第8話 艶姿白銀娘と露天風呂

 広いリビングで俺は一人、悶々と妄想していた。


 俺が中学へ行くようになってからは、一緒に風呂へ入る事が無くなった妹の愛美。


 俺の記憶と比べたら、間違いなくかなり成長している筈だ。


 最後の記憶でも、胸の膨らみがあった事ははっきり覚えてる。


 愛美が頭を洗っている時を見計らい、こっそりと見てしまった黒歴史。


 何故か無性に興味が出て来た頃だったし……。



 首筋から背中にかけての、綺麗なラインが腰まで続いていた。


 そして、肩から腕の下に時折見え隠れする、まだまだ未発達だった胸。


 その胸の先端を見つけた時の、何事にも代えられぬ嬉しさ。


 あの時はかなりドキドキしてあそこが硬直してしまい、それを慌てて冷まそうと自分に水を掛けた。


 あの時、その水が愛美に掛かって思いっきり怒鳴られたっけ。



 今更ながら、俺って幸せだったかも知れない。


 出来る事ならあの頃に戻りたいとも思えて来る。



 そう言えば、去年の夏。


 愛美の入学と同時に、両親が海外赴任した年だった。


 寂しそうな愛美のご機嫌をとるために、沙織さんと俺とで夏休みの計画をしたんだっけな。


 沙織さんの提案で、俺達兄妹きょうだい二人と悠菜と蜜柑で、伊豆へ旅行へ行った時のあの水着姿にもドキッとした。


 沙織さんの水着姿は、俺の想像を裏切らないかなりのハイレベルだったが、愛美もそれなりに成長さえすれば、それに十分対抗出来るだけの物だった。


 特に期待もしていなかった事のギャップがそう感じさせたのかも知れないが、 元々のポテンシャルは高いんだよな、愛美あいつ

 

 去年から俺達兄妹きょうだいは、沙織さんと悠菜、蜜柑も含めて俺らの家で五人一緒に暮らしてきた。


 これまでは、俺たちの家に沙織さん達が半分同居していた感じとなっていたが、今日からは俺達兄妹きょうだいがここへ来ている。



 もう、愛美も高校二年か……。


 そう思うと、また愛美の水着姿を目に浮かべる。


 いや、俺には初恋の沙織さんが居る。


 愛美の成長しきれていない身体の想像よりも、完璧に完成された言わば完全体の沙織さん。


 服の上からでも容易にその中のラインは想像出来た。


 大体にして、普段から薄着なんだよね沙織さんあのひと


 前屈みになると胸が見える事もあるし。


 仮にその先端が見えた暁に、俺は一体どうなってしまうのだろう。


 いや、昨日見た様な、あんなチラッとじゃない。


 もっとガッチリとですよ?


 それにショートパンツを履いている時もある。


 真っ白で長い脚。


 当然、その付け根にどうしても目が行く。


 その先は、やはり想像でしかない。


 完全体の沙織さんは一体どうなっているのだろう。


 少し想像しただけで、俺の中に何かが込み上げてくる。


 そして、喉が焼ける様に熱くなってきた。


 やばいやばい。


 深く想像し過ぎた。


 喉が渇いたじゃん。



 俺はソファーから立ち上がり、キッチンの冷蔵庫へ向かう。


 ダイニングから見えるキッチンの奥に、銀色の大きな冷蔵庫がある。


 業務用じゃないかと思わせる程の大きさだ。


 うん、間違いない。


 これは業務用だろうな。


 横の隅に見慣れないペンギンのマークがあった。


 テレビコマーシャルでも見た事がない。


 てか、冷蔵庫二つって言ってましたよね?


 どう見ても、これ普通サイズじゃないし!


 これは一台で二台分になります!


 その前まで来て見ると大きな扉が幾つかある。


 そして、その一つを開けると中は冷蔵室の様だ。


 玉子やハムが並んでいた。



 そして、扉の脇に並んだ飲み物に見えたもの……ドレッシング等の調味料だった。


 他の扉を開けてみると、そこにはセロリやトマトが綺麗に並んでいた。


 野菜室って奴か。


 奥まで見てみるが飲み物は無い。


 その下にも扉が左右に二つ並んでいる。


 その右側を開けると、中は左側と繋がっていた。


 冷蔵室なのは確認できたが、飲み物らしき物はなかった。


 一番下の扉も開けてみるが、そこは冷凍庫の様だ。



 どこに飲み物あるんだ?


 辺りを見回すと、向こうにガラスショーケースがある。


 扉が二枚あり、それぞれの棚に果物が並んでいる。


 ガラス張りなので、開けなくても中は見える。



 一体何処だろう。


 キッチンだけでもこんなに広いと、物を探すのが大変だな。


 てか、ガラスのショーケースも一応冷蔵庫じゃん!


 ここにも冷蔵庫二つはあるじゃん⁉



 見回していると、遂にウォーターサーバーを見つけた。


 冷蔵庫に気を取られていて、こいつの存在に今まで気づかなかった。


 冷たい水と熱湯が出るタイプだ。


 俺はグラスを探す。


 どこだ?


 流しの横に食器洗浄機しょくせんきを見つけ、その扉を開けてみた。


 するとそこに、さっき俺に悠菜がくれたグラスを見つけた。


 俺はそれを取り上げ軽く水道水で濯ぐと、ウォーターサーバーから冷たい水を注いだ。


 そして、一気に飲み干そうとするが、これがかなり冷たい。


 喉が痛むほど冷えている。


 くーっと喉を下がる水を感じながら、その場で固まってしまう。



 冷てー!


 すげー冷えてるなぁ。


 喉を潤すと、少しホッとしてリビング迄戻る。



 そう言えば、風呂ってどんなだろう。


 この前、沙織さんにアイスの買い物を頼まれて声のする方へ行ったんだよな。


 めっちゃ近くで声したしなー。


 あの時は……あっちだっけかな?


 この家は広すぎてさっぱりわからん。


 飲み物探すのも一苦労だしな。


 普通、冷蔵庫って開けたら扉の手前に色々入ってない?


 麦茶かそばつゆかを見極めるのが困難だとか、それがあるあるでしょ?


 でもさ、冷蔵庫開けて飲み物の置き場所が分からない冷蔵庫ってある?


