第一章 異界に常駐する場違いな笑い声

                    1

 気が付くと幹村信幸は四角い部屋の中にいた。

 うすい灰色に統一され、無骨さと冷たさを強調されたそれほど広くはない小部屋。明かりがついているのかいないのか、視覚的に困るほどではないが常に薄暗い感覚が伴っている。

 部屋には扉がなかった。テレビもなければ棚もない。

 中央に置かれた質素な机と椅子さえなければ、箱と表現する方がしっくりくるのだろう。

 箱。

 だけど閉じ込められているような息苦しい閉塞感はない。

 むしろ、これは閉じこもるための……。

 そこまで考えて、信幸は思考を止めた。椅子に手を掛け、そのままの流れで腰も掛ける。

四方の壁と同色の見た目に反してその感触は柔らかく、また信幸の身長からすれば少し低かった。

 どうでもいい。

 ふぅ、と息をついた。

 頭の中は妙に落ち着いていて、それを自覚すると笑えてくる。

 覚悟を決めた人間というのはみんなこうなるのかもしれない。自分がこんな境地に立つ日が来るとは想像もしていなかったことだけれど。

 これを成長と呼ぶのは滑稽に思えて、信幸はその感覚を表せる言葉を探す。案外、大人になるとはこういうことを言うのかもしれない。だとしたらひどくつまらない。

 つまらない大人にはなりたくないと思っていたけれど、それは単に大人になりたくないということと同義だったのだろうか。信幸は頭を二回、横に振った。やはり、自分にはもう関係のないことだ。

 ――で、ここはどこだ? 俺はどうしてここにいる?

 再び動き出した思考が、記憶をたどり始める。

 扉のないこの部屋で目覚めるまで、自分はどこで何をしていたのだったか。

 意識に反して、記憶はどこか濁ったように曖昧だった。まるで自分のことではないかのように、自分の経験に距離を感じる。鈍い痛みがさまようように頭の中を巡った。

 はっきりと確かに覚えているのは、強くまばゆい……光。

 あれは、そうだ……、

「のわっ」

 突然、何かが信幸の視界を覆った。まぶたの上に被さり、反抗する間もなく暗闇に包まれる。

 視覚を失って、感触だけがあった。妙に柔らかく、そして温かい、何か――誰か?

「だーれだ?」「いや、まて、ほんとに誰だよ!」

 ぱっと離れたそれに、信幸は拍子抜けした。

 自分に触れていた手が、妙に小さかったからだろうか。一瞬膨らんだ恐怖はいつの間にか霧散していた。

 そっと振り向く。

 小さな少女が立っていた。椅子に座ったままの信幸と同じ高さで視線が重なる。身長でいえば信幸の半分くらいだろうか。周りの景色となじむ暗い灰色の振袖を纏って、ニヤニヤと見た目の年齢にそぐわない不敵な笑みを浮かべている。信幸に向けて伸ばしていた両手は、体に沿っておろした瞬間袖に隠れて見えなくなった。

 長い黒髪が存在感の薄い光を照らし返す。

 異様だった。

 一目で自分とは住む世界が違う存在だとわかる。それはあまりにもこの世界に溶け込みすぎていた。この場所での調和は、日常と呼べた世界においては異質以外の何物でもない。

 この世界の全てが少女を受け入れていた。

 少女自身がこの世界の一部であるかのように自然に存在している。

 まるで、彼女を中心にこの世界が存在しているかのように。

 不思議と笑みがこぼれた。なぜかはわからない。それを見て、少女が首を傾げる。

 美しい、と思った。それは信幸のよく知るものとは次元の違う、人の世界にはないものだ。

「お前は鬼か?」口をつくように、信幸はそう言った。

「鬼?」少女はまるで調整に調整を重ねられた管楽器のように通るソプラノで短く答える。

 すべてが、異様に感じられた。

「あぁ、俺は走る大型のトラックと正面からぶつかったんだ。目が覚めたら病院じゃなくてここにいる。俺は……つまり死んだんだろ?」初めて言葉にする『死』が重く胸を圧迫する。「俺が天国にいけるなんて思ってないんだ。悪いことだっていくらでもやってきた。だからここは地獄。それなら、地獄にいるのは鬼って相場が決まってるだろ? だからお前は鬼だ」

 違和感を覚えるほど、自分の言葉に力が入っているのが分かった。無意識に握りしめていた拳が痛い。

 少女は一瞬、きょとんとした表情を見せた。それはひどく無防備で、信幸の心を焦らせる。

 その顔が、ぐにゃりと歪んだ。


「あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、ひーひゃひゃひゃひゃひゃ、ごほっごほっ」


 小さな部屋の中を幾重にも反響して、少女の笑い声は壊れたスピーカーのように音を増幅させる。薄暗いこの部屋には場違いな音。少女の持つ雰囲気にもそぐわない。

 やがて収束すると「それは虚勢というものなんだよ、幹村信幸」少女はそう言った。

「虚勢?」

「そう。人間はわけのわからない事態に陥ったとき、恐怖を感じるんだよ。それはとっても自然なこと。知的生命体の頂点にいると勝手に信じ込んでいる人間にとって、知っているということこそが安全で、知るということが武器なの。だから未知は恐怖や不安と直結する。わからないから怖いし、わからないから怯える。人間ってそういうもの」

