第44話 転生者、完全復活!!
どこかで名前を呼ばれた気がした。
続いて身体に走る細かい振動――そこで志無崎詩音の意識はぼんやりと覚醒しはじめ、今の今まで自分が眠っていたことを自覚する。
「…………ぁ……」
薄く開けた瞼の向こう側が暗い。時間は夜だろうか。
いつの間に眠ってしまったのか、どうして眠ってしまったのか、寝ている間に致命的なことが起こってはいないか。
居眠りに対する後悔と焦燥感に苛まれながら身体を起こす。
「…………っ、……?」
ぎこちない動きで身体を起こし、そうして抱いていた違和感に気づく。
ここがどこなのかわからない。
寝ていた場所が硬い床なのは不意の寝落ちを考えるにむしろ納得がいくことなのだけど、ぼやけた目で軽く辺りを見回してみて、記憶に合致する部屋が一つとしてないことがわからない。
寝ている途中に『医者』に運ばれたのだとしても、内装を視る限りあの病院内の部屋ということでもなさそうだし――――
そういえば、そもそも自分は寝る前どこにいたのだっけ。
背中が痛い。
「…………ぁぁ」
ああ、隣にニーナがいた。側で跪いてこちらを覗き込んでいる少女の姿。
状況から察するに自分を起こしてくれたのもおそらく彼女だろう。
しかし特筆すべきはその様子だ。いつもあっけらかんと明るく振る舞っている彼女が、今は口を開いては閉じ、話しかけづらそうな様子でその場に留まってしまっている。声をかけようとする素振りを見せ、躊躇って、躊躇って、「……えっと、おはよ」と小さく口にする姿。
彼女のことは嫌いだけれど、流石にこうまで態度が変わると心配だ。何かあったのではと邪推せずにはいられない。
つまり一刻も早く、ニーナが何を想っているか突き止める必要があり、拙速な状況確認が最優先。
自分が寝る前の状況を思い出さなくては。
思い出せ。
背中が痛い。
「…………ぁ……っ……ぁーっ」
思い出せ――――そんな風に思考を言葉にして意識する前に答えは出た。
なんてことはない、自分は今の今まで寝ぼけていたのだ。
意識と記憶が曖昧だったのはそれだけが理由で、ちょっと時間が経てば解決する問題だった。
記憶が、溢れかえってくる!
「ぁーっ。ぁーっぁーっぁーっぁーっぁーっぁーっぁーっ」
そうだ自分はアルラを助けに来てアルラが抱きついてきて手から光が出てきて背中を焼いてたのしそうに焼いてつまりまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたうらぎら
吐いた。
「ええ゛ぇッッ!ぇ゛ぇ゛え゛っ!!ぅぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇっ!!」
こみあがってきたものをただ吐き出す。
ぎりぎり抑えようとしたのだけれど、抑えようとしたのかもわからないけど、ただ吐いた。
吐いても吐いてもきりがなくて、じぶんの中身がが全て出て行ってしまうのではないかと思うくらいたくさんはいた。
「ぉぇぇ゛っ!!――っぇぇえ゛えぇっ……!!ぅぇぇえ゛え……!」
あんなあんな楽しそうになんでもないように目と鼻の先触れ合う距離でじぶんが絶叫してのたうちまわっているのに欠片もやめようとする気配すらなくあまつさえぎゅうと身体を抱いて押さえて逃がさないようにしてああ急に抱きついてきたのはもともとこうする予定だったのかいつからだろう昨日彼女の家にいたときの不自然な挙動があったあのときかいや初日に不自然にデートに誘われたときはなしかけられた時も不自然不自然不自然不自然ああなるほどはじめからというのがいちばんありえそうになってきたはじめから殺していいゴミとして扱われていたというわけだ。
「ぇ゛ぇ゛ぇ゛……、ぇ゛ぇっ…………っ、ぁ、はは」
吐いて吐いて吐き続けて、吐き気がようやく収まった頃にふと床を見ると、予想していた吐瀉物の海はそこにはなくて、かと言って血を吐いていたわけでもなく、粘ついた胃液がちょっと落ちているだけだった。
このところ食欲無いのが功を奏したらしくて、それがちょっとだけ可笑しくて、笑った。
「ぁは……」
そうとも。
改めて冷静に考えてみると、こんな馬鹿みたいに取り乱す必要がどこにあるというのだろう。