 しかも、フルーツ専用のガラスショーケースみたいなのとか。


 未来や友香の家もこうなのかな?



 俺は一応風呂場を探してみる事にした。


 あ、覗くのではない!


 あくまでもその場所を確認して置く為だ。


 あの時、沙織さんの声は……あれ? 


 こっちから聞こえたかな?


 こうなると、ちょっとした探索だな。


 少し楽しくなってきた。


 俺はリビングを出て、玄関ホールまで来ていた。


 こっち側は、俺らの家から見て奥の方向だよな?


 そうそう、あそこのリビングから見えるガーデンテラス側が庭と面していて、その向こうが俺らの家だ。


 と、すると、この玄関ホールからこっちへ行くと?


 長い廊下が見える。


 その廊下に、所々月明かりが射し込んでいる。


 窓があるんだな。


 反対側に部屋が幾つかあるようだが、風呂場って感じではなさそうだ。


 まあ、その先かも知れないし……。


 いや、あの時は直ぐにバスルームへ着いた筈だ。


 そして、曇りガラスの向こうから、沙織さんあのひとの声がしたっけ。


 まあ、今回は探索だ!


 そう思いながら俺は長い廊下を先へ進む。


 やがて突き当り、右へ廊下は続いている。


 左側の窓からは外の薄明かりが射している。


 そして、また真っすぐと廊下が伸びている。


 ここ、すげー広いな!



 幾つかの扉や部屋はあったが、そのどれもが風呂場ではなさそうだった。


 暫く進むと廊下は突き当たり、右へずっと続いている。


 が、直ぐに違和感を感じた。


 あれ?


 あれは、ガーデンテラスへ出る扉があるぞ?


 そうかこの廊下、ぐるっとこの家を半周していたのか。


 そのガーデンテラスの向こうには、ここと同じ様な扉が見える。


 きっと、その先にはこちら側と同じ様に、このような廊下があるんだろうな。


 と、言う事は、あちら側サイドに風呂場があるのか!


 逆だったかー!


 まあ、今は皆が入っているし、俺は入れないからな。


 場所さえ分かれば問題ない。



 俺はそこからガーデンテラスへ出て、そのままリビングへ戻って来た。

 

 うん、結構探索って楽しいな。


 ちょっとした冒険心を感じながらソファーに座る。


 しかし、ここに居ても皆が風呂に入っている気配が全く無いな。


 俺は耳を澄ませて物音がしないか、聞き耳を立てた。


 全くの無音だ。


 脳内で皆の位置を探ると、やはりこの場所からすぐの所に皆が居る。


 間違いなくこの傍だ。


 しかし、音がしない。


 時折、冷蔵庫の動作音がする程度だ。


 あの時はここに居て、沙織さおりさんの声がしたっけ。


 んー、わからん。


 俺はソファーに深く座り、辺りを見回した。


 そう言えば、沙織さんと悠菜の部屋ってどの辺りにあるのかな?


 さっき歩いた所の何処か、かな?


 まあ、大抵はこのリビングに居る事になりそうだけどさ。



 あれ?


 ちょっと待てよ?


 大事な事に気付いた。


 てか、今まで、どうしてそこに気付かなかったのか。


 女とは言え、五人が同時に入っている。


 しかも、セレスティアは俺も一緒にと誘った。


 と言う事は、少なくても六人が入れる風呂だという事だ。


 普通は考えられない。


 かなり広いはずだ!


 だが、沙織さんと話した場所は、そこまで広く感じなかったかも知れない。


 俺は、咄嗟に立ち上がって考えた。


 もう一度、あそこへ行ってみよう。


 あそこまでなら、行っても中が見える訳じゃないし。


 ここから行くには、まずガーデンテラスだ!



 俺は一旦、ガーデンテラスへ出た。


 そして、さっき来た逆の方へ目をやる。


 同じような扉があり、窓から廊下が見える。


 その扉を開け、中へ入るとそれらしき扉がある。


 ここが風呂場か!


 そうだ、ここだった!


 俺は耳を澄ませた。


 だが、物音は全くない。


 明かりは点いているが、物音はしない。


 人の居る気配が全く無いのだ。


 嫌な予感がしてきた。


 妙な胸騒ぎがして、そっとその扉を開ける。


 そこは明るい脱衣場だった。


 そうそう、昨日来たのはここに間違いない!


 改めて思うと、想像したよりは広く無い。


 それでも、俺らの家の脱衣場より広い事は……うん、間違いない。


 うちより広い。


 そして、その向こうに風呂場がある筈だ。


 昨夜はこの扉の向こうから沙織さんが声を掛け、この俺と話していた。


 だが、曇りガラスの向こうからは物音一つしていない。


 益々嫌な気配がしてきた。


 さっきまで賑やかにしていたあの五人。


 それが、今は静寂に包まれている。


 無性に淋しく感じて来たと同時に、不安になっていた。



「沙織さん?」



 思わず曇りガラスに向かって、問いかけていた。



「悠菜? 愛美⁉」


 そう呼びかけても反応は無い。


 段々身体が震えて来る。


 恐怖も感じて来た。


 俺は、震える手でゆっくりその曇りガラスの扉を開けた。


 ――っ!!!


 やはり誰も居ない。


 当然、そこに五人がくつろいでいたとしたら、それはそれでかなり気まずい状態になった筈だ。


 だが、そこに誰も居ない。


 広めの浴槽があり、横の壁にはシャワーヘッドが掛かっていた。


 広めではあるがごく普通の浴室だ。


 まあ、俺の家の風呂の三倍は広いが……。


 しかし、五人の姿は無い。


 一体何処へ消えたと言うんだ⁉


 何も言わず消えるなどこれまで経験した事がない。


 そうだ、悠菜あいつだ!


 あの悠菜が俺の傍から消える事など、これまで一度も無かった。


 思えば、俺は一人で家の留守番すらした事がない。


 いつも傍に悠菜が居た。


 だが今の俺は、このだだっ広い家にたった一人。


 急に不安感が押し寄せて来たが、それは恐怖感にも似ていた。


 浴室の扉を閉め、ゆっくり脱衣場を出る。


 そして、静寂に包まれた廊下を一人あてどもなく歩く。


 そうだ!