 そういうもの、だろうか。信幸は反論できない。

「そしてね」少女が続ける。「人間は、自分が知らないということを相手に知られてしまうことにも恐怖を感じるの。特に自分の知らないこと、知りたいことを知っていそうな相手に対してね。それは今でいえば私だった。幹村信幸は恐怖を与える対象である『私』という敵に対して虚勢を張ったでしょ。知っている相手に対して、自分も多くを知っているかのように装って強く出ることで自分を守ったんだね」

 少女が言いたいことはわかるような気がした。まさに今、信幸自身のとった行動は自分を守るためのものだったからだ。自覚はなかったかもしれない。それは単に無意識だったというだけだ。

 覚悟などと言っていた少し前の自分が馬鹿らしい。

 自分は確かに怖い。すべてを捨てたはずの自分がこうして意思をもって存在していることが何より怖かった。

「言い換えれば知ったかぶり。ぶふぅ」

 ――あぁ、俺こいつ嫌いだ。

「あひゃひゃひゃひゃ」

 一拍おいて、信幸は口を開いた。

「お前のいうことはわからなくない。俺は今の状態を理解していないし、はっきり言えばお前が怖いよ、怖くてしかたない」

「それは当然のこと。この当たり前の通用しない世界で、たった一つ当然のことなんだよ」

 幹村信幸は人間だから、と少女は続けた。

 まるで、

 そうして区別しなければそうとわからない、

 人間でない何かが存在しているかのように。

「久しぶりのお客様だからちょっと遊んでみたんだよ。そんなにおもしろくなかったけどね」

「それは俺のせいなのか?」

「はぁー……」

「おかしいだろ、その溜息!」

 少女はがっくり肩を落として、信幸に背を向ける。もちろんその先にあるのは無機質な暗色の壁だけだ。

「お前は鬼か? 幹村信幸はそういったね。答えはノーだよ。ここは地獄じゃないし、私は鬼じゃない。幹村信幸の発言の中で正しかったのは一つだけ。幹村信幸が死んだこと。トラックに轢かれて死んだこと。それだけ」

 ずきっと、聞こえたような気がした。

 客観的に認められた死が、容赦なく心にのしかかる。

 心。

 それは死んでいても、存在するのだろうか。

 あるいは生きていても……。

 信幸にはわからない。

「つらい?」

 少女はそう聞いた。

 容赦なく、そう聞いた。

 それを肯定する権利など、信幸にはない。それは許されなかった。誰が許しても、自分が絶対に許さない。だから何も答えない。答えられない。

「そう」無言は少女に、どのように伝わったのだろう。「それでもあなたは恵まれているほう」

 小さな手が、温度のない壁に触れる。

 いや、それは扉だった。存在しなかったはずの扉を少女は当然のように軽く押し開く。

 信幸に驚きはない。理屈を考えようとも思わなかった。

「ついてきて」少女が問う。

「どこに行くんだ?」扉の先はここからではよく見えない。

「それはあなたが決めること。私にできるのはそのためのお手伝いだけだから。話さなければいけないことはたくさんあるんだよ」

 きっと全部が無駄になると信幸は思った。自分はもう何かを決めることはない。

 それなのに、信幸は重い腰をゆっくりと椅子から上げた。

 自分はこの無機質な部屋が好きじゃないのだ。そう、無理やり理解する。

「なぁ、名前教えろよ。長い付き合いになるんだろ?」

 そう聞くと、

「あひゃひゃ」と笑い声が響く。

 それは、本当に楽しそうに。

「気になる?」

「気になる」

 少女が袖を二度振って、やっと出てきた手をこちらに伸ばした。

「世界で一番美しい音を奏でる楽器の名前」

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

「エレキギ「フルートだよ」そうだと思ったぜ」

 少女の手をとって、開きかけた扉に向かう。

 

 何かが始まるような気がした。

 

 すべては終わったはずなのに。


「長い付き合いになんて、ならないんだよ」

 そう言ったフルートの手は、信幸の予想を裏切って温かかった。



 カラカラカラカラカラカラカラカラ……。


                    2

 気付いた時、少年は住宅地の真ん中で徐々に大きくなっていく人だかりを眺めていた。

 背後にある小学校の屋上付近に設置された時計は六時を回り、西に傾いた夕日が次第に街を染めてゆく。気温は肌寒さすら感じるほど低いのに、視界を埋め尽くすほどの橙が道路に、建物に、そして人々に熱を加えているかのようだった。

