



「あ、俺が連れて行こうか? 重くね?」


「重くねーもん! でも、一人で歩く」



 イーリスは怒ってそう言うと、愛美に降ろせと合図した。



「大丈夫? 足、痛くなぁい? でも、足の裏汚れてるし抱っこしてあげるね?」


「まなみ、エレベータの方が良いんじゃない?」


「あ、そうだね! じゃ、お姉ちゃんと一緒にエレベーター乗ろうね?」



 その言葉にイーリスは頷き、愛美達と消えて行った。



「エレベーターか! 何処にあるんだろ……」



 独り言を言いながら風呂場でズボンを脱ぎ、そのままシャワーのコックを上げると、すぐに温かいお湯が出て来た。


 このお湯って温泉なのか?


 大抵の風呂場のシャワーってのは、最初は冷たい水が出てくる。


 その後に段々と温水が出始めるものだが、このシャワーでは最初から温水だった。


 いや、昼間の熱い陽射しで、水道管の中の水までも温まっていたのかも知れないな。

 


 それを頭から浴びると全身が温まり、少しホッとして来た。


 しかし、あの子何処から来たんだ?


 イーリスとかいう名前。


 日本語喋っていたし育ちは日本か?


 だが、親は何処に居るんだか。


 いくら何でも探して無いか?


 きっと今頃心配している筈だ。


 沙織さんが帰ってきたら相談しなきゃな。



 そう思いながら風呂から上がるとキッチンへ向かう。


 しかし、悠菜が居ない時に限って……。


 そんな事を思いながら、冷蔵庫から飲むヨーグルトを出す。


 そして、それをグラスに注ぎ一気に飲み干した。



「くぅ~美味いな!」



 風呂上りはこれが最高だな。


 そう思い時計を見た。


 七時半か……そろそろ帰って来るかな?


 グラスにもう少し飲むヨーグルトを注ぎ、それを持ってリビングへ向かった。

 

 そして、ゆったりとしたソファーへ深く座る。



 ふぅー疲れた。


 まだイーリスは風呂かな?


 今頃、あいつイーリス愉しんでいるだろうな。


 あの大浴場に驚いて、はしゃいだりして……きゃっきゃしてるんじゃないか?


 そう思うと、自然に俺はニヤニヤしてしまっていた。



 俺も小さい頃、広い風呂に妙にテンション上がったなぁ。


 小さい頃どころか、ついこの前ここの風呂に初めて入った時も、そりゃかなりテンション上がったけど。


 あの風呂は一般家庭には、到底あり得ない大きさだしなぁ。


 ちょっとした優越感に、不思議と顔が緩む。


 俺の家じゃないけどな。


 その時、音も無く悠菜が入って来た。



「わっ! びっくりした!」



 気配も感じず、急に視界に入って来た悠菜に、俺は心底驚いてしまった。


 しかも、ニヤニヤして無かったか? 俺。


 だが、悠菜の顔を見ると、無性に今日の出来事を話したくなってくる。



「お、おかえり! あのさ!」


「ただいま。誰が来てるの?」



 そう聞いた悠菜の表情が硬い。


 いつもの無表情とは違っていた。



「え? あ、あのさ、イーリスっていう子が来てる」



 そう言うと、少しまた緊張した表情になった。



「イーリス……」



 悠菜は少し考えていた。


 どうしたんだ?


 知ってる名前とか?


