第51話 黒塊瞬殺、天邪鬼な涙


 コトノがこの場に現れた瞬間、化物の対応は早かった。


「…………いイギ」「ア゛ッ!!」


 半分消えて無くなった残骸から無数の黒竜の頭が幾つも生え出し、絡まり、瞬き一つもしないうちに元通り綺麗に再生する黒塊。

 同時アルラじぶんの眼前で、倍に膨れ上がるシルエットが、再び自分の折れた脚を――いや、今度は全身を押し潰せるくらい十数倍に膨れあがった『腕』が、真っ直ぐ、自分に、落ちてくる。


「――ぁ」


 自分はそれを座ったまま、痛みに霞む意識が故に、ぼんやり座って眺めていた。


「――っ、と!!」


 ――が、一切の間を置かずに振り下ろされたはずの『腕』の軌道が何故か途中で斜めに逸れる。


「――――重ッ!」


 自分と化物の間に体を滑り込ませたコトノが、振り下ろされた『腕』を横から押したのだ。

 一瞬前まで離れた場所にいた少年が何故間に合うのか、あれほどの巨体による迫撃を押しただけで逸らせるのか、等々様々な疑問はあるものの、兎に角、『腕』は狙いの方向へは跳ばずにすぐ近くの床を貫いて止まる。


 同時、不意に体に走る、後ろから抱き上げられ引っ張られる感覚。


「――――!」

「アルラッ!!無事!??」


 振り向かずとも声で分かった。ニーナだ。

 自分を引っ張り上げた己の姉は、動かされた右脚に走る痛みによる呻き声を聞き、「我慢ね」と呟いて自分を背に担ぐ。

 その間も繰り出される二撃目、三撃目、いずれもコトノの手によって逸らされ、その隙にニーナが後ろに駆け、それを確認した少年も遅れて跳んで距離を取った。


 そうしていつの間にか、自分を背負うニーナ、彼女の前に立つコトノ……2人の人間が、自分と化物の間に立ち塞がるという状況が出来上がっていた。


「『魔物は駄目だな』ーって、これミアが操作してるんじゃないの?」

「あー……ミアの操作は基本的に大雑把な目標って形だ。今回の場合は十中八九、言ってたままの『アルラを殺せ』だろ、本人がいい趣味してるかは怪しいけどな」

「…………なるほど。つまりこの肉塊は"輪廻より外れし獣"ってとこね。……愚かなものだね、奸邪な渇きに流されたところで、狩人の目を避ける道はここには残っていないだろうに」

「…………あぁ、うん、そうだな。悪い魔物だな。……全く、ニーナの言うことにはいつもパワーがあるよな。なんていうか、物事の本質を捉えてるっていうかさ……」

「――――ふん。他者ひとからの評価に興味なんてないよ」

「…………そっか」

「……………………ふん。」

「……………………」

「………………他人ひとからの評価に興味なんてないんだよね」

「…………ああっ、他人に流されないってことは己の中に確かな価値基準を持ってるってことか……?……くそっ、あまりの度量のサイズ差に発想がいよいよ周回遅れに……俺なんかじゃついていけねえよ……」

「――――やれやれ。別にわざわざ口にするほどのことじゃないんだけどなぁ」


 2人は呑気に話をしながらも、視線と注意を黒塊に向け続け、次の攻撃に備えているようだった。


「ィィビィィイイイァァァァアア」「アアギャァァアああアァぁぁぁ…………???」


 しかし黒塊は何故か動きを止め、無数の頭から涎を垂らし、じっとこちらを見つめて唸っていた。

 2人の悠長な会話も、急に動きを止めた化物の意図を汲み取れないまま行動を起こすのは危険という考えが根底にあるのかもしれない。


「………………はっ……はぁっ」


 そんなことを、ニーナの背中に担がれながらただぼんやりと考えていた。

 痛くて、痛くて、折れた脚が兎に角痛くて短く息を吐いて、二人の会話の内容も半分も理解できなくて、溢れそうな涙を必死に堪えて、そんな中でもなんとか口を開けた自分はきっとものすごく精神こころが強い。

 頬を伝う水が気持ち悪い。


「………………何しに来たの」

「……何しにって――――助けに来たに決まってるでしょ?」

「…………はぁ……?」

「ま、ゴミクズ1人放っておいても問題は無かっただろうけど、生憎、妹が食べられて自分だけ助かるなんて目覚めの悪いストーリー、カッコかわいいを体現するボクには到底似合わないみたいでさ」


 ニーナの声は場違いに朗らかで、明瞭としている。


「だから、アルラはボクが絶対死なせない。どんな化物が相手だって守り切ってみせる。目指すなら誰一人欠けない"ハッピーエンド"……ってね」


 滑らかな手の平が頬を撫でた。

 薄らと笑うのが見えなくても伝わってくるような、そんな手つきと声色だった。


「……………………なにそれ」


 言ってる意味が分からなかった。

 聞いてる間も痛くて痛くてたまらなくて朦朧として、だけど、どうやらニーナは『助けに来た』といった意味のことを言ったらしい。


 一瞬振り返って自分の脚に目をやったコトノが「ごめん」と呟く声が、ひどく弱々しく、小さく揺れた。


「……なにそれ」


 ニーナもコトノも自分の敵だ。

 つい先刻まで自分は逃げる2人を追いかけ回し、『叡智』を振りかざし、光で焼いて殺そうとしていた。今そうしないのも脚が折られた激痛で『叡智』が使えないだけだ。万全だったら全員纏めてすぐにでも殺している。

