第7話 信じる心


 ミアは裏切り者か、そうではないか。


 問題はその一点に集約されている。

 そして、それさえ解き明かすことができれば状況はかなり楽になるだろうことも分かっている。


 しかし、だからこそ軽々に判断を下すことはできないのだ。


 ――ここでミスったら全部おしまいだ…………慎重に考えろ…………


 必死に頭を回しながら、詩音は夕焼けで赤く染まった木々の間を歩く。


 木々。つまり詩音がいるのは森の中である。


 王城から少し歩いた先にある、詩音もよく知っている森林だ。

 王都の中に大自然が広がっているのは不自然かつ不便極まりないが、『2年前突発的に発生したものであること』『枯れないこと』といった理由から仕方なく放置されているものだ。


 そんな森林の中を詩音が歩いている理由。

 ミアに、あの猫の少女に『人気ひとけの無いところで話がしたい』と切り出され、ここまで連れてこられたからである。


 『猫の』といっても、今のミアの猫な部分はどう見積もっても1割以下。耳と尻尾、後は手首から先が半分ほど猫だが、それだけだ。人語も話せるし、二足で歩き、当然ながら理性もある。


「こちらです」


 現在前方を歩くミアは、固く結んだような表情を崩さずに詩音を先導している。

 そんな様子を背後から窺い、詩音は考える。 


 彼女が一体何を思い、何を考えているのかを、だ。


 ――分からない。


 当たり前だ。

 裏切りを画策していたヴェートとラヴェル。彼女らからなんの違和感も感じ取れなかった節穴が志無崎詩音。

 馬鹿がちょっと様子を見つめたくらいで、そいつの何を掴めるというのだろうか。

 胸の内からこみ上げてきた無力感を誤魔化すように、詩音は枝葉に覆われた空を仰いだ。





 もし仮にミアが裏切り者だったとしよう。ヴェートとラヴェルによる詩音の暗殺を認知しており、それを見過ごした、または裏からバックアップしていた場合だ。


 その時は簡単だ。他の裏切り者達同様に放っておけばいい。

 というかそうするしか道は無い。


 詩音の敵はあくまで黒樹。その他にヘタに手を出しても得は無い。

 それどころか前世が『志無崎詩音』であるとバレるきっかけもなり得る。世界が滅ぶリスクを抱えてまで復讐に殉じるつもりは無い。

 無視して内通者役を探しに行こう。




 次にミアが裏切り者では無かったとしよう。詩音が突然失踪したことを不自然に思いながらも、何も知らずに裏切り者達とつるんでいる場合。


 この場合彼女を放っておくのは危険極まりない。

 あのヴェートとラヴェルうらぎりものたちは無駄死にするに決まっている候補生達を戦地に送ろうとしているのだ。

 単なるクズよりさらに上。狂人達の群れの中に仲間を置いて逃げるなんて暴挙はとても取れない。


 自分が『志無崎詩音』であることをこの場で明かし、共に王城を離れるのがベスト。




 さて、最後に最悪の未来について考えてみよう。

 ミアが裏切り者。尚且つ詩音が『ミアは裏切り者では無い』という結論を出し、前世を明かしてしまった時だ。


 ミアは自分よりずっと賢い。

 詩音の独白を聞いた瞬間から状況を完璧に把握し、一切ボロを出さずに話を合わせるくらい簡単にやってのけるだろう。

 そうして何食わぬ顔で詩音に同行した後、隙を見てヴェート達に連絡。

 あとは裏で計画を練り、もう一度暗殺しておしまいだ。


 隠れた特大の危険因子を排除し、裏切り者達は安堵の息を吐く。

 黒樹への対抗手段は無くなって、ゆったりと世界は滅んでいく。





 だから、ここで間違えれば全てがおしまいだ。


 考えろ。


 ――分からない。


 判断材料がないわけではない。


 1。

 人目を避け、なおかつ王城から離れた場所に移動する。

 これはヴェートの『叡智』の目に引っかかるリスクを避けるためには絶対に必要なことだ。

 『ヴェートに聞かれると困る話がある』というのと、『裏切り者である』という二つ。

 これは中々に両立しづらいものではないだろうか。


 つまり、ミアは裏切り者では無い。


 2。

 前世、詩音の暗殺時にヴェートが仕込んだ毒薬。

 あれほどまでに強力で、かつ詩音じぶんの鼻と舌に気取らせないものとなると、この世界での精製は非常に難しくなるだろう。

 絶対に無理とまでは言わないが、黒樹討伐直後ということも相まって入手手段が限られてくるのは間違い無い。

 そして前世でのミアの役割は『治療』と『研究』。

 毒薬の出所として最も疑わしいのは彼女だ。


 つまり、ミアは裏切り者である。


 ――分からない。


 裏切り者か、そうでないのか。

 背反する事象であるはずなのに、どちらが正しいのか見当さえつけることができない。

 考えれば考える程正解が遠ざかって行く気さえする。


 ――分からない。


 まさか半年前のあの日、仲間全員から裏切られていたなんて想像できない。


 それを言うならヴェートとラヴェルも同じだっただろうに。事が起こる一瞬前まで彼女らが裏切るところは想像できなかった。しようともしなかった。

 しかし、実際に詩音は殺されたのだ。世界が存亡がかかっている以上、『想像できない』なんて不確定なものは当てにできない。


 ――分からない…………っ!