 まさかね……。


 すると、沙織さんとセレスも入って来た。



「ただいまぁー悠斗くん、大人しくしてたぁ?」


「あ、お帰り!」



 笑顔で沙織さんが俺にそう言った。


 何だろう、この感覚。


 悠菜と沙織さんの顔を見た途端、何だか凄く心から安心した。



「ハルト待たせたな!」



 セレスはそう言ってソファーに座る。



「実はコンビニの帰りにさ、女の子が倒れてて連れて来ちゃったんだけど」


「え~? 女の子が倒れてた~?」



 沙織さんはキョトンとした顔で俺を見た。



「あら~で、何処にいるの~? あ、上かな?」



 そう言って、上を指さす。



「うん、今ね、愛美と大浴場に居るんだ。何せ、裸で気を失ってたんだよ」


「あらあら~、それは大変でしたね~。もう大丈夫かしら」



 沙織さんが上を見上げて言う。



「元気なんだけど、服も無いからなぁ」


「それなら、ユーナちゃんが着ていたのが少し残っているかも?」



 そう言って、悠菜を見た。


 悠菜はこくんと頷き、リビングを出て行く。


 恐らく部屋へ取りに行ったのだろう。



「で、その子は何処の子なのかな~?」


「それが、まだ分からないんだ。わかるのは、イーリスって名前だけ」



 急に沙織さんの表情が変わった。



「え? イーリスって?」



 な、なぜ沙織さんまで?



「うん、そう言ってた」



 沙織さんは暫く考えていたが、すぐにいつもの表情になっていた。



「まあ、後で話を伺いましょ~」



 そう言って沙織さんがキッチンへ消えると、俺はセレスに聞いてみた。



「ねえ、セレス、結局決行はいつ?」


「ああ、それなんだが……」


「うん」


「元老院で話し合った結果、このまま先手打つのは面倒な制約があるらしくてな」


「制約?」


「私としては、元老院の決定は無視出来ないので、ルーナの決断に従おうと思う」



 そう言われても、内容が良く掴めない。



「沙織さんの決断は?」


「ああ。これまでハルトの保護は、無条件で許可を得ていたのだ。だが、今回先手を打つとなると、地球を離れて迎え撃つ事になるだろう?」


「うん、そうなるだろうね」


「そこが、ハルトの保護と言うよりも、我々の先走った行動だと言われてしまったのだ」


「そうなんだ……」


「それは手助けではなく、助長したものにならないかという事が一点、そして、そちらの世界に大きな影響を与える事にならないかとの事がもう一点、それが元老院の意見らしい」



 そう言うとセレスは腕を組んで俺を見た。



「そ、そうなのか」


「ルーナ殿は大切な検体の保護を目的に、元老院に談判したわけだが……」


「うん」


「元老院は悠斗のエランドールでの保護を提案して来たのだ」


「えー⁉ で、沙織さんは何て⁉」


「そこで、流石のルーナも閉口してしまったのだ」


「そうか……」


「私達の種の保存として、悠斗がここまで育った今となっては、保護は地球で無くても良いからな」


「でも、母さんの子供として俺はこっちへ居るんだよね?」


「ああ、元々ユーナも私も地球で生きていたからな。同じ環境で悠斗を育てて貰う為と言う名目だったんだ」


「そうか……なるほど」

 


 ルーナの言い分は、俺という実験体の保護を名目に、先手を打つつもりだったからな。


 地球の保護は認められないが、俺を保護するなら俺だけを連れて来いという訳か。


 まあ、あっちの言い分は間違いでもない。


 しかも、どっちかと言ったら正論だな。


 地球の存続を脅かす出来事だとしても、異星人側から考えると自身の利益目的で地球へ強奪しに来る訳だ。


 そんな事はこの地球の人間同士で今も行っている所も多い。



「で、セレス。どうなるの?」



 俺は神妙な表情のセレスに聞いた。



「うむ。まだ時間的な猶予もある事だし、きっと解決案があるはずだ」



 そうだったな。


 あの時、およそ一か月だって言ってたから、後三週間くらいと思ってればいいのかな。


 それまでに何とかいい案があればいいが。



「なあ、ハルト。話をかえるが、さっきイーリスって言ったな?」



 思い出した様にセレスが聞いて来た。



「ああ。あの子、自分の名をイーリスって言ってたよ?」


「イーリス……」



 暫く考えていたが、真剣な表情で俺を見た。



「その者は何処から来たか分かるか?」


「いや、コンビニの帰りに倒れていたんだけど」


「コンビニとは?」



 ああ、そうだった。


 セレスはコンビニ知らないんだな。



「えとね、色々売ってるお店だよ?」



 そう言って、俺は買って来たコンビニ袋を探した。


 何処置いたっけかな?