 携帯は⁉


 俺はリビングのテーブルに置いた携帯を思い出した。


 そして、リビングへ走る。


 そうだよ、携帯に連絡があるはずだ。


 ここからはすぐの所にリビングはある。


 リビングへ入ると、直ぐにテーブルの上に携帯を見つける。


 そして画面を見るが、着信もメールも何もない。


 いよいよ困ったぞ。


 まさか、銭湯に行ったとか?


 近所に銭湯なんてあったっけ?


 あったとして、あの五人が街の銭湯に現れたらどーよ?


 金髪に銀髪の二人と、グラマーなお姉さんと普通の女子高生。


 どんなグループだよ……。


 思い出せ!


 五人がリビングを出る時、何か言って無かったか?


 回想するが、これといって何も思い出せない。


 携帯に表示されている時刻を確認する。


 既に十一時を過ぎている。


 こ、こんな時間まで俺を独りにするなんて……。


 こんな事なら、一緒に風呂に入ると言っておけば良かった。


 いつの間にか後悔に変わって来た。


 一体、五人は何処へ消えたのか。


 そう思っても、俺にはこれと言った心当たりも無く、ただ今はソファーに座って、携帯を見るしか無かった。


 妙な胸騒ぎの中、俺は意識を集中してみる。


 が、やはり皆の位置はここだと表示されている。


 それぞれのステータス異常は無い。


 取り敢えずは、皆の身に何かあった訳では無さそうだ。


 だが、だとしたらどうして風呂場に居ない?


 俺自身の鼓動が早くなって来ているのが分かる。



 その時だった。


 悠菜の接近を脳内レーダーが感知した。


 そして、リビングの入口に気配を感じて何気なくそちらを見た。


 その瞬間、見た事も無いその姿に全身が凍り付いた。



「悠菜⁉」



 が、悠菜を見つけた安心感が、一気にドッと押し寄せた。



「ごめん、遅れた」



 悠菜はそう言ったが、まだ俺は動揺していた。


 そこには、素肌にバスタオルを巻き付けただけの、あの悠菜が立っていたから尚更だ。


 音も無く、そこへ現れたようにも思える。


 銀色の髪は濡れ、銀色の瞳も潤んで見える。


 それが何とも妖艶な姿に見えた。


 が、悠菜の姿を確認した時、それ以上に何とも言えぬ安堵感を感じていた。



「ゆ、悠菜どこ行ってたんだよ」



 バスタオルを巻いただけのその姿にも動揺したが、先ずはどこへ消えていたのかが問題だ。



「お風呂」


「え?」



 悠菜はいつもの口調で答えた。


 それは知っている。


 だが、改めてその姿を見て、お風呂に入っていたが、そのまま急いでここへ来た様にも思えた。


 さっき風呂場を見た時は誰も居なかったが、目の前の悠菜は髪も身体も濡れている。



「ちょ、ちょっと、びしょびしょだぜ?」



 そう言って近寄ると、悠菜は黙って俺の手を握る。


 そして、銀色の瞳で俺を黙って見つめている。


 急に手を掴まれドキッとしたが、見つめられて更にどきどきして来た。


 温かいその手は、たった今まで浴槽に浸かっていたかの様だ。


 悠菜に手を掴まれている間、俺は黙って悠菜を見ていた。


 銀色に潤んだ瞳を、更に間近に見ている。


 悠菜こいつこんなに色っぽいのか……。


 濡れた髪のせいか、凄く色っぽく見える。


 黙って俺の手を掴んでいた悠菜は、暫く俺の目を見ていたが、そっとその手を放した。



「みんな、まだお風呂に入ってる。戻るね」



 そう言って、リビングを出て行く。



「ちょっと待て、風呂には誰も居なかったぜ⁉」



 そうだ、風呂場はさっき見た。


 俺がそう言うと、悠菜は振り返ってこちらを見て言う。



「上の大浴場」


「へ?」



 え?


 だいよくじょう?


 ここは温泉旅館ですか⁉



「何それ⁉ 他にもお風呂があるの?」



 悠菜はただ頷き、振り返ってリビングを出て行く。


 俺は呆気にとられて後ろ姿を見送ったが、その後姿がこれまた色っぽかった。


 ……ヤバいな。


 これから意識して見ちゃいそうだが、悠菜あいつ上って言ってたよな。


 あれだけ探して誰も居ない筈だよ。


 てか、この家どうなってるんだよ。


 マジで温泉旅館並みの広さだとは思ったが、上に大浴場って。


 見晴らし良好だろうな。


 いやいや、そこじゃない!


 下にあるのは何だ?


 あれだって、俺の家の風呂より十分大きいぞ?


 で、更に大浴場とか。


 ま、俺の部屋に噴水があるんだからな。


 ああ、自分の部屋のあの噴水を思い出した。


 まあ、ちょっと楽しみだけどさ。


 俺の部屋に噴水があるんなら、大浴場だってありそうだ。


 しかし、上にあるとは……文字通り想像の上をいってるな。


 だがまあ、取り敢えずは一安心した。


 一安心した所で、俺はさっきの悠菜を思い出していた。


 濡れ髪と、素肌に張り付いたバスタオル姿。


 ほんのりと赤く染まった頬に、潤んだ銀色の瞳。


 特にあの後ろ姿。


 濡れた身体にピッタリと張り付き、ウエストから腰のボディーラインがハッキリと分かった。


 マジでヤバいって!


 これから先、悠菜と顔合わせたら、あの姿を想像してしまう。


 そんな事を思いながら熱い何かが、俺の身体に込み上げて来るのを感じた。

 

 ヤバ……何か飲み物を……。


 俺はキッチンのウォーターサーバーから先程使ったグラスに冷水を注ぐと、一気にそれを喉に流し込んだ。



 広いリビングルームのソファーに、俺は独り座って又もや悶々としていた。


 あの、悠菜の妖艶な姿を思い出しては、妙に照れ臭くなる。

 

 悠菜のしっとりとした温かい手。


 その吸い付くような、てのひらの触感。


 俺は、自分の手を開いてジッと見つめた。


 ほんのついさっき、俺をジッと見つめながら悠菜はこの手を優しく握った。


 その時の銀色に潤んだ綺麗な瞳と、濡れた銀色の髪が、普段とは違った美しさに見えた。


 その銀髪がまとわる首筋と鎖骨のシャープなライン。


 そしてその下に見えた、柔らかそうな胸の程よい膨らみとその谷間。


 悠菜の胸ってあんなにあったっけ?