 大きな街だ。

 少年の目の前にある交差点は視界を埋め尽くすように多くの車が行き交い、広くとられた歩道をまたいだその先には背の高いマンションが立ち並んでいる。

 きっと誰もが家に帰る時間なのだろう。ここはそのための通過点。

 だからこそ、

 そうしてせかせかと歩く人々が足を止め、一人、また一人とその人だかりに混じっていく姿は異様だった。

 不自然といってもいいのかもしれない。

 ゆっくりと確実に大きさを増していくそれは、少年の目には何か不気味にうごめく生き物のようにも映る。

 街の中に突然現れ、人を喰らいながら成長していく怪物をイメージして、少年は頭を振った。

 そんなものは存在しない。人だかりが、ただそこにあるだけだ。

 人が集まるその中心には何があるのだろうか。

 少年はそれを知らない。好奇心はあっても確かめたいというほどではなかった。

 漠然と、楽しいものだったらいいなと思う。そこにいる人達が、幸せな気持ちになれるような何か。けれど具体的に楽しいものを、少年は思い浮かべることができなかった。

 ――幸せ。

 唐突に、頭に痛みを感じて少年は顔を歪めた。

 外的な要因ではない。本当は痛みですらないのかもしれない。

 ――僕は……、

 甲高い耳障りな金属音とともに、高架橋の上を電車が走り抜けていく。

 ――僕は、何かを……、

 視界の端で、信号が赤に変わる。

 ――何か、

 人だかりが大きく盛り上がった。

 ――僕は、何かを……忘れている。

 雲の流れが速い。

 意識が霧散して、考えることを拒むように思考がまとまらない。

 太陽が半分沈んだ。

 ――大切なものだろうか。

 小学校のチャイムが鳴った。

 ――必要なもの。

 信号が青になる。

 ――取り返せないもの。

 確かめなければいけない、と少年は思った。それはなぜかあの場所にあるような、そんな気がして歩き出す。

 人だかりは背の高いマンションの入り口近くから、広い歩道を分断するように膨らんでいた。近づくとその存在感はさらに巨大になって不気味さを増していく。

 ――僕は、

 それでも、少年は進む。行かなければいけないという焦りが胸の中から湧き出していた。

 ――僕は、どうしてここにいるんだろう。

 少年が人をかき分けようとした、その時だ。

「わわわ」と後ろから聞こえるのと同時、少年の背中に大きな衝撃があった。

「ごめんなさい、まさか――」

 声はそこまでしか聞こえなかった。

 少年は体勢を大きく崩して勢いよく前につんのめる。当然、前方には今も人の壁が頑強にそびえたっていた。突然のことで声も出すことができない少年に、誰も気づいてはくれない。

 ぎゅっと目をつむる。

 瞬間に感じたのは水の匂い。雨のような、池のような、生きた水の匂いの中をすっと通り抜ける。

 ぶつかる、と思った。きっととても痛いだろう。それにたくさんの人に迷惑をかけてしまう。

 ――…………。

 覚悟はしていたのに、さらなる衝撃は一向にやってこなかった。瞼の裏の暗闇で状況を確認しようと試みる。

 止まってはいるらしく体が移動している感覚はない。人だかりの声がさっきよりもずっと近く、上の方から聞こえる。水の匂いは消えていた。代わりに吐き気を伴うような強烈な鉄の香りが、嗅覚を支配する。

 そっと、瞼を開く。目が慣れるのに少しだけ時間がかかり、真っ白だった視界が夕日を照らし返すアスファルトで埋まる。

 鼻の先に白線があった。どうやら歩道にうつぶせで倒れているらしい。ぶつかったような衝撃はなかったはずなのに。それに人だかりは……。


「ここのマンションの人じゃないみたいよ」


 声は後ろから聞こえた。

「目撃者がいたんですって、いきなり血相を変えて建物に向かって走り出したって」

「こんなご時世じゃよくある話なんでしょうけど、それにしてもこんなに近くで、ねぇ」

 振り返ろうとして、支えるために道路についた手が何かに触れてずるっと滑った。

「…………!」右手を確認して、少年は声にならない叫びをあげる。

 赤い、いや夕日を浴びてむしろ黒に近い色になった液体がベッドりと自身の手を染め上げている。いうまでもなく、鉄臭さの正体はこれだった。

 自分のものではない、大量の……


 血。


 それは純粋な恐怖を呼び起こす。

 少年は必死に立ち上がろうとするがうまくいかず、結果的に転がるような挙動で上半身を持ち上げた。

 だから、視界に入ってしまう。

 自分のすぐ横に人が転がっていた。

 少年と同じくらい――高校生くらいの男性が、少年とは対照的に仰向けで大の字になってそこに存在している。右腕と左足は関節を無視してあらぬ方向に曲がり、必要な赤を失った体はマネキンのように白い。