確かに背中の火傷は死ぬほど痛むし、最悪のコンディションの中の不意打ちとはいえ、アルラの攻撃で気を失っていたのは大変な失態。そのまま殺されていた可能性だって0ではないだろうし、万一そうなったら世界は黒樹に呑まれておしまいだった。危ない危ない、知らぬ間に最悪に片足突っ込んでたことは認めよう。
しかし死ななかった。
あの状況に追いこまれてなお、志無崎詩音は五体満足の健康体である。
こうなれば何も怖いことはない。何しろ自分はチート系異世界転生者。無敵のチートスキルを振り回してれば大抵のことはなんとかなる何も問題はないということだ。
「……ー」
いや、ああ、そうだ、自分にはやるべきことがあったのだった。
黒樹の討伐。何よりも優先すべきことである。自分が頑張らないと世界が滅ぶ。みんな死ぬ。自分の双肩に世界がかかっている以上、合理的に考えて他に頭を悩ませている余裕なんてない。
故に何も気にすることはないのだ。
そう、例えばアルラが自分を殺
「……っ………………ぁ」
とにかく、何も気にしなくて良い。
気にするな。というか気にしていない。
人間の脳味噌は都合のいいようにできている。ちょっと意識を変えるだけでいいのだ。
肉体は兎も角、精神的には完璧に立ち直った。どんどんやる気が湧いてくる。
見出しをつけるなら”転生者様完全復活”ということになる。
「……ぃよしっ!大丈夫!大丈夫!!」
勢いよく顔を上げると、ニーナと目があった。
薄暗い中黙って佇む彼女。何故か腐乱死体でも見てるような顔をしているが、自分の目はあまり信用できないので、きっとこれは気のせいだろう。
そこで、あぁそう言えばおはようと声をかけられていたのだった、と思い出す。
「あぁ、あああっ……おはようニーナ!ぼーっとしてて悪い、寝ぼけてたんだ!」
「…………あ、うん。おはよ」
「あれ?でもニーナがなんでここに?たぶんSとかAとかの魔物がうろうろしてるから危ないぞ……って、もしかしてニーナがアルラから助けてくれたとか!?」
「……まあ、そんなところだけど」
「マジで!?」
妙な視線と歯切れの悪い返答を寄越す少女。しかし、詩音の目にはその姿が輝いて見えた。
一度ならず二度までも命を救われ、こいつマジで天使なのか!?なんて衝撃を感じずにはいられない。
もやは彼女に対する認識は『恋慕』を越えて『崇拝』に辿りつくまでになりつつあった。
全くミアを刺し殺そうとしたのが信じられないくらあああああああぁっ
「…………っ、……いやあ、お前には助けられてばっかりだな!迷惑ばっかりかけて申し訳がねえよ。この借りはいつか絶対に返す。約束だ!」
「――――コトノ」
「――――って、命二つ分の借りをどうやって返せって話なんだけどな!ははっ!」
「コトノ」
「…………ことの?」
と、首をかしげたところで気が付いた。
コトノは自分の偽名ではないか。
「――――ああ!はいはいコトノさんですよーどうした?ニーナっ」
なんでもないように瞬時に尋ね返す。
演技力一つとっても何一つ不自然を残さない隙の無さ。流石の頭脳系転生者といったところか。
これはIQ8000に相当するといえよう。
「…………コトノ、大丈夫?」
「ん?……ああ、この火傷のことか?大丈夫大丈夫!正直かなり痛むけど動き自体には問題ねえよ。手足をやられた訳じゃないんだしな」
「…………いや、そうじゃなくて」
「ああっ!!そう言えばアルラはどこ行った!?畜生、あの野郎裏切りやがって!あいつ急に何の前触れもなく背中焼いてきたんだぞ!?信じられるか!?」
「………………」
「舐めた真似を……っ!!くっそっ、ほんとは初対面から怪しいと思ってたんだ、初めは殺されるんじゃないかってぐらいに警戒してたのにぃ!」
「………………………………」
沈黙の中、酷い視線を向けられていた。
薄暗い古城に妙に似つかわしい冷えた表情。
「……いや嘘じゃねえよ!?調子のいいこと言ってるだけに聞こえるかもしれないけどさ、最初はちゃんと気を付けてたんだって、マジで!!」
「…………」
「証拠は…………うーん、ないんだけどさぁ……!」
「…………」
ずっと黙っている少女。