 バスタオルで谷間が出来てるから?



 そして何より、後ろ姿が目に焼き付いている。


 あの、ピッタリと張り付いたバスタオルが、身体のラインをいつわりなく現していた。


 お尻が……たまらん。



 すると、間もなくかすかに声が聞こえて来た。


 悶々としていた俺がハッと我に返ると、確かに玄関ホールの方から聞き慣れた声と、パタパタとスリッパの音がしている。


 そうか、位置情報の高度を確認すれば上に居るって分かった訳か。



「じゃあ、エレベーターのRボタンって露天風呂のRだった訳ー⁉」


「愛美ー、それは違うよー?」


「だって、露天風呂のエレベーターにRって書いてあったよー?」



 何言ってんだかな、あいつは。


 そんな愛美の大声が聞こえて来ると、やっと孤独から解放された気分と同時に、これまで独り残されていた何ともいえぬ疎外感を感じていた。


 五人が出て行ってから、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。


 もの凄く永い時間を独りで居た様に思えた。


 携帯の時刻を確認すると、十一時半を少し過ぎたところだった。


 うわっ!


 もうこんな時間じゃんか!



「あ~ホントに気持ちよかった~」


「お兄ちゃん、お先に~」


「あ、お兄ちゃん、まだそこに居たの? 皆あがったけど入らない?」



 見ると、ピンクのバスローブを着た愛美が、肩にかけた大きいバスタオルで、長めの髪を両手でコシコシしてる。


 その横では蜜柑がオレンジのバスローブを着ている。


 あー蜜柑だけに?



「あ? ああ」


「入っておいでよ、さてと何飲もうかな~みかんなに飲むー?」


「あたしは……」


「オレンジ⁉」


「もー! 愛美ー!」


「冗談だってばー」



 そう言って愛美と蜜柑がキッチンへ入って行くと、そのうしろを真っ白なバスローブを着た悠菜が付いて行った。


 頭にはタオルが巻かれている。



「なあ愛美、大浴場って知ってた?」


「うん? 知ってるけど? お兄ちゃんも子供の頃、来てなかったっけ?」


「し、知らないけど?」


「あら、そー? 温泉だよ? お母さんとお父さんとも何度か来たけど?」


「そ、そうなのか……」



 また少しちょっとした疎外感を感じる。



「あーその時は、お兄ちゃんとお姉ちゃんは居なかったかも……」


「あ、そ?」


「まあ、入って来てご覧? 露天風呂なの! すっごく気持ち良いから」


「おおー! んじゃ、俺も入って来るかな」



 まあ、俺が勝手に独りにされたと勘違いして、ジタバタしてただけだしな。


 そう思っていると、愛美と蜜柑がリビングに入って来た。


 その手にはグラスを持っている。


 えっ⁉


 グラスには冷たそうな、スポーツドリンクの様な物が注がれていた。



「お、おまえらっ! それどこにあった⁉」



 俺がさっき、あれだけ探しても分からなかった飲み物じゃん?


 結局はウォーターサーバーの冷水を飲んでいた。



「んー? 勿論冷蔵庫だよ?」



 そう言いながら、美味しそうに飲んでいる。



「冷蔵庫って、何処の⁉」



 さっきあれだけ探しても見つからなかったのだ。


 俺は食い付き気味に聞いてしまった。

 


「何でよ~まだあるからいいじゃーん」



 飲み終えた愛美が怪訝そうに俺を見た。



「いや、そうじゃないよ。探したんだけど、分かんなかった」



 俺は立ち上がってゆっくり愛美に近寄った。



「えー⁉ お兄ちゃん、冷蔵庫分かんないの? そりゃ家のより大きいけどさー」



 愛美はそう言いながらも、面倒くさそうにソファーから立ち上がった。


 そして、空のグラスを手にダイニングへ向かうと、俺はその後を追った。



「こっちだよー?」



 そう言いながらダイニングへ入る。


 そして、ダイニングとキッチンを仕切る、広めのカウンターを指さした。



「あれだよ?」


「は?」



 ダイニング側から見ると、その下に扉があるじゃないか。


 キッチンとダイニングとの間にある、広めのカウンターの下だ。


 俺はそこに駆け寄り、屈んで扉を開けた。


 そこには数々の飲み物が入っている。


 ボトルや紙パックのまま綺麗に並んでいるではないか。


 この家には一体幾つ冷蔵庫があるんだよ……。


 俺はその場にしゃがみ込んでしまった。



「こ、こんなところにも……」


「これ便利なの! キッチン側からでも扉が開くんだよ?」


「あ、ああ、そうですか……」



 しゃがみ込んだ俺に、愛美はグラスを差し出して来た。



「で、何か飲みたかったの?」



 困惑した顔で俺を覗き込んだ。


 俺は愛美を見上げながら頷き、そして思った。


 それ、愛美おまえがたった今、使ってたグラスだろ?


 ま、いっか。


 しかし、キッチンの中をあれだけ探しても無い訳だ。


 まさか、この大きなカウンターテーブルの下が、飲み物専用の大きな冷蔵庫だったとは……。


 カウンター下の冷蔵庫から、見慣れた紙パックを一つ掴み取り、それをグラスに注いで紙パックを戻す。



「お兄ちゃん、何だか可愛いね」



 見ていた愛美がそう言いながら、ダイニングチェアーに座った。


 俺は愛美を無言で見る。


 愛美こいつ……笑顔だ。


 くそぉ。


 言い返せない。


 俺もダイニングチェアーに座りなおし、手に持ったグラスを見つめる。



「飲みなよ、それ」



 愛美にそう促され、軽く頷く。


 そして、飲んだ。


 ちょっとした屈辱感を感じながら。


 俺が好きな、飲むヨーグルト。


 口内へ流し込むと、のど越しと共に少しづつ幸福感が込み上げる。


 愛美は両肘をついて俺をジッと見ていた。



「良かったね」



 俺は無言で頷いた。


 愛美は笑顔で立ち上がると、リビングへ向かって行く。


 その後ろ姿を眺めながら、俺は思った。


 俺、かっこ悪いよね?