 と、その時。


「…………っと」


 つんのめった。

 思考に全力を尽くしていた意識が足下の木の根を見逃し、それに足をひっかけたのだ。


 即座に崩れた体勢を立て直そうとする詩音。





 が、それは叶わなかった。

 詩音が自力で体勢を立て直す前に、ミアの尾によって支えられたからだ。


「……こんなに暗くなってきたんですから、足下にくらい気をつけてください」


「………………あ、あぁ、すみません」


 詩音を立たせた後、尻尾を放す。

 動揺する詩音とは対称的に、ミアは落ち着いた様子でくるりと振り返った。


 思い詰めたような、真剣な表情だった。


「コトノさん。話があります」


「――――はい」


 ついに来た。

 ここからは一言一句、いや、一挙手一投足に至るまで見逃すわけにはいかない。

 詩音じぶんの中で緊張の糸がピンと張り詰めていくのを感じる――――








「辛くないですか?本当は元の世界に帰りたかったりするんじゃないですか?」


「……………………は?」


「いえ、聞かされていないと思いますが、実は貴方を元の世界に戻す魔術も存在するんです。あなたがもし討伐チームへの参加を後悔しているなら、私が元の世界に送り戻します」


「………………………………は」


「貴方の生き方は、貴方自身が決めるべきです」


「……………………………??」



 言ってる意味を咀嚼するのに、五秒は必要だった。



「……ハハッ、はははははっ!!ははははははっ!!」


「!?何故笑うんですか!?」



 ミアが上げる驚きの声。


 これが笑わずにいられるか。


 詩音がミアを裏切り者かと疑っていた間、彼女はずっと詩音のことを気にかけ、身の安全を心配していたのである。


 本当に馬鹿らしい。そして恥ずかしい。

 さっきまで自分はどんな顔をして悩んでいたのだろう。



「いえ、すみません…………大丈夫です、俺は俺がやりたいことをやってますよ」


「……それは、死の危険があってもですか?」


「はい、そうです」


「…………誰かのために苦しむことができるのは美徳だと思います。でも――――――」


 挙げ句の果てには初対面の詩音ことのをおもって説教を始める始末。


 ああ。

 そうだった。


 ミアは他人ひとのことを慮り、思いやり、戦うことができる人だ。

 駄目な奴も悪い奴も、弱くても苦しくても纏めて守ろうとするその姿に、詩音はどうしようもなく惹かれてしまったのだ。


 自覚してしまえばもう駄目だった。冷静ぶってた考えが全部馬鹿馬鹿しくなった。

 彼女を疑わなくてはいけない現状に、自分に、心底嫌気がさしてきた。


 ――言ってやろうか。


 決めた。言おう。

 ミアに『俺は志無崎詩音だ』と明かすのだ。

 リスクがどうとかもう知ったことか。


 多分自分は、英雄にはなれない。

 『仲間を疑いたくないから』なんて理由で世界を天秤にかけるのは、英雄どころか世界の誰にも許されることではない。


 そしてそれでいい。俺は許されなくてもいい。

 たとえこの判断が間違っていて、この先彼女に裏切られることになったとしても、きっと自分は後悔しない。


 そんな確かな覚悟と共に、拳を強く握りしめ、詩音は口を開く。


「――――――俺は」


 西から斜陽が差し込んで、世界が赤く染められている、そんな時間の出来事であった。















 ズブ、と鳴った。

 思考が止まる。


 小綺麗な覚悟は大抵が気の迷いで、実際に事が起こってみれば、人は現実を受け止めることすらできないものらしい。


「――――俺は……ッ?………………う、……あ……ぁ……?」


 熱い。

 力の抜けた手で、己の腹から突然生えてきたを触る。


 赤黒い血液で濡れた猫の尾だ。


 どうやらこれは、そこらの木々の影と背に隠し大きく迂回させた、大きく伸びたミアの尻尾。

 それが詩音を背中から貫いたのだ。


「…………………………」


 ミアは、黙ってじっとこちらを見ている。

 無感情に。


 熱い。貫かれた腹の辺りが我慢できないほど熱いのだ。違う、痛いのだ。

 痛い。

 痛い。凄くいたい。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 ――――痛い…………い、た……………………


「――――でも、私は違うんです。自分勝手なんですよ、ごめんなさい」


 ミアが尾を勢いよく縮める。

 体を貫いていた支えが抜け、詩音が地面に崩れ落ちた。


「…………っ……………………ぁ」


 は地面の上で一瞬だけもがき、そこからピクリとも動かなくなった。

 空いた大穴から血が広がって歪んだ円を作っていく。


 猫の少女は、真っ赤な水たまりに浮かんでいるモノには目もくれない。

 尾を軽く払って血を落とし、懐から取り出した魔石に話しかける。


「ヴェートさん。聞こえますか?」


『どうだった?』


「終わりました。ちゃんと殺しましたよ」

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