第5話 愛美と悠菜と真っ赤な外車

 幼い頃から本当の姉妹の様に過ごしてきた愛美と悠菜。


 楽天的な兄に比べしっかりとした悠菜は、愛美の目には対照的に見えた事も多かった。


 一見、無愛想で冷たそうに見える悠菜だが、愛美はその優しさを常に感じていた。


  ♢


 お姉ちゃんがキッチンで夕食の片づけをしている。


 私はダイニングテーブルを拭きながら、何気なくその後姿を眺めていた。


 身長は私と同じ位か少し高い程度だろうが、こうして見ていると存在感がたっぷりと感じられた。


 普通の人には感じられない、何かオーラの様なモノを感じる。


 まあ、異世界の人って知ったからかもだけどね。



 それにしても……髪、綺麗だな……。


 背中の中程まである銀色の髪が、部屋の明りでキラキラ輝いている。


 その後姿から見える腰のくびれと、下には形のいいヒップラインが見えた。


 私は自分の腰回りを手で確認しながら、ついつい見とれてしまっていた。

 


「ねえ、みかん。お姉ちゃんって、結構いい身体つきしてるんだね~」


「あ、その言い方……灰原さんみたい」


「え、マジっ⁉」


「うん。でも、私もそう思ってたー」


「でしょ~?」



 でも、胸は負けてない……かも。


 沙織さんには完璧に負けるけど。


 そんな事を思いながら、自分の胸を手で包んで見る。


 よ、よし!


 ブラの上からとは言え片手には収まらない。



「愛美も大きくなったよね?」


「そ、そう? みかんだってー」


「あ、わ、私はまだまだ……」



 確かに蜜柑よりもあたしの方が少しだけ大きいとは思うけど、見た目のスタイルは蜜柑の方が良いと思う。


 そんな事を思いながらまたお姉ちゃんを見た。


 そして、そんな事全てを含めて少し自慢げに感じていた。



 あたしにとってお姉ちゃんは、昔から頼れる存在でもあった。


 楽天家で悠悠自適なお兄ちゃんに比べ、お姉ちゃんは凄く対照的だった。


 意気自如いきじじょで頭脳明晰。


 容姿端麗とか明眸皓歯めいぼうこうしとかの、聞いた事はあっても滅多に使わないこれらの四文字熟語が、お姉ちゃんにはピッタリだと思う。


 あたしの自慢の姉だ。


 そう言えば、沙織さんも胸大きいのにスタイル良くて魅力的だし、セレスティアさんだって背が高くてモデルみたいじゃん……。


 あれ?


 あっちの人って完璧な人ばっかじゃん!


 もしかしたら、あたしもお姉ちゃん達と血縁とか……?


