第2話 無知と無恥とが絡まり合って

「この世界は今存亡の危機に晒されています」


「この国は一度滅ぼされているんです。魔物を生み出すことのできる唯一の魔物、魔を統べる王とも言うべき存在である、あの黒い大樹に」


「一度目にそれを討伐したのは私達のパーティーです。その功績で私は王位を引き継ぐことになりました。いまから半年程前のことです」


「世界は平穏を取り戻しました」


「一月前までは」


「……そう、件の黒樹が復活したんです」


「それも以前より魔物を生み出す速度が早い。その力も、恐らくずっと強くなっているはずです」


「そしてこの国……私達に半年前程の力は無い」


「私のパーティーにはこの半年の間に欠員が出ているんです」


「だから黒樹に対抗する為に戦力を揃える必要があった」


「貴方を召喚したのはそれが理由です」


「今回召喚に使った陣は"才能のある"人間を世界を越えて呼び出すというもの」


「貴方にはこの世界の技術を扱う才能があるはずなんです」


「誰もが羨む程の『叡智』が宿っているはずなんです」


「それでも、貴方に求めるのはあくまでサポートです。黒樹と直接対面する機会は作りません」


「命の危機に瀕することが無いよう最大限気を遣います」


「働きに見合うだけの報酬も約束します」


「…………ですから、どうか、この世界をお救いください」


 そう言った後、ヴェートは初めて見るような丁寧な物腰で軽くお辞儀をした。

 魔術師の童女は説明の間、手持ち無沙汰な様子で杖をいじっていた。


「…………………………」


 志無崎詩音はそんな彼女らの、というかヴェートの姿に、一言も発せずに立ち尽くしていた。


 ――…………何言ってんだこいつ……?


 目の前の現実を受け止めきれないと、人は怒ることすらできないようである。

 もう、怒りも失望も悲しみも全てが振り切ってしまっていて、正常に感じとることができなかった。



 ――こいつ、散々に使い潰した挙げ句、裏切って殺した相手に何を言ってるんだ?



