第40話 とっても綺麗なぷれりゅーど

 

「……ずっと、独りぼっちだったの」


 古城跡。

 マナによって生み出された深くて純な闇の中、詩音じぶんに抱きつくアルラの声は、小さく小さくこだましている。


「これまで誰にも見つからないように、ずっと隠れて生きてきて。寂しくて、寂しくて、寂しくてっ……コトノと出会って、普通に話をしてくれて。誰かに心配してもらえるなんて初めてで。毎日幸せでっ、嬉しくて、救われて!」


 途切れ途切れな少女の話し方は、揺れて、うわずり、痛々しく。


「なんでっ!……なんで、ずっと一緒じゃいけないの……!?私、何にもできないけど、役立たずに決まってるけどっ、それでも、できることならなんだってするから……!」


 自分の身体を包む腕が力を帯び、ぎゅうと結ばれる固い抱擁。


「だからっ……側にいさせてよ……」


 首筋に触れる暖かな液体。

 すすり泣きが耳元で聞こえて、ああ、自分はまたアルラを泣かせてしまったのだなと、詩音はぼんやり状況を理解した。


「……アルラ」


 触れ合う身体が伝える体温、細かな震え。

 五感で感じられたあらゆる要素がアルラの傷心を裏付けていて、どうしてこんなに傷つけてしまったのかわからなくて、傷ついた少女にどう声をかけていいのかわからなくて。


 辺りは真っ暗で物音一つ起こりやしない。

 黒竜の巣のはずのこの場、いつの間にか一切の気配は消え去っていて、皮肉なくらいに場は静まっている。壁の風穴から漏れる小さな風が煩いくらいの、過剰な静寂が膜を張る。


 そんな中、目を閉じて、開けて、考えて。

 ひとつゆっくり息を吐いた。


「――――酷い目に遭ったんだ」

「………………ぇ……?」


 少女の表情は見えないけれど、その声色は呆然としていた。

 唐突な言葉を受けた彼女の困惑をそっくりそのまま表していたようだった。


「それが何かは、言えないんだけど……滅茶苦茶な、最悪なことが、あってさ」


 そして、自身に向けられるそんな目がどうでもよく感じてしまえるほど、もう、気が狂ってしまいそうだった。


 これまでずっと目を背けてきた胸の孔は、見るもおぞましいドブのようで。

 少し意識を向けるだけで感情は連鎖し、想起するだけで血を吐きそうなあの光景が次々と次々と次々と湧き上がってくる。


「……うわぁ最悪だぁーって思って、死にてえなって思って、。やらなきゃいけないことができて、死ぬわけにもいかなくなって。それからずっとその時のことが頭にこびりついてて、何やっててもクソみたいな気分でさ」


 思い出すのは、殆どが、の2人の姿。


 気持ちが悪い。吐き気がする。どす黒いものが胃の底からせり上がってくる。


「だめになりそうだったから、気にしてないって、効いてないって思い込んで、どうでもいいことばっかり考えて、全部忘れて馬鹿になろうとして……それでもずっと最悪な気分で、嬉しいはずのことが全く嬉しいって思えなくなってて……」


 だけどそれでも、乾いた動きにくい口を無理矢理動かした。


「…………俺、ずっと、あたまがおかしくなりそうだったんだ」


 ああ、そうだ。

 生き返ってからずっとそうだった。


 普通な自分は、信じていた仲間に裏切られ、普通に死にたくなったのだ。

 普通というには弱すぎる精神は、まともに現実と向き合うことができなかったのだ。


 ひっぱり出してもどうにもならない最低の記憶。目を逸らし続けたどうしようもない腐った本音。

 全部再確認して、思い出して、口に出して。血は吐かなかったけれど、最悪な中のさらに最悪な気分が視界の中で踊っている。

 平衡感覚がなくなってきたような気がする。


「――でも、アルラといるときだけは、ちょっとだけ嫌なことを忘れられた」


 けれど、言わなくてはならない。


「……楽しかった。俺なんかが楽しいって思っていいのかわかんないんだけど……それでも、ちょっとしたことが楽しくて、少し楽になって――――だから、そんな風に自分を悪く言うのはやめてくれ。死にたくなるんだ」