 そしたら将来ナイスなバディに⁉


 思わず腕組みをして考え込んでしまったその時、ふとお姉ちゃんの視線に気づいた。


 銀色に澄んだその瞳は優しく輝いている。



「あ、お姉ちゃん! 洗い物終ったの?」



 慌ててそう聞くと、お姉ちゃんはこくんと頷いた。



「じゃ、あたし、みかんと一緒にそれ拭くね!」


「ラジャー!」



 あたしと蜜柑がキッチンへ入ると、すれ違い際にお姉ちゃんが言った。



「愛美は間違いなく、お父さんとお母さんの子供」


「――っ?」



 ハッとして振り向くとその後ろ姿を目で追うが、そのままお姉ちゃんはリビングに入ると窓のカーテンを閉め始めた。


 たが、あたしはすぐにいつもの事かと気が緩んだ。



 何故かお姉ちゃん、いっつもあたしの考えてる事、分かっちゃうんだよなー。


 昔からそう言う事が多かったのだ。


 あたしがちょっとでも悩んでたりすると、いっつも察して声を掛けてくれた。



 ある時、小学校から帰って来たばかりのあたしが、家の玄関へ入るなり大泣きしていたところへ、遅れてお兄ちゃんも学校から帰って来た事があった。


 泣いているあたしを見て、お兄ちゃんはオドオドしながら理由を聞いてきた。


 お兄ちゃんを見た途端に安心して更に大泣きしてしまい、上手く泣いている理由を話せないでいた。


 そこへ幼馴染のお姉ちゃんが近寄ってきて、そっと耳打ちして来た事があった。



「あのね、愛美に感謝してたよ。声を掛けてくれてありがとうって。そして、どうか悲しまないでって」



 あたしはその言葉にどれだけ救われたことか。


 猫が話せる訳が無い事ぐらい、小学生のあたしだってわかってた。


 でも、お姉ちゃんがそう言うと本当にそうなんだと思えた。


 だからあたしは、昔からお姉ちゃんが大好きだった。



 近所に老夫婦が住むおうちがあったのだが、そこの猫が数年前に死んでしまった事があった。


 後から知ったのだが、猫にとってはかなり高齢だったようで、死因は老衰らしかった。


 あたしは、そのおうちに住むお爺ちゃんお婆ちゃんも、優しくて好きだったのだが、そこで飼われていた猫ちゃんも大好きだった。


 小学校の帰りにその家の前を歩くと、いつもその猫に声を掛けられていた。



 最初の出会いは、そのおうちの前を歩いていた時だった。


 ある朝、急に猫の鳴き声がした。


 あたしは立ち止まってキョロキョロ見回していた。


 しかし、小学校に通い始めた頃で背の低かったあたしは、その姿は見る事が出来ないでいた。


 すると、目の前にストンと真っ白な猫が飛び降りて来た。


 塀の上から飛び降りたらしい。


 その時は突然の事でびっくりしたが、優しく鳴きながら尻尾を立てて、足元にすり寄って来た。


 それから暫くは、小学校の行き帰りにその猫とあたしの、ちょっとした関係が始まった。


 あたしが通り過ぎると、猫が声を掛ける。


 あたしはただ、塀の上の猫を見て笑いかける。


 そして、たまにニャーと言ってみる。


 最初はただそれだけの事だった。


 そんな関係が暫く続いたある日、そのおうちの玄関先にお婆さんが立っていた事があった。


 腰など曲がってはいないが、それなりに高齢なのはわかる。


 だが、とても上品で優しそうに見えた。


 あたしは塀の上の猫に呼び止められ立ち止まると、そのお婆さんに声を掛けられた。



「あら、お嬢ちゃんなのね~いつもこの子が呼んでいたのは」



 そう言うと、塀の上の猫に手を差し伸べた。


 その猫はゆっくりお婆さんの手の中へ、自らその身を伸ばして抱き抱えられる。



「この子はシロって言うの。仲良くしてくれてありがとうね」


「しろ……?」



 子供ながらに安易な名前だと思った。


 だがあたしは名前を知った喜びと、その優しそうなお婆ちゃんに安心していた。


 それからは、このおうちにお爺ちゃんも居るという事や、たまに高校生位のお孫さんが来る事も知った。


 そしてあれは、あたしが小学校高学年になり、お兄ちゃんとお姉ちゃんが中学生になった年の冬のことだった。


 登校時いつもの様にその家の前に来ると、シロが塀の上から飛び降りて来た。


 普段は塀の上から鳴くだけなのに、その日は違っていた。


 塀の上で一声鳴くと、ゆっくり身を起こし塀から飛び降りたのだ。


 あたしは珍しいと思いながらも、足元に絡みつくシロを優しく撫でた。


 そして、抱き上げると腕の中でシロはこちらを見上げていた。


 ゴロゴロと喉を鳴らす音と、凄く綺麗な青い瞳だったのが印象的だった。


 その日の下校時、そのおうちまで来てもシロの姿も声もしない。


 不思議に思い玄関へ目をやるが姿が見えない。


 何故か、急に胸騒ぎがしてそのおうちの玄関を叩いた。


 すると、中からお婆さんの声がして玄関が開いた。



「あら愛美ちゃん。お帰りなさい。実はシロがね……」



 そう言うと、お婆さんは言葉を詰まらせた。


 あたしは、どうしたのか見当も付かず尋ねた。



「シロがどうしたの? どこか行っちゃったの?」



 お婆さんは、困ったような表情のままお爺さんを呼んだ。


 家の奥からお爺さんが来ると、笑顔ではあるがぎこちない表情なのは、子供のあたしでもわかった。



「愛美ちゃんかい? こっちへおいで」



 そうお爺ちゃんに言われ、家の中へ案内された。


 そこには、いつもシロが寝ているという座布団の上に、白い猫らしき姿があった。


 だが、シロであればあたしに気付いて近寄るか、こっちを見て鳴く筈だ。


 だから、あれは絶対にシロではない筈だった。



「シロはね、今日の昼前に死んでしまったんだよ。本当に眠る様に死んでしまったよ……」



 あたしは目の前が、ガラガラと崩れていくような、そして真っ暗になってしまうような、そんな感覚に陥った。


 その後の事はよく覚えていない。


 ただ気づいたら、自分の家の玄関で泣いていた。


 今朝、シロと触れ合ったばかりなのにと、涙が止まらなかった。


 お兄ちゃんが帰ってきて、更に涙が溢れて、自分が何故泣いているのかを訴えたかった。


 だが、酷く悲しみが込み上げて、何も言えないでいた。


 そんな時に、お姉ちゃんが声を掛けてくれた。



「あのね、愛美に感謝してたよ。声を掛けてくれてありがとうって。そして、どうか悲しまないでって」



