予選47

 領主の館は高台の上にあり、坂を上る途中に馬車の窓から外を覗くとウォーターフォールの街が一望できた。雨が降っているせいで遠くの海の方は霞んで見えたが、リアス式海岸になっている半島の形はよく分かった。

 海沿いの工業地帯では、無数の煙が立ちのぼっていた。河川を人工的な治水工事で細かく分割し、工場の横を通って海に流れるようにしているようだ。工場は川を汚染してしまうことが多いから、できるだけ下流の海沿いに作らせたのだろう。漁村は工場地帯とは離れた場所に作られていた。


 繁華街と問屋街と商業地区と住宅街が明確に分けられているのを知ったときにも思ったことだが、ウォーターフォールは計画的に作られた都市らしい。


 馬車が門をくぐり、館の敷地内に入った。庭の草木は大胆にカットされ、動物のような形に整えられていた。小川があり、池は透明な水を湛えている。写実的な白い彫刻が並ぶアプローチを抜けて玄関前に到着した。馬車を降りると、整列した大勢の使用人達に出迎えられた。


 ホールに通された俺は、緊張しながら対面の時間を待った。『1の3』のメンバーは全員が舞台慣れしたらしく、七海ですら緊張した様子はなかった。


 ホールの両階段から、領主一家が降りてきた。家族構成は領主とその妻、3人の息子だった。領主はお腹が丸く、口髭を蓄えていて、貫禄たっぷりだった。どう考えても俺が売った制服の上着は着ることができないだろうから、あれは観賞用か贈答用に買ったのだろう。息子は3人とも年が近そうで、痩せていて、日本で言うと大学生か大学院生くらいに見えた。


「我が家へようこそ」


 領主がそう言って、右手を軽く挙げるだけの挨拶をした。


「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」


 俺は代表してそう言い、右手で握り拳を作って胸に当て、左手はまっすぐに下ろし、目を瞑って腰を45度の角度に曲げた。ヘンリーも同じ仕草をした。馬車の中でエドワードから聞いたマナー講座によると、これがアルカモナ帝国の平民の男性が貴族に対して最大限の敬意を払う挨拶だった。

 一方、七海と有希と心愛と浅生律子は、スカートの両裾を手で持ちながら、左足を斜め後ろに引き、右足を曲げて微笑む、平民の女性が貴族に対する挨拶を行なった。1度も練習する時間がなかったが、誰も失敗しなかったのでホッとした。


 エドワードは領主のことを「善人で有能」と評していたが、俺は鵜呑みにはしていなかった。領主御用達の商人が、領主の悪口を言うわけがないからな。どんな些細なことで機嫌を損ねるか分かったもんじゃないと警戒していた。


「ああ、こちらが無理を言って来てもらったのだから、あまり堅苦しいことは無しにしよう。本当は外でライブを行なってもらいたかったのだが、あいにくの雨だ。このホールで公演してもらうのはどうだろうか?」


 領主はそう提案した。


 俺は了承し、領主達には両階段の上で観てもらうことにした。2階席のような感覚だ。領主一家だけではなく、大勢の使用人達も観ることになり、観客は総勢50人くらいとなった。

 話しているうちに、本当に領主一家は貴族としては善人だと分かり、ホッとした。あくまでも「貴族としては」だが。


 使用人達が両階段に椅子を並べている間に、七海と有希と心愛はそれぞれの立ち位置を確認する。いつもの『エンジェルズ』のステージよりも広く、今までは観客を見下ろすスタイルだったのが、今回は逆に見上げるスタイルになるため、細かい調整が必要だった。

 浅生律子とヘンリーも手早くチューニングをしている。


 その間に、俺は領主達にゼリーとグミをプレゼントした。朝のうちに、予め領主達の分を確保しておいたのだ。これは公演のギャラに含まれていますと伝えたのだが、領主は固持して、ギャラを上乗せしてくれることになった。一家全員がゼリーとグミを気に入っていたので、非常に喜んでもらえた。