 ヴェートのパーティーに出たとは自分のことだ。

 その理由はヴェートとラヴェルの手によって行われた暗殺だ。

 そうして処分した人間を黒樹が復活したからと蘇らせ、『世界の為に戦ってくれ』と言って再利用しようとしているのだ、こいつは。


 悪い悪くないとか、そんな問題じゃなかった。

 狂気の沙汰だ。理解できない。

 罵ってやろうとしても声が出せない。






 そんな受け入れがたい現実を前にして、詩音の手に汗が滲んだ。


「……………………ッ!?」


 そう、

 人間には当然の生理現象であると同時に、ここ数年、自分からは失われていた機能だ。


 慌てて体を数度触って確信する。

 体が戻っている。2年前、異世界に来る前の身体。何の変哲も無い普遍的な日本人の肉体に。


「…………………………!」


 数瞬の思考の後、結論は導き出された。


 ――そういうことか。


『欠員が出てから(詩音を殺してから)半年が経過している』

『最近になって黒樹が復活。再び人類滅亡の危機に陥り、戦力の補充のため異世界召喚を試みる』


 ヴェートの話の中、ここまでは事実に違うところは無いだろう。

 問題は次。『今回召喚に使った陣は"才能のある"人間を世界を越えてというもの』という発言だ。


 おそらくヴェート達は自らが起こした魔術を誤認している。

 あの魔術師は、この『死者蘇生』を『異世界召喚』だと思い込んでいるのだ。

 正しく認識できているのは、"優れた『叡智』を持つ者を選んで"という一点だろう。

 ヴェートは異世界から人間を引っ張ってくるつもりが、誤って彼女が暗殺した俺を蘇らせてしまったのだ。


「……ははっ」


 馬鹿みたいな間違いだが、そもそも死者蘇生なんてファンタジーな魔法、ここ異世界でも見たことも聞いた事も無い。

 これは詩音の死後急造で作り上げた未開の技術。だからこそ起こってしまったミスだと考えるべきだろう。


 そして、事をややこしくしていた要因がもう一つ。

 蘇った俺は姿に戻っていた。


 異世界召喚には『生前の容姿を引き継ぐパターン』と『容姿が変化するパターン』があるというが、俺が経験したのは後者。

 それはもう大胆に組み直された肉体は、元の世界の知人が見ても絶対に気がつかないであろう程に変貌させられた。

 まあ、そんな肉体も再生能力付きというチートの一つであったのだが、それは現在重要では無い。


 そんな肉体が、たった今蘇生された際に元に戻っている。

 容姿の大きな変貌の為、ヴェートは『今ここに立っている俺』が『志無崎詩音』であることに、こうして向かい合っていても気がついていないのだ。


 ――なるほど、なるほど、そういうことか。


 得心いった。手でも叩きたい気分だった。

 それなら何もおかしなことは無い。起きたこと全てに辻褄が合う。


 ヴェートはいらなくなった俺を殺し、必要になったから新しい戦力を継ぎ足しただけだ。

 偶々俺の代用が俺になっただけで、目の前の男が俺だと知らないだけなのだ。

 こんな馬鹿げた要求をしてくるのにも説明がつく。

 『欠員が出た』などと暗殺を隠した言い方をしているし、あの裏切りが悪いことだとちゃんとわかっているのだこいつは。


 ――ああよかった!納得だすっきりした、よかったよかった!


「…………あの、聞こえていますか?もしかして言葉が通じないということは……」


 ヴェートの声が沈黙を破る。



 総論。

 戸惑いを浮かべているこの少女は、自分のことを使い捨てのゴミとみなした裏切り者である。



 ――舐めやがって。


 右手に意識を向け『叡智』を行使。


 ぷつ、と手の平でかすかな音が鳴った。

 傷から滲んだ一滴の血を握りこむ。


 確認完了。肉体は戻っても『叡智』は残っている。チートスキルは元のままだ。


 ならどうにでもなる。

 なんだってできる。

 世界全部を敵に回しても勝つのは俺だ。

 ヴェートの言ったように人類全てを滅ぼすことだって、やらないだけでできないことでは無いのだ。

 だからやろうと思えば、俺がされたのと同じように、ヴェートこいつの脳髄をそこらにまき散らすことだって





 ――駄目だ。落ち着け。そんなことをして何になる。


 詩音は左右に首を振る。

 どうにか胸の内のどす黒い感情を散らす。


 駄目なのだ。感傷に振り回されている暇は無い。安っぽい復讐心など今後一切頭に浮かべてはならない。自制心をフル稼働させろ。自分の選択一つに万単位の人命がかかっている。


 一つゆっくり深呼吸をして、無理矢理に意識を切り替える。


 意識の上では数分前でも、実際にはあの裏切りは半年も過去に終わっている事だろう。

 考えても仕方が無い。考えるな。

 今考えないといけないのは別のことだ。


 黒樹が復活した。対処を誤ると世界は滅ぶ。

 己のチートは無敵であっても全能では無い。人類が絶滅した後に魔王を倒してもどうにもならない。


 ヴェートは索敵能力……索敵というにはあまりに広範囲な、レーダーといってもいい『叡智』を有している。

 あの魔王に対抗するには絶対に不可欠な人材だ。


 忌々しいことに、ヴェートが死ぬなど万が一にもあってはならないのだ。

 世界が滅ぶ。



「……あの」


「…………いえ、言葉は通じています。少し考えさせてください」



 ヴェートうらぎりものに、一応は王女になったらしい彼女に敬語で相槌を打ち、詩音はさらに考える。


 ――もしここで俺が『志無崎詩音』だとぶちまけたらどうなる?


 決まっている。

 『裏切ったら危なそうだし』という理由で殺処分した人間が蘇ったのだ。

 こちらにそのつもりが無くとも、向こうからすれば詩音の危険性は跳ね上がっている。

 間抜けにも異世界系チーター相手に裏切るだけの動機を作り上げてしまったのだ。黒樹よりよっぽど危険な存在といえよう。

 平和の中で殺処分を選んだ裏切り者どもが『世界の危機なんだから争ってる場合じゃないよ!!』などと綺麗事を吐くのは期待できない。


 少なくともヴェートとラヴェルとは戦争になる。

 そしてどちらも強い。負けることは無いが殺されない為には殺すしかない。

 世界は滅ぶ。


 ――俺が要求を断ればどうなる?『異世界召喚?魔王討伐だぁ?そんなの知らねぇよ元の世界に帰せ!!』と。


 これも簡単だ。

 あの黒樹を俺以外が倒せるとは思えない。

 別に俺が凄いわけでは無く、スキルがチートで魔王もチートだっただけだが、何はともあれ世界は滅ぶ。


 選択肢は無い。



「――――わかりました。やりますよ、その黒樹退治」



 これはもう、正体を隠して裏切り者に仕えるしか道は無いようだった。


 どんな罰ゲームだよ。

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