 その言葉は、あたしの中へスーッと染み渡り、融けていくようだった。


 たった今までの辛い悲しみが、自然にシロとの楽しい思い出に変わっていった。


 今朝のシロを抱き上げた温かさと、綺麗な青い瞳を思い出していた。


 その後、お兄ちゃんとお姉ちゃんと三人でシロのお家へ、うちの裏庭で摘んだお花を持って行った。


 座布団の上に丸くなって動かないシロに、あの時は言えなかったお別れを改めて言いに……。




 あたしがリビングのソファーに座って考え込んでいると、蜜柑があたしの顔を覗き込んだ。



「愛美? どうしたの?」


「え? あ、うん……」



 さっきお姉ちゃんが、裏庭の垣根にフォーク一本で消し去った事が、やっぱりどうしても理解出来ないままでいた。


 確かに家で使っていた普通のフォークだった。


 すると丁度そこへお姉ちゃんがリビングに入って来た。


 二階の戸締りを確認して来たのであろう。



「ねえ、お姉ちゃん! さっきの垣根消したのってどうやったの?」



 あたしはソファーから身を乗り出し、お姉ちゃんに聞いてみた。



「理屈は簡単。でも、今の愛美には理解出来ないと思う」



 そう言うお姉ちゃんは、少しだけ寂しそうな表情に見える。


 そっかぁ。


 まあそうだよね。


 異世界のお姉ちゃんだから出来る事なんだよね。



「そっかぁ~やっぱ凄いよねお姉ちゃん!」



 あたしは益々、お姉ちゃんの存在に心強くなった。



「ねえ、お姉ちゃん。ずっと一緒に居てね?」



 急にどうしても言いたくなった。


 そしてお姉ちゃんに近づいて行くと、その時のお姉ちゃんは少しだけ驚いた表情になった気がした。


 普段は表情など変える事など、滅多にないのに。


 でもすぐに優しそうな表情になり、あたしの目を見つめてくれた。



「うん」



 そう言われて、凄く嬉しくて安心した。



「絶対だよ? 約束だからね!」



 あたしは、衝動的にお姉ちゃんに抱きついていた。



  ♢ 



 セレスティアが異世界へ帰った後、まだ俺は垣根の消えた辺りを見つめていた。


 どういう技術であんなことが出来るのか。


 そんなこと考えても分かる筈も無かった。



「悠斗く~ん? まだそこにいたのー? 早く入って来てね~」



 垣根が消えたりセレスティア消えたりした事を考えながらボーっと立っていると、急に家の中から沙織さんに呼ばれた。



「あ、はーい!」



 ガーデンテラスからそのままリビングへ入り込むと、リビングチェアーに座っていた沙織さんが、俺を見て悪戯っぽくニヤニヤしている。


 何かまた言いたそうだ。



「ねね、セリカちゃんどうだった~? 素敵でしょ~?」



 ほら来たよ。


 何か、世話好きのおばちゃんっぽい所があるんだよな。



「ええ。可愛いってか、美人ですよね。所々金髪だし」



 すると、椅子に座り直して身を乗り出してきた。



「もしかして、悠斗くんはセリカちゃんがタイプ?」


「タ、タイプとかじゃなくても、凄く綺麗な人だと思いますよ」



 俺が好きなのは沙織さんだってば!


 好きな人にこんな事言われる俺って脈無しって事だよね?


 しかし、セレスティアか……美形だよな、話し方はアレだけど。


 悠斗殿とか言われてもな。


 でも、ハグされた時は良い感触と良い匂いだったな……。



「あ~悠斗くん、何か誤魔化してるね~?」



 沙織さんは、見透かしたように俺を指さした。


 こうなるよな、やっぱり。



「誤魔化してるわけじゃないですよ」


「ふ~ん。そ~なの~?」


「そ、そうですよ」



 沙織さんは両腕を頭の後ろで組みながら、椅子の背もたれに身を任せた。



「それより、セレスティアさんはいつ頃来るんですか?」



 そうなんだよ、宇宙人が攻めて来る前に先手打つ為に支度するって言ってたし。



「セリカちゃん? ん~明後日には来ると思うよ~?」


「そっか。んじゃ、明日は学校行かなきゃね」


「勿論ですよ~ユーナちゃんと二人で、学校にはちゃんと行ってね?」



 悠菜と二人、ってのが少し気になる。


 そう言えば、悠菜の保護観察はいつまで続くんだ?



「悠菜は、まだ俺の監査役?」



 すると沙織さんが意外そうな表情になった。



「あれ~? 悠斗くんはユーナちゃんと一緒に居たくないの~?」



 俺の顔を覗き込みながら聞いて来た。



「あ、いや、そう言うんじゃなくてね。何かこう、まだ任務的に一緒にいるのかな? って思ってさ」



 そう言うと、沙織さんは微笑みながら答えてきた。



「ん~、大学に入る迄は一緒にってご両親と決めてたしね~、でももう大学生か~」



 うちの親か。


 まあ、異世界から沙織さんが俺を連れて来たんだし、その心境は何となくわかる。


 ただ俺にしてみれば、これまで普通に生活して来たし、特に問題も無かった。


 何より悠菜がどうなんだろう。


 俺の観察はまだしなければいけないのだろうか。


 悠菜は今のままで良いのだろうか。



「悠菜はどうなんだろうなーって思ってね。あいつ、何にも言わないし」


「悠斗くん、ユーナちゃんの事、心配してるんだね~」



 そう言いながら、ニコニコして手を合わせている。



「あ、まあ、ちょっとは」



 俺だって、いつまでも監査官付きじゃ自由じゃない気もするし。


 鈴木が誘って来ても、悠菜が一緒だと気兼ねすることもあった。


 俺も年頃の男って訳よ。



「確かにこれまでの十九年間、ユーナちゃんは大変だったと思うけどね~。だって、子供の姿で悠斗くんの保護だもん」



 そうだった。


 悠菜は俺が生まれたと同時に、俺と同じ様にその姿を幼くしたと言っていた。


 俺の成長に合わせて成長してきたと言う訳か。


 てか、これまで俺の傍でずっと見守って来た訳じゃん⁉



「それって、すっげー大変な事だよね⁉」



 改めて悠菜の大変さを感じた。



「そりゃね~。今だから言えるけど、色々大変な事もあったのよ~?」



 沙織さんはそう言って、深く息をついた。


 幼児の姿になっても俺の保護観察してたんだからな。


 そして、何か危険が迫ったら対処する。


 その毎日で十九年間もこれまで過ごして来た訳だ。


 俺と同じ様に、ただ子供を生きて居た訳じゃないわけだ。


 そんなの俺に出来るか?