 少年の体が硬直した。動かしたくても指一つぴくりとも動かない。けれど頭の中は鈍足に働いていた。

 男が倒れている。周りには血液。正面には高層のマンションがある。

 どんなに鈍い頭でも、理解が追いつく。

 背後から、サイレンの音がした。人だかりがざわつく。

「ちょっと、ちょっとすいませんね」

 かすれたぬるい声が人混みをかき分けて少年に、いや、その横に倒れている男に近づいた。

「んー」

 褪せた色のコートを着た人物が、男の頭に触れる。

 それはなぜかひどくおぞましいことのように、少年には映った。

「また、自殺ですか……」

 触れられた手が雑に離れて、男の首がごろんと転がる。

 目が合った。

「あ……、あ……、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 何もうつさない瞳を覗いた瞬間、少年の中で何かが爆発したように堰を切って叫びが漏れる。

 そして、逃げ出した。

 その場から、倒れた男から、あるいは今自分を支配している恐怖から逃げ出したくて、少年は走りだす。

 どうやってあの人だかりを抜けたのかはわからなかった。どこを走っていて、どこに向かっているのかもわからなかった。

 少年はそれでも走り、そして叫ぶ。

 疲れを感じることもなく、のどに痛みを感じることもなく。

 そのことに、疑問も抱かない。

 やがて、「うわっ!」何かにつまずいて、少年の足は乱暴に止まった。

 息が乱れていないことに微かな違和感を覚えながら深呼吸をする。心を落ち着けたかったからだ。

 辺りは住宅街を抜けてオフィスビル群に囲まれていた。

 ガラス張りの壁とレンガを模したタイル張りの床が、点々と存在している看板のネオンにチカチカと照らされている。

 すごく長い時間を走ってきたように感じたが、太陽は最後の光をまだ残していた。全ては一瞬だったのかもしれない。

 縁石に座る。人の通りはまばらで、少年を気にするような人間はいない。

 ――そういえば、僕は何かを忘れていた……。

 思い出すのは、目に焼き付いた男の目だけだ。

 今は何も考えたくない。振り払うように何気なく、少年は背後を振り向いた。

「な!」驚きが声になる。

 ガラスは夕日を反射して、鏡のようにこちら側の風景を、映し返していた。

 そこに顔がある。

 あのマンションの前で倒れていた男の顔。それが驚いたような表情でこちらを覗き返していた。

 とっさに少年は振り向く。けれど、自分の背後に人影はない。

 パニックになりそうな頭を押さえて考える。そうだ、見間違いかもしれない。自分は疲れているはずだから、そんなこともあるだろう。

 けれど、その思考の隅で少年はもう思い至っていた。

 あの顔以外に、誰もいなかったのだ。ただの一つも他に顔は映らなかった。

 ――もしかして僕は……。

 ガラスを覗く。

 男もこちらを覗いた。

 無表情だ。

 少年がそっと手を持ち上げると、男もそれに倣う。

 鏡面に触れると、自分の手と男の手が一直線につながった。

「高倉涼吾」

 背後から声がかかって、少年は振り向いた。聞き覚えのない名前なのに、なぜか自分のことだと、すぐにわかった。

 少女が立っていた。

 色は近いのに、なぜか周りの景色に置いて行かれたように不自然な存在感を持つ暗い灰色の振袖を着た少女。まったく光を返さない長髪は、黒というには余りに黒く、闇色と呼んでなおぬるい。

 きれいな子だな、と少年は漠然と思った。

 その様子を見て、少女が笑う。

「あひゃひゃひゃひゃひゃ」

「君は、」

「高倉涼吾を回収に来たの」

「かい、しゅう?」

 少女はもう一度笑った。

 少年は、自分が笑えているのかわからなかった。


「大丈夫、あなたも恵まれている方」


 カラカラカラカラカラカラカラカラ……。


             3

「幹村信幸と高倉涼吾は『特例死者』と呼ばれる存在なの」


 少年がフルートと名乗る少女に連れてこられたのは、重い金属の音が常に響く薄暗い一室だった。壁を構成するレンガは黒に近い青色で、周囲に明かりは見当たらない。それなのに不思議と視覚的に困ることはなかった。見たいものは見えるけれど、見えなくていいものは見えない、そんな感覚。注意深く見渡せば、壁のいたるところに歯車やそれをつなぐ太い鉄柱があり、すべてがかみ合うように廻っていた。

