第52話 本気を出したらいっつもこうだ


「…………ぇ」


 突然な黒塊の一閃に、背負ったアルラいもうとが一言呆けた声を出していた。


 気持ちは分かる。視界の中、血にまみれたコトノの体が力なく地面に倒れていく光景はニーナじぶんにとっても凄く受け入れ難い光景であったし、今現在も、大体彼女と同じ感想を抱いているはずだ。

 いくら見直しても変わらない現実を前にして刹那に走る、血が端から冷めていくような悪寒。


「――――はぁ!???」


 ニーナじぶんがあそこまでイキっていた(自覚あり)のにはちゃんとした理由がある。


 1つ目、気持ちよさそうだったから。(気持ちよかった)

 2つ目、自分がどれだけ調子に乗ってもコトノがキレることは決して無いだろうという打算。

 そして最後の1つは、コトノがミアに負けるのは100%あり得ないという確信だ。


 コトノはラヴェルやSランクを生身で捌いた正真正銘の怪物。ミアが化物だったという新事実も誤差に含めて良いぶっちぎりのモンスター。

 先程はアルラに勝てないと泣き言を言っていたが、数秒だけ行われた石でも投げればどうとでもなりそうな交戦を顧みるに、おそらく求める結果が贅沢すぎるだけだ。『アルラを無傷で取り押さえれたらいいな』とか舐めたことを狙っていたなら合点がいく。いかにもお花畑の考えそうなことだ。


 しかし、だからこそ、危険は何もないはずだった。

 この場の出来事全てはコトノの監視下で起こることで、敵の怪我すら許容できない潔癖性が統治する場所で、死人が出るなんてありえないはずだった。


 現実はどうだ。

 黒塊ミアの攻撃で、コトノは見えない速度で壁に叩きつけられ、彼の血は床に壁に天井に一面にまき散らされ、部屋全体がうっすら紅く染まっている。


 ……というか、なんだろう。

 さっきから倒れて動かない彼の心音がきれいさっぱり途絶えてるような


「――――コト――ッ!!」


 思わず少年の方に踏み出していた一歩目――――が、まだ地面に付いてすらいない頃。


「ア」「ビャィ」「ィや゛ァ!!」

「――――ッッ!??」


 前兆も前触れも一切感じることができず、気づいたときには視界全てが黒色で埋まった

 黒塊の肥大化した『腕』が何本も上下左右から一度に振り下ろされ動体視力を越えて黒い面へと――――背負ったのアルラを狙った黒塊がニーナじぶんも纏めて押し潰そうとしている、のは、なんとなく、わかるのだけど。


 ――速すぎる……!?


 コトノを殴った動作と一緒だ。つま先一つ動かせない。

 アルラを追っていた時の人間並の速度は一体何だったのか。こんなの、アルラなんか、その気になれば1秒もかからず殺せただろうに。


 ……なんて思考を丁寧に紡ぐ隙は無く、ただ、ことを刹那に感じ、何か行動に移せるわけもなく、黒塊の『腕』が、ボクの、アルラの、体を、ぐちゃぐちゃに、








 べちゃっ!! 


「――――!?」


 黒塊の『腕』が振られ、


「――――!?!??」


 頭がおかしくなりそうだった。

 倒れていたはずのコトノが何故眼の前に立っていたのか、何故吹っ飛んだのか、何故『腕』が振られてた後も自分は生きているのか、視覚が捉えた情報全てが理解をはるかに超えて散らばっている滅茶苦茶だ。

 しかし、理解できるできないに関わらず時間は進み、さっきと同様血の雨が降り、さっきと違って後方斜めの床が崩れ落ちた。わざわざ振り返って確認したのではなく、崩れる音を聞いただけなのだけど、確かに後ろはそうなっているはずだ。

 背中のアルラが「……ぇ」と、またも呆けた声を出す。

 抱いている感情もきっと同じ。全くもってわけがわからないという困惑。


「…………ニーナ」

「――――ひっ!??」


 ……と、一瞬意識を逸らした瞬間に、前方、黒塊を遮るようにぽつんとコトノが立っている。


 異様なのはその姿だ。全身くまなく血みどろで、何をしなくても血が滴り落ちている、真っ赤な真っ赤な少年の姿――思わず引きつった悲鳴が出る。


 一つだけ良い点を挙げるとすれば、耳を澄ませばしっかりと心臓は動いていて、それだけはすごくほっとした。


 とはいえ、人間が耐え得る出血の限界がどこにあるのかは知らないが、少年の血液はそこらじゅうにまき散らされ、天井からぽつ、ぽつと落ちて波紋を作っている。


「……コトノ、それ、大丈夫?」


 多分、普通の人間がこういう状態になったなら、すぐさま治療を受けたとしても助かるかどうか怪しいところな気がする。


 しかし、少年は投げかけられた問に対して何も答えず、黒塊の方を見据えながら、ニーナじぶんを真っ直ぐに指差した。


「……………………」

「……え?」


 ……いや、違う。

 指差したのは自分ではなくてさらに向こう、一瞬前に崩れた床の穴……?