 そして特別ライブが始まる。

 まずは、今までの公演で1番評判が良かった演歌の曲を熱唱する。続いて、七海のお気に入りのアイドルソング。どちらも領主達に好評で、1曲終わるごとに拍手をしてくれた。


 続いて、『白鳥の恩返し』を七海が感情たっぷりに暗唱する。領主達は『エンジェルズ』には1度も来たことがないので、使い回しで構わないと思って俺が決めた演目だった。七海は、物語を披露するのは初めてだった昨日よりも技術が上がり、表現が豊かになっていた。ナレーションと主人公の若者と美女で、それぞれ声色も使い分けていた。


『エンジェルズ』で大好評だった『白鳥の恩返し』は、領主一家にも大好評だった。その様子を見て、俺は有希に合図を送った。『白鳥の恩返し』が不評だった場合は、もう物語を披露するのはやめて、歌とダンスだけに絞るつもりだったのだが、好評だったので有希も『かぐや姫』を披露した。


 さらに、演歌とアイドルソングを歌い、アニメソングも初公開した。昨夜、有希と心愛が小学校低学年の頃に好きだったと言っていた女児向けアニメの主題歌だった。2人はカラオケでもたまに歌っていたそうだ。有希と心愛ほどではないが、七海と浅生律子もそのアニメが好きだったので、短い練習時間で習得することができていた。ヘンリーは練習する時間がなかったので、伴奏は浅生律子が1人で行なった。


 アニメソングの歌詞は、あえてアルカモナ人向けのカスタマイズをしなかった。領主一家にはそれが逆に新鮮に映ったようで、「歌詞の意味はよく分からないけど、面白い曲だった」と言ってくれた。


 最後は、もう1度聴きたい曲はないかとアンコールを受け付けた。領主の妻の希望で、最初に歌った演歌をもう1度歌い、今回のライブは終了となった。


 続いては、定番のサイン会とグッズ販売である。ちゃんと馬車に乗せて準備してきたのだ。サインとは何か、『ペン』とは何か、というところから俺が説明をすると、みんな興味を持った様子だった。


 領主夫妻は無難にそれぞれサイン色紙を購入しただけだったが、3人の息子はそれに加えて、『ペン』を競うように大人買いした。

 長男は七海の『ペン』を30本も買ってくれた。次男は有希のを20本、三男は心愛のを20本も買ってくれた。そんなにたくさん買ってどうするのだろう、と思ってしまうが、金持ちなんだからと気にしないことにした。長男だけ本数が多かったのも、いずれ爵位を継ぐ予定の長男は小遣いが多かったからなのだろう。


 うまいこと推しが被らなかったことに、俺は内心、胸を撫で下ろしていた。これで心愛のだけ誰も買わないなんて事態になっていたら、また心愛のメンタルが削られてしまうところだった。


 使用人達も、領主の許可をとってからサインをもらっていた。


 それが終わると食堂に移動し、領主一家とのお茶会が開かれた。


 紅茶は良い葉を使っているらしく、この国に来てから飲んだ中で1番美味しいお茶だった。やはり砂糖はなかったが、みんなレモンやミルクで味を調えていた。お茶請けはドライフルーツだった。


 領主達は当然、『1の3』のメンバーについて詳しく知りたがった。七海達は作家のインタビューに答えたのと同じ範囲で答え、困ったときは「アイドルのイメージを壊したくないので、その質問はノーコメントでお願いします」とかわしていた。

 俺に対しても、あの制服を作った職人や、ゼリーとグミやバターやスープの素の製法に関しての質問が飛んできた。

 七海達の制服を野外ライブの最後にオークションにかけると説明すると、3人の息子達が興奮した様子になった。料理の製法に関しては、野外ライブの1日目にオークションをすると説明すると、領主が前のめりになった。ウォーターフォールの新しい特産にできると考えたらしい。


 そのタイミングで河川敷での野外ライブの許可を求めると、領主はあっさりと了承してくれた。

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