第16話 蹂躙

 

 16時間が経過した。


「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!痛゛ってぇぇッッ!!!!」


 最強無敵のチーター志無崎詩音は、廃街のど真ん中で発狂していた。

 外面を取り繕う余裕など一切無しに、現在進行形で迫り来る敵に向かいがむしゃらにナイフを振り回す。


「ゲッ」「ひ」「ぴ」「あああ」「び」「びびび!!」「バ!」


 詩音を取り囲むのは53体の腐乱死体。

 ドロドロに腐って、融けて、腐臭を放ち、半分液体となっているのに何故か人らしき輪郭を保てている、そんなゾンビ達が四方八方から襲いかかってくる。


「わああああああああああ!!ああああああ!!」


 半狂乱になりながらギリギリのところでいなし、離れ際にナイフで首を4つばかり切り落とす。


「ギャ」「ビ」「ビ!!」「ヤァ!」


 いずれも0.1秒かからず再生した。


「……ずっるぅ…………!!」


 異常極まりない再生力を絶望的な気分で見送りつつ地面を蹴り、ゾンビの密度が僅かに薄い0.5秒の安全地帯へなんとか逃げこむ。

 勿論、そんな一挙動で53もの集団の中から抜け出すなんて芸当は叶えられるわけがなく、息つく暇もなく次のゾンビ達が襲いかかってくる。


「ギャァァァイイイィ!!」


「ひいいいぁぁっ!!死んでしまううううっ!」


 戦闘が始まってから4時間、ずっとこの繰り返しであった。

 一挙動毎に全身に激痛が走り、息が上がって体力が尽きつつあることを察しながらも、詩音は地を蹴りナイフを振るう。


 脳内を巡るのは理不尽な現状に対する憤りと恐怖、あとは後悔である。


 ――どうして……!?どうしてこんなことに……!?どこで失敗したんだ俺は……!?


 こんなはずじゃなかった。志無崎詩音はチーターなのだ。


 詩音の『叡智』、チートスキルは理不尽の結晶。打てば確殺の独裁スイッチ。

 "S"だかなんだか知らないが、大抵の魔物なら数千集まってもまとめて捻り潰してはいおしまいの糞ゲーになるはずなのだ。

 ドヤ顔で午後のティータイムを窘める位の余裕の勝利を収めるはずだったのだ。


 では、そんなチーターはどうして今無様に逃げ惑っているのか。


 簡単である。

 ずっと遠くで物陰に潜むニーナが、こちらの戦いをじっと眺めているからなのである。


 ――あいつマジでふざけんなよ!?何で4時間ずっとこっち見てるんだよ頭おかしいんじゃねえの!?


 隠れてこちらを窺う彼女に気がついたのは戦闘開始直前、ゾンビの群れの前に姿を晒して『さぁて……一撃で終わらせてやるか……』と肩をコキコキ鳴らし、『叡智』を放とうとしたその瞬間。

 一体のゾンビの眼球に映った風景の中、端に小さく映る物陰の少女の姿が見えた。

 ギルドの馬車で数キロ離れて待っているはずのニーナがじっとこっちを窺うのが見えたのだ。


 その時ばかりは『……………………!???』と、思わず言葉を失った。


 これ以上ないほど衝撃的な光景を前に、即座に腐乱死体達からの逃亡を試みはしたが、詩音の身体能力は先天性ゴミクズのそれ。何のことなく一瞬で取り囲まれて現在に至る。


 勿論ニーナに邪な思惑はないのだろう。彼女は詩音の『叡智』を知らないし(隠していることは勘づいているだろうが)、それを隠さなければならない事情など予想できるはずもないのだから。

 しかしながら現実問題、チートは完璧に封印された。

 詩音の『叡智』は他人に見せてはいけないのだ。使えば勝負は終わるが世界も終わる。


 そうしてチート縛りのクソ雑魚ナメクジがSランクゾンビの群れに挑むという、凄惨な地獄絵図ができあがってしまったのである。


「ビャッ!」「びゃびゃ」「ビビいいいぃ?」


 バチャ、と。

 八体のゾンビが予備動作無しで破裂し、粘ついた体液がそこら中に雨のようにまき散らされる。


「ひいぃっ危ねぇ!!」


 そんな前兆を直前に感じ取り、ゾンビ二体の首を落とし、再生まで一瞬硬直する体を盾にしてやり過ごす。

 べっとりナイフについた体液をナイフを振って上空に飛ばし、上から降ってくる"雨"の水滴83滴の軌道を逸らし、残りをナイフではじき飛ばして凌ぐ。

 勿論その間も他のゾンビ達の攻撃は止まない。ギリギリで躱しながらの片手間だ。


 ――自爆……ってことはやっぱこいつらに触ったら死ぬのか!?勘弁してくれ!!