「そうか、店か。で、その帰り道に倒れていたって?」



 コンビニ袋を探し歩く俺をセレスが目で追いながら聞く。


 リビングから廊下に目をやると、廊下の向こうにそのまま置かれたコンビニ袋を見つけた。



「ああ、びっくりしたよ。裸で倒れてたからさ」



 そう言いながら袋を拾い上げ、戻ろうかと振り返ると、セレスが真後ろについて来ていた。



「うわっ、びっくりした」


「で、今は大浴場に居ると?」


「う、うん。愛美と蜜柑が一緒に居る」



 そう言うと、セレスは腕組みをして何か考えている。


 そして、そのままリビングへ戻るとソファーに座った。



「セレス? どうしたんだ?」


「ああ、ちょっと……」



 まあ、普通は女の子が裸で倒れていたら警察に通報だよな。


 そう考えたら、みんなの反応の方が普通か。


 ヤバかったかな?


 何も考えずに連れて来ちゃうのは。


 そう思いながら、今日の出来事を思い起こしていた。



 あの時、すぐに警察にでも通報して保護して貰えば、ここまでみんなが神妙になる事は無かったか。


 ああ、やっちまったかな……俺。


 やっぱり、悠菜が居ないとダメダメじゃん。



「そうだ! ちゃんと沙織さんへお願いしないと!」



 面倒になる筈だ。


 もう既に面倒になっているか。


 エランドールで面倒になって、こっちでもまた面倒かけちゃうのか。


 そう思いながらキッチンへ行くが、そこに沙織さんの姿は無い。


 あれ?


 沙織さんどこ行ったんだろう。


 リビングへ戻ると、そこへ両手に服を持った悠菜が入って来た。



「あ、悠菜! 沙織さん見た?」


「見てない」



 悠菜は服を持ったまま首を横に振る。



「多分、上に居る」



 そう言うと悠菜は俺を見た。



「そっか。大浴場を見に行ったのかな?」



 リビングのソファーに座る悠菜を目で追う。



「ユーナ、イーリスって……」



 目の前に座った悠菜にセレスが聞くと、悠菜は黙って頷いた。


 え?


 もしかして知ってるのか?


 あの感じは知っている様な感じだ。


 だが、まだイーリスを見ていない筈だ。


 もしかして、めっちゃ有名人とか?


 芸能人っ⁉


 いや、落ち着け。


 あり得ないだろ、それは。


 だが、悠菜が居ない間に問題を起こしてしまった。



「あの、悠菜。何か、ごめん。面倒な事になっちゃって」



 そう言うと、悠菜はハッと俺を見た。


 その表情は少し驚いている様にも見えたが、ここはきちんと謝って置かないといけないと思った。



「すぐに警察に連絡すれば良かったんだけどさ、あの時はそんな事すっかり忘れてて――」



 そこまで言うと、悠菜が珍しく話を遮った。



「悠斗は悪くない。だから気にしなくてもいい」



 そう言うと、悠菜はセレスと顔を見合わせ、二人は頷くと同時に俺を見た。


 な、なんだ?



「ハルト、恐らくイーリスはこの世界に居た者では無い」


「は?」



 俺を見たままセレスがそう言った。


 この世界に居た者じゃ無いって?


 ゆ、幽霊とかっ⁉


 いや待て、愛美も蜜柑も見えてたし、そもそもあいつはポテチ完食したし。



「だから、警察に通報しなかったのは幸い」


「え?」



 同じく俺を見ていた悠菜がそう言う。


 そうなの?


