第48話 なお、クズの末路は前述のとおりとする


 未だ暗さを保つ古城の廊下、天井を突き破って現れた猫の少女ミア

 重力に引かれ着地した彼女の一切音を立てない柔らかな着地を、向こうのアルラは困惑と警戒が混じった表情で眺めている。

 当然と言えば当然か、初対面だし。


「……やっと来た」


 そんな姿をコトノの背中越しに窺い、小さく呟くニーナじぶん

 が訪れたにも関わらずその声色が若干くぐもったものになったのは、眼前のアルラまじんをこれで撃退できるとは考えにくいというのが大きい。


 猫の少女の役割は嗅覚を期待してのコトノの居場所の特定、そして対アルラの"保険"だ。『猫って鼻良いのかな?』なんて曖昧な根拠に基づいた前者の打算は期待値以上に的中し、まっすぐここ古城へ向かうことができたのだけれど、後者となると欠片も期待できない。

 世界を救ったパーティーの一員だかなんだか知らないが、所詮は候補生あんなやつらが助力に換算できる程度の集団だ。おそらくラヴェルのワンマンチーム。ミアには戦闘能力は欠片もありませんでしたーなんてパターンも考えられる。


 あくまでもこの場でアルラをボコるのはコトノの予定だったのだ。

 自分とコトノとミア……3人でかかったところでどうにかなるものなのか、2人の『叡智』を知らない以上、自分には判断をつけることができない。


「――遅い!!」


 しかしこうなった今、彼女を使う以外にできることは何も無く、仕方がないので体を起こす猫の少女に声を飛ばす。


「……時間がかかると言ったでしょう」


 尻尾をゆらりゆらりと動かす様子は酷く緩慢で、自分より一回り幼いであろう容貌と相まってほんのり軽い苛立ちが頭を廻る。

 そんな気持ちを知ってかしらずか、ミアはゆっくりな挙動を保ったまま、アルラのほうに目を向ける。


「……それで、敵はこの人でいいんですよね」


 明確に敵を認識しているにしては平然が過ぎるその態度。冷静と評すべきか、それとも無用心と指摘するべきなのだろうか。

 わからないので、ニーナじぶんは「うん、」と、小さく可愛らしく相槌を打った。


「『叡智』はさっき言ったとおり。3人がかりでじっくりやるよ。仕事の分はしっかり働け」


 さて、ここからどうやればアルラをぶちのめせるのだろうとか、結局さっきの魔物はどうやって差し向けてきたのだろうとか、そういうことを考えながら。

 アルラはそんな会話を聞いて、この乱入者が己の敵だとはっきり理解したようである。


「……次から次へと蛆みたいに。お友達が多いみたいで羨ましいわ」


 自分達よりもはるかに強い存在がはっきりこちらに殺意を向けてくるさまは、想像超えて極めて不快で、今すぐこいつに雷が落ちて死んだりしないかなーとか、そんな奇跡を願ったりする。


 ……そして、コトノとはいうと、直立不動で沈黙し、前のアルラとミアふたりのほうをぼうっと眺めていた。


「…………………」


 ぴくりとも動かない、ほんとうに微動だにしない後ろ姿を見て『どうしたんだろう』と浮かぶ違和感――――1秒と待たずに「……あぁ」と得心がつく。


 そうだ、そういえばコトノはニーナじぶんとミアが交わした契約を知らない。コトノを殺そうとした裏切り者ミアが、病院のベットの上で寝ているはずの彼女が脈絡もなく降ってきて、そいつを殺そうとした裏切り者じぶんと手を組んでるような素振りを見せる。混乱しないほうがおかしい状況だろう