「…………なんでこの緊急事態に、お前は呑気に棒立ちしてるんでしょうかぁ」

「――――心配して損した死ねッッ!!」


 悪態は勝手に出てきたものの、言わんとすることはすぐさま理解できた。

 扉が黒塊の後ろ側、入ってきた穴は天井付近という逃げるに逃げられない状態はたった今解消された。当初の予定、『アルラを回収してすぐ退避』を妨げる物は何も無い。


 だから、全速力で跳ぶように駆け、穴の中に体を滑り込ませ、下の階へと避難を行う。


「――――ッッ!?」


 同時、自由落下の最中に見てしまった。


「……ぃ」「…………」「……ィィいヤァァ」「アあぁぁア」「アァァ」「ア」「アアアァァァァああぁあァア」


 コトノの向こう側、黒塊が甲高い悲鳴をあげ始める姿。みるみる大きくなっていく聞くに堪えない不協和音。


 きっとそれが原因なのだろう。


 どこに潜んでいたのか想像もつかないけれど、天井の隙間、壁の割れ目、ありとあらゆる四方八方から無数の黒竜が這いだし黒塊のほうへと集まっている。光に引き寄せられる蟲のように次々湧きだし巻き付き、絡まって、肥大化していく。

 視界の九割以上が真黒に蠢いている様は、直視すら躊躇う気色悪さを内包し、しかし、黒竜が同化して生まれた黒塊に、さらに数えられないほどの黒竜が付け足されるということは。


「…………なぁ、頼むから真面目に真っ直ぐ逃げろよ。こうなったら過労死も十分あり得るぞ」


 そうして、最後に見えた光景は、ぱっと弾ける黒色が十数倍に数十倍に数百倍に数千倍に明らかに基にした黒竜ざいりょうと釣り合いが取れないサイズにまで膨れ上が――――!!






 ――――穴を潜って階下に着地。


「……やば」


 ここにきて事態の深刻さをようやく認識した。一瞬遅れてどっと噴き出す汗。

 衝撃に折れた脚が痛むのか、アルラがあげた小さな呻き声……などを慮る余裕など既に欠片も存在せず彼女への配慮を一切捨て去り全脚力で走、


「「「「ぁ!」」」」


 り出そうとする間も無くさらに膨れ上がった黒塊ミアが天井を突き破り壁を崩し周囲を滅茶苦茶にしながら着地し自分の眼の前に回り込んで『腕』を伸ばして包囲するいくつもの首で背負った殺害目標のアルラの姿をじっくり鑑賞し確認しよしよし間違いない殺そうみたいな感じの素振りを見せ全ての首でニーナじぶんごと一斉にかぶりつき牙は初めに自分の首筋に触れ、そのタイミングで、ようやく「……ぁ」黒塊の姿を認識できた。


 単純に動作のが原因であるので、これはもうどうしようもない話である。

 牙が食い込み、ぷつりと首筋から血が滲み出し、そのまま、





 べちゃっ!


 


「――――――ッ!?」


 再び辺りに血の雨が降る。

 けれど、僅かに切れている首筋に立てられていた牙はいつの間にかどこかに消えていて、というか眼前の黒塊の位置が少しだけ斜め後ろの方にズレて離れていて、『腕』の包囲が前方部分だけ消えている。


 走り出そうとしていた一歩目を、走り出そうとしていたままに一歩踏み出した。

 そして勢い止まらぬまま、続く二歩目を踏み出してしまい、鼻先が付きそうなくらい至近距離にいる黒塊の腕が今度は細かく裂け腕に手に足に脚に腹に肋に頸に全身に巻き付いて初めに折るのはアルラの首――


 べちゃっ!!

 コトノが吹っ飛び血の雨が降る。黒塊は少し離れた場所にいる。


「――――――ッ。」


 二歩目が終わった。三歩目。

 ブレる黒塊。方角は真上、自身の重さで押し潰そうと、


 べちゃ!

 コトノが吹っ飛ぶ、黒塊がズレる、雨が降る。


「――――――」


 四歩目。

 べちゃ!