 まあ、ピンクの髪に裸だもんな。


 あれで近所の小学生でしたって事の方が異常だわ。



「そ、そう? じゃああいつ何者? ま、まあ変な奴だとは思うけど」


「ハルト、彼女は恐らく漂泊者だ」



 セレスがそう言って悠菜を見ると、二人は顔を見合わせたままゆっくり頷く。


 は、はい?


 ひょうはくしゃ?


 なにそれ……。


 聞き慣れない言葉に俺は混乱した。


 そんな、洗濯機に入れる洗剤みたいな事言われてもな。



「漂泊者って何? 異世界の人?」



 顔を見合わせていた二人は、俺の問いにこちらを見た。



「異世界と言っても、エランドールでは無い」



 そうセレスが言う。


 エランドールじゃない別の世界だと?



「一か所に留まる事をしない者」



 今度は悠菜がそう言った。


 どういうこと?


 あそこへ偶然立ち寄ったって事?


 コンビニ近くの歩道へ来たりするのか?


 しかも、裸で?


 もうちょっと、よそ行きの恰好してから出かけようよ。



「私も実際に会うのは初めてだから緊張する」



 セレスがそう言って悠菜を見ると、彼女もセレスと目を合わせて頷いた。


 そっか、二人は会った事ないのか。


 しかし、この二人が名前を知ってるって事はどういう事なんだ?


 全くわからん。



 そう思っていると、遠くから声がして来た。


 あ、愛美とイーリスかな?


 そう思ったと同時に、目の前の二人がビクッと動く。


 え?


 何なの?


 急にソファーから素早く立ち上がると、二人はリビングの入口から距離を置いて立っている。


 二人の様子に何だか俺も緊張して来た。


 マジかよ……尋常じゃないな。


 次第に二人の声が、話の内容まで聞き取れる程に近くなって来た。



「さー、ここがご飯食べる所だよ~?」



 愛美がイーリスの手を引きながらリビングまで来ると、そのままダイニングへ行こうとしてこっちを見た。



「あ! お姉ちゃんお帰りー! 帰って来たんだ! セレスさんも、おかえりー!」



 二人の姿に気づいて立ち止るとそう言ったが、イーリスは後ろに隠れている。


 あいつ、案外人見知りなのか?


 俺はそう思ってイーリスに声を掛ける。



「イーリス、お風呂でっかいだろ? びっくりしたかー?」



 すると、愛美の後ろから顔を出して声を上げた。



「おおおー! すっごく気持ちよかったぞ!」



 満面の笑みでそう言ったが、すぐにまた愛美の後ろに隠れる。



「ねえ、お姉ちゃん。この子、お腹空いてるの。何か食べさせてあげたいんだけどー」



 愛美がダイニングの方を見ると、悠菜は無言のままダイニングへ入って行った。



「イルちゃん、もう少しだけ待ってね? すぐご飯にしようね」



 愛美はイーリスの顔の近くまでしゃがんでそう言った。



「うん! ご飯、もう少し待つ!」


「ありがと、イルちゃん! さ、こっちで待ってようね?」



 そう言ってイーリスの手を引いてダイニングへ行こうとした。



「待って」



 急に、イーリスがそう言って、俺の前まで歩いて来た。


 リビングのソファーに座る俺の前で、腰に手をやっている。 



「お前の家、中々良いな! 気に入ったぞ!」


「そ、そうですか。それはどーも」



 そう言って愛美の前へ戻り、また手を握った。


 なんで上から目線なんだよ。


 軽くため息をついてセレス見ると、彼女は意外そうな顔をしてイーリスを見ていた。


 そして、イーリスが愛美とダイニングへ消えると、この時を待っていたかの様に俺にその顔を近づけた。



「ハルト、あれがイーリスだと?」



 そして、出来る限りの小声でそう聞いて来た。


 何故、小声?