 その時、視線を感じてハッとそちらを見ると、悠菜がバスタオルで髪の毛を拭きながらも俺を見ていた。



「ずっとそこに居た?」



 そのまま、こくんと頷く。 



「い、いつから?」


「悠斗と愛美がここに来た時には、既にここに居た」



 そう言って、バスタオルで髪の毛を拭いている。


 ずっと居たのかよ!


 全く気配を感じなかったぞ。



「そ、そうか」



 俺はそう言って、グラスをキッチンの流しへ持って行こうと、キッチンへ向かった。


 だが、それを遮る様に、悠菜が手を差し伸べる。


 え?


 何っ⁉


 俺は動揺した。


 さっき濡れ髪にバスタオル一枚で、俺の手を握って来た悠菜を思い出したのだ。


 急にドキドキして来ると同時に、頭の中には悠菜の胸の谷間やスラッとした長い脚、そしてその付け根部分。


 グルグルと妄想が占領していく。


 ゆっくり差し出されたその手を掴もうと、俺は手を伸ばした。


 が、悠菜の差し出した手は、俺の反対の手を掴もうとしている。


 俺は動揺しながらも、差し出された手の行方を目で追うと、悠菜は空になったグラスをそっと掴んだ。


 そして、それを俺の手から優しく奪う。


 グラスを奪った時、悠菜の手が軽く俺の手に触れた。


 俺は一瞬軽く、本当に軽くビクッとしたが、悠菜はそのままキッチンへ向かった。



「あ、ありがと」



 そゆことね。


 悠菜は流しへ向かうと、グラスを水ですすいでから、それを食器洗浄機しょくせんきへ入れた。


 そして振り返り、俺を見ながら戻ってくる。



「ありがとう」



 目が合って、もう一度俺は言う。


 悠菜はこくんと頷き、そのままリビングへ向かった。


 後ろ姿を眺めながら、また、俺は思った。


 俺、やっぱりかっこ悪いよね?


 勘違いした事に、まだ動揺していた。


 ヤバいな。


 あんな事あった後だし、勘違いしちゃったよ。



「おにーちゃーん? まだ飲んでるのー?」



 リビングで愛美が叫んでいる。



「いや、今行くー!」



 そう言って俺はリビングへ向かった。


 リビングへ来ると、悠菜と愛美が同じ様な仕草でバスタオルを使い、髪を乾かしていた。


 その姿を見て、思わず少し微笑んでしまった。


 シンクロしてるし。


 愛美と悠菜こいつら、本当に仲がいいな。


 俺が来た事に気づき、こっちを見るタイミングも同じだった。



「んじゃ、俺も入って来るよ」



 そう言ってリビングを出た。 



「気持ちいいからって、そのまま寝ちゃダメだよー?」



 愛美が後ろからそう声を掛けて来た。



「はいはい」



 俺は返事をしながら階段を上がる。


 しかし、上に大浴場って凄いな。


 改めてそう思いながら、更に階段を上がって行く。


 そういや、エレベーターがあるとか言ってたな。


 何処にあるんだか知らないけど。


 俺は階段を三階まで上がると、ホールを見渡す。


 どっちだ?


 こっちか?


 この階には、俺と愛美の部屋がある。


 俺の部屋はこっちだっけかな?


 で、風呂は何処だ?


 この階も一階と同じ位広いぞ!


 いや、一階は玄関ホールがある分、ここよりも狭いとか?


 そう考えながら、先を進む。


 ぐるっと見て廻るが、大浴場って何処だろうか。


 それらしきものが見当たらない。


 さっき上がって来たホールまで戻って来た。


 よく見渡してみると、ここから更に上に行けるようだ。


 風呂らしきものが見当たらない以上、こっちを確認してみるか。


 この階段は、一階から上がる階段よりも狭い。


 半分くらいの幅だ。


 それでもおれんちの階段の幅より広いけどね。


 そして階段を上がり切ると、風呂場独特のもわ~っとした感じになった。



「ここか!」



 思わず声に出てしまう。

 

 屋上って事か?


 だから露天風呂がRとか愛美が変な事話してたのか!



 脱衣場があり、大きな鏡とカウンター。


 まるで温泉旅館だな。


 向こうに大きなガラス窓。


 あっちかな? 


 その向こうが、露天風呂の様に見える。


 いや、間違いなく露天風呂だ。


 よし、入るかと服を脱ぎ始めて気づいた。


 着替えが無いじゃん!


 辺りを見回すと、全自動の洗濯機がある。


 近くにはクローゼットの様な物や、タンスもあった。


 その横にブティックにあるようなハンガーがあり、そこに幾つものバスローブが掛かっている。


 それがまるで、水彩画のパレットの様に各色並んでいた。


 これを着たらいいって事だな?


 そう言えば、愛美も悠菜もバスローブだった。


 きっと、これを着ていたに違いない。


 俺は素っ裸になると、そっとガラス扉を開けた。


 が、外の空気と違って湿度が高い。


 俺にはそう言うのが瞬時に、自然と分かる体質だ。


 あ、その位は皆さんも分かる?


 上を見上げるとガラスドームの様だ。


 幾つもの窓枠の様な物があった。


 目の前には大きな露天風呂があり、まわりをごつごつした岩が囲っている。


 植物も植わってたりと、まさに自然の露天風呂だな。


 あちこちに数多くの観葉植物があり、まるで南国を思わせる。


 向こうにはヤシの木も見えた。


 な、何だここは!


 まるで南の島じゃん?


 入ってすぐ横には、蛇口とシャワーが幾つか並んでいる。


 俺はそこへ向かうと、まずは身体を流した。


 駅まで全力で走ったからな。


 めっちゃ気持ちいいわー。


 露天風呂を眺めながらシャワーを浴びる。


 しかし、大きな風呂だなー。


 シャワーを浴び終えた俺は、大きな風呂へゆっくりと足を入れる。


 おお、丁度良いお湯の温度だ。


 ゆっくり入り込む。


 結構深いのか?


 両足を入れて、そこに立つ。


 そうでもないか? 


 ゆっくり座る。



「くぅーーっ」



 自然と声が漏れた。


 そして湯の中に座りながら、周りを見回す。


 広い。


 五人どころか、十人はゆったり入れるぞ。


 向うの岩からは、お湯がショロショロと流れ落ちている。


 だが、辺りを見まわしていて、ちょっとした違和感を感じた。


 あれ?