 飛んでいった体液を見たところ、一滴一滴が生物のように意志を持って蠢いている。

 加えて今の体液を振りまくことだけを目的とした自爆。

 どう考えても触れて無事に済む代物とは思えない。

 そして体液それは、何もせずともゾンビ達の体表を覆っているものだ。


 しかし、ここにきてゾンビのスペックの全体像が見えてきた。多少の推測は混ざっている予想だが一度整理してみよう。


 1.触られたら死ぬ。

 2.自爆。そこら中にまき散らされる体液。触ったら死ぬ。

 3.再生能力。人間でいうところの"致命傷"を8,9回位は平気で耐えてくる。

 4.動き自体は単純だが、人間の三倍程度の身体能力。反応速度もそれに準拠する。


 ヤバいのである。


「きっつ……!!」


 特に4がヤバすぎる。

 いかに非効率的で、単純で、杜撰な動きだとはいっても人間の三倍は誤魔化しきれない脅威だ。ラヴェルと違って挙動の全てが速いのが最悪のワンポイント。

 対応する為に必要なフィジカルは、どう効率的に動いてたとしても人間の限界を超えている。


 そんなわけで強引に体を捻って向かってくる腕を躱し、倒れながらもナイフを振るう。


「ッ!!!ぁぁぁ……ああああ!!!痛ってぇぇえええええ!!!」


 野生動物のように俊敏に跳びかかってくるゾンビを避ける為には、人間本来のリミッターを軽く跳び超えた動きを出さざるを得ない。

 ブチブチと千切れる筋繊維の音を聞きながら、身を裂くような激痛にただ叫ぶ。

 一回も触れられていないにも関わらず、無理な動きで勝手にダメージを受ける肉体はまさしくクソ雑魚としか表現できないが、それに文句を言う暇はない。


 四方から伸びてくる手を掻い潜り、そのままの勢いですれ違いざまに斬りつける。


 「ギ……?」と断末魔が聞こえ、水っぽいものが倒れる音が鳴る。


「はぁっ……!はぁっ……!!はぁっ……!!」


 最後の4体が息絶えた。

 ようやく終わった無間地獄に、詩音は大きく荒く息を吸う。


「…………ふぅぅぅ!!………………死ぬかと思った……!!死ぬかと思った!!死ぬかと思ったッッ!!ああ手が痛い足も痛い腰も痛い背中が痛いここで死ぬのか俺……!?」


 「畜生……!」と汚染されたナイフをヤケクソ気味に放り捨てる。


 ゾンビの死骸を踏まないように間を縫い、足を引きずってゆっくりと歩く。

 そんな緩やかな動きでも、自ら引き千切った筋繊維は勝手に悲鳴を上げる。


「痛い痛い痛い……!!痛い痛いぃぃ死ぬ……ッ!!マジで死ぬ……!!死因が筋肉痛とか冗談だろ…………!?」


 痛い。冗談抜きで痛い。

 痛みには結構強い方だと思うし、これまで結構な痛みに耐えてきた自信があったのだが、許容範囲を超えた苦痛に一気に心が折れそうになる。

 怪我の程度と痛みは比例しないと聞いた事があるがマジだったらしい。筋肉痛で死ぬ可能性を本気で危惧しはじめる。


 悶えて一歩一歩精一杯に踏み出しながらも、この痛みの遠因であるニーナに文句の1つ2つでも言ってやろうと心に誓い、


「……………コトノ?」


「…………………………あ」


 物陰から出てきた彼女のドン引きな表情を見て、詩音はようやく思い出した。


 つい半日前に自分が言っていたセリフを。

 "S"は止めとけと必死に引き止めるニーナを振り払い『一分かからず片付けてやる』とか言いながら作ったドヤ顔を。


 それと現在の満身創痍を組み合わせてよくよく考えてみれば、今の状況はかなり恥ずかしいものになるなのではないかという思慮へと、ようやく至ったわけなのである。


「………………………………いや、ほんとは楽勝だったんだけどな?」


「……コトノ?」


「演技だって演技。ほら、ちょっとくらい相手に華を持たせてあげるのが礼儀ってもんだろ?余裕で勝ちすぎたら悪い気がしてさぁ」


