第6話 最後の仲間は猫に似ていて
夕方。
ラヴェルの試験を終え、さらにもう一悶着があった後。
「ほら、ここが資料室だ」
魔術師童女が開けた扉の先は、本棚で埋め尽くされた大部屋であった。
「おぉぉ……!!」
初めて見るサイズの大図書館に軽い感動を覚える詩音。
特別読書好きということは無いが、視界いっぱいに映る本の山はそれだけで壮観だった。
「けど、どうしてだ?」
「…………?というと……?」
「いや、文句があるわけじゃないんだが、はじめに要求されるのが『これ』というのがどうにも意外でな…………報酬にも一言も触れられないし」
「あー…………」
確かに。
今の
その状況において普通最初に気にするのは、金とか住居とか、基本的な生活の保障についてな気がする。
初手に『本ってどこで読めますかね?』と問うのは少々不自然だったか。
やっちまったか……?と己の馬鹿さ加減を呪う。
「――――ああ、これから暮らす世界がどんなところか知っておきたかったんですけど……変ですかね?」
「そうか…………そうだな、考えてみればそういうものか」
推定IQ200の超高等話術により事なきを得た。
やっぱり自分は天才なのかもしれない。
「まぁ好きに使ってくれ。そもそも君は既に関係者なんだから咎める理由は何も無いさ」
そう言って、童女は扉の外側に出て行った。
詩音一人が資料室に取り残される。
「さぁて……」
目についた本棚の最上段。左端から一冊目。
引き抜いて覗いてみた。
「………………………………ふむ。」
意味が分からない。
悲しいことに、偉大なるIQ200をもってしてもその本の内容は一切理解できなかったのである。
なんと高度な書物なのだろう。というか文字ばかりの本は難しいのだ。挿絵を用意してくれ。
仕方ないので、とりあえず片っ端から丸暗記していくことに決める。意味を理解するのは後からでいいだろう。
諦めた詩音は本棚の前に立ったまま、その中身に目を通し始めた。
「…………………………」
パラパラとページがめくられる音。本棚に本が挿し直され、そして取り出される音。
久しぶりに、本当に久しぶりに、静かで落ち着いた場所にいる気がした。
異世界に来てからはゆっくりする時間をとることはできなかったので、そう考えると3年ぶりにな
「あぁこんなとこにいた!!コトノ勝負しよう勝負!!」
五月蠅いのが来た。
――――マジで……?俺の平穏は一分も保たないのか……?
心地よい静寂を破られてげんなりとした詩音は、呼ばれたのが己の偽名であることに一瞬遅れて気がつく。
声の方向、大扉の方に目を向ける。
そこに立っているのは、やはり一人の少女であった。
詩音のことを捜して走り回っていたらしく息を荒くしてこちらを見ている。
「……どちらさまですか……?」
「忘れたの!?……それじゃあもう一度自己紹介といこうか!」
皮肉が通じない鋼鉄のメンタルをひっさげ、その少女は誇るように胸を張る。
「ボクはニーナ!世界で2番目にカッコかわいい女の子だ!!さぁコトノ勝負しよう!」
知っている。忘れていたかっただけだ。
ニーナは黒樹討伐チーム候補生の一人。謎にふわふわしたメルヘンな格好をした少女である。
服装だけでは無く頭の方もふわふわしているのがチャームポイントだろうか。
死ぬほど面倒なバトルジャンキーだ。俗にいうストーカーである。
「嫌だ」
「ッ!??何でぇ!?」
「…………なぁ、今日一日でお前と何戦やったと思ってんだ?246回だ。246回だぞ?246回って何だよお前正気なのか?あと明日には多分全身筋肉痛だけどそれについてどう思う?」
ブチ切れである。
ここで冒頭の『一悶着』について話をしよう。
試験の合格を告げられた後、ラヴェルが『今日はもう終わりだ』と言って去って行ったので、周り候補生達に軽い試合をしてもらえないか頼んでみたのが事の始まりである。
彼らの実力がどれくらいのものなのか知っておきたかったからという、ほんの出来心からの行動だった。
そして、裏切り者に教えを請う身であることが信じれないくらい親切に、候補生達はこれを快諾してくれた。
いや、大体の奴が親切だったのだが、一人狂人が混じっていた。
全員の試合を終えた後、飛び込みでやってきた少女が一人いて、『はいはい!ボクもやる!』と元気いっぱいに手を上げた。
その時、候補生達に走った謎の表情の強ばりを見逃すべきでは無かったというのが、本日の教訓である。少しは危機感を持つべきだった。
無論、その少女がニーナだ。
初めはその動き辛さを極めたような姫衣装に面食らったが、それにも関わらず候補生の中で一番俊敏な動きを見せたのにはもっと驚いた。聞くところによると『叡智』が身体能力の強化らしい。