 どうやってここまで来たのか、少年は思い出せない。確かなのは一瞬だけ見えた文字盤と、大きさの異なる四本の針。

「時計塔……」少年がつぶやくと、

「人間はそう呼ぶの?」とフルートは首を傾げた。

 自分ははたして人間なのだろうか。声にならない少年の疑問は、当然フルートには届かない。

 部屋には三つの椅子と円形のテーブル、そして眩しいくらいに白く艶やかでこの空間になじまないホワイトボードがある。

 椅子に座っているのは自分ともう一人。

 幹村信幸、と呼ばれた男が先ほどからにらみつけるようにこちらを覗いていた。

 体格は少年より一回り大きく、信幸の放つ威圧感が少年を委縮させる。

 あひゃひゃ、と椅子の上に仁王立ちするフルートが笑った。

「幹村信幸は自分の隣に座る小柄な男の子が気になって気になって仕方がないんだね?」

「まちがっちゃいねぇけど、誤解を与えそうなその表現はやめろ」

「そういう気持ちは、大切にしていいんだよ。愛だね。平和だね」

「待て待て、やっぱでっかく間違ってるじゃねぇか!」

 あひゃひゃ、と。

「高倉涼吾は、記憶喪失なの」

 フルートはそう言った。

「え?」

 そう返したのは少年の方だ。訝しげに、信幸が少年に問う。

「えっ、てお前、自分のことだろ。知らなかったのか?」

「高倉涼吾は何も知らないんだよ。だって記憶喪失ってそういうもの。知らないの、幹村信幸と同じだよ」

 少しだけ意地悪な表情をフルートが見せる。

「俺は」信幸が言葉を詰まらせるように小さく答えた。「……自分のことくらいは、知ってる」

 記憶喪失。

 少年は持っていた疑問に、抱えていた困惑に、合点がいった気がした。

 記憶の中の血だらけの男と自分が重なる。高倉涼吾という名前は彼のものだ。同時に自分のものでもある。

 それはつまり、

「僕は、やっぱり死んだってことですよね?」

 フルートの顔が楽しそうに歪む。今にもピンポーンと口から飛び出しそうな、そんな顔だ。

「高倉涼吾はね、正確に言うと死亡時ショック性記憶障害なの。地上十二階から落ちて、その衝撃で高倉涼吾という人格が生まれてから死ぬ直前までの全ての記憶を失った。知識だけを残して、生まれてから死ぬまでの全てのことを亡くしたの」

 一番驚いた顔をしているのは隣にいる信幸だった。

「それじゃぁお前、もしかして自分が死んだことすら……」

「知りませんでした」実感はない。生きていたことがないのだから、それは当然のことかもしれないと少年は思う。

「そうか、なんていうか……いや、」

 信幸は何か言葉をかけようとして濁したようだった。精一杯の配慮だったのかもしれない。けれど少年には全て伝わった。

 少年は軽く胸を抑える。

「大丈夫です。悲しいとか、辛いとか、そういうものはありません。ただ、少し怖いんです。漠然と、それがなんなのかもよくわからないけど」

「……怖いのは、よくわかる」

 信幸のつぶやきがほんの少しだけ、少年に何かを悟らせた。きっと彼も何かを恐れているのだろう。

「それで、特例死者ってなんなんだよ。ただの死者とは違うのか?」

 思い出したように信幸が問いかけると、フルートは持ち上げた太いマーカーの蓋をきゅぽんっと外して、得意げにさらさらと『死者』と書いた。

 しかし、椅子に乗り背伸びをしたうえでもなお上部には届かず、文字はホワイトボードの半分よりやや上の中途半端なところにポツリと浮かび上がった。

 それでも満足そうに、フルートはこちらを振り返る。

「それは順を追って話すしかないんだよ。特例は特例、つまり異物だから前提を知っていなくちゃいけない。納得はできなくても、理解はしなくちゃいけないの」

「異物……」自分たちを指しているであろうその言葉に、心が拒絶を示す。

 いいかな、とフルートは説明を始めた。

「人間は生まれたら死ぬ。それは絶対的に定められたルール。どんなに望んでもそこに抜け道はないし、どれほど抗おうとしても一定の期間を生きて死ぬ。それはそういう風に作られたのだから仕方のないことなの。人間は人の死がシステム上の欠陥で、化学や技術で克服すべきもののような理解をしていることがあるけれどそうじゃない。人間の死は必要なものとして、彼らが生より先に作り出したもの」

「彼ら……?」少年が聞く。

「そう、人間を作ったもの。本質は違うけれど、発想は人間のいう神に近いね」

「神……様がいるのか、本当に?」

「信じられない?」

 少し考えて信幸はいや、と返した。その気持ちは少年にもわかる。今、自分たちが何かを否定するには、自分たち自身の存在を否定しなければいけなくなるだろう。自分達の理解の外にある事柄を認めていかなければ、この話は続かない。

 二人を一瞥して、フルートはホワイトボードに『神』の文字を加えた。

「彼らは緻密にシステムとプログラムを形成し、自動的に回る世界を作り上げた。何のためで、いつまで続くのかは私にもわからないけれど、少なくともそのプログラムの目的は人の死に深く関連している。彼らが生きている人間に干渉しないのがその証拠」

