第41話 ひしゃげた倫理と談笑会

 

 どうやら目が暗闇に慣れてきたらしく、結界外の光が微かに漏れ出て上空を暗い星空のように彩り、眼下の寂れた城下町の輪郭をぼうっと浮き上がらせている。

 自分達がいるのは、そんな城下町の中心に佇む古城の5、6階くらいだろうか。壁面に空いた大穴に並んで腰掛け、アルラと2人、外の景色を見下ろしている。

 宙ぶらりんの脚を振りながら、アルラから手渡された小さな水筒の液体を喉に通すと、温かな甘味が口いっぱいに広がる。


「…………もう一口いい?」

「おいしいでしょ。結構お高いやつなんだから」


 妹は何故か自慢げだった。


 自分達の少し後ろのほうにはコトノが落ちている。背中を焼かれた激痛で気を失ったらしい少年はピクリとも動かず、うつ伏せに床に這いつくばっていて、しばらく意識を取り戻すことはなさそうである。

 ので、安心して彼から意識を離し、もう一度水筒の中のカフェオレを堪能する。


「……うん、ちょうおいしい。香りと後味がいいよね、初めて飲んだけどどっかの新商品?」

「ううん、お姉ちゃんが家出した後できたカフェのやつ。丘の上に建ってる……おとといコトノと行ったとこなんだけど、聞いてない?」

「えぇ……全然知らなかった……。そっか、街並みもだいぶ変わってたし、新しい店できてても何もおかしくないんだよね……」

「そこのガトーショコラが最近のお気に入り」


 そう言いながらアルラは手渡し返した水筒に唇をつけ、傾け、そして小さく喉が鳴る。

 目を細める彼女から視線を外し、再び眼下の城下町に目を向け、ほうと温まった息を吐いた。


 数秒ほどして、ぷは、とアルラも息を吐いた。


「……ね、アルラ。わからないことがあるんだけど」

「……わからないこと?」


 きょとんとした返答。


「アルラってさ、元々コトノを殺すつもりで近づいてきたんだよね?」

「あぁ、うん。魔力が高い人間を高く買い取ってやるぞーって、あの不審者からのお誘いの件ね。受けるかどうか悩んでるときお姉ちゃんが家出したわけだけど、生死問わずなら1人でもできるでしょーって思って引き受けることにしたの」


 アルラも自分と同じく、正面眼下の城下町を見下ろしている。

 すんと澄ました横顔が淡い光に照らされていて、うっすら積もった雪の景色を思い出した。


「引き受けたはいいけど魔力なんて外見じゃ分からないし、とりあえず高ランクの依頼が集まってるギルド最上階の張り込みから始めたわ。けど、前に依頼を受けてた人が派手にやらかしたみたいで、ギルド内はどいつもこいつも警戒強くて手が出せない。最近までずっと収穫無しよ。……で、3日前、初めて子供が2人で来てた」


 3日前。

 コトノと朝早くにギルドを訪れた、アルラと再開した朝のことを言っているのだろう。


「運がいいってもんじゃなかったわ。子供で魔物狩りしてるってことは身体の差を埋めれるくらい『叡智』に頼りきりなんだろうし、魔力も高いんじゃないかって簡単に想像できたから」

「……って。その言い方、あの時ボクって知らずに話しかけてきたの?」

「そりゃわからないわよ。ここにお姉ちゃんが戻ってきてるなんて想像もしてなかったんだし。だから顔を見たときはすっごく驚いた。お姉ちゃんが戻ってきてるのもなんだけど、魔人と普通に喋ってる人間がいるのに一番びっくりしたかしら」


 そこまで言って、「あ、そう言えば」と、少女は水筒を下へと放り捨てた。


「一応確認しておくけど、コトノは殺しても良かったのよね?私が人間狩ろうとしてるのお姉ちゃんは知ってるはずなのに、私のことを知らないフリしてたってことは、こいつは殺していい人間って意思表示だって考えたんだけど」

「あー、うん。そうだね。安全に処理するならノーマークのアルラに任せたほうがいいかなって。正直あの時は生かすか殺すか迷ってたんたけど、今はもう全然」


 やっぱりそうよね、よかった……というアルラの相槌が耳を打つ。

 そう、ここまではいい。アルラに尋ねずとも半ば見当ついてたことだ。

 わからないのはここからだ。


「で、その時の話なんだけどさ、なんでいきなりあんな演技始めたの?」

「……あぁ」

「どれだけ考えてもわかんないの。高ランクの人間狩るのに不意打ちしかないのはわかるんだけど、別にあそこまで取り入らなくても、適当に理由つけてひとけのないとこに引っ張り出せさえすれば――」