 俺は、どうしてそんなに警戒するのか、不思議に思いながらも頷いた。



「どうしたんだよ。そんなに小さな声で」



 同じ様に小声で聞き直した。


 すると、セレスはソファーに背をもたれながら腕を組む。


 そして、ゆっくりと首を横に振る。



「わからん」



 そうつぶやいた。


 あ、そうだった!


 コンビニのお菓子があったっけ。



「そうそう、セレスに買って来たものがあるんだぜ?」



 そう言うと俺は、さっきコンビニで買って来た袋を見せた。



「ほう? 何だ? カサカサしてるな」


「まあ、食べ過ぎは良くないけど、ポテトチップスとかお菓子を色々買って来たんだ」


「ポテトチップス? お菓子か?」


「食べた事ないだろ?」



 セレスは、袋の中身を凝視しながらもうんうんと頷いている。



「うん、何だかカラフルだな。虹の様だ」



 ここから虹を連想する所が凄いよな。 


 セレスのはしゃいでいる姿を見ると、そのギャップに少しにやけてしまう。


 だがその時、包装紙のガサガサした音に反応したのか、キッチンの方からイーリスが声を上げた。



「あっ! その音は!」



 突然上げたその声と共に、リビングに居る俺らに駆け寄って来た。


 まるで座敷犬だな……。


 だが、突然イーリスが走って来た事で驚いたセレスは、その場で硬直している。



「おいお前! それ、食べるのか?」



 仁王立ちのままセレスの手にある、お菓子の袋を指差して言う。


 セレスはイーリスを見たまま、ぎこちなくだが首をぶんぶんと横へ振る。



「そうなのか? なーんだ」



 そう言うと、つまんなそうにしている。



「ちょっと、お兄ちゃん? ご飯の前にお菓子食べさせちゃダメだよー?」



 愛美がキッチンの方からそう言いながら、リビング迄駆け寄って来た。



「はいはい。皆でご飯食べたら食べような?」



 俺がそう言うと、イーリスは不思議そうな顔をしている。



「ご飯食べてから、また食べると言うのか? お前、やっぱ変だな」



 イーリスが俺を指差して言った。


 へ?


 俺が変なのか?



「あははは! さ、変なお兄ちゃんはほっといてね」



 愛美は楽しそうにそう言ったが、イーリスの手を引きダイニングへ戻ると、俺とセレスは顔を見合わせた。



「あれがイーリスだよ」


「本当に? そうなのか?」



 俺は小さな声でセレスに言うと、セレスは小声でそう言って首を傾げた。


 そこへ沙織さんが入って来た。



「さあさあ~ご飯遅くなっちゃったわね~」



 そしてリビングの俺とセレスを見ると、こっちこっちと手招きをした。



「もう出来るからダイニングへ行きましょ~」



 そう言われ、俺とセレスは立ち上がる。



「イーリス? お元気そうね~」



 ダイニングへ入るなり、沙織さんが椅子に座るイーリスに声を掛けた。


 ビクッとしてイーリスが沙織さんを見る。



「ええええー! ルーナ⁉ どうしてルーナが⁉」



 声を上げて立ち上がったが、明らかに動揺している。


 しかも、沙織さんをルーナと呼んだ事で、さらに俺の謎が深まる。

 


「ここはあたしたちのお家なの~びっくりしたわよ~?」



 そう言いながら、イーリスの傍の椅子へ座る。



「そうだったのか。それでここは障壁が張られていたのか……」



 妙な事を言っているなこいつ。


 テンパってるのか?



「うんうん~流石に変なのが来ないように注意はしておくわよー」



 え?


 何言ってるの、沙織さん?


 イーリスと話がかみ合ってる?