「人が、」信幸の声は自然と震えた。「人が死ぬために生まれたっていうのか?」

「彼らにとってはね。けれど人間にとってそれは関係ないこと。どんなふうに生きたって、死んでくれれば問題ないんだよ」

 フルートは『死者』の文字から矢印を引いて、『通例』と書き足す。

「通例では、人間が死ぬと今私たちのいる異界を素通りして一つ先の世界に行くの。先のことを、私は知らない。多くの人間が考えているように生と死は循環していないから。生まれて、死んで、その先にも何かがあって一直線。輪廻や生まれ変わりなんていうのは存在しないの。神のルールの中で人間は存在している。人間が自由なのは生きている間だけなんだよ。生まれてから死ぬまでを生きて、そのあとは神に統制されていく。それが良いことなのか、悪いことなのか、私にはわからないし、きっと誰にもわからない」

 フルートはゆっくりと一拍置いた。

「逆に言えば、人間は二つのことだけは自身で決めることができるんだよ。つまり生き方と死に方。だから人は好きなように生きられるし、好きな時に好きなところで死ぬこともできる。例え人間の社会の倫理観がそれを許さなくても、すべての人間に権利が存在しているのだから」

「なぁ」フルートの言葉を遮るように、信幸がいう。「飲み物とかは、ないのか」

「のどは乾かないと思うけど?」

「雰囲気だよ。まだ、長いんだろ?」

「あるよ」あった。丸いテーブルの縁に二組の質素な白いティーカップが置かれていた。少年は自分の目を疑って瞼の上からこすってみる。ほんの一瞬前までそんなものは存在しなかったはずだ。

「慣れろよ。こんなことばっかりだ」

 信幸がそういって、乱暴にカップをつかんだ。白い湯気が取り残されて、一瞬後には何もなかったかのように消えている。「あちっ!」

「有限性変動存在率の話は、また今度ゆっくりとしてあげるよ。今理解が必要なのは方法論じゃないからね」少年の様子を見てフルートはそう言った。「続けるよ」

 そして、『死者』の文字からもう一本別の矢印を引く。

「大事なのは、自由と統制の境界線である死が人間のものであるということ。彼らは人間の死後、統制を行うにあたって人間をいくつものパターンに分けるの。神は全知に近いから、人間の死に方のほぼ全てを知っていて、神は全能に近いから、そのほぼ全てのパターンを分類するアルゴリズムを創ったんだよ。死に方も個性の一つだからね、彼らはそんなものを尊重するの。だから人間がどんな風に生きて、どんな風に死んでも何かしらのパターンに収まって神に導かれていく。それがこの世界でいうところの『通例』」

 フルートは矢印の先にゆっくりと、まるで何かの演出のように丁寧に『特例』と書き込んだ。

 それでね、と。

「何人かに一人……、ううん。何億を超える人間の中で一人くらい、そのパターンからこぼれるの。そうしてどこにも受け入れられることなくここに残る。神の予想の外側を生きて、死んだ人間はそのままでは先へ進めないんだよ。当たり前だよね。全知全能を気取る彼らには、自身の想定した範囲に収まらないものなんて必要ないんだもの。わからないものを恐れて、理解しようとするのは人間だけ。神はただなかったことにする。自分たちの管轄の外に捨てるの。そうしてできた『異物』を『特例死者』と呼ぶんだよ」

 コトンっとマーカーが机に置かれた。

「どう、理解?」

 ……………………。

 問われても、信幸は答えない。理解が追いつかないわけではなかった。そういうものとは別の、嫌悪感のようなものが胸の中を支配する。

「質問……してもいいですか?」少年がそっと手を挙げる。

「はいどうぞ」

「僕は、なんでその特例なんでしょう?」

 今まで登っていた椅子に座りなおして、フルートは答えた。

「高倉涼吾はわかりやすい例だね。死亡時ショック性記憶障害。言い換えれば、高倉涼吾は知識を持って死後の世界に生まれた赤ちゃんみたいなものだもの。死が何かを生むことなどあってはいけないこと。少なくとも神にとってはね」

 ひひひ、と楽しそうに笑う。

「それで、」

 少年が続ける。

「それで僕たちは何をしたらいいんでしょうか?」

 一瞬、フルートはきょとんとした顔をした。そして、

「あーっひゃっひゃっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、ひーひーひー、ぐふぅ、あひゃひゃ――」

 壊れたように腹を抱えて嗤う。椅子から伸びた足が地につかずにばたばたと暴れた。

「え、あれ……」

「ほっとけ、そのうち収まる」

 うろたえた少年に、信幸が冷静にそう言った。

「こいつはこうなると時間がかかるんだよ、ったく」

 少年はじっと答えを待つ。

 神。

 特例死者。

 死亡時ショック性記憶障害。

 初めて自分の中に生まれた概念を、頭の中で反芻してみる。それは高倉涼吾の持つ知識の中には存在しないもので、漠然と頭の中にある世界の在り方とは異なるものだ。それらが不調和を起こし、水と油のように反発しあって少年の心をかき乱す。ひどく気持ち悪い。