 ここが屋上だとしたら、少し狭くね?


 一階の広さに比べたら、ここはそこまで広くない。


 入ったまま振り返り、更に辺りを見回す。


 間違いないな。


 さっきの脱衣場とか入れても、一階ほど広くない。


 シャワーヘッドは三つ並んでいる。


 その前に長椅子の様な物がある。


 そして、観葉植物の陰にドアを見つけた。


 あれは?


 俺はお湯から上がると、それを確認しに向かう。


 この部屋はまるで山小屋の様な、木材で出来た壁と扉だった。


 木製の扉を開けると、中はサウナ室の様だ。


 しかも、かなり広い。


 やはり十人は余裕で座れる程だ。


 何故こんなに広いの?


 俺は少し困惑した。


 最初は沙織さんと、悠菜だけが住んでいた筈だ。


 蜜柑が来たからと言っても大き過ぎない?


 あの冷蔵庫といい、全てが多すぎるし大きすぎる。


 サウナの扉をそっと閉め、先程の大浴場に浸かった。


 だが、それでも他に何かある筈だ。


 サウナがあったがこの風呂よりも同じか、少し狭いかも。


 そう思いながらもう一度見回す。


 もしかしたら、ここは屋上の真ん中辺りに位置してるのか?


 そして、周りに手摺てすりがあるとか?


 屋上って、手摺に囲まれてるイメージだよな。


 そう思いながら、肩まで湯船に浸かる。


 ま、いっか。


 滅茶苦茶気持ち良いし。


 湯を両手ですくって顔にかける。


 さっきまで、あの五人が入っていたんだよな。


 自然に思い出していた。 



 素肌にバスタオルをまとった悠菜。


 胸元のバスタオルに押し付けられた、柔らかそうな肌。


 この前まで一緒に、お風呂に入っていた愛美。


 横から見た、乳房の膨らみとその先端。


 タンクトップを着て、前屈みに俺を覗き込む沙織さん。


 ショートパンツの裾に出来た、生地と肌の隙間のその奥。


 胸元から見えたふくよかな谷間。


 レザーに似た光沢のある生地にその身をまとった、所々が金髪でオッドアイのセレスティア。


 露出の多いあの服装が、どうしても目に浮かんでしまう。


 あの人達がここに入ってたんだよな。


 ヤバい。


 あそこが固くなってきた。


 こんなんじゃ、バスローブ着て下に降りれない!


 あ、そうか!


 部屋に戻って着替えたらいいのか!


 この下に俺の部屋があるじゃん! 


 ラッキー!


 いや……待てよ?


 俺、あの部屋に着替え入れた記憶ないぞ?


 引っ越し荷物をまとめてもいないし、あの部屋に入れた覚えがない!


 ど、どーすんだよ⁉


 着替えがないじゃん!


 バスローブで皆の前に行けないぞ、絶対!


 起立した股間が目立ってしまう!



 焦って来た。


 同時にあそこも大人しくなって来た。


 け、結果オーライだな。



 いざとなれば、庭を突っ切って家に取りに行けばいいか。


 俺は頭を洗おうと湯船から出て、シャワーで頭にお湯を掛ける。


 その柔らかいシャワーの感じに感心した。


 結構な水量なのに、強い勢いは感じない。


 家のだと、頭の地肌に直接当たる感じだけどな。


 頭を洗い終わって脱衣場に来ると、辺りを見回す。


 傍にワゴンがあり、その中にバスタオルがある。


 一つ掴み取ると頭を拭き始める。


 しかし、この家……。


 掃除大変じゃね?


 そんな事を思いながらバスローブを羽織った。



 無意識に羽織ってから気づいたが、その色はショッキングなまっピンクだ。


 うっ……迂闊だった。


 何故これを羽織ってしまったのか。


 ま、まあ、仕方ない。


 もう一枚使うのも、洗濯やら何かと大変だしな。



 バスローブが掛かっているその足元に、パイル生地のスリッパがある。


 そういや、愛美達がこんなの履いてたっけな。


 これもまたカラフルじゃんか!


 まあ、どうせなら同じ色ないか?


 あ、これだな。


 ピンク色のスリッパを見つけ出し、それを履くと大きな鏡の前で一息つく。


 俺って、ショッキングピンクのバスローブが実に似合わないな。


 そしてその大きな鏡の下に目が行く。


 これはっ⁉


 扉がある。


 そっと近づき開けてみた。


 ドライヤーとか色々入っていた。


 良かった……。

 

 一瞬、冷蔵庫かと思ったぞ!


 何故か騙された感があった俺は、複雑な気持ちのまま見回すと、すぐにハッとして目を疑った。


 ガラスのショーケースの様な……。


 ここにも冷蔵庫があるじゃないか!


 一体、いくつ冷蔵庫あるんだよ!



 前に沙織さんに聞いた時は、こんなにあるとは聞いてない。


 地下に大きなのがあるとは聞いていたけど。


 そう思いながら、ガラス冷蔵庫の中身をガラス越しに見る。

 

 こ、これは……っ⁉


 コーヒー牛乳とフルーツ牛乳じゃないか!


 銭湯の番台横にあると言う、伝説の飲み物ツートップ。


 沙織さんのチョイスなの⁉


 だとしたら、沙織さんグッドチョイスですよ!


 益々貴女の事が好きになってしまう!



 の、飲んでもいいかな?


 それを一本取り出し、ラベルを眺める。


 これがコーヒー牛乳か。


 しみじみと眺めた。


 実は実際に見たのはこれが初めてなんです。


 前に見たドラマの主人公たちが風呂上り、実に美味そうに飲んでいたのを見て、その存在を知っていたのだ。


 頭には薄い黄色のビニールが被さっている。


 丸みを帯びた肉厚のある瓶。


  そっとビニールを剥がすと、中には紙で出来たキャップがしてある。


 よく見ても、それを取る手段が見当たらない。


 キャップの端をカリカリと指の爪で穿ほじる。


  すると、端の一か所が爪でつまめる位にまでめくれて来た。


 それを摘まんでゆっくりとめくる。


 ――っが!!


 その下にまだ蓋がしてあるでは無いか!


 いや、紙のキャップが途中から剥がれ、薄皮の様にれていたのだ。

 

 く、くそぉ!