「顔。」

「――――はい?」


 思わずアルラに視線を飛ばすが、なんでもないことのように、少女はす変わらず街を見下ろしている。


「顔が好みだったの。っていうより全体的なビジュアルかしら。側に置いておきたいなって。うーん……装飾品みたいなものって言えば分かりやすい?」

「………………」

「……で、私は考えた。すっごく強いだろうコトノこいつを、いったいどうやれば側においておくことができるのかなーって、あの一瞬、頭を捻って考えた」

「…………あぁ、うん」

「そしたら疑問に思ったの。どうしてコトノこいつは魔人のお姉ちゃんなんかと仲良くお話してるのかなーって」

「……答えは?」

「奴隷が欲しいのよ」


 澄ましていた表情が可愛らしく歪む。

 ぇへへ、と小さく笑っているその様子は、わかってはいたけど、我が妹ながら、やっぱり可愛い。


「自分に依存しないと生きていけない雑魚を側に置いておけば、そいつは捨てられまいと必死に媚びを売るだろうし。下の人間が怯えて顔色を窺って、ちょっとしたことでもてはやしてくるのはとても気分がいいでしょう?それに性欲が混ざった結果よ。お姉ちゃんも私もすっごくかわいいから、魔人をどうにか許容できるなら使い潰すのに都合がいい」

「……手は出されなかったけど」

「でしょうね。私も後から気がついた」


 明るく跳ねるような声色が響く。


「信じられないことだけど、ほんとは奴隷を欲しがってても、それに気が付かないフリをしていたいものみたい。ああいう人間は。性欲だとか支配欲だとか、簡単に気持ちよくなれることに犬みたいにむしゃぶりついてるだけなのに、俺はこいつを助けてあげるんだー、俺は誰かの為に頑張れる人間なんだーって酔っ払ってね。」

「馬鹿みたいよね。ママからいい子でいなさいって言いつけられたのが今でも忘れられないのかも。善人やってれば奴隷が自主的に尻尾を振ってくるってお伽噺に縋り付いて、でもそれを期待するのは汚い人間だって怖がって、自分はいいやつなんだって言い聞かせて、目を逸らすのに必死になって。根っこのところが幼稚なのよ、どれだけちっちゃい脳味噌してるのか逆に興味が出てくるくらい」

「…………」

「で、そんな酔っ払いを騙すとなれば答えは簡単よね。従順で、頭が悪くて、孤独に弱い、かんたんに依存させられるような雑魚を演じればいい」


 アルラは目を閉じ指を立てる。

 心底楽しそうな笑みを浮かべて。


「――少年がひとつ瞬きした瞬間、突然眼の前に現れたのは『魔人』の美少女。誤って人前で変装を解いてしまったらしき彼女は、周囲の人々からいわれの無い罵倒を視線を浴びながらも、涙を堪えてギルドを出ます。それを心配に思った少年は少女を追いかけ、優しい言葉の数々で励ましました」


 つらつらと途切れること無く、聖歌のように言葉は続く。


「そうしてる内、不意にアルラの目から一筋の涙が零れます。魔人に対しても対等にかけられる少年の真摯な言葉は、少女の冷たく凍った心を融かし、密かに、しかし確かに、少年への淡い恋心が生まれ始めていたのです」


 目を開き、にんまりとした笑顔が花開いた。


「……って台本ね!そういう状況にあるとコトノに錯覚させるって作戦!それを私はあの一瞬で考えたってこと!どう?天才でしょ!」

「いや全く。そもそも『魔人の姿を隠して騙して取り入ってこようとしてた詐欺師』ってのが前提になる演技してるんだから、完璧ないい子ちゃんぶってたのほんとに無理があると思う」

「……え」

「そもそも魔人を嫌がりませーんって男のところに偶々魔人がやって来て、たまたま『叡智』が解けて姿を見せちゃって、たまたま好きになっちゃいましたーなんて、そんな都合のいいことがあるわけがないでしょ?まともな神経してたら怪しまれるに決まってる」

「…………そうかしら」

「最悪なのが独りが嫌って設定作ったのに、魔人の姿を見て受け入れてるボクを無視してるところだよね。アルラがボクのこと魔人って気づいてたとしても気づいてなかったとしても矛盾が出てくる。コトノだけに意識を向けてるのは不自然もいいとこだったよ?」

「…………」

「おととい馬車の中でもずっとボク抜きで話しててさぁ、ほんとなんでばれないのってビクビクしてたんだから。1、2回、形だけでも話を振っておこうって思わないの?馬鹿なの?」

「……うるさい。調子に乗るな」


 しんと場が静まる。

 会話の途切れた古城は、嫌気がさすほど暗くて静かだ。

 正面からふいてきた緩い風が二人の合間を通って行く。


 アルラはしばらく黙って外に石を投げていたけれど、数秒ほどして口を開いた。


「……まあ、お姉ちゃんの言う通り、結局上手くはいかなかったんだけどね。昨日はちょうど組織が魔草を暴れ予定だったから、シーナを使ってはみたけれど、そっちのほうも空振りだったし」

