第4話 ワンサイドゲームは一瞬に

 遠巻きにこちらの様子を伺う観衆のざわめきが大きくなっている気がする。


「ふ…………ッ!!」


 しかし、それに対し何を思うでも無く、詩音は短刀を力任せに鞘からひっこ抜いた。


 側面の綺麗な光沢を確認。

 刀の鑑定スキルなどないが、とりあえず刃の状態は悪くないようだ。

 左手に持った鞘をどうするべきか少し悩んで、どうしようもないのでそっと地面に置いた。


「なァ、そんなものを上手に振り回してどうにかなると思ってるのか?」


 詩音の目の前10メートル先、裏切り者が嗤って立っていた。

 何度見ても、裏切り者にお似合いな性悪な笑みである。


 ラヴェルとの一騎打ちにより十分な実力を証明する。

 それこそが裏切り者から提示された黒樹討伐チーム残留の条件であった。


 ラヴェルが担いでいるのは薄くて長い木製の剣。

 彼がそれを振った途端、辺りに突風が巻き起こり、詩音の前髪を軽く揺らす。


 やる気は十分ということらしい。


「これから俺らが戦う敵は魔物なんだ。………………あァ、マナを操る大型の獣と言えばわかるか?『叡智』の無い人間が首を突っ込んでも足手纏」


「お喋りが好きなんですか?意外ですね」


「…………あァ?」


「無駄口はいいからさっさと始めましょうよ、ってことですよ」


 ラヴェルの顔が歪む。その場にピンとした空気が張り詰めた。

 候補生達さえも静まりかえり、場には完璧な静寂が訪れる。


「大丈夫ですよ。失望はさせませんから」


 対称的に余裕を感じさせる笑みを浮かべた詩音は、一歩ずつ、ゆっくりと裏切り者に近づいていく。


 今ここに、裏切り者との決闘が始まろうとしていた。



 ちなみに全部嘘である。



 『失望はさせません』という言葉は嘘だ。

 剣術を嗜んだというのも嘘だ。

 というか、今のこの余裕ぶった態度自体が真っ赤な嘘なのであった。


 ――――いや勝てるわけねぇだろ……!?これから俺どうすればいいんだ……!?


 現在、志無崎詩音はどうしようもないこの状況に死ぬほどテンパっていた。

 事態は最悪。掛け値無しに打つ手無し。満場一致で詰んでいるのである。


 一歩ずつラヴェルに近づいてはいるが、近づいてからの引き出しが無い。

 手に持った剣の扱い方を知らないし、これをどこにどう当ててもダメージにならないだろう。

 相手はラヴェル。並の魔物なら数千集まっても無傷で完勝できる化け物だ。

 ぶっちゃけ戦車を持ってきても勝てる気がしない。



 いや、違うのだ。本気でやれば圧勝なのだ。信じて欲しい。本当に楽勝だ。



 ラヴェルは確かに強いが、対する志無崎詩音じぶんは卑怯極まる異世界転移系チーター。

 本来ならばチートスキル一発で虚しい勝利を迎えるだけの消化試合のはずなのだ。


 しかし、それも『本来ならば』の話である。


 ――――そんな堂々とチート使えるならこんな展開になってねぇんだよなぁ……!


 そう、何度も言ったように『叡智』を見せるわけにはいかない。

 肉体も前々世の中学クオリティに戻っている。フィジカルもクソ雑魚。

 加えて刃物を前に持ったのは調理実習ときた。



 さぁ、ここで問題だ。



 そのへんのガキがナイフ持って戦車に勝てますか?


「………………いくぞ」


 ラヴェルが身を沈め、ググ、と足に力を入れるのが見えた。


 もうだめだ。

 『……いくぞ』じゃねぇよ。来ないで欲しい。

 これほどまでに絶望感を感じる光景は無いだろう。戦闘が始まれば絶対に負ける。

 どうにかここから巻き返せるいい命乞いは……



 ドッ、と地面を抉る音と同時、ラヴェルの姿が消えた。



 ――――跳んだ。


 人間の動体視力の限界をはるか超えた速度。

 分かっていても目で追えるわけがない速度だ。


 次に現れたラヴェルは、詩音の真後ろ、振りかぶった木剣を横凪に繰り出していて――――


「死ね」


 斬撃すらも例外でなく、音速を超えた。


 ――――……!??いやテストだろ殺すなよ……!?


