第50話 弱弱弱弱自業自得は止まらない!


 走る。


 はっ、はっ、はっ、はっ、と短く短く息を切る。鈍い痛みを蓄えつつある両の脚に一切慮りなく力を込め、前へ前へと体を送る。

 始めて経験する粘っこい感覚が纏わりついて、自分の体を後ろへ引っ張ってくるようだった。


「……………………はっ、……はぁっ、はぁっ、はぁっ!」


 アルラは依然不自然な暗さの古城の中をひた走っている。走って走って、脇目も振らない全力疾走は、すでに十数分も経過しているように感じる。

 感じるのはただひたすらに苦痛。痛い。痛い。息が苦しい。吸っても吸っても楽にならない。


 そして、そんな状態にあっても、一瞬たりとも脚を止めることはできない。

 だって、霞む視界で真後ろを覗けば、真っ直ぐこちらを追いかけてくるまっくろな塊。


「……ア?」「ウ、ァ?」「ア」「ア」「アア。」「アアアアアアァァァ……!」

「……ッ」


 気持ち悪い。


 自身の倍ほどもある黒竜が数十匹集まり、束なり、一つになって出来上がった巨大な塊がぐねぐねとうねりながら血を垂れ流し、醜く地面を這いずっている。アルラじぶんだけを目標に追いかけてきている。

 ……いや、這いずっているというにはあまりに速い。

 ああ、そうだ、伸ばした首を腕のように動かしガサガサガサガサ地を蹴り高速で行き来きする姿はまさしく蟲のようで


「……ア゛!」「ーッア゛ー!!ッア゛ー」「ッア゛ーッア゛」「ーッア゛ーッア゛ーッ!!」

「……ッッ!」


 いくつもの口で無意味に叫び、気色悪く蠢くが己に向かって進撃する様。どうしようもなく悪寒が走る。

 けれど、身の毛がよだつ光景に悲鳴を上げるだけの体力ももったいなくて、歯を食いしばって必死に走った。


 塊の中心に今も埋まっているだろう本体、ミアとか呼ばれていた少女がアルラじぶんに『殺す』と言った瞬間に生まれたのがだ。

 今まで殺してきた魔物のどれよりも大きく、速く、幾度爆撃に晒しても瞬時に再生する手のつけようのない化物。必死に距離を取ろうとしてはいるが欠片も引き剥がせる気配がない。疲労に負けて近づかれた時が最期だろう、四肢胴体頭顱全てぐちゃぐちゃに食い散らかされて自分は死ぬ。


 頭がおかしくなりそうだった。


 古城ここ来る前、適当な演技と共にコトノを言いくるめて、それで話は終わるはずだった。

 けれど何故かコトノはもの凄く意固地で、仕方がないので彼の背を焼き手足を落として保管することにした。賢明に譲歩を重ねた選択だった。

 再会したお姉ちゃんニーナが自分を裏切ってコトノを奪い去った時も、限りなく腹立たしいけど2人を処理すれば元通りなのだから気にしないでおこうと聡く自分を諫めた。

 降ってきた援軍の小娘1人なんて2秒とかからず殺せるはずだった。殺せないはずがなかった猫の少女ミアは、化物となって自分を追いかけてきている。殺そうとしている。


 そうして、広がっていた分岐点あらゆるところで予想外を引いた結果、一手の誤りで惨殺される分水嶺にまで今の自分は追い込まれている。


「…………!!」


 意識し始めた死の輪郭に、おかしくなりそうな頭を必死に鎮めて床を蹴る。

 ひりつきながらも頭は回る。冷静に状況を受け止め、ここから生き残る術を導き出すべく、冷静に冷静に頭を回す。


 ――死んでたまるか……!!


 走ってる間に勝算はつけた。

 脚を動かしながらも『叡智』を使って手の中に光を生み出し、背後のうねる化物へ意識を向けた。


 ――これを直接当てても意味が無いのはわかってる。再生の限界が存在するかもわからない以上、色々試してる暇はない……!


 故に、閃光溢れる手の平を斜め下に向けた。

 直後に放たれる熱線。触れた箇所から熱を帯び、空気が弾けて石床が崩れ、できた穴へと体を滑り込ませた。


 同時に始まる階下への自由落下。近づいてくる床に目もくれずに己の全身に意識を集中。


 ――『透明化』……!!