 無理だろうな。



「だよね……あいつ、そんな大変な事してたんだよね……」



 悠菜の事をここまで考えた事なんて、今まで無かったかも知れない。


 俺が十九歳になってから異世界の人間だとカミングアウトしたわけだし、それまでは、この事がバレない様に普通を装って生活して来た訳だ。



「悠斗くん、ユーナちゃんて凄いでしょ~?」


「うんホントに、マジで凄い奴だよね」



 そうとしか言えなかった。


 そして同時に今は感謝も出来る。


 それは勿論、沙織さんに対しても同じだ。



「でしょ~? 私はずっと前からユーナちゃんを凄く尊敬してるの~」



 沙織さんはそう言うが、実は沙織さんが凄いのかも知れない。


 こうまでして悠菜がその身を犠牲に出来る人だという事だ。


 そう思うと俺は沙織さんをまじまじと見てしまう。


 すると、丁度立ち上がった沙織さんが、俺の視線に気づいてこちらを向いた。



「ん~? どーしたのぉ?」


「え、あ、いえ何でも……」


「あ、お風呂入る~?」


「え? お風呂ですか? ここで?」


「うんうん、勿論ここでよ~? あ、一緒に入る?」


「いやいやいや、それはちょっと恥ずかしいです!」



 全く、この人は屈託がない。



「ちょっと恥ずかしいだけなら、思い切って一緒に入る?」


「すみません! 凄く恥ずかしいからいいです!」


「そ~なの~? じゃあ、ちょっと下のお風呂行って来るね~」


「あ、はい! いってらっしゃい!」


「はーい、シャワーだけだから~」



 そう言って沙織さんはリビングを出て行った。


 玄関の方へ言ったけど、向こうにお風呂があるのか?



 しかし……全く……ドキドキするわ。


 沙織さんか……。


 胸は大きいし、あのお尻もいい。


 くびれたウエストに、あの胸とお尻はたまらん……。


 悶々とあれこれ妄想していると、不意に沙織さんの大きな声がした。



『悠斗く~ん! まだそこにいるー?』



 沙織さんの大きな声は余り聞いた事が無い。


 だがたった今、あの綺麗な声が部屋中に響き渡ったのだ。



「わっ! あ、はいはい! なにー?」



 どっから叫んでる⁉


 咄嗟に呼ばれてビクッとしたが、直ぐにガーデンテラスの方へ顔を出して返事をした。


 声は直ぐ近くから聞こえた気がした。


 咄嗟に立ち上がってあちこちをキョロキョロ見ていると、リビングとガーデンテラスの間にはガラス張りの廊下がある。


 その右の先にある扉から沙織さんが顔を出している。



「あー! 来てくれたのー?」



 えっ⁉


 うわっ! 胸が見えそう!


 その顔の下には間違いなく胸の谷間が見えるじゃないか! 


 沙織さんは素肌にバスタオルを巻いてる様だ。


 まさか、また一緒に入れと言われるのか⁉


 は、入っちゃおうかな⁉


 入って良いですか⁉


 これ以上誘われたら……断る自信が俺には無い。


 そして、沙織さんは婀娜あだやかな目で俺を見ている……のは、気のせい?



「ねね、まだアイスあったっけー? もう無くなってるかなー?」


「え……え? アイスって氷ですかっ⁉」


「バニラアイスー! 冷凍庫に買い置きあるかな~?」


「あ、棒のアイスですかー⁉」


「うんうん~、棒のバニラアイスー! ちょっと見てくれる~?」



 ああ、棒のアイスか……。


 で、キッチンの冷凍庫見てくれって事ね?



「あ、はいはい! 了解ー!」



 かなり落胆しながらも、何事も無いように返事をする。


 俺はがっかりした気持ちをかき消そうと、急いでキッチンがある方へ向かう。


 げ、かなり広いぞ⁉


 ダイニングへ入ると立ち止まって見回すが、このダイニングだけでも俺の家のリビングより数倍広かった。


 そしてカウンターを挟んで向こう側にはキッチンが見える。


 ま、マジすか⁉


 こんなに広かったんだ⁉


 まるで洒落た飲食店の厨房を見ている様だ。


 カウンターを回り込んでキッチンへ入ると、大きな冷蔵庫が見えるが、あれはどう見ても業務用だろうな。


 マジでここ飲食店の厨房じゃん⁉


 自分の家にある冷蔵庫を想像していた為、かなり面食らった。



 もういいや。


 沙織さんが待ってるし、コンビニでも行って来よ


 アイスの捜索を早々に断念し、さっき沙織さんが顔を出していた所まで駆け戻る。


 ガラス廊下のドアを開けると、そこからまだ長い廊下があったが、明かりの点いた部屋の扉が開いていた。


 あそこが風呂か?