 辺りを見回すと椅子があった。


 そして、手ごろなテーブルもある。


 そこへ移動すると、本格的にそのキャップを開けようと試みる。


 カリカリと爪の先で慎重にめくる。


 もう少し、もう少しで取れる!



『おにーちゃーん? だいじょうぶー?』


「うわっ! びっくりした!」



 急に背後から愛美の声がしたのだ。


 あいつの気配は感じなかったが⁉


 しかし、その拍子に思い切りキャップを引っ張ってしまった。


 やはりキャップは途中から剥がれてしまった。


 恐る恐る飲み口をみると、爪で挟める捲れた箇所は既に無く、つるんとした紙の蓋がそこにあった。


 がっかりしながら振り返るが、どこにも愛美まなみは居ない。



「あれ?」


『お兄ちゃん? 平気ー?』



 声の出所を探ると、愛美の声は近くのスピーカーから聞こえている。


 そうだった!


 ここはスピーカーがあったんだ。


 沙織さんに言われた事を思い出す。


 色の違う場所辺りを探すと、あちこちに色の違うタイルやシールの様な箇所がある。


 確かこれを触りながら話すんだよな?


 近くにも色が微妙に違う場所がある。


 その一つに触れて話してみる。



「愛美、聞こえる?」



 半信半疑で恐る恐る聞いてみた。



『あ、返事おそーい! 様子見に行こうかと思ったよー!』



 俺の声は聞こえた様だ。



「悪い悪い、このシステム忘れてた」


『もぉーっ! 忘れっぽいんだからぁーっ! あたしもう寝ちゃうよー?』



 そうだな、もう日付が変わる頃だしな。



「うん、わかったーおやすみー」



 そう言って、コーヒー牛乳を見つめる。


 折角冷えてたのにな。


 俺が握っていたせいで、今は生ぬるくなっている。


 そのままガラス冷蔵庫に入れとくか。


 俺はそっとコーヒー牛乳を元に戻した。



『じゃあね~お兄ちゃん、おやすみぃー! 通信終りぃ~』



 通信て……。


 まあ、あながち間違いではないか。


 そう言えば、さっき皆が消えたと思った時、これ使えば良かった訳じゃんね。


 忘れてた……。


 そう思いながら階段を下がる。


 そして三階へ降りてきて辺りを見回す。


 俺の部屋何処よ……。


 ちょっと待てよ?


 俺の部屋に行っても着替えがないじゃん!


 愛美はどうしたんだろう。


 まあ、部屋に行ったらあいつに聞いたらいいか。


 廊下を歩いていると、丁度愛美と蜜柑が向こうから歩いて来ていた。


 まだバスローブだが、髪はすっかり乾いたようだ。



「あ、今あがったのー? どう? お風呂広いでしょー?」


「うんうん、広かった」


「てか、どうしてその色チョイスしたかな?」


「あ、いや、何と無く」


「ふーん」


「なあ、俺の部屋どこ?」


「え?」



 二人はキョトンとして俺の顔を見た。



「もしかして、忘れたの?」


「お、お兄ちゃん……」



 呆れた様な表情の愛美と、不安そうな蜜柑の表情に押し潰されそう。


「あ、いや、だってさーここ、広すぎだよ? わかんねーよ」


「でも、さっきだよね、ここ来たのって。今日の夕方だよ?」

 


 そう言って、腰に手をやっている。


 すみません。



「ほら、そこだけど?」


「私のお部屋は愛美の隣ですよ?」


「そ、そっか」


「案内標識でも置いとく?」


「いや、いい……」


「ホントー?」


「いいってば。それよりさ、俺の着替えって家にあるんじゃね?」



 そうだよ、まずはそこが大事。


 

「あー沙織さんが昼間に運んでくれたんだよ? だから、ちゃんとお礼言ってね?」



 そう言うと愛美は自分の部屋の扉を開く。



「みかんも入ってー」


「うん!」



 チラッと見える室内には、やはり広々とした空間があった。



「そうだったのかーお礼言っとくよ。じゃあ、おやすみ」


「あれ? 部屋戻らないの?」


「あ? ああ、また明日」


「そう? じゃあね~」



 愛美はそう言って、蜜柑と一緒に広い空間に入って行った。


 部屋戻らないのとか聞いてたけど、あいつ何言ってんだ?


 まあいいや、俺の部屋は隣か。


 隣の部屋の扉の前まで来ると、少し覚悟して部屋の大きな取っ手を握った。


 なんせ、だだっ広いからな。


 そっとドアを開くと、中に人影が見えた。



「あら?」


「あれ? お兄ちゃん来たんだ?」


「うなっ! 何で愛美おまえらが⁉」



 愛美と蜜柑はキョトンとしてこっちを見てる。



「金魚の餌やろうかと……。お兄ちゃん、下へ行くんじゃなかったの?」


「い、え?」


「だったら、さっき入れば良かったのにぃ~」



 何を言ってるんだ?


 愛美こいつは。



「お、愛美おまえさっき、蜜柑と自分の部屋に入っただろ⁉」



 不思議そうな顔のまま、愛美は頷く。



「なのに何故、愛美おまえはここに居るんだ⁉」



 すると、愛美は不思議そうに向こうを指さした。


 俺はハッとして、愛美が指さした方を見た。


 へっ?

 

 向こうの壁に、ぽっかりと穴が開いている。


 扉がありそうだがそれは無く、ただぽっかり穴が開いている。



「あんなのあったっけ?」



 昨日見た時には気づかなかった。



「あれ? 知らなかった? あれ、お姉ちゃんに開けて貰った~」


「え……」


「いいでしょ~これ、便利でしょ? みかんの部屋とも繋げて貰った~」



 自慢げに愛美が言う。


 いいでしょ~って、おいおい。


 お前、年頃の女の子でしょ?


 プライバシーがどーとか言わないの?