 身体の周囲の光を吸収し、検知し、それと同じだけの光を逆側から放出。あとは細かい調整を果たせば全身の透過が完了する。

 透けた両手を確認して着地、横に跳んで石壁へと背を付けた。


「「ヴァッッ!!」」


 化物は忌々しい程拙速に、1秒と間を置かずに上から降ってきた。同時に突き破られ崩れ落ちる天井。すぐ側に落下した拳大の石に肝を冷やしつつ、荒れた呼吸を必死に抑えて息を殺す。


「………ア゛……?」「う゛ぁぁぁ……」


 しかし、化物は地響きを立てて着地してから動きが止まる。視線が右へ、左へ――――ゆっくり辺りを見回している。

 動作の理由はきっと向ける視線の先が無いからなのだろう。

 『今確かにこの場所にいるはずの探し人を何故か不意に見失ってしまった』と言われるのが一番しっくりくる様子。


 ――よし……!


 狙った通りの状況が出来上がっている。

 重要だったのはタイミングだ。


 化物の眼前、いきなり『叡智』で姿を消したとしても効果は薄い。『魔物を纏って姿を変える』……ミアが起こした現象それ自体は明白でも、裏にある法則の子細は全く分からない。どんな機能を隠しているのかもさっぱりなのだから、『姿を消した』と知られること自体が大きな危険を伴う。視覚以外で自分を捉える手を隠しているかもしれないし、なりふり構わず周囲に攻撃をまき散らされるだけでも十分死ぬ可能性がある。


 だから一度階層を変え、一瞬だけでも視線を切った。化物ミアが『姿を消した』と認識するのではなく、あくまで『見失った』現状を創り出すために。


 結果は上々。怪物の見回す動きは徐々に緩慢になり、あらぬ方向を見つめてじっと止まっている。


 あとは、出来るだけ音を立てないように注意しながら、ここを安全に離「あ゛っ!」


 突如横凪ぎな衝撃が身体を打ちつけ肺から無理矢理空気が押し出されミシミシ内側から音が鳴り――――一瞬遅れて加速が始まる。


「……う゛っ、ぁっ!」


 飛ばされた身体が床を擦り、肌を削る薄い痛みが少しの間続いて、壁に勢いよくぶつかったところでようやく止まる。


 今の今まで呆けていたはずの黒塊が唐突に起こしたその行動は、理解不能で、理不尽で、意味不明で、何が起こったかわからないけれど無防備でいることだけは避けなければならないと、地に転がった体を急いで起こし、件の敵に視線を飛ばす。


「びィィィィ「アア」ィィィ「ビビ」ィ…………」


 けれど、ありがたいことに化物は、鈍間に緩慢にゆっくりとこちらに近づいてきていた。

 ゆっくりと、ケタケタ笑いながらゆっくりゆっくり這っている。


「――――――――」


 ああ、なるほど。

 即座に反射とも言えるスピードで状況は理解できた。

 こいつは一瞬たりとも自分を見失ってはいない。わざわざ右往左往する様を見せて遊んでいたのだ。

 アルラじぶんを嘲嗤う為だけに。


「――――こいつッッ!!」


 一瞬で熱せられ沸点を越えた殺意、跳ね起きる、もう速くて強くて再生するとかどうでもいい、何度も何度も何度でもぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに吹き飛ばしてその塊の中から引きずり出して嬲り殺してやる!!

 両の手の光の粒を握り潰し立ち上がり今すぐに駆除すべき害獣に向かい一歩目を踏み千切る!!