「……使?」

「昨日の魔草はあの不審者が用意したものらしいの。飼い猫助けられて感謝感激に震える女の子。飼い猫殺されて傷心気味の女の子。どっちに転んでも美味しい役回りでしょ?前々から連絡は入ってたし、便乗する形だけど使わせてもらったってこと」

「……ふーん」


 適当な相槌を打ちながら振り返り、後ろの方を指差した。


「じゃ、結局コトノこれはどうするの?」

「うーん……元々売るつもりで近づいたんだし、いつかは引き渡すつもりだけど……折角捕まえたんだし、顔はいいんだし。とりあえず手足は落としておくとして、飽きるまではインテリアで飽きたら出荷かしら」


 近くに落ちていた壁の破片をアルラがやってたように放り投げる。

 ずっと下に落ちていく小石が、徐々に小さくなっていって、城下町の中に、融けるように消えていった。


「で、お姉ちゃんは?」

「ん?」

「どうしてお姉ちゃんはこの街に戻ってきたの?てっきり二度と会わないものだと思ってたんだけど」

「あー……来たっていうか気づいたら偶然ここに運ばれてたっていうか……まあ付き添いかなぁ、コトノの」

「……付き添い?」

「うん。困ってそうだったから、なにか手伝いできないかなって」

「…………どうしたの?あのお姉ちゃんが他人の心配するなんて……会わないうちに頭でも打った?」

「ボクをなんだと思ってるの?」


 妹からのいわれのない言葉に意義を申し立てつつ、問に答えることにする。


「コトノってさ、シャルさんに似てると思わない?」

「…………?」

「似てるよね?」

「…………いや、覚えてないわよ。その人の話は何度も聞いたけど、彼女がいたとき私まだ3つでしょ?」

「似てるの。すっごく似てる。生まれ変わりかと思ったくらいそっくりだったんだ」


 シャルロット。

 ずっと昔、どう生きていけばわからなかった幼い自分に手を差し伸べてくれた人。

 誰もが拒絶する魔人にも対等に接し、なんでもないように話しかけてくれる、強くて優しくて、かっこいい人。


 最後に話したのはずっと昔のことだけど、それでもその姿を、仕草を、一挙手一投足を、今でも鮮明に思い出すことができる。

 そして。


「……知ってる?コトノって甘いの嫌いなの。シャルさんはボクよりずっと甘いもの大好きだったのにね」

「…………ぇ」

「それだけじゃなくて、ボクに愛してるぞって言ってくれないし、寝る前にぎゅーって抱きしめてもくれないし、一緒にお風呂に入ろうともしない。勿論夜這いなんてしてくるわけがない。流石にSランクをナイフで殺すのは強すぎて嫌だし、コトノのことを知れば知るほど、なんか違うなーってなってきてさ」

「…………え?」

「なにより、掴んだ腕があんまり柔らかくなくて……」


 はぁ、と思わず溜息が漏れた。


「…………あー、男の子なんだなぁって。」

「……?…………?????」


 言った瞬間、何故かアルラの動きが止まる。

 瞳から感じられる感情は『困惑』だろうか。


「……どうかした?」

「……えっと、あれ??……んん??……それは、コトノの性別が嫌ってこと?」

「そ。がっかりだよね」

「――――????……そんなの、一目見たときからわかってたことなんじゃないの?」

「…………薄々わかってはいたけど、こうもはっきり示されるとやっぱりね。それに万一ってこともあったし。もしかしたらボーイッシュな女の子ってことも」

「……ないわよ。頭がおかしいの?」


 向けられる困惑の目に僅かに沸き立つ寂寥感。

 けれど、まあ、どうでもいいことなのだ。


「…………とにかく思ったよりシャルさんに似てなかったわけだし、はもう要らない。四肢を捥がれても拷問されても殺されてもどうでもいい。っていうか、邪魔。自由時間が減るのは嫌だしね」

「……お姉ちゃん、コトノとどういう関係だったの?」

「色々あった。だからアルラが殺すの待ってることにしたんだけど、アルラより先に殺して、どうにか自力であの不審者と連絡つけて売り渡すほうがお財布に優しいって今朝気が付いて。それで慌てて追いかけてきたって感じなんだけど……」


 みたび視線を後ろにやった。

 全く同じ光景が広がっている。


「なんだけど、こうなってた。ちょっと気づくのが遅かったよね……」

「――――ぇへへ、いいでしょ。あげないわよ」


 アルラが悪戯な笑みを浮かべ、ニーナじぶんがいじけて小さく唸り声をあげる。

 静かな古城に姉妹の声がどこまでも響いて広がっていく。


 後ろに雑に転がってるコトノがあまりに静かなものだから、ひょっとして彼が死んでしまったのではないかと邪推するが、それでもよく観察すると薄く息を吐くのが聞こえて、やっぱり彼は生きている。

 今日も世界は平和だった。

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