第17話 作戦会議には独白を

 

 突然宝くじが当たったからといって、その場ですぐさま大富豪さながらに振るまえるヤツなんているのだろうか。

 少なくとも詩音にはできない。


 という訳で、ニーナと共に卓を囲むのはギルド最寄りのカフェテリア。

 耳を澄ませばほんの僅かにギルドからの喧噪が聞こえてくるそんな場所で、詩音は卓上の紙片を這うニーナの白い指先を目で追っていた。

 それは先のゾンビの討伐依頼だったもの。討伐済みの今となっては本当にただの紙切れとなった一枚を、少女が順に読み下していく。


「…………で、最後が討伐対象の居場所だね。『デステリア街跡地全域』。移動を繰り返すタイプだったりしたらここに注釈が入ることになるんだけど、アレはそういう魔物じゃなかったみたい。あんなだったんだから、当然といえば当然だけど」


「ほ~なるほどなぁ…………ありがとう助かった」


 カップの中に角砂糖を放り込もうとして、やっぱり止めにしておきながら適当な相槌を返す。

 店内にいるのは詩音とニーナと、あとは数人の従業員。さっきから小さな喫茶店に響いているのは詩音達ふたりの話し声だけである。


 詩音は異世界語を読めない。


 故に一度こなした討伐依頼を読み返したいとなるとニーナに一々翻訳してもらう必要があり、そして、それがそのままここを訪れた理由である。

 ミアのとりあえずの治療費は確保できたことだし、早急に確認しておきたい事が2つあったのだ。


「ん~~~っと……?」


 これまでのニーナの発言を咀嚼し、詩音は思慮にふける。


 1つ目は異世界語について。


 読み書きができないことで起こる不便は今まで経験してきた通り。幼稚園児以下のこの状況は、早めに脱しておきたいものである。


 ――討伐依頼の全文を訳してもらっただろ?原文とそれに対応するやくがこれだけ用意されたんだから、できない理屈はないはずなんだけど……


 なにも手がかりは討伐依頼書だけではない。

 王城の資料室で読んだ蔵書213冊。

 訳すことはできなかったものの、意味は全くわからなかったものの、文体まるごと図形として丸暗記することくらいは詩音にもできた。


 だったら後はパズルの要領だ。

 未知の文字があるならそれを213冊内の文字群の中から洗い出し、同文、同段落で出てくる既知の文字群の種類と位置を判断材料にその意味を予測。その語を既知に加えて再試行。この手順を繰り返せばいい。

 幼稚園児でも分かる理屈である。


「…………………………………………んん……??」


 そのはずだったのだが。


 ――――……うっわ無理……!!何だこれ学術用語か……!?


 そう、当たり前だが、この手の手法が通用するのは十分なデータ量がある場合に限る。

 213冊の中でも1度しか出てこないような専門用語まではカバーできない。当然のことだ。


「………………??…………??」


「コトノコトノ、これもう食べていい?」


「…………いいも何もお前が頼んだやつじゃん。俺の許可いる?」


「……………………だって元はコトノのお金だし」


「!?おぉ……協力費だって言ってんのに変なところで礼儀正しいな……!!よろしいたんとお食べなさい!!」


「やった!」


 ニーナにGOサインを出しつつ、専門用語それらの理解を諦める。

 何百周見直しても異世界語を完璧に理解することは叶わなかったということである。終始意味を拾って読みきれたのは205冊止まり。


 どこまでいっても100点まんてんを出せないのは自分らしいといえば自分らしいが、ふとしたミスが世界の滅亡に繋がりかねないこの状況下では笑えない。

 IQ云々言って誤魔化したところで、根本的に無知で無教養な自分は変わらないということなのだろうか。合掌。


 やるせなさを感じつつも、それでも普遍的な単語は一通り網羅できた。

 昨晩の魔法の本を思い出して読み返しつつ、詩音は湯気を上げるカップの液体を喉に通す。


「…………!??うえっ苦っ!!」


 詩音が頼んだのはいい匂いのする謎の黒い液体。所謂コーヒーという飲料である。

 異世界にもコーヒーがあったのは驚きだが、それ以上に予想をはるかに越えた苦さに思わず悲鳴を上げる。


「げぇぇ……!!苦ぁ……!!」


 これは本当に人間が飲む液体なのだろうかという疑念が湧いてくる程の苦味である。


「あっまぁ……!」


 ニーナが頼んだのはクリームの乗ったパンケーキ。

 粉糖のかかった甘味の塊を綺麗に切り分け、少女は心底幸せそうに頬張る。


 詩音とは正反対の表情だった。


「うっえ……紅茶にしときゃよかった……!!」


 嗜好品で苦痛を受ける現状は間抜けの一言に尽きるだろうが、何はともあれアドリブで誤魔化せる程度の識字力は身につけた。魔法の原理と訓練方法も頭に入れた。1つ目は終わりだ。