「……ぇ」


 ……と、そうするつもりが、立ち上がろうとした時にバランスを崩してしまい、その場でぺたんと尻餅をついた。


「…………ぅ」


 思わず出してしまった声。

 しかし、勢いづきすぎて転んでしまったとか、そういう間抜けな転び方ではない。

 体を支える地面が、踏み込んだ瞬間消えてしまったかのような感触――それが転倒の原因だ。


「…………痛ったぁ」


 では、その原因とは。力をかければ抜けてしまう程床の老朽化が進んでいたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。この窮した現状、一刻も早い原因究明が必要である。

 化物の方に向けられていた視線が足下へ下がる。


「……痛」


 ぱっと見たところ足下の床に一切変わりはなかった。

 石でできた床がぐにゃぐにゃに柔らかくなっているとしたらさっきの感触にも得心がいくのだけれど、まあ、あり得ない話である。

 けれど一つだけ気になる点があって、アルラじぶんの足が太股の辺りで変な方向に曲がって


「……痛ぁっ、痛い、痛い、痛い、痛い…………っ!」


 

 認識するだけで気持ちが悪くなるおかしな光景から目を逸らす、痛い痛い、鈍く頭に響く痛みはどんどん強さを増してくる。痛い、思考がばらばら解けていく。

 視界がじわりとぼやけている。


 痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い――――


「ああぁぁ……っ、うぁぁぁああ…………!」


 ぽたぽた滴る透明な液体が滴り落ちてきて、痛くて痛くて、それでもなんとか歯を食いしばって耐えた。

 信じられないくらいの痛みを何とか耐えた。気が狂ってしまいそうだったけど何とか耐えた。


 耐えて、耐えて、堪えていると、鈍痛の波が「うぁぁっ」僅かに振れて、痛みに唸って薄く開けた目いっぱいに黒色が映る。


「ア」


 いつの間にか手を少し伸ばせば届きそうな距離にいる黒塊。アルラじぶんの折れた脚をじと見ていた。

 またもや黒竜の首を腕のように使い、つんつんつついて、転がして、いじっている。


 ああこれもさっきと同じだ痛みに喘ぐ自分の反応を楽しんでいるどうやらこいつは徹底的に自分を嬲って遊ぶつもりらしい、上等だ。


「………うっ、……うっ、あっ、いたあ゛っ、ぁあぁぁ」


 そして当然、自分の反応もさっきと変わらず、舐められた驕りに怒りが湧き上がる。あまりの怒りに透明な液体が止まらなくて煩わしくて痛い。痛い。

 化物に向ける手の平が震えているように見えた。光は出なかった。きっとこの凄い痛みのせいだ。痛い。


「ア」「ア。」


 しばらくすると化物は脚を弄っていた『腕』を少し上に持ち上げ、その『腕』に他の『腕』が次々に絡まり、みるみるうちに影が大きく膨れ上がっていく。

 最終的に出来上がった大岩のような腕の塊は折れた脚の少し上で静止した。


 宣言だ。


「…………っぁ……やだ…………やだ。」


 あんな大きいので折れた脚を押しつぶされたら、きっと今までと比べものにならない痛みがやってくる。

 つまり、化物が『今からお前はこんな痛い目に遭いますよー』とわざわざ宣言したのを実行に移す前に、光を放ってこいつを消し飛ばせば万事は問題無し。コトノとニーナを殺すのはそれからでいい。

 痛い痛い痛い、のけぞって脚を影から引っ張り出そうとした途端、新たな腕がにゅっと伸びてきて背中を押さえられた。別にのけぞろうとしたわけではないのに。逃げようとしたわけではないのに。やだと2回も言ったのに。今から爆発で消し飛ばすのに。


 なら、早く。


「……!……っ!!……!!っ!!!っ!!!っ!!!」


 早く早く早く早く早く早ぐちゃっと『腕』が振り下ろさ








 ぱっと、黒い視界が蒼く染まった。


「…………ぇ、」


 その、通り過ぎていった蒼色が薄らぐのは気のせいだったと勘違いしそうなほどに一瞬で、けれど、後にはえぐり取られた黒塊の半身だけが残り、振り下ろされようとした『腕』はどこかに消えて無くなっていた。

 既視感のある熱い風は遅れてやってきて、ふわりと柔らかに前髪を撫でる。


 炎だ。


 何故かそう思った自分は、その出所と思しき場所を、ゆっくりゆっくり目で辿る。


「――――おおぅ……ちょっと……いくらなんでも趣味が悪すぎるだろ……!?…………やっぱ魔物は駄目だな魔物はドン引きだよ……!!」


 炎の出所、側壁高くに空いている焦げついた穴に、件の少年コトノが立っていた。

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