 薄暗い廊下に幻想的に光っている扉があるのだ。


 恐らくそこが風呂場だろう。


 俺はそこへ向けて、大きな声で声を掛けた。



「沙織さーん! 俺、コンビニで買ってくるよぉー!」


「え? それを言いにわざわざ来てくれたの?」



 すると沙織さんが顔を出したが、笑顔の下には柔らかそうな素肌の、しかも膨らみが見え隠れしている。


 バ、バスタオルしてないじゃん!



「うわっ! あ、はいーっ!」


「ホントに~? あ、先にお風呂入ってから、後で一緒に買いに行く~?」


「えっ⁉」



 その時一瞬だけ、柔らかそうな大きな胸の、その先端が僅かに――見えた。


 うわっ!


 見えたっ!


 見えたよなっ⁉



「あ、いやいや! ダメです! 今行って来ますって!」



 俺は見えたと同時に顔を下に向けていた。


 ヤバいって!


 いざとなると無理だ!


 俺は不甲斐なく怖気づいていた。


 下を向いたまま声を上げる。



「そお? 悠斗くんありがとー!」



 もう一度だけ顔を上げたら、ハッキリと見えるかも知れないと思いながらも、そのまま顔を下に向けた姿勢でドアを閉める。


 そして、かなりな喪失感と挫折感にさいなまれながらも、ガラスの廊下をリビングへ向かう。


 遂に見ちゃったよな⁉


 憧れの沙織さんの激レア部分を見てしまったのだ。


 だが、勿論二度見など出来る訳も無く、今となっては思い出そうにも良く分からない。


 だが、まだ心臓はバクバクと激しい。



「んじゃ、ちょっと行くかな」



 出来るだけ気分を慰めようと独り言を言ってみると、少しだけ気持ちも収まって来る様だ。


 そう言えば俺、リビングから入って来たんだっけな。


 ガーデンテラスからサンダルを拾い上げ、リビングの窓の鍵を閉めて玄関へ向かった。


 戸締りってあそこだけでいいよね?


 この家、めっちゃ広いし。



 そして家の外へ出ると、薄暗い夜道を独りとぼとぼ歩き始めた。


 思えば独りで出歩くのって珍しくね?


 てか、初めてじゃね?


 悠菜も居ない何て今まであったっけ?


 お初じゃん!


 これって初めてのおつかい的な感じ?


 

 歩いて五分程の所に、二十四時間営業のコンビニがある。


 その看板が見えて来た頃、不意にポケットの携帯が震えた。


 何だこんな時間に……誰だ?



 携帯の画面を見ると、着信通知に≪可愛い愛美ちゃん≫と、出ていた。


 あいつが勝手に登録したのだ。


 軽くため息交じりに電話に出る。



「はいよーどしたー?」


『あ、お兄ちゃん! 一体何処に居るのよっ!』



 何をこいつは怒ってるんだか。



「どこって、沙織さんのアイス買いにコンビニだよ?」


『あれ? そうだったの? 今来たら、沙織さんが一人でお風呂入ってるんだもん』


「そりゃ、俺が一緒に入ってたら問題でしょ?」


『あったり前でしょ! 馬鹿なの⁉ 今からあたしも行くから待ってて‼』


「は? あーはいはい」



 馬鹿なのって何だよ……。


 まあ、少しは期待してたけどさ。


 俺はコンビニの駐車場まで来ると、歩いて来た道を振り返った。


 まだ愛美の姿は見えないが、じきに来るだろう。



 何気無しに外から店内を見ると、雑誌コーナーがガラス越しに見えた。


 そう言えば、多くのコンビニでは数名が立ち読みしているのが外から見えるよね?


 あれって大手コンビニが集客効果を期待して、こうやって設置しているらしいよ。



 目の前のコンビニでもそうだ。


 雑誌を食い入るように見ている奴がいる。


 愛美もすぐ来るだろうし中へ入って待つか。


 そう思い中へ入ろうとすると、さっき見た雑誌コーナーから何やら妙な気配を感じた。


 俺は何故か咄嗟に視線を外していた。


 間違いない……俺は見られている⁉


 こうしてる今も、じっとりとした視線を感じる。


 俺は直感的に、そっちを見たらいけない気がした。



 このまま引き返そうか、視線の先を確認しようかと一瞬悩んだが、ここは直感に従い戻る事にする。


 そちらを決して見ない様、店に背を向けゆっくりと店の駐車場を横切る。


 するとその時、遠くから聞き覚えのある声が聞こえた。



「おにーちゃーん!」



 直ぐに声の主が愛美だと気づいてそちらを見たが、同時に次の言葉に凍り付いた。



「中で手振ってる人が居るー!」


「え……」


「あ、ホントだー」


「あれ? お兄ちゃんのお友達じゃない?」



 と、友達?


 愛美と蜜柑が知ってる俺の友達……。



「何だっけ~あ、そうだ鈴木さんじゃない? 違う? お姉ちゃん!」



 愛美が繋いでいる悠菜の手をくいっと引っ張ってそう言うと、悠菜は黙ってこくんと頷いた。


 て、あれか?


 あの鈴木か?


 面倒になりそうなんですけど?