やれやれ、これは誤解はとくのは難しそうである。
まあそれも仕方ない。状況が状況だ、逆の立場なら自分も嘘と判断せざるを得ない言い草であったのだから――――
そのとき。
不意に、ぎゅうと、体を柔らかな感触が包んだ。
「――っ!?」
「……………」
気づいたときにはニーナに抱きしめられていた。
少女は黙ったまま体を引き寄せ、自分の体をぎゅうと包んだ。
黙った彼女が優しく優しく撫でる手のひらの感触が背中に伝わる。
「――――っ……!!ぁ……!」
ああ。
「……ああ、っと、ニーナさん?」
「……………………」
「や、何をしたいのかがよくわかんねえけど、年頃の女子が、こんなこと、するもんじゃねえですよぉ、っと言ってみたり、して」
「…………」
「……お願いだ頼む放してくれ、早く、なぁ。」
「…………やだ」
「――――っ――う゛あ゛ああ゛ああッ!!ッづああああ゛ああああああ゛ああああ!!っ、放せ!!!はなっ、放せッッ!!」
返事はないぎゅうと体を包む腕が火傷は避けているものの体を強く掴んで放さない、力が、強い!
背中肉が皮が骨がっぐにゃんと波打っている!!瞳孔が開いて閉じて体がおかしくなってしまったのだろうか喉からつんざつ絶叫が耳に響く!!
ああああああああああああああああああああああああああああっ!!という叫び声!!
来る!!少女の手の平から熱線が発されるのは自分を抱いてこのすぐあとだ!!来るッッ!!
体をよじって抵抗するが彼女の力が強くてそれは叶わないいや全力で振りほどけばどうにかなるはずなのだけれどいやできるかわからないのだけれどそれをしていいものなのかもわからない次の瞬間無意識にニーナを殴り飛ばしていてもおかしくないのだもしかしたら『
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――――!!
――――そうして、やってきたのは静寂だった。
「あ゛あ゛あ゛――――――あぁ」
ぎゃあぎゃあ叫んで喉が枯れ、掠れてきた声がようやく止まる。
結局背中は焼かれなかった。
書斎のようなこの部屋は、人間2人が寄り添うのにはあまりに広すぎて、目に映る暗がりが気持ち悪い。
自分が絶叫している間、ずっと黙って抱擁を続けていたニーナ。
自分が静かになってからも静かに佇むニーナ。
布一枚の距離しか離れていないはずの彼女が何を考えてるのかわからなくて、さっきまではそれも死ぬほど恐ろしくて、恐怖に疲れた頭は既に思考を放り投げている。
しばらくぼうっと呆けていた。
「………………」
「………………」
静かだ。
背中をそっとなぞる手の平の感触だけが、今ここにある唯一のゆらぎ。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……吐いて」
「…………ぇ……?」
「息を吐いて。できるだけゆーっくりとね」
「…………っぁ……はぁ」
わけがわからないままに息を吐く。
もっとゆっくり、とか、そ、そんな感じ、とか。
耳元で響くウィスパーにただ従って息をしている。
「吸って」
吸った。
「吐いて」
吐いた。どうせ吐くのに息を吸うのには、いったい何の意味があるというのだろうか。わからないけど息を吐いた。
そんな動作を十数回は繰り返しただろうか。
「…………昔、つらいことがあった時、こうしてもらったんだ」
そう言って、抱擁は融け、そっと少女の体が離れていった。
「ボクは結構楽になったんだけど、どう?」
向かい合う少女の瞳が、こちらをじっと覗き込む。
「………………ぁ、うん」
何がなんだかわからなくて、だから何も言えなくて。
ニーナはそんな呆けた自分の顔をまじまじと眺めた後、手を伸ばし、詩音の瞼を指で拭ってきた。
離れていく指が少しだけ濡れている。
「……ちょっと歩こっか。あいつはすごく鼻がいいし、耳も結構いいんだよね」
立ち上がるニーナの姿にせかされるような気がして、自分もよろよろ立ち上がった。
あいつとは誰なのだろうとか、言ってる内容については、考えないようにした。
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