 彼にはミアが味方と考えて良いのかすらわからないはずだ。


「敵じゃないよ、大丈夫」


 だから、静かな少年の背中に声をかける。


 自分が寝ているミアを叩き起こして連れてきたのだ、とか。

 彼女は自分達に協力する理由がある。契約を交わしている。向こうにちゃんとした利益を用意した以上、裏切り者でも今だけは信用できる、とか。

 説明は後でちゃんとするから今はとにかくアルラをどうにかしよう、とか。


 そういったことを一度に纏め、未だ呆けるコトノに伝えようと、二言目を発するべく口を開き――――


「――――やめろッ!!!」


 古城の中を少年の怒声がこだました。


 聞いた事もない声色に思わず体が小さく跳ねる。

 アルラも同様。息を呑む音がはっきりと聞こえた。


 ただ1人、猫の少女だけがそれに全く無反応で、アルラに向かってゆっくり一歩目を踏み出していた。


「……おいおいおいおい!!止まれつってんだろ聞こえねえのか、お前に言ってるんだよミアァ!!」

「……どうしてですか?」

「どうしてじゃねえんだよ!!どうやってここに来たのかは知らないけどはこっちの問題だ余計な真似はするな部外者は引っ込んでろ!!」

「お断りします」

「……ッッッ!!」


 少年の歯が音を立てて鳴る。

 眼の前にいる明確な敵、自分達を殺そうとしているアルラのことを忘れてしまったかのように、彼の全神経はミアのほうだけに向けられていた。


 異常なのはその様子だ。

 ミアの快復を喜ぶでもなく、やってきた援軍を喜ぶでもなく、少年の荒げた声からくみ取れるのはひりつくような焦燥感。


「私がここに来たのはそこの魔人との契約です、私は今私の利益のために行動しています。部外者は口を挟まないでください」

「……ニーナ今すぐやめさせろ帰れ邪魔者ってこいつを追い払え早くしろッッ!!」


 こちらを振り返ったコトノの必死な形相、枯れた声。


「………………ぇ」


 わけがわからなかった。

 数日前殺されかけたのを恨んでいるのだろうか。

 ミアを刺したニーナじぶんにウジウジ文句を言うくらいなのに。

 いつ殺されるかもわからない劣勢の中、文字通りに降って湧いた味方を拒む理由など一つとしてありはしないだろうに。


「いや……大丈夫だって……」


 わけがわからないまま掠れた声をあげたそんな時、少年の後ろに見えるミアの足が止まった。

 アルラは未だ、声を荒げるコトノの凶相に固まっている。

 彼女に向かってミアが滑るように指を向けるのが、ほんの一瞬に起こったことであるはずの動作が、なぜだかやけにゆっくりと感じられる。


 それだけではなくて、全てが一瞬のことだった。


「――――あなたを殺す」


 始めに起こったのは、転倒だった。を言ったミアの体から一切の力が抜け、ぐらりと傾いたのだ。

 礼でもするかのように頭を垂れた少女の体がぷつりと重力に引かれて崩れ落ちていく、直前の発言と照らし合わせても全く因果が存在しない不自然極まりない転倒――――


「……ぇ」

「ッッッ!!」


 わけがわからなかった。

 ただ、瞬時に踵を返しこっちに駆け出したコトノの影が反応もできない速度で通り過ぎ、そのまま凄い力で後ろに引っ張られ、その光景から遠ざかっていく。


 けれどはっきりと見えた、ミアの尻尾がぶくりと膨れ、膨れた後も膨れ、とんでもない勢いで膨張し、倒れそうだったミアを包むように膨張し、中から黒い影がぼとぼとぼとぼとぼとぼとぐじゃぐじゃな肉が糸を引いていく光景――――!!


「あびゃぁ「ば、バ「ビィィッィ「アババババッババアアア「ぃぃぃヤアァァァァ゛ァァアァァア゛ア゛ッ!????」

「――――ひっ」


 この世のものとは思えなかった。

 あの狂った黒竜が涎を垂れ流し、次から次へとぐちゃぐちゃに湧きだし、互いに絡まり、一つの塊を作りだしていた。黒い血が噴き出てグロテスクな匂いが辺り一面に広がる。

 そして絶えず膨張を続けるそれの表面、まばらに浮かぶぎょろぎょろした瞳の全てが1人の魔人に向かっている――いわずともがな、『殺す』と言ったアルラのほうに。


「――――――ッッ!!!?!??『薄明』ッッ!!」


 衝動的にアルラが放った光が黒い塊に着弾して爆ぜる――が、それよりはるかに速く膨張は起こる。欠けた部分が瞬時に埋まる。

 そうしている間に、1秒とかからず廊下が埋まってアルラの姿が見えなくなり、崩れ、それでも止まらない黒竜の塊がどんどんどんどん膨れあがる。


「アヴェエェエエエエえぇエ゛エ゛!??」


 グチャグチャガチャガチャ肉と石が潰れる音が響き渡る。

 向こうの様子を窺えなくなってからも何度も何度も空気が爆ぜ、不意にその音が途絶え、黒竜の塊が激しい動きを見せ、奇声を発しながら向こう側に突き進んでいった。


 そうして一瞬が過ぎた後に残ったのは、誰一人いない崩れた廊下場所。自分達のいる場所は以前と全く変わらないのに、ミアがいた場所より向こう側は壁も床も天井も全てが壊れ、黒い血が滴るだけのただの空洞になっている。びゅうと壁から風が吹き込んできた。

 破壊痕が奥に向かって続いているところを見るに、にいたアルラが逃走し、それを追いかけていったというところなのだろうか。

 地響きが絶えず、遠くで瓦礫が舞う音がするし、きっとそうだ。


「……何あれ」


 想像を越えた情報量を前にすると人は立ち尽くすことしかできなくなるものであるらしい。本日2度目の体験だった。

 眼の前で起こったことを処理しきれない。突如として現れた大穴を眺めることしかできず、こうまでなっても完全には崩壊しない古城は頑丈だなぁ、とか逃避が混じった感想が出てくる始末だ。

 一部始終全くわけがわからなかった。


「……………………ミアの『叡智』は生体操作。自分の肉体を常人より緻密に動かすことができる」


 隣で同じように穴を眺めているコトノが震える声をあげる。

 ああ、なるほど、『生体操作』。


「…………ふざけてんの?自分の体をどう動かせばなるって?」

「……触れた生き物を自分の一部って解釈してる」

「はぁ?」

「魔物を操れるんだ、あいつ。簡単な命令や情報なら触るだけで刷り込めるし、時間をかければ完全に取り込むことだってできる。傷を治すこともできるから、ミアと繋がってるあのデカブツは際限なしに再生する」