 目の前まで来た愛美が、俺の腕を掴んで揺さぶった。



「ねね、あれ、お兄ちゃんの同級生の、鈴木さんじゃないの?」



 仕方なく愛美の指先を目で追うと、雑誌コーナーで両手を振っている奴がいる。


 あのじっとりした視線は、やはり鈴木だったのだ。



「そうだな、あれは鈴木だ。店を変えるか? アイスが無いかもしれないし」



 今はあいつに会ってはいけない気がした。



「えー? アイスが無い事ないでしょ?」


「そ、そうかー? ホントにアイスあるかなぁ……」


「それより、あんなに手を振って、可愛いね」



 本気で言ってるのか……こいつは。


 俺は愛美を心底不安になった。


 可愛いの判断基準が狂っている。


 それともこいつは脳の認識不良なのだろうか。


 明日にでも受診を勧める。

 


 それともあれか?


 キモ可愛いってやつか?


 ま、しょうがない、ここは入るしかないのか。


 意を決してコンビニへ入ると、既に鈴木は入り口まで来ていた。



「愛美ちゃんと蜜柑ちゃんではないですか! それに悠菜ちゃんも! ここで会えるなんて感激だな~!」



 悠菜とは今日大学で会ったばかりだろ。


 てか、俺には一言も無いのか?



「鈴木さ~ん、お久しぶりですね~」


「こんばんわー」



 愛美は余所行きの声を出す時は、どうしても沙織さんぽくなる。


 大抵は母親に似るのだろうが、こいつは沙織さんの影響が大きいからな。


 そう言えば、さっきから俺の脳裏に知ってる人らしき情報がみえている。


 実際には見えないのだが、脳の情報として見ているかの様に処理している様だ。


 最初は鈴木の位置情報かと思ったが、そうでは無さそうだ。


 今もそれが近づいて来るのが分かる。



「ホント久しぶりー! 愛美ちゃんも蜜柑ちゃんも元気だったー? 俺さ、あれから愛美ちゃんと蜜柑ちゃんの事がずーっと気になってて、何だか身体の具合が悪かったんだよ~?」



 嘘をつけっ!


 お前、めっちゃ元気だったぞ?



「またまた~本当ですかぁ~?」


「救急車呼びますか~?」



 ナイスだ蜜柑!


 すぐに呼んじゃえ!


 そう言いながらも二人はコンビニの奥へ入って行く。



「いやいや~でも不思議だな~二人と会った途端治ったみたい!」


「え~? そうなの~?」


「うんうん、そうなの~!」



 鈴木は愛美と蜜柑の後を付いて行きながら話しかけている。


 俺は呆れて悠菜を見たが、彼女は鈴木には全く興味を示さず、スタスタとアイスケースへ向かっていた。


 まあ、愛美も悠菜も鈴木の性格は把握しているしな。


 蜜柑にしても鈴木に興味があるとは思えない。


 蜜柑あいつは愛美にべったりだからね。



 俺も悠菜の後を追う様に、そのままアイスケースへ向かおうとした。


 その時だった。


 例の位置情報がすぐ近くに来た事を知らせた。


 ふとガラス越しから外へ目をやると、店の駐車場へ真っ赤な車が一台入って来た。


 お?


 真っ赤なポルシェじゃないか。


 聞き覚えがあるフレーズだが、実際に見るのは初めてかも知れない。


 勿論、目にしている車は最近のものだから、そのフレーズの車では無いだろう。


 だが、どんな奴が乗っているのか、この目で見てやろうと思った。



 金持ちなんだろうな。


 でも車の形や色から想定すると乗ってる奴は若そうだし、そのボンボン息子か何かじゃないの?


 俺はガラス越しにその車が停まるのを見ていると、すぐに車のドアが開いた。


  そうか、左ハンドルなんだよな。


 予想していたのと反対のドアが開いたのだ。


 そして意外にも若い女性が降りて来たではないか。



 女かよ!


 しかもかなり若くてスタイルも良い。


 あ、あれ?


 あの人は前に……。


 そう思って脳内の情報へ意識をすると、確かにログが残っている。


 コンビニに入った時に感じていた、知った人の接近情報は恐らくあの人だ。


 でも……あれ誰?


 家族でも無い人にこうやって感じたのは、過去にも余り記憶に無い。


 が、どうも何だか慌てた様子で、店内へ入って来るなり、その女の人は入り口付近で叫んだ。



「すいませ~ん! 誰かいますかー?」



 は?


 そりゃ、誰かいるでしょ!


 コンビニだよ⁉

 

 心の中で突っ込みながらも、余り見かけない光景に俺は釘付けになる。


 すると、レジ付近に居た店員が、その声に慌てて返事をする。



「は、はい! 何でしょう!」



 その女の人は店員を見つけると、つかつかとレジカウンターまで速足で詰め寄る。



「あのー、アイスありますかー?」



 は?


 アイス?


 沙織さんといい、あの人といいアイスって人気なの?



「あ、はい! こちらです」



 店員は慌ててレジカウンターから出てくると、手を差し出しながらこちらへ向かって歩き出す。



「よかった~どこですか~? 沢山必要なんですけど……」



 そう言いながら、店員の後を付いて行る。


 俺は無意識にその様子を目で追ってしまっていた。


 すると突然、鈴木の叫び声が聞こえた。



「おおおおおー! 貴女はいつぞやのレディー様ではありませんかぁあああー!」


 な、なんだあいつは!