 はっきり分かった。後ろから背骨に真っ直ぐ迫ってくるこれは木剣であると同時に、確実な死そのものだ。


 ――――ッ死ぬ……ッ!





 ので、身を屈めて木剣を躱し、ラヴェルの右脚を五回刺す。


 ギギギギギ!と高い金属音が弾けた。

 ラヴェルの木刀が空を切り、空気の壁を叩いた破裂音が遅れて鳴る。


「な………!?」


 反撃――――それは予想外の反撃だったのだろう。動揺したらしいラヴェルの視線が揺れ、すぐに足を縮めた。

 詩音から距離を取る為跳ぼうとしている。あの目視不能の高速移動をもう一度行うつもりなのだ。



 ので、ラヴェルが一歩目を踏む前に、再び短刀を振るう。

 肝臓、肺、心臓、首筋、眼。丁寧に骨を避け、あらゆる急所に刃を強引に押しつける。

 ラヴェルの身体に触れる度、金属音がさらに鳴る。火花が散った。


「ッぐ!」


 地面に足を縫い付けられたように、ラヴェルの動きが止まる。

 異常事態に眼を見開いたその少年は、十数の斬撃を受けたはずのその少年には、当然のように傷一つついていない。


 ――――……………………無理じゃ~ん!!こんなのどうしようもねぇじゃん畜生!!


 想像そのままの展開に、もう、泣きたい気分だった。


 ラヴェルの『叡智』。それは『重さ』である。

 触れた物体と本人の『動きにくさ』を自由に弄くるスキルである。

 受ける重力は変化しないが、それ以外は『質量を変える』といっても些細ない。



 わかりにくいだろう。ヤバさを列挙すれば分かりやすくヤバい。



 一つ。物理が効かない。

 重たい物は動きにくい。小学生でも知っている。

 だから、ラヴェルは自身の体表を『重く』するだけでいいのだ。

 それだけで無敵。ダンプが突っ込んできても産毛一つ動かない。刃物は『斬る』前段階の『食い込ませる』動作が叶わない。これだけでもう攻略不可能である。


 二つ。とんでもなく速い。

 対象を、自分の身体を『軽く』もできるのだから当然なのだが、ここでのヤバさは加速後に『重く』しても速度が引き継がれることにある。

 先の木剣の斬撃がそれだ。『軽く』して音速で振るわれたあの木剣は、インパクトの瞬間、数千トンもの『重さ』を持っていたことだろう。新幹線が衝突するよりヤバい。触れれば胴体が千切れていた。


 三つ。触れたら勝ち。

 相手の全身を『重く』すればいい。心臓を動かせなくなって死ぬ。




 おわかり頂けただろうか。

 化け物である。短刀一つで勝てるわけがないのである。




「ぁ、アアアッ!!」


 そんな化け物が木剣を振り回す。軽い錯乱状態に陥っているらしいのが不幸中の幸いだが、それでも十二分に驚異だ。


 その斬撃は、『軽く』して加速され、『重く』ぶつかってくる爆弾だ。

 全てが目視できない速度を持ち、高層ビルを吹き飛ばすポテンシャルを持つ爆弾だ。

 同時に後ろに跳ね、詩音から距離を取ろうとする様子を再び見せる。


 ――――薄氷を踏むって感じだな、心臓に悪い……!!


 ので、斬撃を全て躱し、ラヴェルの全身の急所に刃を当て続ける。

 勿論、その全てが皮一枚すら切れずに弾かれる無駄弾だ。しかし、その瞬間だけは、斬撃を防ぐためラヴェルの身体は『重く』なる。それでいい。


 火花が散り、裏切り者の足が地面に縫い止められ、膝をつく。


「……てめぇッ!」


 至近距離。

 手を伸ばせばすぐ届く距離を保ち続け、跳んでくる木剣を全て躱し、絶え間無く短刀で斬り続ける。

 ラヴェルの刃が空気を叩く音、詩音の刃が弾かれる音が交差する。


 めまぐるしい数の斬撃が飛び交い、しかしそんな不安定そのものの状態で、戦況は硬直た。


 ――――さぁ、どうしようか……!!