何度負かされても『ぐぅ……もう一回!』と再戦を要求するニーナのやる気に、始めは感心したものだ。
50回目辺りから詩音から表情が消えた。
100回目辺りで遠回しに断りを入れてみた。それでも彼女は止まらない。
200回目辺りで強引にその場を離れようとした。背後から襲いかかってきた。
詩音の身体能力それ自体は美しいまでにゴミカスであるが故、ドーピングしてるニーナに純粋な短距離走で勝てるわけも無く、逃げ切ることは不可能。
結局、顎を小突いて軽い脳震盪を起こし、動きを止めてその隙に逃走。冒頭に至るという訳である。
まあそれも、こうして再会を果たしてしまった時点で台無しなのだが。
「大丈夫!ボクはカッコかわいくなるためなら何だってやる!だから強くなりたい!いろんな強さを学んでいきたい!!『叡智』無しで戦えるコトノみたいのは本当久しぶりに見たんだ!!休んでなんかいられるもんか!!」
「知らねぇよ誰がお前の体の心配をしてるんだ……!?俺がキツいって言ってんだよ……!!」
ブチ切れである。
詩音は既に読み終えた一冊を本棚に戻し、新しく取り出した一冊の表紙を軽く叩く。
「これを見ろ!!」
「……見た!!勝負しよう!!」
「違うそうじゃない!俺がここに来たのはちゃんとした用があるからだっていいたいんだ!俺にとってはすごく重要なことなんだ!さて、『カッコかわいい』人間がそれを邪魔していいものなのでしょうか!?えぇ!?」
「…………!!!……うぅぅ………!!………じゃあコトノの用事が終わるまで待ってるからその後勝負!!」
「よぉしOK、その代わり終わるまで絶対に邪魔すんなよ!!!ぶっ飛ばすからな!!」
ブチ切れなのである。
語気が荒くなるのは水が上から下に落ちるように自然の摂理である。
ニーナはそこにあった椅子に深く腰掛け、長期戦も辞さないというような姿勢を見せた。
詩音が再び本に意識を戻す。
「…………………………」
「……………………………………」
意外にも、心底意外なことに、結構な間静寂は続いた。
ニーナが音を立てる時といったら詩音が場所を変える時、それに合わせて立ち上がる椅子の音だけである。
たまに本棚から一冊引き抜いて、数分ほど流し読みして元に戻す。お気に召す内容ではなかったようだが、しかしそれでもニーナは静かに待っていた。
戦闘狂なところ以外は案外まともな奴なのかもしれない、と彼女の評価を改め直す。
戦闘狂な時点で狂人の称号はそのままだが。
広大な図書館の中、微かな物音二つがゆっくりと動き回る。
そうして、時計の長針が一周したころ。
「…………何か探してるの?」
1時間保った。
この少女は1時間もの間我慢を続けることができるのだ。
何故か軽い感動が詩音の胸中を駆け抜ける。
「……あー……色々?」
「えぇ…………?ほんとに大事な用事なの……?」
「大事な用だ」
納得しきれない様子のニーナが机に突っ伏し、拗ねたように指で円を描いた。
「うぅ……ボクまだ一回も勝ってないのにぃ…………」
「………………………………そうだな……」
そう、先の試験後の戦い、詩音は堂々の全勝。
ニーナだけでは無くその場の候補生全員に完勝した。
着弾点を凍結させる冷気の弾丸を放つ者。
不可視の風の刃を放つ者。
剣に炎を纏わせる者。
多種多様な『叡智』を見たが、全員が全員、躱して殴る(寸止め)だけで勝てる相手だった。
結局、詩音との勝負で攻撃を掠めることのできた候補生は、その場に一人もいなかったのである。
そうした快進撃を続け、興奮した候補生達から賛辞の言葉を投げかけられ、少年は何を思ったか。
『うっぉぉお……!!夢でも見てるのか俺……!?チートなしで無双できてるぞ俺……!きっ、気持ちいぃ!!もっと褒めてぇぇ……』
である。
そんな訳がないだろう。今は世界の危機なのだ。
まあ、確かに
実際のところ、志無崎詩音が感じたのは『恐怖』である。
――――何考えてるんだ
だ。
ヴェートとラヴェル。
彼らの意味不明な行動に、詩音は心底恐怖した。
『叡智』を縛った詩音は現在クソ雑魚ナメクジなのだ。
ラヴェルを一度転ばせた程度で自己評価を変えるつもりは無い。黒樹産の魔物にエンカウントすれば間違い無く殺される。戦いにすらならない。向こうの気分次第で寿命が数十秒前後することはあるかもしれないが、それは戦闘では無く食事の中の話だ。
そもそも
だから黒樹の前に立つ人間は、ある程度のチートは持っている必要がある。
候補生達もその素質くらいは持っていなければならないのだ。
そんなチーターどもを相手にして、
――――いくらなんでも弱すぎる……!