 それより鈴木の知り合いとは……流石にびっくりだな。


 見ると、鈴木がその人に駆け寄ると膝を床についた。


 おいおい、ホストか貴族かよ。


 ちょっとした騒ぎにその店員は、どうしたものかとその場で戸惑っている。


 そして、その女の人も明らかに畏怖いふしている。


 どうも彼女は鈴木に見覚えがないらしい。


 大丈夫か?


 通報とかされないのか、あいつは。


 何なら俺が通報しようか?


 だが、俺も彼女を知っている筈だ。


 一度会ったかのようなログが残っているのだ。



「お、お忘れですか⁉ 大学のフードコートで、あいつが失礼をしました!」



 鈴木はそう言って振り返ると、俺を力強く指さした。



「えええ⁉ おれー⁉」



 適当な事言うんじゃないよ‼


 失礼とか、そんな事した覚え無いけどっ⁉


 俺はたじろぎながらも、鈴木とその女の人を交互に見て……ハッとした。



「あ、俺がぶつかった?」



 後ずさりしていた女の人はこっちを怪訝そうに見たが、その後、直ぐに思い出した様に表情が和らいだ。



「ああっ! あの時の! 大学で⁉ ここで会うなんて!」



 か、可愛いっ!


 てか、美形!


 笑顔になってくれて良かった。


 怪訝そうな表情の時はめっちゃ怖かったけど、笑顔は最高に可愛い。


 その瞬間、あの時の彼女のいい匂いが脳裏に甦った。


 騒ぎに気付いた愛美と蜜柑が俺の傍へ来ると、悠菜もアイスケースからこっちへ向かって来る。



「お兄ちゃんのお知り合いなの?」


「あ、まあな」


「あら? 皆さんでお買い物ですか?」



 そう言ってその女性は、笑顔で近づいて来た。



「あ、これが妹で、こっちは……」



 痛っ!


 行き成り愛美が俺の足を踏んできた。



「初めまして、これが妹です」



 そう言いながら愛美が俺を睨む。



「こっちが蜜柑です」



 愛美の気持ちを察した蜜柑も素っ気無くそう言うと俺を睨んだ。


 まあ、結構こういう場面が多いんだよな。


 悠菜は無表情だが、これもいつも通りか。


 だが意外にもその女の人は、愛美と蜜柑に興味を持った様だ。



「えっ⁉ 妹さん⁉ すっごく可愛いー! 蜜柑さんも! 高校生くらいですか?」



 そう言われて機嫌が良くなったのか、踏みつけていた足をどかした。



「妹の愛美です~高二です~」


「私も愛美の同級です」



 愛美はやっぱり沙織さんの口調になってる。



「そちらの方は、大学で会ってますよね? あ、髪の毛シルバーに染めたのね! いい感じ!」



 そうか、初日に会った時はまだ黒髪だったっけ。



「ああ、こっちは幼馴染の悠菜。この髪色が本当で、あの時は黒く染めてたようですよ」



 無口な悠菜の代わりに、俺が代弁したりして。



「あ、そうだったんだ~綺麗な色ですね~」



 中々感じ良さそうな人だな、この人。



「俺は鈴木です! 鈴木茂です! 彼女募集中です!」



 ああ、こいつが居たんだっけな。


 鈴木が、俺とその女の人の間に入って来た。



「あ、私、五十嵐です。五十嵐未来いがらしみく。あなたは?」



 そう言って未来が鈴木越しに俺を見たが、器用に鈴木が視線を遮る。



「しげ君でもしげちゃんでも、あ、茂って呼び捨てがいいですっ!」


「あ、うん」


「あ、俺は悠斗。霧島悠斗です。よろしく」



 俺の視線を遮る様に立っている鈴木越しに答えた。


 邪魔だなホントに。


 お前の後頭部に向かってよろしくも何も無いんじゃね?



「で、アイスですか?」



 俺は、最初に気になっていた事を思い出した。



「あ、そうそう! アイス切らしちゃって~買いに来たの」



 アイス切らすって、沙織さんみたいな事言うんだな。



「はあ、切れちゃったんですか」


「うん、切れちゃったんです」



 そのままオウム返しですか。



「アイスでしたら、こちらです! ささ、どうぞ!」



 こういう時の鈴木は素早い。


 傍に居た店員より早くそそくさと行動した。



「あ、ありがとう」



 幾分圧倒されながらも、未来が鈴木の後を付いて行くのを見た店員は、騒ぎも収まってほっとしたように、レジへ戻って行った。


 あの店員さんにしたら厄介払いが出来て安心した事だろう。


 悠菜と妹達がアイスケースを覗き込んでいると、五十嵐さんが残念そうに鈴木に言った。



「あ、これじゃ無くてロックアイス、氷が欲しいの」


「え? 氷?」


「ええ、飲み物に入れたり、夏にかき氷作ったりする氷が……」


「ああーっ! そうでしたか! でしたらこちらです!」



 そう鈴木に案内され、五十嵐さんは反対側の冷凍陳列棚へ向かって行った。


 あの人、明日から鈴木に付きまとわれなきゃいいけど。


 

 しかし、五十嵐さんってポルシェ乗ってるのかよ。


 まだ大学生だぜ?