 八度斬りつけ二度躱す合間に詩音は考える。


 最初に断っておくべきことは、志無崎詩音の身体能力は中坊の平均値だという純然たる事実だろう。

 音速の攻撃を捌けているからといって『実はスポーツ推薦取れるエリートでしたー』なんて裏事情はありはしない。体育の成績は大抵3か4。


 では何故か。


 簡単だ。

 ラヴェルは音速の中で生きる謎生物では無い。『叡智』で無理矢理に速度を上げているだけの、ただの人間なのである。


 彼にとっても音速は『見えない』速度なのだ。

 動作一つ一つに『軽く』、『重く』する切り替えを挟むのは意識が追いつかないのだ。

 彼が速いのはあくまでも一瞬。『剣を振るう』『地面を蹴る』などの直線的な一動作のみなのである。


 ならば間に合う。


 眼球運動、全身の筋肉の微細な収縮、呼吸、発汗。

 山ほどある判断材料から0.2秒後の行動を予測し、それに対する最適解を取り続けるだけでいい。

 斬撃を放つ直前に回避し、一歩踏み出す直前に短剣を当てる。それを繰り返す間はとりあえず負けない。

 そう、素人でも『刃を当てること』それ自体は難なくクリアできるのだ。


 ――――斬ること自体は簡単なんだけどさぁ……!!


 八発目を当てた瞬間、短刀が根元から折れた。

 折れた刃が宙を舞う。


「……クソッ!!」


 刃を空中で掴み、握って殴る。


「は、ァ……!?」


 一撃では無い。何度も何度も拳を振るい、刃をラヴェルの急所に叩きつけて事なきを得る。

 咄嗟の機転でとりあえず急場は凌いだが、状況はさらに悪化した。


 ――――どうする……!?持久戦で負けるのはこっちだぞ……!?


 詩音の背中を冷や汗が伝う。

 そう、今の詩音はクソ雑魚ナメクジ。この斬り合いも永遠に続けられるわけでは無い。

 5時間もすれば体力が尽きて死ぬ。それまで武器が保つ保証も無い。


 だから、それまでにこの状況を打破する手を考えなければならないのだが。


 ――――無理!!俺が今取れる手段を総動員してもこいつには傷一つつかない!!


 確信できる。

 詩音とラヴェルは元々同じパーティーで戦っていたのだ。

 この裏切り者に何ができて何ができないのか。どういう魔物に対処できてどういう魔物に対処できないのか、嫌と言うほど考えてきたことである。


 はじめから分かっている。絶対に無理だ。


 勝つだけなら一度逃げてからの不意打ちが正着手といえるが、試験官がとち狂っていてもあくまでこれは試験。背を向けた時点で失格だ。

 チートを使えば一撃だが論外。


 ――――だからって、他にどうしろと……!?


 どうやっても勝てない。しかし負けるわけにはいかない。世界が滅ぶ。

 黒樹を討伐できるのはチートを持つ詩音だけで、それには裏切り者達……少なくとも索敵役のヴェートの協力だけは不可欠だ。

 この戦いで敗北すれば黒樹討伐チームから追い出されてしまうのだ。


 もはや詩音には諦める自由すら無いと言っても過言では――――!!


 ――――……………………ん?


 引っかかる。


 そう、もしこのテストに落ちれば、候補生やラヴェルから見下されたまま、無様に黒樹討伐チームから追放されてしまうのである。

 しまうのであったが。


 ――――…………あれ……?何も問題無いのでは……?


 追放されるが、それだけなのである。


 真理の扉は思わぬところにあった。

 刃を地面に叩きつける。


「あァ!?」


「参りました降参ですッ!すみませんでしたッッ!!!」


 清々しい敗北宣言が、闘技場の中に響き渡った。

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