「…………………………コトノ?」


「ほら、騎士道精神みたいな。そういう感じの。」


「……………………………………」


 言葉を失うニーナ。

 『何言ってんだこいつ』とでも言いたげな困惑した表情を差し向けられ、いたたまれない空気が詩音の身を包む。


「…………わかるだろ?」


「………………………………コトノ?」


 『正気ですか?』みたいな表情である。


「…………………………すいませんでした」


 耐え消えれなかった。


「舐めてました。このところ調子に乗ってました。"S"がなんだー楽勝だろーって思ってました。反省してます」


「……………………なんで勝ってるの?」


 謝罪に質問で返された。

 働いたことはないが、なんとなく上司にミスを責められてるような気分。


「なんでって…………金稼ぎの為です。すいませんでした。…………もしよろしければこの一件ででいくら貰えるか教えてくれませんか?」


「13億ルピ」


「……はい?」


 変な数字を聞いた気がしたので、一応聞き返す。


「13億ルピ。王族の屋敷が2つ建つよ?"S"っていうのはそういうモノなんだよ?精鋭を100人集めて、じっくり対策練って命がけで挑んで、それで10割失敗するモノなんだよ?」


 聞き間違いではなかった。

 引きつった表情で、ニーナは理解不能な文言を呟く。

 13億。屋敷が2つ。精鋭100人。

 信じられない数字が次々に飛び出してくるが、彼女の表情を見るに冗談を言っているわけではなさそうで。


「……人1人ナイフ1本でになるわけないんだよ?」


 そして、そんな彼女は、詩音の背後を指差した。


「…………こんな……?」


 振り返って見れば、広がっているのはなんの変わりもない4時間ずっと見続けた光景である。

 これまでどおりの、真っ黒な地面。

 4時間で殺したゾンビ、計8236体の死体がそこらじゅうに散らばって、廃街の地面を黒く覆っていた。


 見るだけであの激闘を思い出してしまい、筋肉痛で気分が悪くなってくる光景だが。


「…………いや、確かに死ぬほどキツかったけど、そこまで騒ぎ立てる相手でもないだろ……?それこそ『叡智』無しおれひとりでもなんとかなる程度だったわけだし」


「…………一応それ、大昔にこの都市一つまるごと滅ぼした"災厄"らしいんだけど」


「……!??」


「…………なんで無傷で勝ってるの?」


 冷や汗を浮かべるニーナの困惑の理由が分かった。

 彼女は詩音の無様さに戸惑っている訳ではなかった。

 都市を滅ぼしたほどの魔物を身一つで狩るところを目撃してしまったら、そりゃあどんな奴だって困惑する。詩音だって逆の立場だったらそうするだろう。


 そして、それに対する返答は1つである。


「…………………………なんでだろう……?」


 志無崎詩音はクソ雑魚ナメクジである。

 そのはずなのである。


「…………………………………………」


「…………………………………………」


 両者に広がる数瞬の逡巡の後、結論が決まった。


「…………すげぇだろ!!ふふん、だから楽勝って言ってたんだよなぁ!!」


「!?」


「ッあ~、"S"っていっても所詮はこの程度かぁ……!!やっぱ最後に頼れるのは『叡智オカルト』じゃなくて鍛え上げられた肉体だよなぁ……!」


 何がなんだか分からないので、賢い自分は思考放棄でイキって事なきを得ることを選んだ。

 流石はIQ220の頭脳派転生者というべき持論と共に、詩音はドヤ顔で胸を張る。


「……う゛ッ!??」


 刹那、無理な動きと筋肉の疲労に激痛が走った。


「うぁっ!?う゛あ゛あ゛あ゛痛ってぇぇ…………!!」


「えぇぇ……?大丈夫……?」

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