いや、『弱い』というのは不適切か。訂正しよう。候補生の面々はいずれもどうしようもなく一般人だった。
これから候補生をどう鍛えるつもりなのかは知らないが、例え『叡智』の出力が100倍に上がり完璧なチームワークを身につけ肉体を人間の限界まで鍛えたとしても無理だ。何をどうしても纏めて消し炭にされる。
裏切り者達が裏切り者である以上、『みんな命を大事にしようね!』みたいな方針は期待していなかったが、流石にこれは予想外。
このままいけば、候補生達は全員死ぬ。
全くの無意味な死だ。
――――だから、常に討伐チームの先手をとらないと駄目だ。そのために
チームから追い出されても問題は無い、という結論は試験中に考えた通り。
あとは内通者から聞き出したヴェートの観測情報を元に魔物の出現位置に先回りし、候補生達が辿り着く前に瞬殺して逃げる。
これを黒樹討伐までの間、一度のミスも無くこなせばクリアだ。
難易度がハードからインフェルノになってる気がする。
「『そうだな』じゃなくてさぁ……勝負しようよぉ……」
「……バトルジャンキーにも程度ってものがあるぞ……?別に今日明日でいなくなるって訳でもあるまいし……」
嘘である。
詩音は今日中にここを抜け出すつもりで、その前にここでしかできないことを済まそうとしているのが現状だ。
一つ目がここの資料漁り。
詩音は前世、この世界に3年間暮らしていたわけだが、やっていたのは魔獣狩りばかりで世俗にはめっぽう疎い。それはもう、常識が無いといっていい位に。
ここを出るということは無一文で寒空に放り出されることと同義であるので、その前にある程度の知識の基盤をつくっておくのは重要だ。
そして二つ目。
「………………なぁ、ニーナ」
「どうしたの?」
本を捲りながら話しかける詩音に、ニーナは机から顔を上げた。
「俺がこの世界に来る前にも、その、黒樹ってのが出たんだよな?」
「そうだね」
少女は首を縦に振る。
「ボクは直接見たことないんだけど、それでもすごい騒動だった」
「前回の討伐パーティーについて何か知ってるか?」
ニーナがほんの少しだけ黙り込んだ――――そんな気がした程度の、僅かな沈黙。
「一人は失踪したって聞くね。あとはヴェート様とラヴェルさんと、ミアさん。その4人組でどうにかしたらしいよ」
これだ。
『ミアさん』。
前世での討伐パーティー、最後の一人について、詩音は考えなければならない。
蘇生されてすぐ魔術師童女とした会話を思い出す。正確には『ん?…………ああ、そうだ。以前のパーティーから出た欠員は一人』だったか。
その1人は詩音なのだから当然他は全員揃っている。
だから、ミアがここに残っているのは始めから分かっていた。
重要なのは、『彼女が果たして裏切り者なのか、そうでないのか』。
この問題を放ったままにここを離れることはできない。
「へぇ…………そのミアさんってのは今どう」
振り返った詩音の言葉が中途半端に止まる。
ニーナの視線が詩音では無く、あらぬ方向、ずっと遠くに注がれていたからだ。
「…………噂をすればってヤツなのかな?」
ニーナの視線の先、資料室の扉の前。
件の、黒猫の少女が立っていた。
詩音達に気づいたらしい彼女が猫耳を揺らして歩き出していた。
どうやら彼女の用は
「どうも。ミア=モレンドといいます」
彼女は詩音の前で立ち止まり、その尻尾を軽く揺らす。
「コトノさんですよね?少しお時間を頂きたいのですが」
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