 2つ目。ゾンビを討伐できた理由の解明。


 都市を1つ滅ぼした化け物ゾンビをクソ雑魚ナメクジじぶんが討伐できたという異常極まりない事態について考えないわけにはいかない。『何故か上手く行ったなぁ、よかったよかった』と放っておくのは非常に危険だ。

 勝因が分からないということは即ち、己の認知のどこかに誤りがあるということであり、それは次に致命的なミスへと転ぶかもしれないのだから。


 ――まぁでも、今回は杞憂だったかもな……ただ単に運がよかったってだけだろ……


 チビチビとコーヒーを飲みつつ考える詩音。


 依頼書を読み上げたニーナ曰く、あのゾンビの特性は『疫病』。

 少しでも体液に触れた者の中に入り込み、脳随を食い散らして瞬時にゾンビに変えるという、大方想像通りの魔物であったらしい。


 ここで考慮すべきなのは、その特性が最大に効果を発揮するのは大人数を相手取る時だろうという点。

 加えて言うなら、ナイフが刺さる表皮を持ち、多少無理すれば対応できる運動能力を備え、なおかつ範囲攻撃を有していない魔物だったという点。

 死にかけはしたものの、筋肉痛は残ったものの、振り返ってみればあのゾンビは詩音が討伐するのに最も都合がいい相手に思えてくる。


 だから勝因は『運』。それ以上でもそれ以下でもない。


「すいませーん!!これもう3つお願いしまーす!!」


 パンケーキを追加注文するニーナ。中々減らないコーヒーと格闘しつつ、詩音は更に考える。


 ――まあでも、幸運それを考慮に入れたとしても上手く行きすぎだよな……


 まず大前提として、チートを封じた志無崎詩音は弱い。クソ雑魚だ。

 自身の実力くらいは正確に把握できている。確心をもっていえるが、間違い無くクソ雑魚ナメクジである。強めの魔物に会ったりすれば2秒で消し炭となるのが必定の雑魚。


 そして、そんな雑魚が運がよかったくらいでどうにかできたということは、あのゾンビは黒樹産の魔物と比べると数段格落ちすると評する他ない。


 ――あれが最高ランクなんだから、多分"A"なら『叡智』無しでも安全に狩れる…………狩れるよな?


 ランクを落とせば報酬も数段落ちるだろうが、『叡智チート』の使用をニーナに見られるリスクを消せるのは魅力的だ。

 そう、志無崎詩音は現在、どうしようもなく金が欲しいのである。


 ……こんな事を言うとまだ欲張るのかとお叱りを受けそうだが、今後を考えると実はまだまだ資金は足りない。


 13億……正確には現在12億。ギルドに11億預かってもらって手持ちが1億とちょっと。

 これでミアの治療費は賄えるだろうが、それで詩音の仕事は終わりでは無い。

 すぐさま黒樹の討伐に向けて準備をしなくてはならない。というか元々こっちが本題なのだ。


 ――内通者が1人以上……は金だけじゃどうにもならないとしても、治療役が10人は欲しいよな。もう俺の体に再生力は無いんだし……


 回復魔法を扱える奴は珍しいらしいし、人体の回復を叶えることがてきる『叡智』持ちが一体どれだけいるのかは完全な未知数。


 それだけの貴重な人材を何人も何年も縛りつけにするのだから、それなりの対価は用意しなければならないのは自明の理。

 つまるところ大量に金が要る。

 用意できなければ世界が滅ぶのだから。


 そんなところで総括。今後の方針だ。


 ――ギルドで"A"ランクを狩って金稼ぎ。回復魔法を中心に魔法の習得、余裕があるなら内通者になってくれそうな奴を見繕う……って感じか?


 詩音がそんな結論を思い浮かべ、予想されるこれからのハードスケジュールに辟易した感情を抱いた、そんな時。


「はい、あーん」


 突然ニーナの匙が口に飛んできた。

 上品ですっきりした甘味が口いっぱいに広がる。


「おいしい?」


「……これはどういう趣向で?」


「布教活動。ここのパンケーキ凄いおいしかったから。どう?おいしいでしょ」


「…………んー……悪くはないけど…………俺甘いの苦手だからなぁ……」


「!?苦手!?甘いものが!?嘘!?」


「ほんとだって。知ってるか?大人の舌は甘味より苦味を好む傾向にあるんだ」


 そう言って、詩音はクールにコーヒー最後の一口を流し込んだ。

 舌に残っていた甘味の落差によりとてつもない苦みがやってくる。


「ッ!!うっえぇっにっがぁっ!……ふぅぅっ……!!……ほらな?」


「…………『ほらな?』じゃないよ?うえぇっはおいしいと思ってる反応じゃないと思う」

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