「………………は?」

「しかもあの様子を見る限り多分自分に攻撃目標を刷り込んでから痛覚と意識を切ってる。不測の事態が起こった時、痛みとか失神で止まらないための保険だ。痛みが障害にならない以上、どこかに埋まってる本体の傷も秒で治せる。もう何をどうやっても止まらない」

「………………??…………???」


 べらべらと喋るコトノの言葉が、まるで違う言語を聞いているかのように脳を通り過ぎていく。

 心臓がひっきりなしに鳴っていたので、一度大きく深呼吸をして、冷静になった頭を振り絞ってよーく考えると、なるほど簡単に答えが出てきた。

 化物じゃん。


「………………ボク、一度ミアに勝ったよね……?」

「不意打ちだからだろ……?『叡智』使わせずに殺したって自慢気に言ってただろうが……」


 少年の声は小さかったけれど、段々と遠ざかっていく地響きはそれよりはるかに小さくなっていて、細かく震える彼の息づかいさえはっきりと聞こえる。それはまるで何かの痛みに耐えているような…………さっきの跳躍か。目視するのもギリギリな速さだったし、いつもの筋肉痛ほっさが起こるのも無理はない。


「…………まあ、でもいいんじゃない?攻撃対象ってことはアルラを殺せばミアは止まるんでしょ?全部終わればボクらを狙う奴はいなくなるから何も問題はないわけだよね」

「……………………」


 光の爆発はだんだんとその頻度を落としていて、アルラの余裕が無くなってきていることはここからでも明白にわかった。

 いや、に襲われて少しでも凌げている時点でおかしいのだろうが、それでもあらゆる障害物を無視して真っ直ぐ追いかけてくる化物から逃れられるほどアルラも万能ではないらしい。黒竜に彼女が食い殺されるまで大して時間はかからないだろう。


 こちらにとっては願ってもない展開である。


「……………………」

「……………………」


 結局のところこの状況を大雑把に纏めれば、『なんの期待もしてなかった援軍が何故か滅茶苦茶に強かったです!アルラてきを殺すのに一生懸命です!偉い!』ということに他ならない。もっとも、何の連絡も情報共有も無しに突如暴走を始めたのは迷惑極まりないし、心臓に悪いから二度とやめろと言いたいが、期待以上の働きに免じて許してやることにしよう。


「……………………」

「……………………」


 だからこそ、カッコかわいいニーナちゃんはかっこよく、自らの欲求を果たすため効率的に声をあげる。


「…………どうにかして止めて。友達でしょ」

「……………は?」

「……あぁそうだ、もしアルラが死んだら全部終わった後にミアを殺す。不意さえ突けば簡単に殺せるんだよね?うーん、コトノはそれを阻止しようとするだろうから……廃病院に魔人がいるって言い回ろう。その騒ぎに乗じて殺す」

「………………お前」

「……どうしようもないクズだけど、死んだ方がいいゴミクズで大っ嫌いだけど、妹なんだ」

「………………」


 返事がないので横を見てみると、コトノは据えた目でこちらを見ていた。


 ひり出した言葉は、今まで通りに己を最大限尊重したものだったけれど、急に出てきた懸案に対し、瞬時に勝算のある理屈を紡ぐことができるほど自分の頭はよくできていない。

 さてさて、を聞いて、いったいコトノはどんな気分になるのだろう。


 自身に迫りつつある危機を察しながらそれに見て見ぬ振りをした裏切り者が、突然手の平返して友達になってと言ってきて、あまりにしつこいので嫌々了承してやったら、今度は人質をとって脅してくる。

 それも自分を金のために殺そうとした裏切り者を、大好きで化物な裏切り者を相手にしてまで助けろと言われ、人は普通どんな気持ちになるものなのだろうか。


「…………何言ってんだお前。頭おかしいのか……?」


 少年は、案の定信じられないものを見る目で、声で、己の問に応えた。


 聞かずとも答えがわかってしまう態度に目を閉じてしまいたくて、どうしても目を逸らすことができなくて、粘っこい後悔の念と共に彼の方を見た。






「…………クズでも、妹じゃなくても……人が死ぬのはっ、だめだろ……?」

「………………ぷっ、あははっ、ははははは!!あははははははははははははは!!」

「…………はぁぁ!?笑ってる場合じゃないだろなんでいきなり笑い出すんだよイカレてんのかお前!?……クソッ、ほら早く行くぞ!!言ったことちゃんと覚えとけよ、具体的には最悪ワンタッチで死ぬからアルラを回収して全速力で距離を取れ!!抵抗されたら……それはそのとき考える行くぞ!!」

「ははっ、いひひひひっ……う゛ぅぅぅぅっ……!!……イカレてるのはコトノのほうでしょばーかッ!!」

「……ッッ!?」


 ショックを受けてるらしきコトノの顔が、なんだか凄くおもしろかった。

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