 雨が降る。


「――――!」


 五歩目、六歩目、七歩目、

 べちゃっ、ちゃ、ちゃ、

 雨、雨、雨、


「――――!!」


 ちゃ、ちゃちゃ、ちちち、ちちちちちちちちちちちちちちち――――

 さああああああああ――――


「!!!!!!」


 ああ、なるほど。

 古城、屋内、薄らな小雨を浴びて走るうちに、賢い自分のよくできた頭は、自ずとこの場の不可解の全てを理解できていた。


 何のことは無い、上階で起こった2回も含め、不可視の攻撃は全てこちらに向けられていたのだ。


 黒塊の振り抜いた『腕』、食い込ませた牙、巻き付かせた胴体、押し潰そうとした体。どれか一つでも掠れば容易く自分達を絶命させられただろう攻撃は、出会い頭の一撃と同様に押され掴まれ引っ張られ、全て途中で軌道を逸らされていたのだろう。自分の真正面からズレる黒塊も同じく、こちらの逃げ道を確保しようとするコトノの計らいに違いない。


 まあ、こうまで膨れ上がった黒塊の挙動を逸らすのは流石に彼にとっても楽とは言えない難易度のようで、1回1回吹き飛ばされ、叩きつけられ、彼の鮮血が絶えず霧のように舞う地獄ができあがったというわけだ。


 意味がわからない。


「――――ッッ、こいつっ、どっかで頭が壊れてたり……!?」


 少年の正気を心底疑う。

 "こうなると"と言っていたが、まさかこの状況を想定した上でアルラうらぎりものを助けに来たのか。気が触れてるのか。まさかここまで異常者だとは聞いていない、頼んだ自分が言うのはなんだが、実は昨日熊との衝突時辺りに脳味噌が壊れていましたと言われる方がいっそ自然とも思える奇行。


 おかしくなりそうになりながらも、できることなど一つしかく、全速力で前へと駆けた。


 一歩毎に息が荒れた。

 一歩毎にアルラが痛みに喘ぐ。

 一歩毎に血の雨が降る。

 一歩毎に現れる黒塊が、徐々に、本当に徐々に、後ろの方へ引き剥がされていくのが分かった。

 一歩毎にコトノが潰れ、水っぽい音が辺りに響き渡っていた。


 息を飲む。


 心音が途絶えたときとは違い、彼の命を心配する気持ちは一切無かった。

 信じられないことだけどこれも想定内の状況なら、この場に死人が出ることは絶対に無い。コトノは強くて、凄く強いのだから当たり前だ。なら、コトノがどれだけ嬲られようが大して心は痛まない。


 けれど、ここまでイカレているとなると、最悪、最悪、ほとんどないとは思うけど、自身に残る後遺症くらいは許容してる可能性はないわけではなくて、


 ――それは困る……!!一緒の時間が増えそうなのはいいんだけど、介護の仕方とか全く知らない!!凄く大変だってシャルさんが言ってた!!


 自分勝手な焦燥感と患いつつも、まっすぐ力一杯地面を蹴り、また一歩、再び少しだけ黒塊から離れる……と、次の瞬間、背負っていたアルラの腕に跳ねるような力がこもった。


「……っぁ」


 耳をくすぐる小さな吐息。

 『起こっていた何かにようやく気づいた』というのがそっくりそのまま似合う声が、背中で鳴る。

 アルラの腕に力がこもり、ぎゅっと体が締め付けられる。


「――ッッ、何!?」

「…………の」

「何!??脚が痛いくらいなら我慢しろ!!」

「……何逃げてるの」

「は?」


 また一歩。

 血の雨が降り、さらに強まるアルラの力。


「……何逃げてるのって言ってるの!!1人で惨めったらしく逃げてて恥ずかしくないの!??あぁあぁ、まさかお姉ちゃんがこんな腰抜けだったなんてね見損なった!!今すぐ戻って黒塊あいつと戦えッッ!!」

「――――!??」


 何言ってるんだろうこいつは。


「――――アルラが今の状況分かってそれ言ってるならボクは心底恥ずかしいよこんな判断能力ゼロの馬鹿と同じ血引いてるなんてねぇ!!死にたいなら1人でやれッ!!!どいつもこいつもっ、まともな頭してるのはボクしかいないの!???」

「――ッッ、恥知らず!!臆病者!!役たたず!!」


 背中の狂人を無視して走る。

 また一歩進み血の雨が降る。


 けれど、そのとき首筋にかかった水の感触は明らかに他の血とは違っていて、アルラがぎゃあぎゃあまくしてる声色がなんだか少しうわずっている。


 あぁなるほど、賢い自分はすぐに理解した。

 これだからアルラこいつは嫌いなのだ。


 自己中なのに分別がつかず、傲慢な上に他人を見下し、ちょっとしたことですぐに泣きだす。

 ゴミクズめ。

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