 俺は何を話しているのか理解出来なかった。


 沙織さんがキッチンを覗き込むと、愛美と蜜柑そして悠菜がこちらの様子を怪訝そうに見ている。



「どーお? もうご飯出来そう? そこに大体の用意はして置いたけどー」



 沙織さんがそう言うと、三人は同時に頷いた。



「ねえ、沙織さん! イーリスちゃん知ってるの⁉」



 愛美がびっくりして聞いた。



「うんうん~会ったのは随分と前なの~」


「そ、そうなの⁉」



 随分前って、こいつが生まれて間もなくとか?


 俺はイーリスを見ながら思ったが、まだどう見ても十歳程度だろう。



「でわでわ~再開を祝ってお食事会ですね~」



 嬉しそうに手を合わせながら沙織さんがそう言うと、俺とセレスは顔を見合わせたが、取り敢えず空いた席に座った。


 何か凄い量だよ。


 そう思い、並べられる食事を目で追う。



「おおおー! 凄いご馳走だな! これ食べていいのか⁉」



 イーリスが運ばれる食事を、背伸びしながら見ている。



「さあ、どうぞー! ゆっくり食べてね?」



 料理が並べ終わると、イーリスに愛美が微笑みながら声を掛けた。



「うん! いただきます!」



 そう言ってイーリスは、目の前のプチトマトを口へ運んだ。


 その様子を見ながら沙織さんが、イーリスにゆっくり話しかける。



「で、どーしたの? どうしてここへ現れたの~?」



 そう聞かれて、二個目のプチトマトを頬張りながらイーリスが話し出す。



「だってさー、急に引っ張られたんだよーそりゃ、落ちるじゃん!」



 へ?


 落ちた?



「あらあら~それで怪我はないの?」



 沙織さんが心配そうに聞く。



「あー、怪我と言えばこいつかな?」



 そう言って俺を指差した。



「お前なぁ」



 俺の何処が怪我だって言うんだよ!


 呆れて物が言えん。


 まあ、病気って言われるよりマシだが……。



「別にお前に、感謝なんかされても嬉しくないんだからな!」



 イーリスはそう言って三個目のプチトマトを口に入れた。



「なっ! こぬやろぉ」



 俺は身を乗り出した。


 どうしてこいつに俺が感謝なんだよ!


 どう考えても逆だろ⁉



「まあまあ、お兄ちゃん落ち着いて」



 蜜柑になだめられる。



「あらあら~悠斗くん、イーリスに気に入られたようねぇ」



 はぁ?