 

 俺は、ガラス越しに見える五十嵐さんが乗っていた車を見た。


 俺も安いのでいいから車欲しいな……。


 それにしても、五十嵐さんて家が金持ちなんだろうな。


 バイトして買っちゃいました~とか、んなわけないだろう。



「ね~お兄ちゃん、これ見た事ある?」



 愛美がアイスを持って俺に話しかけて来た。


 手にしたモノを見ると確かにそれに見覚えは無い。


 もう夏も近いし新商品だろう。



「ああ、見た事無い奴だな~」


「でしょー? これ美味しそうじゃない?」



 俺も愛美と蜜柑の間からショーケースを覗き込んだ。



「お、これもいいな。あ、沙織さんのはどれにする?」



 そう思って悠菜を見ると、既に箱に入ったアイスを幾つか持っている。



「これ」



 悠菜がそれらを俺に見える様に差し出した。



「それか? お徳用パックとかって、実は一個一個が少し小さいんだぜ?」



 買ってみたことがあるから分かっている。


 種類によっては、一個当たりの大きさが単品よりもかなり小さい物もあった。


 お得と思って買った事があるが、その小ささにがっかりした事もある。



「あー! お兄ちゃん知らないんだ? 沙織さんは、この大きさが好みなんだよ~」


「あ、敢えてその大きさなのか」


「うんうん。沙織さんのお気に入りは、このバニラアイスなの」



 愛美がそう言って、陳列棚の横に積み上げてある買い物籠に、幾つもアイスを入れながら言う。


 そして、その籠を俺に持てと言わんばかりに渡してきた。



「はいはい。て、こんなに買うのか⁉」



 籠を受け取って持つが、かなり重い。


 アイスばかりが山盛りに入っている。


 て、こんなに⁉


 冷凍庫に入るのか?

 


「あ、お姉ちゃんこれ懐かしくない⁉ みかんはこれ知ってる?」


「知らなーい」


「やっぱ? んじゃ、これも買ってこ」



 愛美が手にしているのは見覚えのある駄菓子だ。


 悠菜はそれを手にして頷いているが、俺もそれなら食べた事がある。


 口に入れるとパチパチと弾けて、量によっては痛い思いをするのだ。


 愛美に悪戯された記憶も蘇って来た。



「あ、ポテチ買って行こう!」



 そう言ってポテチの袋を幾つか持つと、愛美は俺が持った籠を見た。


 籠にはアイスがてんこ盛りとなっており、それを入れる余裕は無い。



「これはそのまま持ってこっとー」


「ああ、そうして頂戴」


「んー他は特にないかなー? 悠菜お姉ちゃん、他に何か買う?」


「ん……特にない」


「みかんはー?」


「私もいいかなー」


「そ? んじゃ、帰ろー」



 愛美は悠菜と並んでレジへ向かっていた。


 俺はチラッと鈴木と五十嵐さんの方を見たが、彼女もかなり氷を買い占めているようだ。


 床に買い物籠があったが、そこには氷の入った袋が溢れる程に詰め込まれていた。


 いや、積み上げられていた。


 冷凍ケースの氷、その全てを買い占めるつもりだ。


 あんなに氷買って、一体何に使うんだ?



「未来さん、これでいいですか? 俺が持ちますから!」



 そう言って、鈴木が籠を両手で持ってレジへ向かう。


 あれはかなり重いぞ?


 鈴木、ふらふらしてるし。



「あ、ありがとう」



 苦笑いしながら、五十嵐さんが鈴木の後を歩く。


 幸せそうで良かったな、鈴木。



「お兄ちゃーん! 早くー!」


「あー、はいはい」



 五十嵐さんの会計が済んだ後に、俺も会計を済ませた。


 が、アイスだけで買い物袋が三つになってる。


 俺がそれを両手に持ち外へ出ると、外で待っていた五十嵐さんに声を掛けられた。



「じゃあ、霧島君、また大学でね。愛美ちゃんと蜜柑ちゃん、悠菜さんもまたね?」



 彼女はバイバイと手を振りながら、真っ赤なポルシェに乗り込んだ。


 助手席側には、鈴木が乗り込んでるし。



「霧島、じゃあなー! 俺、ちょっと未来さんの荷物下すの手伝って来るから! さ、未来さん行きましょう! 氷が熔けちゃいます!」



 確かに、あれだけの氷を買い込んだら、車から降ろすのも大変だろうな。


 俺が会計を済ませている内に、そう言う事になったのだろう。



「あーわかったよ。五十嵐さん、またね」



 俺がそう言って彼女に声を掛けると、真っ赤なポルシェは独特のエンジン音を響かせた。



「ねーお兄ちゃん、あの車、何て言うの?」


「あれな、ポルシェって言う高級車」


「ふ~ん。綺麗な赤だね」



 そうは言ってるが、妹が車に興味を持っているとは思えない。


 多分、真っ赤な車という事だけに関心を持っただけだろうな。


 確かに鮮やかな赤色ではある。



「アイスとけちゃうから、早く帰ろう!」



 そう言って愛美が歩き出すと、蜜柑もその横を歩いて行った。


 それに合わせて悠菜も歩き出す。



「あ、そうだな」



 両手に買い物袋を持った俺も、速足で二人の後を追った。

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