 けれど、と少年はあたりを見回す。

 蒼く、暗く、冷たい部屋。よくよく意識を研ぎ澄ませると、かすかに金属の匂いがする。それは、少年の少ない記憶にある強烈な血の香りとは別の、不思議とどこか落ち着くような、そんな類のものだ。

 自分はここに、受け入れられているような気がした。

 自分はここを、受け入れられるような気もする。

 どこかで、鈍重な鐘の音がした。低く力のある響きが、かすかに壁を、床を震わせる。

「何もしなくていいんだよ」

 フルートはそう言った。

「何をしてもいいし、何もしなくてもいい。特例は、特例だから役割なんてないの。高倉涼吾も幹村信幸も、神にとっては不要な存在だもの。義務はない。けれど権利はある」

「権利……?」信幸がそう返す。

「あぁそうか、大切なことを話し忘れていたね」と、フルートがもう一度椅子の上によじ登った。

 ホワイトボードには『特例特権』と書かれ、そこから矢印が三本ひかれる。

「特例には、いくつかの特権があるの。それは、特例が唯一神から与えられたもの。彼らは特例を異界に捨てる代わりに、ちっぽけな自由を許すんだよ。神にも罪悪感があるのか、それとも良心なんてものがあり得るのか、そんなことは知らないけどね。彼らの思惑なんて、想像しても得しないもの。あるものは使えばいいんだよ」

 あひゃひゃ、と。

「一つ目は、個室特権。特例には、この異界に個人の部屋が与えられるの。これは後で案内するよ。部屋を間違えられたら困るからね」

「間違えそうな部屋なのかよ?」

「扉の前に番号が付いているんだよ」

「お前は何を心配してるんだ?」

「じきにわかるんだよ」くくく、と笑ってフルートは続ける。「二つ目は往来特権。特例はこの『異界』と、生者の生きる『生界』を行き来することができるの。いくつかの制限があるけどね。これは素晴らしいことだよ。退屈しないもの」

 ふんふふーん、と鼻歌を交えながらフルートはホワイトボードに二つの特権と簡単な説明を書き加えていく。

 少年はその様子を見ながら、考えていた。

 世界の秩序の外に生まれた自分は、これからどうするべきなのか。

 この場所で、何ができるのか。

 あるいは彼らと、何をできるのか。

 ずっと考えていたけれど、答えはまだ見えてこない。

 頭の中にある問いかけは、不思議と心の奥深くから湧き出すなにかと重なった。


 ――僕はなぜ、生まれてきたのだろう。


 振り向いたフルートの顔はこれでもかというくらいに歪んでいて、とても楽しそうに、あるいはひどく残酷に、少年の目には映った。

「そして最後は……」




 カラカラカラカラカラカラカラカラ……。

 

                4

『自室』と案内された部屋の扉を、みかんはおそるおそる押し開けた。

 みかんというのは少年にフルートがつけた名前だ。

 

「ふーん、名前困ってるんだ」

「まだそんなこと一言もいってませんよ!」

「ひひひ」

「いや、あの……」

「みかんだね」

「はい?」

「世界で一番さわやかな酸味を味あわせる果物の名前」


 決まってしまえば、そんなに悪くはないと思う。

 高倉涼吾という名前が嫌いなわけではない。けれど少年にとって、みかんにとって、その名前は彼の名前であって、自分のものではなかった。

 みかん……、実際に見たことはもちろんない。

 音を立てずに扉が開く。

 困るほどではないけれど薄暗い、蒼いレンガ張りの部屋だった。少し小さいけれど、さっきまでいた所とほとんど変わり映えのない、無機質な空間。

 ベッドや椅子など、一通りの家具はそろっているようだった。十二分に生活していけそうな部屋の中心で、死んでも生活と呼べるのかどうか、みかんは考える。きっとそんなことはどうでもいいことなのだろうけれど。