「何言ってんの? 沙織さんも」



 そう言って沙織さんを見ると、妙にニコニコしている。



「イーリスって凄く人見知りなんだけどね~不思議ねぇ」



 ま、まあ、人見知りなのは、何と無くわかる。


 そう思ってイーリスを見ると、またプチトマトを口に入れている。



「お前、プチトマト好きなのか?」



 更にプチトマトを口に運びながらこっちを見た。



「ん? ――って、これか? 別に普通だけど? 何か?」


「て、さっきからプチトマトしか食べてないじゃんか!」



 好きなら好きって言えばいいじゃんか……天邪鬼だな。


 すると、イーリスは手を止めた。



「だ、だって……」



 イーリスの表情が変わった。


 泣きそうな顔になる。


 突然の変わりように、俺は動揺してしまった。



「ど、どうしたんだよ⁉」


「あー! ちょっとお兄ちゃん! そんなに強く言ったらダメでしょ! ごめんね、イルちゃん。あんな馬鹿っ兄貴で」



 イーリスはこくんと頷く。


 ちょ、ちょっと愛美さん。



「だって、これは苦手だし、他のは見た事無くて……」



 指をさす先には、色々な野菜スティックが大きめのグラスに立っている。


 そしてやはりその目は少し涙目だ。



「そうだったのか。俺が悪かった! これも食べられるんだぞ?」



 急に申し訳ない気持ちになり、パスタを取り分けた小皿を差し出した。



「え? これ、食べられるのか⁉ ミミズかと思った!」



 目を丸くして見入っている。



「食卓にミミズ出す訳無いだろーがっ!」



 イーリスは少し明るい表情でパスタを持ち上げ、両手で引っ張るがすぐに切れる。



「あ、イルちゃん、これで食べるの」


「これ、うねうねしてるけど、大丈夫?」



 愛美にホークとスプーンを渡されても、怪訝そうにしながらスンスンと匂いを嗅ぐ。



「変わった匂いだな」



 そして、器用にフォークで麺をすくうと、ゆっくり口に入れる。


 すると満面の笑みで俺を見た。



「美味しいぞ⁉ 凄いなこれ!」



 パスタの小皿を目の前に置いてやると夢中で食べ始めた。


 こいつ、パスタも知らないのか?


 沙織さんと愛美、蜜柑は笑顔で見ているが、セレスと悠菜は緊張している様だ。


 ついつい見入ってしまったが、ふと我に返る。


 俺は唐揚げをつまんで食べると、不意に視線を感じた。


 見ると、いつの間にか取り分けたパスタを食べ終わったイーリスが、ジッと唐揚げを凝視しているのだ。



「あ、これも美味いぞ? 食ってみ?」



 唐揚げの入った皿を目の前に差し出すと、俺の食べ方を真似る様に一つ摘まんで口へ入れた。



「おおおー! わ、わんだほえー!」



 やっぱり、唐揚げもお初か。



「それな、鶏肉。ちゃんと食べ終わってから話せよ。何言ってるか分からん」



 そう言うと、イーリスの動きが止まった。



「わ⁉ わんはほ⁉」



 また涙目だ。


 おいおい、勘弁してくれよ。



「イーリス。ここはそう言う世界なのよー?」



 沙織さんが諭すように話した。



「この鳥は食される為に生まれ、これで全うされたの」



 そう言う沙織さんを、ウルウルした目で見ている。



「ほ、ほうなのは?」 



 小さな口に入れた唐揚げが大きすぎて、もごもご言っている。


 そうなのか?


 って言ったんだよな?


 イーリスの頬を涙がツーっと伝い落ちた。


 急に何とも言えない切ない気持ちになった。


 こいつ、純粋なんだな。


 気が付くと、愛美の目にも涙があった。



「は、はひはいへんはよ、おはへは!」



 イーリスがモグモグしながら俺に何か言うが、全く分からん。



「何だって?」



 俺が聞き返すと、急いで口の中のモノを飲み込んだイーリスに、堰を切るように怒鳴られた。



「何泣いてんだお前は! って言ったんだよ!」



 え?


 俺が泣いてる?



「な、泣いてたのはお前だろ⁉」


「お兄ちゃん、泣いてたのー?」



 愛美が涙を堪えてそう言うと俺に笑いかけた。


 周りの皆を見回すと、コクコクと頷いている。


 ただ、沙織さんだけは、ニコニコしながらセロリをかじっていた。


 そうか、こいつ、鶏肉初めて食べたのかぁ。



「口に入れた物、ちゃんと食べて偉いな」



 イーリスにそう言うと、照れた様にこっちを見た。



「だ、当たり前だ! 鳥に申し訳ないだろ! 全うさせるんだからな! そんくらいわかれよな!」



 そう言って、またプチトマトを口に入れた。


 案外、優しい子だなこいつ。


 愛美が優しくイーリスの口周りを拭いている。


 こんなに幼いのに親はどこ行ってんだよ。


 急にそっちに腹がたった。 



「沙織さん、イーリスの親は何処に居るの?」



 どうしても気になって、沙織さんを見た。



「ん~色々あるのよ~許してあげてね?」



 え?


 何故、沙織さんがそんな事を?