 コトノに至っては、騙し、裏切り、背中を焼いた。四肢を切ろうともしたし、組織に売ろうとしたし、最終的に死んでもいいと思った。


 反省も後悔もしていないけど、2人が自分の命を慮る理由なんて一つだって思いつかない。


「…………っ……!」


 


「…………馬鹿じゃないの」


 自分を弱者と見下しているからだ。少し餌をやれば尻尾を振る動物と同じようなものと考えていているからそんな台詞が吐けるのだ。

 瞬間、はらわたが煮えくりかえりそうなほどの熱を帯びる。

 明確に自覚する感情――――『怒り』だ。


「……ここまできてまだ現実を見れないなんて、もはや哀れね」


 痛みを堪えながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「何?一々媚びを売ってくれてる従順なアルラちゃんのことが、そんなに忘れられないの?あんなの、演技に、決まってるでしょ?」

「……ああ、何、俺に言ってんの?長い話なら後にして欲しいんだけど」

「あぁそっか、分かってるくせにっ、見て見ぬフリをしてるんだ。都合が悪いことだから。気持ち悪い」

「…………なるほどなぁ。後にしてくれ」

「……お手本みたいな偽善者なところ、隠してるつもりかもしれないけど、バレバレなのよ」

「……………………今それどころじゃないだろ?」


 コトノの言葉がどんどん遅れてきている。返答に窮するとはこのことだろう、いい気味だ。

 もっと、もっと、もっと彼が嫌がる言葉を。


「……………………私はっ」

「……………………なぁ」

「…………私は、ずっと、貴方が、嫌いだった……!!」

「――――ぁぁあぁぁああああ゛あ゛!!!!うっせぇんだよどいつもこいつもよおぉぉおぉおおおおおッッ!!!!」

「――――ひっ!」


 突如割り込んできたコトノの怒声に、驚いてはいないけど肩が跳ねる。

 けれど、半分振り返ってこちらを睨み付ける眼光は、以前の爆発の時より数段と鋭くて、確かに自分を敵意を持って睨み付けていた。


「あのさぁ!!なぁ!!お前状況分かって言ってんのか!??もう一度周りを見て俺の処理能力にどれだけ余裕が残ってるか想像してから発言しろ!!……ないだろ!???どう考えても!!!だったら黙ってろこっちもいっぱいっぱいなんだよ少しはいたわれ糞がああぁあぁぁッッ、う゛ああ゛ああぁぁあああぁぁあああーーーーッッッ!!!!」

「――――――っ、ぁ」


 あぁ、やっぱり思った通りだ。

 図星だから何も言い返せなくて怒鳴ることしかできないのだ。数分前にも似たようなことがあった、コトノは都合が悪くなったらすぐ怒鳴る。鈍い痛みで霞んだ頭でもわかるくらいにあからさまな事実である。


 コトノに、また怒鳴られた。


「…………ぅ……ぁ」


 あぁ、もう、脚が痛くて痛くておかしくなりそうだけど、その実心の中では綺麗ぶったコトノの不徳を糾弾できたことが嬉しくて誇らしくて笑っている。

 ざまあみろだ。これでもう怒り狂ったコトノに殺されてもこっちの勝ちだ。

 呻いたのは、脚が、脚が、凄く痛いからである。


「……やれやれ。そんな声を荒げるものじゃないよ、コトノ。……ふふっ、ボクの友人ってやつはこれだから。そういうところも魅力だけど、一体その後始末は誰がするんだか」

「…………ッッ!!……こいつマジで……っ!!あ゛あ゛っ…………!!……ッッ、そうだなニーナ!!ごめん!!無力な俺を助けて欲しいな!!」

「――――だろうね。やれやれ、いっつも最後はボク頼り、か。慣れたことだからいいけどね」

「…………ぐっ……ぅ……!!……アルラお前くらいは黙ってくれ……これ以上ストレスかかったら俺は多分腰を入れて顔面を殴る……」


 そうして、すぐにでも自分を殴り殺すだろうコトノゴミクズは、未だ唸る黒塊を訝しげに眺め、意を決したような仕草と共に、大きく一つ息を吸った。


「……ミアッッ!!こいつ止めてるのはお前の意志か!??だったら今すぐこの化物から出てこいアルラは殺しちゃ駄目なやつだ!!」


「――――っ、あ。」


 驚いて、あきれ果てた声が出た。


 ああ、なるほど、少年は既にどうしようもない状態に足を突っ込んでしまっているのだ。あれだけ言っても知らないフリができるほどにコトノの知能は手遅れなのだ。

 自分が未だ舐められているのを知って、一度は収まった怒りが倍に膨れ上がり、手の付けようがないのが分かってしまって、悔しくて。


「…………ぅ……わ……」


 そうして自分は眼の前にあった背中に顔をおしつけて、声を押し殺して小さく泣いた。

 みんな黒塊のほうを見ていたので気づかれなかったはずである。









「………」「…………」「……ア!」


 べちゃっ!


「……………ぇ」

「――はぁ!??」


 自分を襲った時とは比較にもならない、残像すら残らない速度で振られた『腕』がコトノを横凪ぎに吹き飛ばした……なんて事実に遅れて気づく。

 叩きつけられた壁から力なくずり落ちるコトノは、ぴくりとも動かずに血だまりに沈んでいく。


 辺り一面にまき散らされた彼の血が、頬に当たって涙と混ざった。

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