 例え、自分のことは騙せても。

 こんな自分を好きだと言ってくれた彼女の気持ちを適当な言葉で騙すことは、裏切ることだけは、できないから。


「…………ほんとうは、出会えて救われたのは、俺のほうなんだ」


 すぐそばにいる『魔人』の少女は、今にも崩れそうだった心を救ってくれた恩人だから。

 決して、役立たずなんかじゃない恩人だから、悪く言われたら死にたくなる。


 これだけは、どれだけのトラウマをほじくり返しても伝えなくてはいけないことだと思った。


「――――じゃあ……っ!」


 震えた息を吸う音がする。


「じゃあ、そのやらなきゃいけないことに、私も一緒に――!!」

「ごめん。……無理だよ。無理だ」


 アルラと出会って三日間。わかったのは、優しくて、少し泣き虫で、普通な女の子だということ。

 昨日の魔草を前に動けなくなってしまった、魔物を殺すなんてできるはずもない、どうしようもなく普通な女の子だった。

 黒樹との戦いになんて、巻き込めるわけがなかったのだ。


「……約束する。何ヶ月か、何年後になるかわからないけど、全部終わったらここに戻ってくる。今度はずっとアルラを守るから」


 魔物と殺し合える人間かどうかなんて、すぐに判断がついたはずだった。


 それでも彼女から離れようとしなかったのは、きっと一緒にいる時間が心地よかったからで、そんな軽薄な選択が、回りに回って彼女を傷つけていて。


「……だから……ごめん」


 言い訳のような言葉の羅列に、少女の腕の力が緩まった。


 後ろに回された手が優しく慰めるように背中を撫でてくる。

 慰められたいのはアルラのほうだろうに、優しく、優しく、労るように変わった。


「……今だけは、そばにいさせて」


 少女の言葉に、申し訳無くなって、情けなくなって。

 せめて『叡智』を隠しきりアルラを巻き込まずに終わらせられたことを、彼女が死なずに済んだことだけは喜ぼうと、天井を仰ぐ。


 黒竜達は何処にいってしまったのだろうか。

 暗い古城はどこまでも静かで、苦痛を誤魔化すには静かすぎて。







「……ね、コトノ」


 少女の右手がそっと背を撫で、呟いた。








「……いつも、すごく、隙だらけよね」

「………………ぁ、……ぇ?」


 瞬間生まれた思考の空白――――刹那!


 詩音を抱くアルラの両腕から生み出された光が、超高密度の束へと姿を変え!!

 人体を破壊するには過剰なまでの高熱を生み出し、詩音の背中を焼き焦がす!!!!


「―――――ッッッッッ!?!!!????」


 瞬間、せり上がってくるひりついた感覚――!!

 じゅう、と肉の焼ける音が己の身体の内側から弾け――!!!


「ッッアあ゛!???あ゛あ゛あ゛あ゛!??ッ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛あああ゛あああああ゛あああああああああァッ!!!!!!!!」


 瞬時に身体の隅にまで伝播する、かつて感じたこともない鋭い激痛!!

 反射的に跳ね除けようとする身体が微かに抵抗するものの、アルラがぎゅっと腕を締め!!

 力が強い!!逃れられない!!!

 熱い!!!痛い!!!


「『地を裂く白夜と永遠の薄明』――――ッ!!」

「う゛ぐア゛あああがあぁあああ゛あああーーーッッ゛!!!!!」


 痛い痛いすごく痛い!!!

 痛ぁぁあ痛いいいっ!!


「焼き尽くせ……ッ!!」

「ギイャァあああアアアア゛ッ!!!!ああ゛ッッッ!!?わ゛あ゛ああああああ゛゛あああ!!!??あああ゛あ…………あ゛ッッッ!!!」


  そうして臨界点を超えた痛覚は明滅していた意識をぷつりと暗闇に――――




 ******




 少年の叫び声が途絶えて数秒が経過。抱いてる身体がピクッビクッと痙攣し始めた。

 目を閉じてなお眩しさが残る閃光の中、だんだんと辺りに漂ってきた焦げ臭さ。


「えっと……?このくらいでいいの……?」


 腕にかかる抵抗の消失を確認し、光を収めて腕を放す。

 と、軽く煙を上げるコトノが力なくずり落ちていき、べしゃりと顔から地面に倒れ込んだ。


 そんな衝撃を受けても地に伏せた少年は身じろぎ一つしない。完全に気絶したようである。


「――うんっ!!ぃよし勝ったッッ!!」


 己の勝利を称え、アルラは強く拳を握る。


 弱者を装って近づき、油断を誘い、そこからの"不意打ち"。

 広く重用されてきた最強戦術。合理性の極みと言える戦法は、刃物一つで魔物を殺せるような化物にも例外なく機能したというわけである。


 まあ、いくら化物といっても"素"の能力に限った話。所詮は『叡智』が無い能無しの延長線。殺すだけなら簡単な相手ではある。

 しかしながら、あの身体能力に正面から挑んで生け捕りにできる可能性は限りなくゼロに近いというのもまた事実だろう。


 故に、若干時期が早まってしまったのは痛いけれど、それでもこの結末は万々歳というわけなのだ。


「ふぅうぅ……やっぱり魔物と違って人間狩るのは楽でいいわね……」

「あぁくそっやっぱり遅かった!!」

「――ッ!??」


 後ろからの声に跳ねるように振り返ると、そこには、はぁはぁ息を切らした少女が、膝を抑えて立っている。

 慣れ親しんだ影に、匂いに、暗い城内でも彼女が誰だかはっきりとわかる。


 ニーナだ。


「――――お姉ちゃん!?なんでここに……まあいいわ!おはよう久しぶり元気してた?」

「…………や。元気元気。アルラもすっごく元気そうでよかった」


 息を整えながら笑って手を振る姉の意図は相変わらず読めないままではあったけど、とりあえず、こちらも笑って、手を振り返して応えることにする。


 そのへんの床にコトノが転がっている。

 あまりに動かず静かなので、なんだかそういう置物みたいで、可笑しい。

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