 部屋を見渡すと、ふいに誰かと目があった。

 腰から上を映せる、豪奢で大きな鏡台だ。光の少ないこの場所でも、確かに自分の姿を映している。

「高倉……涼吾」

 鏡の中で、彼はみかんを見つめていた。

 ほんの数時間前、恐怖を感じたこの顔と向き合っていることがどこか可笑しくて、みかんは笑う。彼も笑った。

 今は怖いという感覚はない。ただ不思議だった。自分の前にいる彼は、自分よりもずっとずっと自分で、けれど今は自分が自分なのだ。なんだかよくわからない。

 彼と自分の距離感に、今は戸惑うことしかできなかった。

 ため息を吐きながら、みかんはなんとなく鏡台の引き出しを開いた。

「これは……」

 写真立て、だろうか。裏返しになっていて、上には小さく畳まれた紙がそっとのっていた。

 取り出して、ゆっくりと開く。


  取扱説明書


  これはあなたの生前の思い出を立て掛ける写真立てです。

  使い方はとってもシンプル。ビューティフル。

  ぎゅっと握って大切な記憶を思い浮かべるだけ。

  あなたの大切な人がずっと、あなたの一番近くにいられますように。

 あなたの過ごした日々が、誰かの幸せな一日になっていますように。

 これはその、ほんの少しのお手伝い……。


「大切な記憶……か」

 みかんは写真立てを手に取り、ぎゅっと握りこんだ。

「…………」

 時間がたっても、写真立ては何も写さない。想像していた通りだった。それは、記憶を失ったみかんには当然のことで、だから別段気を落とすこともなく写真立てを鏡台に戻す。

「あーーーーーーーー!」

 突然、背後からフルートの声が聞こえた。

「それ、見つかる前に回収しようと思ってたのに! 何か写った?」

 もしかして、気を使ってくれたのだろうか。

「いえ、なにも」

 そう考えるとどこか楽しくて、少年は笑う。

「見つかっちゃったならしょうがないか。何にも映ってないのは寂しいからね。ちょっと貸して」

 フルートが写真立てを手に取った。目をつむり、ぎゅっと握りこむ。

「はい、これで良し」

 差し出された写真立ては、徐々に空白を失いながら何かを映し始めている。

「あ、ありがとう」

 フルートは手をパンパンと払って、「それじゃあ、おやすみ。みかん」颯爽と部屋を出ていった。

 残されたみかんはベッドに座り、近くにある小さな机に写真立てを載せた。

 もうはっきりと、そこに映る笑顔のフルートの顔が見て取れる。

「おやすみなさい」

 みかんは写真の彼女にそう答えて、布団にもぐった。




 同じころ、隣の部屋で信幸も鏡台の前に立っていた。

「何がビューティフルだ、おい」と一通り突っ込みを入れると、写真立てに手を伸ばす。

 それは無意識だったのかもしれない。好奇心もあるだろう。

 けれど、その手は目的に届く前に沈み、ひかれる。

 触れるのが怖かった。

 思い出は、すべて自分が捨ててきたものだ。


「こんなこと聞くのってどうなのかとも思うんですけど」

「いきなりかしこまって、なんだよ」

「信幸さんは、どうして死んじゃったんですか?」

「…………」

「あ、言いたくなければ、」

「トラックに、轢かれたんだ」

「……飲酒運転とかってやつですか?」

「いや」

「それじゃあ、信号無視とか、」

「……飛び込んだんだよ、自分から」


 直前までのみかんとの会話を思い返しながら、信幸はベッドに入った。

 みかん――ふざけた名前だが似合っているとは思う。どこがというわけではないけれど、信幸はそう思った。

 視界に広がる天井は一面の蒼だ。同色のせいか天井と壁の境界が曖昧で、実際の大きさよりも大きく見える。ぼーっと見つめながら今日一日のことを振り返った。

 まず、死んだ。そしてこの異界で目覚めて、長い話をつらつらと聞くはめになった。

 死んだら何もないと思っていたのに、自分はどうしてこんなに疲れているのか。

 今は、ひたすらに眠い。

「おまけに最後のアレだもんなー」

 ふわぁーあ、と一つあくびをかいて、信幸は瞼を閉じた。




「そして最後は……」

 フルートが一際大きくホワイトボードに描く。

「願望特権。特例は心の底から願うことを三つまで叶えることができるの。お金持ちになりたいでも、大きな家が欲しいでも、どんなことでも願うことができる。誰かへの恨みを晴らしたりすることだってできるんだよ。だけど条件がある」

「条件、ですか?」

「そう、まず叶えられる願望は三つだけだということ。それ以上はだめなんだよ。そして三つ叶えると自分が消えちゃうから注意してね。それから、」

「待て待て、それからじゃねぇ。今の重要なところだろ!」遮るように信幸がいう。「消えちゃうってなんだよ?」

「言葉通りだよ。ふっと消えちゃうの。もしかしたら先へ行くのかもしれないし、ただの消滅なのかもしれない。それは誰も知らないこと」

「それって、」今度は少年が口をはさむ。「まるで死んじゃうみたいですね」

 不意に、つまりいつも通りに、フルートがひひひ、と笑った。

「それでね、願望特権を使えば生界で生き返ることもできるんだよ。その場合は願望を二個分使うけどね。何をするのも自由、全部特例が自分で決めたらいいんだよ」

 あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、と。


 かくして特例死者たちはもう一度、生と死の選択を手にする。


 カラカラカラカラカラカラカラカラ……。

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