 そう言われると、怒りよりも新たな疑問が湧き出て来る。


 そうか、この子を知ってると言う事は、エランドールでなくても異世界の人間か。


 そうなれば、この現実離れしたイーリスも納得がいく。



「そうだ、イーリス、どうしてあそこに倒れてたんだ?」



 見ると、イーリスは愛美に勧められて、キャロットジュースを飲んでいた。



「だーかーらー。お前に言ったじゃん。引っ張られたってー」



 俺が聞きたいのはそうじゃないんだけどなぁ。



「どうしてあそこを歩いてたんだ?」



 聞き方を変えてみた。



「んー? 歩いてないよ?」



 ストローをくわえながらキョトンとしている。


 え?


 歩いてなきゃ、どうして足を滑らせたんだよ。



「さ~てと、もうみんな食べたよねー?」



 急に沙織さんが話しを遮った。



「じゃあ、お姉さんから話すね~」



 そう言って、俺と皆を見回した。



「ルーナがお前らのお姉さんなのか⁉」



 びっくりしてイーリスが声を上げた。



「ん~? そうよ~?」



 そう言われると、イーリスは大人しくなった。



「まず、イーリスの件ねー?」



 そう言って、イーリスを見る。



「この子は、いつも次元を彷徨っているの~」



 へ?


 彷徨う?


 次元を⁉



「ずっと独りで、あちこちの次元へ放浪しているのね」



 うんうんとイーリスが頷いている。



「一つの次元に留まるのは珍しい事なの~」

 


 イーリスは胸を張ってる。


 自慢する所じゃないと思うけど?



「どうしてここに居るのかは分かんないけどね~」



 そう言って、沙織さんがニコニコしながらイーリスを見と、彼女は慌てて言い返した。



「べ、別に来たくて来た訳じゃないんだから! こいつが、どうしても来いって……言うから」



 段々とその声は小さくなった。


 どうしてもって何だよ、俺は言って無いよね?



「まあ、こうやってイーリスと会えたのも縁ですね~」



 そう言って、皆を見回した。


 まあ、それはそうだな。


 裸で倒れていたのは解せないが。



「でもさ、変なんだよねー。どうして、あそこに居たのかが分かんない」



 へ?


 こいつ自身も分かんないのかよ!



「あら~それは不思議ねぇ~」



 沙織さんが頬に手をやり考える。



「目が覚めたら、こいつが見てた。あ、触ろうとしてた」



 イーリスが思い出した様にそう言うと、愛美がキッっと俺を睨んだ。



「お兄ちゃん⁉ こんな幼い子に⁉」



 そう言って愛美は立ち上がった。



「お兄ちゃんっ⁉ 信じられませんっ!」



 蜜柑もそう言って席を立った。



「いやいやいや、待て待て! 違うってば! 俺は生きてるか確認をだな!」



 慌てて弁解する。



「食べられちゃうかと思ったぞ?」



 イーリスがそう言うと、益々愛美の表情が変わる。



「お、お兄ちゃん⁉」


「おいおいおい! ちょっと待てよ! お前、何言ってんだよ! 大丈夫かって聞いただけだろ!」



 イーリスは涼しい顔でジュースを飲んでる。


 愛美と蜜柑が俺にじりじりと迫って来た所で悠菜が言った。



「悠斗の傍を離れた、私が悪かった」



 そう言って立ち上がると、深々と頭を下げた。



「あ、お姉ちゃんのせいじゃない! お兄ちゃんが節操無いから!」


「う、うん! お姉ちゃんは悪くない!」



 待て待て、違う方向行って無いか?



「まあまあ、間違いは無かった事ですし~」


「沙織さんまで、何言ってんの!」


「ハルトはこんな幼子が好みなのか?」



 セレスは怪訝そうに俺を見ていたが、そう言って俺から少し離れた。



「ちょ、セレス! 違うってば!」


「幼子って誰? なー誰の事ー?」


「どう考えたってお前だろ!」


「何だとーっ⁉ 貴様愚弄するのか!」


「ってか、お前、中身幾つだよ!」



 これがイーリスと言う漂泊者との、初めての晩餐だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る