「お兄ちゃんも一緒に金魚の餌あげよっか!」



 そう言って、俺の腕に絡まって来た。


 そうか悠菜か。


 あいつ、フォークで生垣消しちゃうからな。


 そこにはもう驚かない。



「お前、仕切り無くていいの?」



 そう聞くと、愛美は俺を見上げた。



「だってさー、部屋は隣だけど広いじゃん? いちいち部屋の外出て行くより、こっちの方が楽でしょ?」



 ま、まあそうだけど。



「噴水もあるし! あはははー!」



 俺は愛美に腕を引っ張られ、噴水前迄そこまで連れて行かれた。


 まあ、こいつが良いならいいか。



「ここにあるからね、餌。毎日あげてね?」


「うん、わかった」


「あれ? お兄ちゃん、いい匂いー! ね、みかんも嗅いでみて!」


「あ、ホントだー!」



 そう言って、俺の胸元をスンスンしている。


 俺からは愛美の頭しか見えないが、そう言う愛美こいつからも風呂上がりのいい匂いがしている。



愛美おまえらもだよ」



 俺がそう言うと、愛美は突然パッと離れ、じーっと俺を見つめる。


 澄んだ瞳が綺麗だ。



「エッチな事考えてた?」



 へ?



「いやいや、無いから!」


「ね、みかん、どー思う?」


「え、えっと……」


「マジ無いからっ!」



 そう言うと、少し不機嫌な表情をして振り返る。


 俺は妹達とエッチな事は考えません。



「ふーん。まあ、いいや。おやすみー。行こ、みかん」


「うん。じゃあ、お兄ちゃんおやすみなさーい」



 そう言って、壁の大きな穴へ向かって行った。



「お、おやすみ」



 そして、愛美達は隣の部屋へ消えた。


 何だよ、一体。


 難しい年頃だな。


 そんな事を思いながら、クローゼットを探す。


 あ、これか?


 タンスの様な引き出しがあった。


 お!


 俺のおパンツ!


 見覚えのある柄だ。


 それを一つ出すと、バスローブを脱ぎ捨てパンツを履く。


 んーしっくりくるなぁ。


 ふる○んでバスローブは、色々不具合が多いからな。


 続いて何かシャツを探す。


 適当に引き出しを引っ張り、丸首の綿シャツを見つけた。


 これでいいや。


 これでやっとまともな姿になった。


 そして、ベッドに腰掛ける。


 しかし、色々あり過ぎだろ、ここ。


 ショロショロと水が登る噴水を、ボーっと眺めながら思い起こしていた。


 あ、そう言えば、あれから沙織さんに会ってない。


 そうだ、セレスにも!


 まあ、あの二人はしっかりとしたレディーだからな。


 風呂上がりで男の目の前に、そのまま現れる訳にいかないのだろう。


 部屋で着替えてるんだろうな。


 そんな事を思っていると、ふと小さな電子音がした。


 ベッドの枕もとだ。


 お洒落な電話が光りに合わせて鳴っている。


 恐る恐る受話器を取るとそっと耳に近づけた。



『悠斗くーん? 着替えわかったぁ~?』



 沙織さんだ。

 


「あ、着替えとか、ありがとうございます。助かりました」


『いえいえ~今日は遅くなったから、もう寝てくださいね~?』



 既に深夜一時近くになっている。


 

「はい。先に寝ますね、おやすみなさい。あ、それから、セレスさんにも宜しく言ってください」


『はいはーい。おやすみなさ~い』



 そう言って、沙織さんは受話器を置いたようだ。


 しかし、これじゃまるでホテルだよな。


 俺は受話器を置きながら思った。


 そして何気なく窓の外を見るが、部屋が明るくて外が見えにくい。


 そう言えば、部屋の電気何処で消すんだ?


 前に行った事のあるホテルだとこの辺に……。


 そう思い、受話器を置いた場所を見る。


 あるのかよ!


 スイッチ類と言うか、タッチパネルがある。


 だが、どれがどれだか分らん。


 これかな?


 一つにそっと触ってみる。


 あれ?


 どこだ?


 もう一度触れてみる。


 あ、あそこか!


 壁際の間接照明が点いた。


 これは消していいか。


 もう一つにもそっと触る。


 お、正解!


 その横から順番に触れて行く。


 それらは連続正解のまま、部屋は真っ暗になった。


 まあ、基本的にオフにしたら消えるだろうけどね。


 ちょっとウキウキしちゃったのよ。


 この部屋の明りはすべて消え、愛美の部屋からの薄明かりが、うっすら入って来ているだけとなった。


 よし、これでいいな。


 それでも明るい月明かりが、大きな窓から射し込んできている。


 俺は起き上がり、窓際に寄ってみた。



 月って結構明るいんだな。


 遠くには街の明かりが見えた。


 この部屋からは結構見晴らしが良い。


 三階だから当たり前だろうが、それでも普通の家より天井が高いだけあって、相当な高さがある。


 そして、窓の外には広いベランダがあり、隣の部屋のベランダと繋がっている。


 それは反対の部屋のベランダとも繋がっており、建物の三階部分をぐるっとベランダで囲っている感じだ。


 まあ、旅館やホテルじゃないからな。


 隣の部屋と行き来出来ても、これはこれで問題は無い。


 こっち側が愛美の部屋だな?


 あれ?


 ちょ、待てよ?


 これだったら部屋の壁に穴開けなくても、ベランダから行き来出来んじゃん。


 そして反対側は空き部屋だろうか。


 他には沙織さんと悠菜しかこの家に住んで居ないし。


 あ、今夜はセレスが居るのか。


 だが、これだけ大きな家だ。


 他に沢山部屋もあるし、まだ沙織さんと一緒なのかも知れないな。



「寝られない?」



 急に声がしてぞくっとしたが、その声は間違いなく悠菜の声だった。



「び、びっくりしたー」



 月明かりの中、隣の部屋の窓から顔を出している。



「脅かすつもりは無かった」



 そうだろうな。


 そういうタイプじゃ無い事は良く知っている。



「うんうん、分かってる。そっちが悠菜おまえの部屋?」



 そう言って指をさす。


 悠菜はこくんと頷いた。



「そうなんだ~」


「今日からここが私の部屋。私は悠斗から離れないから」


「そ、そうか」



 悠菜はそう言って部屋に戻ると、そっと窓を閉めた。


 ドキッとする事を言いやがった。


 普通に他人が聞いてたら、紛れもなく恋人同士の会話だぞ?


 今耳に飛び込んで来たそのセリフが、何度も何度も頭の中でリピートされる。


 だが、離れずに保護観察してるって意味なのは分かる。


 部屋が隣という事が、あんな言い方になっただけだろう。


 俺はベッドに戻り横になった。


 だが、頭の中ではまだそのセリフがリピートしていた。


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